13.火のない所に煙は立たぬ
「しかしドラゴンか……」
心配そうなリヴィオに、必死で「大丈夫です」と言い連ねるソフィを置いて、エーリッヒはふむと呟いた。
「ルディア国の王は、エラの生まれについて深くはお話にならなかったんだが……まさか伝説の存在が出てくるとは……」
「エラの馬鹿みたいな強さにも納得がいくな」
馬鹿って……とエレノアが笑うと、ヴィクトールは片方の眉を上げた。
「なんだい君、自分がまともなつもりかい? 君、自分の剣がどれくらい重いかわかっているの。あんなものを振り回すのは私の最愛の友人たる君くらいだぞ」
「いや、この際だから正直に言うが、あの剣にはお師匠様の牙が使われているんだ。だから、魔力を流しやすい。言わば、私の為だけにあつらえた剣だから、私以外にとって重いのは当たり前なんだよ」
笑うエレノアに、ソフィは瞬きした。
馬鹿って言われるくらいでっかい剣。待て待て。ソフィはこの話題。どうにも既視感があるんだが?
「そらみろ。戦闘中にまで剣に魔力を流す馬鹿は、そういないよ」
やれやれ、と大仰な仕草で首を振るヴィクトールに、アドルファスが、うむと頷いた。
「私も剣を使いますが……魔導士である私でも思いつきませんし、真似ようと思っても難しいです。平時に武器を収納するのとは話が違います。魔法を使う時と、根本的に魔力の使い方が違いますからね」
だから。
どっかで聞いた気がするんだこの会話!
再びの既視感に、ソフィはぎしりと首を傾げ、リヴィオを見上げた。
視線に気づいたリヴィオが、不思議そうに、首を傾げる。あーら可愛い。
瞬きする睫毛が本当に長くて、瞳がキラキラとしていて、どんな絵描きも芸術家も「我! 才能無し!」と打ちひしがれて夢を諦めるだろうって破壊力の美貌を、惜しげもなく晒す、世界で一番美しい騎士。
顔の美しさだけで世界を滅ぼすことも手にすることもできるだろう、この騎士様は、さて、ついこの間。
同じような会話をしちゃあ、いなかったか?
これは。
つまり??
ソフィは首を傾げる。
と、リヴィオもさらに首を傾げた。うっわ、かわい……ってそうじゃなくて。
ソフィが気にしないで、ととりあえず手を振ると、リヴィオはこくんと頷いた。うーん、かわいい。んだけど、なんていうか。ね。
「あの、というか、今更だが……みんな私の話を信じてくれるのか……? ドラゴンだぞ……?」
「本当に今更だね! エラを疑う必要があるの?」
声を上げて笑う楽しそうなエーリッヒの声に、アドルファスもからからと笑った。
顔は怖いし口は悪いが、子供のような笑顔に邪気は無い。
「お忘れですかエレノア様。私の母は魔女です。この世にあり得ない事など無い、と育てられました。常識なんて大嫌い、が母上の口癖ですからね」
「さすがは空色の魔女だ! 良い事を言う!」
「テメーは常識を全財産はたいてでも買って来い」
再び怖い顔でぎろりとヴィクトールを睨むアドルファスに、リヴィオはくすくすと笑った。
やっだ小さく笑う声の品の良さと可愛さったら!
