6.第一印象の重要性について
朝っぱらから、桃色に染まった愛らしいほっぺと、ジャムのようにとろけるブルーベリーに被弾したソフィは、テーブルクロスを抜き取って、窓をピカピカに拭きあげたいような床をツルツルに磨きあげたいような、飛び上がった浮かれ脳みそ君が空中で三回転決めちゃいそうな、まあつまりめっちゃくちゃ動揺したわけであるが、冷たいアズウェロの視線に我に返り、なんとか朝食を終えて、3人で街を歩いていた。
ホテルから少し歩くと、街には港とまた違う雰囲気の賑わいが広がっており、ソフィの心を躍らせた。ずんどこずんどこ、地面を踏み鳴らして、軽やかにステップだ。
街並みはどこを見てもお洒落で綺麗で、城内を歩いているような、ってのは言い過ぎだが、ソフィの知っているそれと随分異なる美しさだった。
「白い建物が多いな」
どれが店でどれが民家なのかわからないくらい、どの建物も白く、また優美なデザインが施されている。看板があるかどうか、注意深く見なければうっかり民家に突撃してしまいかねない。
豊かさを象徴するような美しさに、アズウェロがもふもふとソフィの腕を叩いた。
「悪くない」
「統一感があって綺麗ですよね」
「はい、歩いているだけで楽しいです」
「港があるからかな。種族も様々なようですね」
リヴィオの言う通り、東の国の服装の人や、褐色の肌の人、三角のお耳の獣人族、逞しい髭のドワーフ、と街ゆく人々の装いは様々で、耳をすませば異国の言葉も聞こえる。
ソフィが生まれ育った国も豊かで大きな国だったが、あの国が内側に向けて丁寧に整備をする国であれば、この国は外に向けて玄関をつくりあげるような魅力があった。
無論、どちらが良いとか悪いとか、そういった話ではなく。
海を渡り、大陸が違うとこうも色が変わるのかと。
改めて、いろんな国があるのだなあ、と賑やかな景色はソフィをワクワクさせた。
「紙の上では知っていますが、実際に歩くとやっぱり違いますね」
ふふ、とリヴィオを見上げると、「ええ」と、細められた瞳がソフィを見返した。
う、好き。
見る度に可愛くて綺麗なので、ソフィの頭の中では、うっほいと浮かれ脳みそ君が暴れ踊りをしていた。しんどい。
「跡目争いを終わらせた春の妖精王、でしたか。まだ弱冠12歳と聞いていましたが、これほどの国をつくりあげるとは……恐れ入りますね」
国の名前はリトリニア。
この国では、腹違いの二人の王子が、長きに渡って王太子の座を巡り睨み合いを続けた過去がある。
王がさっさと誰を王太子にするか宣言しちまえばよかったんだが、王位を譲る気が無いんじゃないのかと問いただしたくなるほどに、王はそれはそれは長いこと沈黙を貫いた。長いこと、っていうか最後まで沈黙だった。
いやさっさと決めなさいよ、と言った人は居ただろうから、王が決めかねる何かがあったのか。不穏で不気味。この国はそんな風に、一風変わった注目のされ方をしていた。
「当時はあまり評判が良くなかったんですよね?」
リヴィオの小さな声に、ソフィは王妃教育で作りあげた歴史の教科書を、バラバラバラッと捲った。
「はい。二人の王子の派閥によって、内乱じみた事が起きていましたから、国は緩やかに疲弊していたのだと聞いています」
「どこにでも無能はいるものですね」
にこ、じゃない。
笑顔は可愛くて爽やかなのに、道のど真ん中で吐き出していい毒じゃないんですがリヴィオさん。
はー、やれやれ。ソフィはリヴィオの、そういうとこも好きなので困ったもんである。
「それを治めたのが第三王子なんですよね?」
「はい、第一王子を引き込み、王が亡くなると同時に玉座に座ったのが、第三王子。つまり、現国王だと聞いています」
