いってらっしゃい
オスニール・ウォーリアンは、初めて父になった日の事を今も覚えている。
「あなた、何をしていらっしゃるの…?」
我が子を抱き、思わず最愛の妻の背中を覗き込むと、その妻は怪訝な顔をした。
「いや、お前の背中にはもしかしたら俺が知らなかっただけで、羽があるのかと」
「……あなた、ついに頭がおかしくなったの。訓練のしすぎね…」
辛辣だった。
いやだがしかし。しかしだ。
オスニールは、もう一度腕の中できょとん、とこちらを見上げる我が子を見た。
びっくりした天使かと思った。
え?可愛すぎでは?てな具合にオスニールの思考は停止した。
だって、もう間違いなく美少女だった。
美少女になるしかない顔だった。いや違う息子だった。良かった。オスニールはほっとした。女の子だったら家から一歩も出せないに違いない。新生児は猿みたい、と聞いていたのに話が違う。猿レベルの今がこの可愛さならば、成長したらどうなるかって?求婚者と変態が群れを成したに違いない。それで、いつかはオスニールを置いて、どこかの誰かが連れ去ってしまうのだ。しょうがない、だってこんなに美少女だ。オスニールだって、三日三晩土下座して妻をかっさらった。そうか、これが因果応報か。
「…あなた、泣いているの?」
「娘はやらん…」
「男の子ですけど」
リヴィオニスと名付けた我が子は、男の子で天使でもなかったので、オスニールの腕から飛び去ったり連れ去られたりすることもなく、すくすくと育った。良かった。
ただ、やっぱり凄く可愛かった。何がって、顔が。
いや、我が子とは手放しで可愛いもんだろうから、その生意気な性格も、長年一緒の使用人でさえも夜にばったり会うと「わ」とか思わず漏らす自分の怖い顔に泣かないところも、年の割りに賢いところも、うーんまるっと全部だな。全部、オスニールは我が子が可愛かった。だって、この世で一番可愛い妻と、自分の子だぞ。むしろ可愛くない理由があるなら教えてほしい。生まれてきたことを後悔させてやる。
リヴィオニスが生まれて3年後にいきなり火の魔法をぶっぱなして庭木が灰になった頃に生まれた次男も、可哀そうなくらい自分に似てしまっていたが、オスニールは可愛くて仕方が無い。
ただリヴィオニスの顔立ちの良さは、親から見てもちょっとどうなん?と思う可愛さだった。オスニールと同じ紫の目と黒い髪でなければ、オスニールは妻が一人で産んだと言っても信じただろう。あ、やっぱり俺の妻は女神か天使だったんだな。ってむしろ納得した。
親の欲目?いやいや。やっぱうちの子の可愛さやばいぞエピソードは1つや2つじゃないんだ。
「…父上、お茶会でまた兄上宛てのラブレター預かったんですけど…」
「……一応聞くが、どこのご令嬢だ」
「ロビンス家のご子息です」
「燃やせ」
息子で良かった!とオスニールは度々思った。強く思った。いや、ほんとに。
次男は次男で「俺は父上似で良かった…」と、子供らしからぬ、というか狼か猛犬かっつー凛々しすぎる顔立ちでそう言ってくれるので、オスニールは幸せだった。なんか「良かった」の意味合いが違う気がしたが、周囲から「美女と魔獣」と揶揄されるオスニールは、我が子にそう言ってもらえて嬉しかったので良いのです。
で、だ。
オスニールと美しすぎる妻、アデアライドは、ちょっとばかし、この可愛すぎるリヴィオニスが心配になった。
アデアライドをそのまま小さくして色を変えたみたいな、男女問わず初恋を泥棒しちゃう罪作りな息子を、ぽいと全寮制の騎士学校に放り込んで良いものだろうか。
いや、よくねーわ。ってなった。すぐ。速攻で。だって、ねぇ?