思わずきゅんとしちゃうソフィの横で、リヴィオは「それにしても」と腕を組んだ。
「ドラゴンの魔力を持つお方に会えるだなんて、本当に思ってもみませんでした。本当に、この世には何があるかわかりませんね」
「はあ?」
と、ここで。
感慨深そうなリヴィオの台詞に、ぱしん、と尻尾をテーブルに叩きつけたのは、アズウェロである。
何を言っているんだこいつは、と言わんばかりの声に、リヴィオは「ん?」と呑気に声を上げた。
うーん、そんなとこも可愛いなあなどとソフィは思うわけだけども。
アズウェロは、とん、とテーブルの上からリヴィオの膝まで一足飛びで移動すると、じい、とその美しい顔をねめつけるように見上げた。
あっはっは。
疑惑が確信にかわったこの瞬間。先の展開が読めてしまったソフィは、じとりと、その視線が自分に向けられても、動揺はしなかった。
「主、こやつは本気か」
「勿論」
いやいやだって、ここですっとぼけて、なんの意味があろうか。
もしも仮に、それを知っていたとしたら、自分の戦闘スタイルすら把握していなかったのはおかしな話だ。
つまりこれは、まじりっけなし純度百パーセントの本気。
美しすぎて強すぎる一家で育ったがあまり、自分の美貌も戦闘力の異常さも、イマイチぴんときちゃおらんリヴィオの嘘偽りなき本音ってことだ。
はー、なんて鈍いんだろう。かわいい。一生守る。ソフィの全力でもって保護せねば。
決意を新たにするソフィからすいと視線を外し、アズウェロは再びリヴィオを見上げた。
「紫の」
「え、はい」
はあ、と深いため息をつき、アズウェロはそれを告げる。
「ぬしも人間とドラゴンの魔導力で構成されている。ぬし、ドラゴンの血を引いておるな」
「………………」
その時。
しん、と広がる沈黙をよそに、ソフィはその逸話を思い出していた。
祖国を守り続ける、最強の騎士の家系のお話だ。
ウォーリアン家。
ソフィが生まれた国で、その名を知らぬ者はいない。
戦に興味の無い貴族も、よちよち歩きの赤ん坊も、その辺を歩くわんこだって知ってるだろってくらい、有名な家門。
武力。
ただその一点で、誰も敵わぬ権力を手にする、最強の騎士の家門である。
当主は「最強の鉾」と呼ばれ、王を、国を守る象徴として他国に恐れを与え、国民に安心を授ける。
そんな家門の初代当主には、様々な伝説があった。そりゃもう、もりもりと。
山を切り裂いたとか、一太刀で海を割ったとか、天候を操れたとか、どう考えても嘘でしょうよって話ばかりなのだけれど。
けれど、誰もそれを笑わない。
ウォーリアン家が、あまりに強すぎたからだ。
あまりに強大な武力を、影響力を、ただひたすらに国のためだけに振るい続けているからだ。
だから誰も笑わなかった。
たとえ、ウォーリアン家はドラゴンの血が混ざっている、なんて話があったって。
「え?」
本名を、リヴィオニス・ウォーリアンというその騎士は、ぱちん、と瞬きし、自分を指さした。
「え、僕のクソ親父は多分人間ですよ?」
「阿呆。ぬしの何代も前の話だろう」
「えー?」
疑わしそうなリヴィオに、ち、とアズウェロは舌打ちした。舌打ちする神様って……。いや、神様も舌打ちくらいするか。何せ、ストーキングする神様だっているくらいだものな。何も言うまい。
「主」
「は、はいっ」
ご機嫌斜めな神様に突然呼びかけられ、ソフィは背筋を伸ばした。
「紫のの魔導力を視てみろ」
「……はい」
そういえば、ソフィはリヴィオの魔力をまじまじと観察したことがなかった。
なんつってもこの騎士様、怪我一つ負わないのである。
いつかリヴィオに回復魔法を使う日がきたら恥ずかしいわ……! と狼狽えた、ソフィちゃんの心配は今のところ杞憂であった。リヴィオが強すぎたので。いやあ、ドラゴンの血族だったなんて。そら、強いわけだ。
そんで、無自覚ときた。はは、笑っとこ。
ソフィは、静かに魔力を練った。
収束、拡大、浸透。
幾分か慣れてきた動作の後、ソフィの真っ暗だった視界に広がったのは、
───眩いほどの、業火だった。
熱く燃え盛り、全てを焼き尽くさんと渦を巻き、けれどその炎がソフィを焼くことは無い。
ぱちぱちと、きらきらと、燃え盛る炎は、闇夜を彩る星のようだ。
温かく、美しく、目が眩むほどの鮮烈な輝き。
それは、
「……エレノア様と、似ていますね……エレノア様と比べると、なんていうか、少々苛烈ですが」
「そこがドラゴンとは似ても似つかんところだがな」
アズウェロの声に、ソフィがそっと目を開けると、リヴィオは何故か頬を染めていた。
え、かわいい。
「……なんか、恥ずかしいです」
なにが?
