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【書籍化&コミカライズ】婚約者の浮気現場を見ちゃったので始まりの鐘が鳴りました  作者: えひと
第3章:花が咲いちゃったので新しい旅の始まりの鐘が鳴りました
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8.春の妖精王

 扉の向こうには、儚い妖精がいた。

 丁寧に撫でつけた白銀の髪に、白いシャツとベスト。愁いを帯びた、色素の薄い、アクアマリンのような青い瞳。大きな瞳が狭そうに、けれど驚くほどしっくりと、小さな白い顔にぴたりと収まる芸術のような顔は、にこりと微笑んだ。


「ヴァイスの使いだとか。初めまして、エーリッヒ・フォン・キングストレイだ」


 なるほど、春の妖精王。

 兄とよく似た美貌が、子どもだけに許された危うい美しさで、子どもらしからぬ静かな声を震わせ、王らしい威厳を纏い、そこに在った。

 ソフィとリヴィオは、静かに膝をついた。


「ヴァロイス国王陛下より、手紙をお預かりしております。ソフィと申します」

「リヴィオと申します」


 ソフィが手紙を差し出すと、アドルファスがそれを受け取り、じっと眺める。

 おかしなところが無いことがわかると、エーリッヒに渡した。


「二人とも、そんなに畏まらないで。掛けてください。うちのケーキは美味しいんだ」


 ふふ、と小さく笑う顔は愛らしい。なのに、品の良い子ども、では片付けられない大人びた振る舞いに、ソフィとリヴィオはもう一度頭を下げ、ソファに腰かけた。


 呪いを受け子どもの姿にされたどっかの船長さんのように、子どもの器に大人の精神を宿したのかと聞きたくなる王は、子どもらしいほっそりとした指で手紙を開封し、書面に目を走らせた。

 静かに文字を追う長い睫毛は、ステンドグラスのように光を乗せ、氷のように静かで美しい。

 偉大なる船長さんに会っていなけりゃあ、ソフィの脳みそ君は混乱していたかもしれない。

 

「食べないのかい君たち。うちのシェフは腕が良いんだ。食べなさい。いいかい、甘味というのは心と頭を堕落させる悪魔の食べ物だよ。だが用法と容量を守ればこれ以上ない甘美なる幸せへとお手軽に連れて行ってくれる夢のような食べ物だ。世の中には甘い物は嫌いだ等という軟弱者がいるけれど、まったく信じられないね! これを食べずに一体何を楽しみに生きていると言うんだ!」


 凄い熱意だった。

 甘い物が苦手なのは軟弱だ、という暴論を叫んだヴィクトールは、チョコレートのクリームの上にキラキラと輝く果実を乗せたケーキを持ちフォークを天に掲げている。甘いものはあんまり好きじゃないんですよね、とか絶対に言えない。

 いや、そもそもソフィは王に振舞われたケーキを前に「わたくしケーキ好きじゃないんですのよ」とか言える王女様ってわけじゃないんだけども。


「わかります。甘い物ってなんでこんなに美味しいんでしょうね……わっ、これほんとに美味しい!」

「そうだろう、そうだろう君、わかってるじゃないか」

「うむ、これは良いな」

「そっちの白いもじゃもじゃもわかってるじゃないか!」

「誰がもじゃもじゃだ」

「殿下、こちらの赤い実はなんでしょう?」

「うん、それは隣国で採れる実でな、」


 リヴィオは、にこにことヴィクトールと語り合っている。

 本当に美味しいんだろうな。頬を上気させたリヴィオに、かわいいなあ、と目を細めて、ソフィはカップを持ち上げた。ふわ、と広がる香りは上品で、王に相応しい高級品であることがよくわかる。

 どこぞの王子を前にした時は、どんな高級な紅茶を前にしても、なんっとも。なんっとも思わんかったソフィであるが、隣でにこにこするリヴィオがいて、ソフィの代わりとばかりに膝でケーキを食すアズウェロがいると、なんて良い香りなんだろう、とソフィの脳みそ君がうっとりと弛緩した。人体の不思議。


「……なるほど、ヴァイスにはお見通しか」


 ぽつ、と落とされた声に顔を上げると、エーリッヒが静かに笑っていた。

 ソフィの視線に気づくと、困ったように眉を下げる。


「俺が返信をしないことで、心配してくれていたんだね。彼にはいつも、王として口にできない事でも、友として相談に乗ってもらっていたんだ。それすら無いという事は、僕がよほど堪えているんだろうと」


 まいったなあ、とエーリッヒは手紙を綺麗に折りたたみ、封に戻した。


「……陛下、恐れながら申し上げてもよろしいでしょうか」

 

 伺うように声を掛けるソフィに、エーリッヒは頷いた。


「ユヴェルティーニ様はルナティエッタ様のお力にご興味がおありのご様子でしたが……わたくし達でお力になれることはありませんか?」


 ソフィは、ヴァイスが好きだ。

 それは彼のおかげで友を得ることができたから、とか。身に有り余るほどの物をもらったから、とか。そういう、恩を感じているからってそれだけじゃなくて、彼自身の人柄や優しさが好きなのだ。

 あ、いやいや勿論、それは友愛と親愛であって、色恋ではないぞ。許されるならば、友人と、そう呼びたいのだと、こっそり願っている。


 だから、友の友の手助けをしたいとそう思う事はソフィにとって自然で、そう思えることにすら、ヴァイスに感謝している。だって今までの()()()()()()の人生に、友達なんてカテゴリーの人は存在していない。