男だらけで毎日寝起きする、娯楽らしい娯楽もない、むさっくるしいだけの場所に、天使が舞い降りちゃうんだから。いやー、まずいでしょ。
周囲に舐められて馬鹿にされて、くらいならまあ、自分でなんとかするだろうけれど。
「おそわれちゃったら大変だわ」
あは、と笑う可愛すぎる妻にオスニールは笑えんかった。
そんなわけで、オスニールはリヴィオニスを徹底的にしごいた。しごきまくった。ま、もともとウォーリアン家ってのは、ナイフとフォークより先に剣を持たせるイカれた家なので、通常運転っちゃー通常運転なんだけども、オスニールは自分の幼少時代の3倍くらいしごいた。
自分だったらグレるな、とさすがのオスニールも心配だったんだが、オスニールとアデアライドの「良い感じに悪いところ」を上手に受け継いだ息子たちは、「クソ親父絶対泣かす同盟」を組み果敢に立ち向かってきてくれた。気の強い子たちで良かった!とオスニールは、息子たちを遠慮なく、投げ飛ばしたし殴り飛ばしたし蹴り飛ばしたし打ち負かした。息子たちよ、強くあれ。
その結果、息子二人は急激なペースで成長を遂げ、歴代最強の騎士が生まれるのでは、と周囲からの期待を集め、騎士団長はリヴィオニスの卒業を今か今かと待ち望んでいた。
そんなある日。
リヴィオニスが、恋をした。初恋だ。
いや、さすがに息子の恋愛遍歴なんざ知らないから、それが本当に初めての恋であるかどうかオスニールは知らんけれど、きっと、リヴィオニスがここまで本気で他人を想ったのは初めてだっただろう。愚直なまでに苛烈で、傲慢なほどに純粋なそれに、俺にもそんな時代があったな、とオスニールが呑気に笑えなかったのは相手が王太子殿下の婚約者だったからだ。
ソフィーリア・ロータス。
良い子だ。困ったことに。
何がって、いつも静かに笑顔を浮かべ、なんでもそつなくこなし、気品のある振る舞いとわずか12歳と思えない賢さに、まあ、正直、リヴィオニスとお似合いなんじゃないかな、とオスニールは思っちまった。
国を背負うために厳しい教育を受けている少女は、家門を率いる女主人には勿体ないくらいで、ウォーリアン家の男は皆、直情型というか短気というか、まあ、ちいとばかし荒っぽい気性であるからして。ソフィーリアのような子供らしからぬ子供は、ほどよく肩の力が抜けようし、リヴィオニスのような突進することしかしらん男は、守るものがある方が慎重になって良かろうと。
思ったが、賢明なるオスニールは口にしなかった。
だって、王太子の婚約者なのだもの。どうしたって叶うわきゃあない。
ソフィーリアが家族といるときの、なんとも表現しがたい違和感の正体がわかり、胸糞悪いったらなかったし、オスニールとてどうにかしてやりたい。が、王太子の婚約者なんだもの。
「最強の鉾」と呼ばれるオスニールとて、できる事とできぬ事がある。というか、悲しいことにできない事の方が多いんだな、これが。大人って案外つまんねーんだ。は、笑えん。
諦める事ばかりが、うまくなる。
妻と二人で息子を諫めるオスニールは、つまらん大人になっちまった自分が少しだけ悲しかった。
のだが、ま、それっくらいで諦めるお利口さんなら、リヴィオニスはとっくにグレちまってただろうな、とオスニールが気付いた頃には手遅れだった。
リヴィオニスが物凄い勢いで試験をパスしまくっている。そんで、いつの間にやら陰で「次期王太子妃過激派ファンクラブ会長」とか呼ばれている。
なんて?