ちょっとよく意味がわからんソフィであったが、照れるリヴィオの顔がその魔導力のごとく、あまりに眩い可愛さだったので、浮かれ脳みそ君は「良し!」と号令を出した。
「そこの娘のように、ドラゴンらしさがあるわけではない。始まりの神の魔力などと程遠い。だが、ぬしは確実にその身にドラゴンを宿す。人ともドラゴンとも違う魔導力こそ、ぬしが両方の血を引く証よ」
アズウェロは、真っ青の瞳でリヴィオを見詰める。
その静かな瞳は、リヴィオの燃え盛る魔導力を視ているのだろう。
途方もない程に長い時間を経て受け継がれた、美しい炎。本当なら、ソフィなんかが近づくことさえできないような、業火をドラゴンから託された、伝説の上に生きる人。
誇らしいような、寂しいような。
複雑な思いで見つめるソフィの前で、リヴィオは口を開いた。
「はあ」
え、それだけ?
ぽかん、とした顔のリヴィオに、ソフィの心を代弁するようにアズウェロが尻尾を揺らした。
「なんだその間抜け面は」
「いやあ、なんか、実感ないなって。僕は僕だし」
それは、そうだけど。そうだけど?!
「まあ、その身体で生きてきたのだ。自覚しようがしまいが、今更何も変わらんだろ」
「ねぇ」
ねぇ、って。ねぇ、ってそんな。可愛い顔で白い猫さんと笑いあうのは可愛いけれど。
それで良いんだろうか。
結構重大な事実な気がするのは、ソフィだけじゃないはず。机を挟んだ向こう側をちらりと見やれば、全員目を見開いている。
ですよね、とソフィは声に出したい気分であったが、はあ、と溜息をついたアズウェロは、リヴィオの膝で丸くなった。くわりと欠伸をするところを見ると、そろそろ飽きておいでなのだろう。
「それで、我に聞きたいことはそれで全部か」
「待ってアズウェロ」
ソフィが慌てて声を掛けると、アズウェロは顔を上げた。
「エレノア様の身体にはまだ、呪いが残っていますよね」
相次ぐ衝撃のニュースで場が荒れに荒れまくっとるが、本題を見失ってはならぬ。とりあえず全部ぐっと飲み込んで、無理やり話を引き戻したソフィに、「え」と小さな声が零れた。
エーリッヒは、大きなアクアマリンの瞳を見開き、エレノアを振り返る。
「大丈夫なのエラ!」
「ああ、元気だな」
にこ、と笑うエレノアに、ソフィは続けた。
「エレノア様の中にあった呪いは、封印しているだけなんです」
「ああ。身体の中に、自分の物ではない魔力を感じるよ。やさしい魔力……その向こうに、不快な魔力がある」
エレノアが眉を寄せると、アズウェロは「ほう」と尻尾を揺らした。
「優れた感知能力だな。ぬしの魔導力は、身体を食い散らかされぬよう留めるために、呪いと絡まりあっていた。主はそれを封印しているにすぎん。万一封印が解ければ、また意識を失うだろう」
「アズウェロ殿は解呪ができないんだな」
「そこまで絡まり合っていては、もはや外側の者は手出しができぬ」
アズウェロの感情の無い声に、そんな、とエーリッヒの瞳が揺れた。
王らしい姿ではない、エレノアの喪失に動揺する子どもの姿を見ても、けれどエレノアは揺るがない。
当たり前の顔をして、背筋を伸ばして、じっとアズウェロの話に耳を傾けている。
諦めているわけではない。だが嘆くでもない。
負ける気はない、と強い光をその目に宿し、現実をただ受け入れているのだ。
