17.空を駆ける騎士
──なーんか、変なんだよな。
リヴィオは、むむむと眉を寄せて広い城内を歩いていた。
ちなみに、人の視線という視線が矢の如く飛んできているが、繊細なつくりの顔に反して図太い野蛮生物であるリヴィオは、それらを跳ねのける。
見えないバリアがある、というわけではなくこの男。常に人の視線に晒されてきたもんで、じろじろと見られる事は当たり前のものとして気にしちゃおらんのだ。殺気でなけりゃいいや、くらいのもんである。な? 図太いのだ。
さてそんなリヴィオニス・ウォーリアンが、ソフィーリア・フォン・ロータスというお嬢様を心から敬愛し、全てを捧げて剣を振るっていたことは、懐かしの学び舎や騎士団では、わりと有名な話であったが。
次期王妃の為にこんなに情熱を傾けるとは……なんと立派な騎士であろう! なんて言われる度に、心ン中で「次期王妃って言うな」とリヴィオニスが思っていたことは、多分バレていない。
無論、ソフィーリアが王妃になるために、或いは王子の婚約者として生きるために。
文字通り身を粉にして、それこそ全てを捧げて生きている事をリヴィオニスは叫び出したくなるくらいに、ようく知っていたので、ソフィーリアが王妃になることが嫌ってわけじゃなかった。
本気でソフィーリアが王妃になりたいと言うなら全力で応援したし、ソフィーリアが王妃になるなら良い国になるしかないだろ、とリヴィオニスは力いっぱい宣言できた。
ただそれには、ソフィーリアをちっとも大切にしない、どクソ野郎との婚姻がセットなわけであるから、リヴィオニスにとっちゃ許しがたい案件でもあったわけである。うーん、複雑な男心。
まあ全部過去の話なわけであるが、つまりは、今リヴィオと名乗るこの男は、ソフィと呼ぶ最愛について一番知っているのは自分だ、という自信があるのだ。
リヴィオには、この世界で誰よりも一番、ソフィを想っている自信しかない。
てなわけだから、ソフィがいくら否定しようと、ソフィが何やらもやっとしておいでな事なんて、お見通しなんである。
そりゃあ、ソフィの趣味とか好みとか、「ソフィ自身」のデータは少ないけれど。表情くらいは、読めるに決まっている。
なんてったって、三年間。ただただ、ソフィを見つめ続けて来た。年季が違うのだ。
「……ああいう顔、初めて見たかも」
リヴィオが知る、ソフィーリアという女の子は、いつでも完璧な笑顔を浮かべていた。他者に付け入る隙を与えない、鉄壁の笑み。
それが最近は、ごく自然に笑ったり泣いたりするから、リヴィオはもうソフィが可愛くってたまんないし、幸せいっぱいなんだけれど。
今、ソフィは、懐かしい完全武装の完璧な笑みに、わずかに不機嫌の片鱗を見せていた。
見た事がない顔を見られるのは嬉しい。ちょっとむっつりしたお顔も超キュート。
だけど、できれば嘘じゃない本当の笑顔でいてほしいと、そう思っちまうわけだから。うーん、男心ってほんと複雑よね。
「こちらです」
メイドの静かな声に、はっとしたリヴィオは顔を上げる。
だだっぴろい演習場に、かつていた場所を思い出し、リヴィオは少しだけ懐かしい気分になった。
「いらっしゃいましたか」
「リヴィオと申します」
「ベールナルド・フィンセントです」
ベールナルドは、後ろで束ねた、薄いブルーのプラチナブロンドの長髪に夕日を反射させ、柔和な笑みを浮かべた。
近衛騎士らしい、少し派手な制服でわかりづらいが、かなり鍛えられた身体をしている、とリヴィオがさっと視線を走らせるのは殆ど無意識で、癖のようなものだった。
どんな攻撃をするのか、どうすれば先手を取れるのか。リヴィオの野蛮人の血が「呼んだか?」と準備運動をしている。
チリチリと神経が焼けるような感覚は、悪くない。
「無礼な申し出にもかかわらず、受けていただき感謝申し上げます」
「おやめください。家名も持たぬ者に、そのように畏まる必要はありません」
丁寧で品のある物腰と話し方は、王の側にあるに相応しい。この国の貴族事情をリヴィオは知らんが、名家の騎士だろう、と頭を下げた。
「私の方こそ、近衛騎士と手合わせができるなど、思ってもみない機会をいただき、感謝申し上げます」
言葉は嘘ではない。
武人として生きていた以上、自分の腕が鈍るのは許せないし、この先ソフィを護り続けるために、力はいくらあっても足りない。訓練らしい訓練ができていないリヴィオには、好機であった。
あとまあ普通に、強者と剣を交える高揚感もあった。オラ、わくわくすっぞ。