オスニールは頭を抱えた。アデアライドは爆笑した。
「さすが私たちの息子!なんて一途で行動力があるのかしら!」
この世のものと思えないどえらい美人に、押されて押されて押されまくって骨抜きにされて常時幸せ絶頂期なオスニールは、何も言えなかった。なんてったって今のウォーリアン家は、アデアライドの「一途」な「行動力」と、オスニールの一度決めたら死ぬまで折れん諦めの悪さと形振り構わぬ根性の上にある。
うむ。リヴィオニスは立派に二人の息子だった。
これはもう、息子を諦めさせるより見守ってやった方が、こちらの精神衛生的には良かろう。オスニールの決断は早かった。安心しろ。大人は諦める事に慣れている。はは。
そんなわけだから、オスニールは夜会の警備に駆り出されていた休憩中に、声を飛ばす魔法石から「王太子殿下とっ…ロータス嬢が…っ!」とわざとらしい程に途切れ途切れな声が聞こえた時に、今日だろうなあ、と思った。
今まで何があっても静かに笑みを浮かべていた、あのソフィーリア・ロータスが叫び声を上げ、にも関わらずリヴィオニスの声も名前も聞こえないのだから、普通の異常事態ではない。
だって、もしもソフィーリアが何者かに襲われたのだとしたら、リヴィオニスは今頃オスニールにしか止められない獰猛な生物と化していただろうから。部下に指示だけ出してのんびり茶をしばいている余裕があるのは、そういうことだろ。
つまりは、ついにあのアホ王子に我慢できなくなったソフィーリアが、一計を案じた。のだとしたら、リヴィオニス・ウォーリアンはこの機を逃すはずはなかろうと。
オスニールの予想が大当たりだったことを知らせたのは、パーティーに招待客として参加していた次男、アーサーだった。
騎士学校に在学中のアーサーは、仕事がある父と兄に代わり、母のエスコート役として登城していたのである。
「アデアライドは」
「挨拶回りだけしてさっさとお帰りになってます。俺もエスコート役なんで一緒に帰りたかったんですけど、一曲でも踊らないと家に入れないと無茶を言われたんで時間をつぶしていたら、叫び声が聞こえたので情報収集してました」
何でもないように言うアーサーは、男でも女でも見惚れるリヴィオニスと対照的に、悲しい程にモテなかった。俺そっくりでごめんな。オスニールは言えない。
まだ13歳だというに、すっかり達観したこの息子を心配するアデアライドの気持ちはわかるが、オスニールは誰よりもアーサーの気持ちがわかる。痛いほどに。いっそ泣けるほどに。帰ったら「やめてやってくれ」と頭を下げることを決意するオスニールに、アーサーは「ところで」と椅子に掛けた。
「兄上、行くみたいですよ?」
「そうか」
休暇の度に騎士団の演習に混ざるアーサーは、持ち前の図太さもあって、騎士団に随分と馴染んでいた。そもそも萎縮とか遠慮とか知らなそうな息子は、我が物顔でカップに紅茶を注いだ。
「…お前、あれに会ったのか」
「まさか。あの兄上がそんな無駄な事をするもんですか。兄上は目立たぬようにと、裏からお嬢様をお屋敷へお連れしています。他のロータス家の皆様は、ご息女が落ち着かれるまで城に滞在されるそうですよ。まあ、今動けば目立ちますからね」
「…そうではなく」
自分の出番は無かろうと、ぼけっと座っていたオスニールだって、魔法石を通した建前の情報はちゃんと聞いている。と、いうか。だからのんびり紅茶で休憩をしていたわけで。
じろ、と素知らぬ顔でとぼける息子を睨むと、アーサーは「ああ」と頷いた。
「俺もファンクラブ会員なんで、父上より事態を正確に把握しているかと」
初耳だった。
「正確には、リヴィオニス君応援隊の隊員なんですけど」
息子が何を言っているのか分からなかった。
「お…?なんだって?」
「リヴィオニス君応援隊です。次期王太子妃過激派ファンクラブには、兄上とお嬢様を恋仲にしたいって連中がいるんですよ。無論、兄上にすら内緒で、ですけど。兄上の方がお嬢様を幸せにできるはずだ!っていうのとか、兄上に報われてほしい!っていうのとか…なんでしょうね。ある意味、兄上のファンクラブみたいな。今走り回ってんのはそっちの連中です」
ちょっと頭が痛かった。
なんて?