王が床に伏し、いよいよ混乱するリトリニアの様子に、近隣国は頭を抱えた。難民の受け入れや物価の高騰など、他人事で済まない事情もあったのだ。
だからさっさと王太子決めとけって言ったんじゃん! と言わんばかりの状況で現れたまさかの第三勢力の登場に、各国は驚いた。
何せ、王子はその時まだ齢十の、ほんの子どもだった。小さくて、愛らしい、ほんの子供だった。
誰も予想だにしない結末は、けれどこの国に、まるで春のような平和と豊かさをもたらした。
故に、人は少年王を、春の妖精王、と呼んだ。
「駄目だ、帰れ」
さて。
春の妖精王のおわす王城にて。王に会いたいと願い出て予想通り、門番に追い返されそうになっているソフィとリヴィオである。
「こちらは、私たちの身分証です。私たちはオブドラエル国王より、リトリニア国王への手紙をお預かりしているのです。どうか一目、陛下にお会いできないでしょうか」
ソフィとリヴィオが門番に見せるのは、お洒落な金縁が眩しい例のカードだ。官僚クラスのってご大層なアレ。
それを見た門番は、はあ? って感じに顔をしかめた。
「そんな尊い身分のお方が、馬車も共も先触れも無く来るわけがないだろう。嘘をつくな!」
「うーん正論」
あは、と笑うリヴィオの可愛さにきゅんとしたソフィは、へら、と笑ってカードをしまった。
門番は、がっしりと体格が良く、怖い顔でリヴィオを睨みつけている。反対側に立っている門番も、それは凶悪なお顔でこちらを見ているのだけれど、長年、王太子の婚約者として生きてきたソフィはこれっくらいへいちゃらだ。いくらでも睨んでどうぞ。
あの、とソフィは門番を見上げた。
「オブドラエル国王は、リトリニア国王から手紙の返事が無いと、ご心配しておられるのです。少しだけお時間をいただけないでしょうか」
「ならん!」
「まあそうですよね」
うん、とソフィは頷いた。
門番がそう、ほいほい人を通しちゃならん。当たり前だ。不審者も暗殺者もバカスカ王城に入れる門番がどこにおろうか。いや、ソフィもリヴィオも王様の命や宝なんて御大層で禍々しいモン、すこっしも欲しくないんだけどね。
「馬鹿にしておるのか貴様!」
門番の苛立ちもどこ吹く風。すっとぼけた返答をするソフィに、門番が声を荒らげた。
ソフィはその声に驚いて思わずを涙を……なんてこた勿論なく、おやと瞬いただけだったんだが、むしろ隣のリヴィオが「はあ?」と反応した。ひっくい声に、ソフィの心臓がどきりと撥ねる。
「貴様? あ? 誰に向かって言ってんだおい。割るぞ。真っ二つに割って門の両側に飾んぞ」
嫌すぎるオブジェである。
ぎろりと暗い瞳で門番を睨みつけ、獣のような殺気を放つリヴィオに、ソフィは慌てて手を伸ばした。
「リヴィオ! かっこいい!」
「え」
間違えた。
「じゃなかったリヴィオ駄目です! 門番さんはお仕事をしているだけなんですから!」
どれだけ舐めた態度を取られても、これだけ殺気を向けられても、剣を抜くことなく済ませようとしてくれているのだから。怒鳴られるくらいがなんだ。
「お仕事中にご迷惑をお掛けして申し訳ありません。貴方のような紳士的な方が門番をされているのですから、矢張りリトリニア国は立派な国ですね」
ソフィがリヴィオのコートから手を離し、門番に向き合って微笑むと、門番は真っ青だった顔に色を取り戻した。血色がよくなった頬に、ソフィはほっとして、またにこりと微笑んだ。
「あ、あたりまえである」
「おいお前何ソフィに色目使ってんだその目潰すぞ。ソフィ、こいつのどこが紳士ですか紳士はレディに貴様とか言いません怒鳴りません。騙されちゃ駄目ですこいつ剣を抜かないんじゃなくて抜けないだけでしたよ今の」
へんっ、といや~な顔で門番を見下ろすリヴィオのいや~な笑顔ったら!