だからリヴィオは、チキ、と僅かに鞘が音を立てた瞬間に剣を出して、踏み込んだ。
ギイイイン! と鳴り響く、金属音。
「ならば、遠慮なくいかせていただきましょう」
「うっかり殺したらすみません」
はは、と笑う男から立ち上る殺気に、リヴィオはぺろりと唇を舐めた。
可愛いあの子の願いを叶えるためには、この男に認められなくてはならない。
死なない程度に殺そう、とリヴィオは思考を塗りつぶした。
なるほど読みづらい。
リヴィオは、くるりと宙で身体を捻った。足場が欲しい、と足に集中すると見えない塊を踏みしめる感触がして、それを弾みに駆け上がり、勢いをつける。
ベールナルドは僅かに紺色の眼を見開き、腰を引いた。
リヴィオはそれを見て、両手で剣を振りかぶる。
が。じゃり、と小石を踏む音を聞き、剣を片手で回転させた。
———剣を受けるのはフェイク。払いかな。
獣並みと評価されたリヴィオの五感は、戦闘になれば一際研ぎ澄まされ、どんな些細な音も臭いも動作も見過ごさない。
空気の流れすら肌で感じる己の感覚に従い、剣を右から振り上げるように切り付ける。
読みは当たったらしい。虚を突かれたように、ベールナルドは身体を傾けリヴィオの剣を受けた。
不自然な体制でもリヴィオの剛剣を受けるのは流石で、不意を突いても傷一つ付けられない事に舌打ちしたい気分三割、拍手喝采を送りたい気分七割で、リヴィオは唇の端が持ち上がるのを止められなかった。
純粋な力比べになれば、リヴィオに軍配が上がるだろう。
初手でベールナルドもそれがわかったのか、真っ向からの打ち合いを避けられていた。
わかっているのに、絶妙なタイミングで「相手をするしかない」という顔をしてみせるので、ついつい乗っかりそうになるのだ。
自分の思惑通りに行った、と漂う安心感のなんと甘美な事か。
疲れたタイミングでお砂糖たっぷりのケーキを差し出されりゃあ、そりゃ、食らいつきたくもなる。にっこり可愛いソフィがいようもんなら、お前……抗う術などないわ。
へらへらついて行きそうになったリヴィオは、けれどもギリギリでそれが幻覚だと気づく。ソフィの可愛い笑顔? とんでもない! ぎろりと光る死神の鎌が見えんのならば、二度と騎士などと名乗れるものか。
全神経を集中させて、ベールナルドの一挙手一投足を観察し、髪の毛一本分にも満たない精密さで、光よりも早く身体を反応させる。
頭を使う戦闘って、得意じゃないんだよな。
繰り返す読み合いはストレスだ、と文句を言っても仕方が無い。
リヴィオの剣に弾き飛ばされる、と見せかけて距離を取られたので、リヴィオはそれを追った。
と、見せかけて飛翔。高く飛び上がり、再び剣を構えた。
また力押しか、とリヴィオを侮ってくれんなら楽だったんだけども、ははー、ほんと流石だよね。ベールナルドは腰を落とし、剣をゆるく構える。
どこから打っても躱してみせますよ、とでも言いたげなその余裕は、どっかのでっかい野蛮なクソ親父そっくりで。
うっかり血が沸騰しそうになったリヴィオくんである。
いけないいけない、と頭を冷やそうと、リヴィオはもう一段空に跳ねた。
と、ギチ、と剣を握り締める音がする。
実際に音が鳴っているのか、確かめた事がないから知らんが、それはリヴィオにとって相手が全力の一刀を放つ合図だ。
しめた、とリヴィオは再び足に集中し、虚空を蹴る。
若いな、と笑われた気がして、リヴィオもにやりと笑った。
──若者を舐めてもらっちゃ困るぜおっさん。
若い連中だって、それなりに頭使って生きているし、おっさんには無い勢いの良さってのがある。こちとら、伊達にクソ親父殿にしごかれちゃいないのだ。
ぐん、と急降下したリヴィオは、ベールナルドに向かう。
のではなく、ベールナルドを避けた場所に狙いを定めた。足先が地面に触れる瞬間、親指に全力を注ぎ、ベールナルドに切りかかった。
ワンクッション挟んだ思いもよらぬ方向からの突進に、ベールナルドは体勢を崩した。
だがすぐに立て直す、ことはリヴィオの予想通りだ。
そう、俺の動きが読めるアンタなら、そっちに足を引いて次の動作に移る。足元に土の山が、なけりゃね。
ぐら、とベールナルドがわずかに身体を傾けた瞬間を、リヴィオは見逃さない。
──今度こそ、本気でその体がぶっ飛んだ。
わはは! 笑い声を上げたいのを堪え、リヴィオは追撃に向かう。
やるときゃ徹底的に。二度と立ち上がる気が無くなるまで叩き潰せ!