モンスターの群れに囲まれた部下を一人で助けに行った時も、巨大なモンスターに遭遇した時も、冷静に状況を分析し薙ぎ払ってきたオスニールの脳は思考を停止した。情報量が多すぎて追いつかんぞ。
「…お前、そんなに兄想いだったのか」
とりあえず、オスニールは兄弟の絆に感動した。二人で組手をさせると、さすがのオスニールもドン引きするくらいボコボコにしたりされたりしていた二人が、やあ大きくなったもんだ。王太子殿下の婚約をどうにかしよう等と不敬不遜。とんでもない話で、まあ、どうかと思うのだけれど。オスニールの耳に今まで入らんかったので大丈夫だ。そこはほら、息子のファンクラブらしいから。慮ってくれたんだろう。
「兄想い?まさか。俺、祭りは外から見るより参加したい派なんですよ」
いやいや、そんな照れ隠ししなくっても。オスニールはアーサーの頭を撫でようとして、固まった。
「ところで、これで俺、正式に家督を継げますよね?」
アーサーの久しぶりの笑顔だった。
感情表現が豊かなリヴィオニスと本当に兄弟かと、並んだ二人を見て誰もが驚き、オスニールを見て「ああ」と頷くほど、アーサーと、オスニールは表情筋を使わない。戦うための筋肉はいくらでも発達するのに。なぜかしら。表情筋だけは鍛え方がわからんかった。
ただ、戦闘になれば不思議と口角が上がった。多分笑っているのだとオスニールは思うのだが、旧友は「あれは威嚇だ」と、それを笑顔と認めてくれない。
ところで息子のこれは笑顔だろうか。威嚇だろうか。
オスニールが頭を抱えたその夜。
ロータス家のご令嬢を乗せた馬車が、盗賊に襲われ全焼した。
護衛をしていた2名の騎士のうち、御者をしていた1名は馬車からいきなり引きずり落とされ、昏倒していたらしい。
もう1名の騎士と、ご令嬢の安否は不明。
ただ、馬車の残骸には、燃え残った騎士団の制服の飾りボタンや、ご令嬢の髪飾りがあったというから、生存は絶望的だ。
一週間、騎士とご令嬢の捜索は続いたが、手掛かりは何もなかった。
消えた騎士リヴィオニスの父であり、ウォーリアン家当主であるオスニール・ウォーリアンは、「息子はきっとどこかで生きています。ソフィーリア嬢をお守りする名誉を今も果たしていると、私は信じている」と語り、世間を涙させた。
そんな世の中に相反して。
「ま、ほんとに生きてるんですけど」
「さすが私たちの息子よね、あなた♡」
「あ、こら子供の前だぞ」
ウォーリアン家はこっそりお祭り騒ぎだった。こっそりね、こっそり。
表向きは「長男の生存を信じ、毎日をいつも通りに過ごす気丈な一家」であったが、玄関を開けて中を見れば、みんなにっこにこだった。使用人も鼻歌歌っちゃうくらい。
だーって叶うはずもない。けれど、叶えばいいと。幸せになってほしいと願った長男が、ついに愛しいお姫様を手に入れたのだ。いつ騒ぐの。今でしょ。
オスニールは、お膝に飛び乗るアデアライドを、ひょいと受け止める。ほっぺにちゅーを繰り出すにっこにこのアデアライドは、二人も息子がいると思えないほど、少女のように大変愛らしいので、オスニールは倍幸せだった。
騒動の翌日。早々に王室に脅しをかけといて良かったな、と思った通りに事が進んでいる事にも満足した。ちなみにこの野蛮人、自分も不敬不遜を働いている自覚は無い。
ま、野蛮人ではあるが情には厚い。
オスニールは、暗躍した息子のファンクラブや、使用人たちへの感謝も忘れていない。
表向きは、「捜索に尽力してくれた礼」として騎士達に高い酒を振舞い、事情を知らない者たちと例のファンクラブそれぞれから違う感情で「なんて立派な父親だ!」と称賛され、オスニールの株が上がった。一層強くなった部下からの尊敬の眼差しがかゆい。
使用人は使用人で、実は前々から「坊っちゃんをこっそり応援し隊」なるものを結成していたらしい。いざという時のためのソフィーリアの服を毎年新調していたり、使用人ネットワークを使ってロータス家の情報を仕入れていたらしい事を知り、オスニールは臨時ボーナスを出した。アデアライドもアーサーも知っていたというから、オスニールはちょっとばかし傷ついたんだけれど。
とても、晴れ晴れとした気持ちだった。
息子が、諦めることなど頭にもない、ウォーリアン家の男らしい旅立ちを迎えたことが、たくさんの思いやりの中に在ることが、心底誇らしい。
オスニールは、もう一度息子が生まれたような。
そんな感動で、愛する妻を抱きしめた。
オスニール・ウォーリアンは、初めて父になった日の事を今も覚えている。
天使か?と目を疑うような見目をしていた我が子は、天使でも女の子でもなくウォーリアン家の騎士だったので、最愛を胸に抱き、オスニールの腕を飛び出した。
大切なものの為に剣を振るい続ける、オスニールと同じように。
「見てください母上。クソ親父絶対泣かす同盟が勝ちましたよ」
「あら」
「泣いて、ない…!」
次回、脅しをかけられた王室。