 ヴァイスが気に掛ける少年王の手助けをしたい、という気持ちはリヴィオも同じであったから、静かにフォークを置いたリヴィオは、こくりと頷いた。


「僕たちを信じられない気持ちはわかりますから、無理にとは申しません。でも、案外、他人だから見える事もありますから、お節介な王様の代わりに僕たちを使ってください。無論、決して他言しないと誓います。必要であれば魔法の誓約もしますよ」


 リヴィオがこともなげに言うそれは、代償を伴う魔法の誓約だ。

 二人が持つ身分証よろしく、不正があれば罰を受けなくてはならない。一回おやつ抜き、とか子どものような可愛らしいものから、命を奪うようなものまで、罰則の内容は自由に決めることができるが、絶対に施行される強制力を持つ。それを解除できるのは、誓約書をつくった魔法使い、あるいはそれを上回る力を持った魔法使いだけ。


 つまりは、おいそれと口にして良い物ではない。

 が、はなから破るつもりの無い約束なので、ソフィもこくりと頷いた。


「……なんだか二人は、ヴァイスと似ているね」

「え」

「え」


 ソフィは思わずそわ、と口元が上がり、リヴィオは心底嫌だ、とばかりの声を上げた。

 対照的な二人に、エーリッヒはクスクスと笑う。


「あなた方が望まなくても、口にせねばならない事だってあるでしょう。俺が二人の命を賭けたらどうするの? 魔法の誓約など、簡単に持ち出すものではないよ」


 仕方が無い子どもを見るように言う子どもに、ソフィとリヴィオはなんとなく背筋を伸ばした。

 子どもに叱られるなんて、ソフィちゃん初体験である。


「……でも、その気持ちはとても嬉しい。有難う」


 ふわ、とエーリッヒが浮かべた笑みはどこまでも静かで綺麗で、なんていうか、そう、寂しそうだった。憔悴しているところを、人に見せまいとするような、心許ない笑みだ。

 心底弱り切って困り切っている。なのにそれを隠し、必死に張り詰めた糸の上で立っているような、そういう、背中をじりじりと焼かれるような思いを、ソフィは知っている。

 あれは、良いものではない。

 自分が逃げてきた過去の真っただ中に、目の前の子どもがいるというのは、はっきり言えば気分が悪かった。ソフィは眉を寄せる。


「陛下……」


 なんと言葉を重ねれば良いのか迷うソフィを前に、エーリッヒは立ち上がった。


「手紙には、君たちが助けになると言ったなら信じて良いと書いてあった。ヴァイスの大切な友だから、と」

「!」


 ソフィの胸がきゅんと高鳴った。

 ずっるい。あの王様は、そういうところがずっるい。ニヤリと笑う顔がありありと想像できて、格好良いなあという気持ちと、悔しいなあという気持ちで、ソフィが思わずぎゅうとアズウェロを抱く腕に力をいれると、「ぐえ」とアズウェロが呻いた。


「手を貸してくれる?」






 くれぐれも他言無用で。

 エーリッヒにそう言われ案内されたのは、細工が美しい豪奢な扉の前だった。

 こちらに気付いた騎士が、頭を下げる。

 黒いシャツに藍色のジャケットを身に着け、長い黒髪をきゅっと後ろで結んだ騎士に、エーリッヒは「お疲れ様」と声を掛けた。


「変わりはない?」

「ええ。……良くも悪くも」

「そう……。中に入っても?」

「お待ちください」


 物々しい空気の中、コンコンコン、とノックの音が響く。

 すぐに開いた扉の向こうで、ぼそぼそと言葉が交わされる間、エーリッヒはじっと下を向いていた。ソフィの胸の高さくらいしかないエーリッヒの表情は、ソフィからは見えなかったが、影を背負ったような背中が物悲しくて、ソフィはアズウェロの頭に顎を乗せた。

 もふん、とした優しい感触に心が少しだけ軽くなる。


「陛下、どうぞ中へ」


 扉を開けたメイドは、後ろにいるソフィとリヴィオに気付くと目を瞬かせたが、すぐになんでもない顔をした。それにソフィは軽く頭を下げながら、室内に入る。

 すっきりとした、あまり飾り気のない部屋であったが、置かれている物はセンスが良くて、どこか温かみがある。飾られた華美でない花はこの部屋の主の性格を表すようで、けれどその不在を印象付けるようで。


「こちらへ」


 部屋を横切ったエーリッヒは、一枚の扉の前でノックをした。

 中から返事はない。


「入るよ、エラ」


 しん、と静かな室内に、柔らかなエーリッヒの声は、痛い程によく響く。

 ガチャ、と開いた扉の向こうは、寝室だった。

 大きな窓から日が差し込み、カーテンが揺れている。

 天蓋を開けたベッドには、白いシーツに埋もれるように、部屋の主が横になっていた。


「エラ、今日はね、ヴァイス……俺の友人の友人が訪ねてくれたんだ」


 白いシーツに落ちた黒髪が印象的だった。

 すっと通った鼻筋に、シャープな頬。精悍な顔つきは中性的で、目を閉じ、静かに眠っている様子はどこまでも自然で、それがとても不自然だった。

 今にもその目を開いて、エーリッヒの名を呼びそうなのに、なのに、もう、一か月も目を覚まさないのだと言う。


「彼女はエレノア・ディブレ。俺の代わりに呪いを受けた婚約者だよ」


 ぽつり、と落とされた言葉はか細く、掠れていた。




先週投稿できなかったので、今週は2本です。

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― 新着の感想 ―
[一言] 美人の周りには美人しかいないんですか?????? えっなにこの美の共演は。文字でしか見てないはずなのに、とても眩しくなったのはなんでだ。 >隣でにこにこするリヴィオがいて、ソフィの代わりと…
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