物理的にも心理的にも相手を見下ろしている軽薄な笑みに、ソフィは泣きたくなった。
そんな顔すらかっこ良くて綺麗だなんて、もう人類の頂点じゃん。誰も勝てんよ、そりゃ。こんな綺麗なお顔に睨まれて殺気向けられて固まって何が悪い。もう仕方ない。それは仕方ないよ。責めないであげて!
「リヴィオ、意地悪言わないで」
「ぐっ……か、わ」
くん、とコートをひっぱると、リヴィオは口元を手で覆って、こくんと頷いた。
お願いすればちゃんと聞いてくれる。リヴィオのそういうところが好きで、嬉しくなったソフィはにっこりと微笑んだ。
「か、かわ……」
「紫の、ぬし人生楽しそうだな」
「薔薇色どころか虹色だわ」
腕の中から笑い声を上げたアズウェロに、リヴィオは真顔で言った。二人の会話の意味はよくわからんソフィであったが、リヴィオのキラキラの瞳が可愛いのでまあ良いかと門番に向き直った。
「お騒がせして申し訳ありません。また改めますわ」
ソフィは、スカートを摘まみ頭を下げる。
身分証の説得力が出れば、と鍛え抜いたカーテシーを披露して顔を上げ、にこ、と微笑む。口角を上げる、というより頬の筋肉を持ち上げるイメージ。そうすれば自然と目が細められ、目尻が下がる。鏡を前になんべんも練習をした、染みついた営業スマイルを浮かべ、ソフィは続けた。
「今日は天気が良いですから、鎧を着て立つのも楽ではないでしょう。どうか体調にお気を付けくださいね」
こんな風に、城に訪れる不審者の相手を毎日しなくちゃならんのだから、大変な仕事だ。
ソフィーリアが一人で生きている気になっていたあの城でも、屋敷でも、こうして働いてくれている人たちがいたから、ソフィーリアは安全に日々を過ごせた。
当たり前のことにふと気づかされたソフィが、心からの労いを送ると、こほん、と門番は咳払いをした。
「……な、なんど来て、も、駄目だからなっ」
「ソフィ、こいつとはもう話さないでください帰りましょうすぐ帰りましょう」
ソフィはにっこり笑うリヴィオの笑顔の圧力に頷こうとして、次の瞬間、
「やあやあ待ち給えよ君たち! おもしろいなあと眺めてしまった非礼は詫びよう! だからちょっと私に付き合いなさい!」
響いた大声にびっくりして、それで、目を瞬いた。
風になびく、太陽の光の如く美しい長い金糸に、萌ゆる若葉の如き生命力に溢れた緑の瞳、自信という言葉を宗教画にしたかのような、美しく尊大な男が、降ってきたのだ。
文字通り、城壁から。
トウ! というなんか間抜けな掛け声とともに、降ってきて、おもしろそうにソフィとリヴィオを見比べている。
真っ白のシャツにズボンと羽織、という城という場所が恐ろしく不似合いな装い。だが、身に着けているもの全てが、とんでもなく高級な品であることは、目が肥えているソフィにはようくわかって。
ちら、と見上げたリヴィオは、微妙な顔をしていた。
あ、こういうひと、知ってる。ってな感じ。
あ、これはちょっとめんどくさいパターン、って感じ。
そう、物言いも容姿も、全然違う。全然違うんだけど、なんとなーく雰囲気が似ている人を知っているので、二人は静かに礼を取った。
果たして。
「び、ヴィクトール殿下!!!!」
それは、現国王とタッグを組んだ、第一王子。
麗しき春の妖精王の、兄の名であった。
「うむ! 苦しゅうないぞ!」