「アズウェロ」
それはソフィには、眩しいほどの炎だった。
「外側の者が駄目なら、内側の者なら手が出せる、ということね」
「そうだ」
この身を焼かれそうで恐ろしいのに、側に寄らずにはおれない。
そんな、炎のような、美しさだった。
「エレノア様」
きら、と輝く強い瞳は、こくりと頷いた。
「ドラゴンに会いに行こう」
眩しい。
思わずソフィが目を細めると、アドルファスが、がたりと立ち上がった。
「ま、待ってください! エレノア様がドラゴンに育てられたと仰る言葉を疑うつもりはありません! ですが、ドラゴンなんてそう会えるものですか?!」
「ほいほい会えるなら伝説にはならないだろうが……そこはエラだからこそ、会えるってことかい?」
ヴィクトールが首を傾げると、エレノアは「ああ」と頷いた。
「私がお師匠さまの元を離れる時、あそこには十数頭のドラゴンがいた。ルディア国は自然が多く、未開の地も多い。きっとまだ、みんな生きているはずだ」
「ド、ドラゴンが十数頭……」
一頭存在しているだけでも世界がひっくりかえって、とっ散らかっちまいそうな話なのに。十数頭。十数頭ですって!
凄いことをさらっと言ったエレノアは、エーリッヒを見やった。その視線を受けて、エーリッヒもエレノアを見上げる。さら、と金糸が揺れた。
「エーリッヒ、その、しばらく側を離れることを許してもらえないだろうか」
エーリッヒは、くる、と光をはじくような瞳を見開いて、それから微笑んだ。
「駄目♡」
文句のつけようのない、神々しいほどの笑顔で言い放ったエーリッヒに、エレノアは眉を下げた。
「エーリッヒ、私は君を守ってほしいとヴィクトールから縁談の話をもらった。私の使命は、いつも側にいられる婚約者と言う便利な立場を使い、君を守る事だ。君が命を狙われている状況だとわかっているが、呪いを飼っている状態では足手まといになりかねないし、」
「エラ」
―――ひやりと、冷たい声だった。
瞳に動揺を乗せていた子どもなど、どこにもいない。
静かで、冷静で、人を従わせる力を持った、王の声は、「ねえエレノア」と丁寧に名を呼んだ。
ごく、とエレノアが息を飲む。
「俺が却下したのは、俺から離れることだけなんだけど」
「え」
ぎし、と固まるエレノアを、エーリッヒはにこにこと見上げる。
とっても綺麗で可愛らしい笑顔。
なのに、寒い。
寒い気がするのはなぜだろう。
ソフィは思わず紅茶をすすった。わーいおいしいなあ。
「俺は君を便利な婚約者だなどと思っていないし……君の命を軽んじたりもしない。ねぇ、エレノア? 俺は君に、そんな薄情な人間だと思われているの? 悲しいなあ」
「い、いや、そういう、つもりじゃ」
全然悲しくなさそうな王様の「悲しい」発言に、エレノアはずり、と座ったまま後ずさりをした。
いついかなる戦場でも決して後退しなかった、という女傑を言葉と笑顔でいともたやすく威圧した小さな王様は、にこりと笑みを深める。
「君は、俺が命惜しさに、君がドラゴンに会いに行くのを止めると思ったわけだろ? 俺が、そんな腰抜けだと、君は思ったわけだ?」
「ま、まさか!」
「じゃあ良いよね?」
「え」
にこ、と笑った王の言葉に、はああ、とアドルファスはため息をつき、ヴィクトールは腹を抱えて笑った。
「俺も行くからね」