野蛮で粗暴で過激な家訓を掲げ、リヴィオは地面を蹴った。剣に集中し、力を行きわたらせ、
「まいりました」
「! う、わっ」
まさかの急停車に、勢いのついた身体は塀と熱烈なキス! と、なる前に慌てて塀を蹴った。
猛スピードが乗っかった片足を受け止めた塀は、盛大な音を立て瓦礫と化し、リヴィオは衝突を免れたわけだが。
やっちゃった!!!!
リヴィオは顔を真っ青にして、ベールナルドを見た。
「すみません! 弁償ですかっ?!」
金に困っているわけではないが、金が溢れているわけでもない。
が、ソフィに苦労を掛けないためには、力も金もあればあるだけいい。自分の腕を衰えさせない事と、蓄えを尽きさせない事はリヴィオの命題であったのに。
城の演習場の補修なんて、いくらかかるんだ!
力が強すぎるあまり、すぐにあちこちをぶっ壊すウォーリアン家の男たちは、「破壊神」と騎士団の経理部泣かせで有名だった。
リヴィオニスは、新人時代に給料から天引きされた事も数えきれないほどで、壊さず暴れる方法を考えながら戦闘をするはめになった。
久しぶりに全力で剣を振るい、うっかりさっぱり「壊さない」を忘れたリヴィオは、だらだらと汗を流し、ふと気づく。
演習場に、不自然な土の山がある。
はて? そういやあ、さっきもあったなあのお山。
よく見りゃ、穴ぼこがところどころにあって、その土があっちこっちに山を作ってんだよね。なんじゃろな。
考えたリヴィオは思い至った。
あれも僕か!!!
踏み込んだ瞬間の勢いで、穴があいたんだろうねえ。そういやあ、訓練中によく「全力で飛ぶな」「飛ぶなら自分で片付けろ」と叱られたっけ、と思い至ったリヴィオが再びベールナルドに視線を戻すと、ベールナルドはぱちんと瞬きをした。
「す、すみませ、ん。えと、今夜中に、埋めます」
ベールナルドに、戦闘中すら浮かべていた笑みがないもんだから、リヴィオは冷や汗をかきながら謝罪を口にした。
ここは他国の城で、ベールナルドは王を守るてっぺんのお方。
国から出してもらえなかったらどうやって逃走しよう、とリヴィオが頭を下げると、「っ」と堪えるような、息をつめたような音がする。
はてと、不思議に思ったリヴィオがそろりと頭を上げて窺うと、ベールナルドは口元を押さえ、そっぽを向いて肩を揺らしておった。
おやま。
「……フィンセント様?」
「っ、ふ、ふふ、君、本気ですか」
「え?」
本気って、何が。え、お前本気で言ってんのかゴルァつって怒られてんだろうか?
いやだがしかし。ベールナルドは多分、笑っている。ので、つまりは怒っていない?
そろ、と顔を覗くように首を傾げると、「ぶふっ」とベールナルドは吹き出した。
「やめなさい、デカイ図体で、君、子どもですか」
「16です」
「失礼、子どもですね」
ええ、誠に遺憾ながら。
リヴィオは思ったが口にせず、ぶ、と頬を膨らませるとベールナルドは「あははっ」とついに声を出して笑った。
「ああ、おかしい。こんなに笑ったのは久しぶりですよ」
「そりゃようござんした」
「ふふ、は、いや失礼。馬鹿にしたわけではないんですよ」
まあ、それは。ね。なんとなくわかったが、笑われて良い気分はしない。特にリヴィオは、大人がみせる、この手のなーんか温い笑いが苦手だった。
むす、と不機嫌顔を隠さないのはリヴィオのせめてもの抗議であったが、これをすると大人は余計に笑うもんだから、リヴィオくん、解せない。
「君、年上に好かれるでしょう」
「まあ、嫌われてはなかったと思いますが」
「でしょうね」
どういう意味だろ? リヴィオがこてんと首を傾げると、ベールナルドはまた笑った。
もう好きにすりゃいいさ、とリヴィオが半ばやけになると、それがわかったのかベールナルドは笑うに笑う。
「ふ、ふふ、いや、君、空を蹴るとか意味不明な戦い方をするし、思わず魔法を使いそうになるくらい余裕が無い立ち回りを私にさせておいて、あまりに可愛らしいんですから。ふふ、おっかしいなあ」
ああ、とリヴィオはベールナルドの仕草を思い出した。
「時々、詠唱をしようとなさってましたね。使ってよかったのに」
ぶった切れる自信があるし、とは言わんが。
リヴィオが剣を消しながら首を傾げると、ベールナルドは「冗談」と剣を鞘にしまいながら笑った。
「君、大人しく受けてくれるんですか。それこそ、演習場が吹っ飛びますよ」
「あ」
そうだ笑っている場合では、とリヴィオが顔を引きつらせると、ベールナルドは視線を上げ、リヴィオの乱れた髪を撫でて笑った。すっかり子ども扱いではないか!
む、とリヴィオは眉を寄せるが、演習場を破壊した負い目があるもんで、声に出せない。
大人しくベールナルドの大きな手を受け入れると、ベールナルドは「はは」とまた笑った。
「お願いをしたのはこちらですから、気にしないでください。楽しかったですよ」
「……例の件は」
ベールナルドは、にっこりと笑った。
「あのお方は、私の命で、私の誇りです。どうか、頼みます」
そうして、恭しく頭を垂れるのだ。
笑われたことも頭を撫でられたことも、これでは腹を立てる方がいよいよ子供だ。ため息をつきたいところであるが、騎士の覚悟と礼儀を踏みにじるほど、リヴィオはベイビーではないのである。
リヴィオは手を胸に当て、静かに頭を下げた。
苦しみと悲しみの中、己を磨き続けた過去を纏い、いつだって美しくある最愛のあの子のように。
「謹んでお受けいたします」
ベールナルドが身体を起こしたので、リヴィオもゆっくりと顔を上げる。
やわらかい笑顔にはひとつも嘘がなかった。
「有難うございます。リヴィオ殿」
でもさあ「殿」って、散々人を子供扱いしておいて、なんかいっそ嫌味じゃんね。
リヴィオは、ぶう、と唇を尖らせた。
「リヴィオで良いですよ。もう白々しいです」
「おや、嫌われてしまいましたか」
「そうは言ってません。……フィンセント様と手合わせできて、僕も楽しかったですよ」
ふん、とリヴィオが顎を上げると、ベールナルドは「ベールナルドと呼んでください」と笑った。近衛騎士団の団長殿を呼び捨てとは、リヴィオも随分と偉くなったもんである。
後で揉めないかな、と思ったが、まあリヴィオのしったこっちゃない。面倒が起きたらソフィを担いで逃げよう。
「戻られたらまた、手合わせをお願いしてもいいですか?」
「次は魔法を見せてくださいね」
「アドルファス殿に許可をとっておきます」
それって演習場を破壊しても大丈夫ですか? って許可を取るってことなわけで。
んな許可下りんだろな、とリヴィオは「期待せずに行ってきます」と笑った。
「……一つ、聞いても?」
「はい」
なんだろ、とリヴィオが首を傾げると、ベールナルドは小さく笑った。
「こちらの事情に巻き込んでいるのに、腕試しをさせろと、無礼な真似をしているにもかかわらず、貴方が同行される理由は、なんなのでしょうか」
まあ、たしかに。
リヴィオはこの一件に、とくに思い入れはないし、彼の王様への義理は果たしたかな、と思わなくもないけども。
エレノアはまだ絶賛呪われ中というのだから、ここでハイさようなら、はあんまりだろう。
「こんな中途半端じゃ後味も悪いですし……それに、ソフィが行きたそうだったから」
「……それだけですか?」
真面目で責任感の強いソフィが、このまま別れを選べるはずもない。
リヴィオが同行を願い出た時のあの可愛らしいお顔! あんな顔が見れるなら何だってするし、何処へだって連れて行く。
リヴィオが剣を振るう理由は、なんにも変わっちゃおらんのだ。
「他に理由が必要でしょうか?」
不思議な事を言うなあ、とリヴィオが首を傾げると、ベールナルドは目を見開いて、そんで、「ごつ」と音がした。
小さな音だが、確かに聞こえたそれを辿ろうと、リヴィオは視線を動かす。
ベールナルドは気付かなかったのか「リヴィオ?」と不思議そうに名を呼んだ。
「いや、なんか音が……あ、」
リヴィオの視線の先で、蹲る人の影。
どれだけ距離があろうと、何があろうと、見間違えるはずもない。
柱の陰で蹲っているのは、ソフィだった。
活動報告でもお知らせいたしましたが…
本作の書籍予約が各所で始まりました!!!
ここまで応援してくださった皆さま、本当に有難うございます。
素敵な挿絵とともに、はじかねの世界を今一度お楽しみいただけましたら嬉しいです。





