36.春のお通りです
馬車の空気は生温かった。
町まで距離があるから、とアーヴェが手配してくれた馬車の中。こう、気まずいっていうかそわそわするっていうか、もうなんか、ここから出してくれー!って叫びたくなるような、思い切ってリヴィオにくっついちゃいたいような、そんな気が狂いそうなくらいの生温さに、ソフィは息もうまく吸えん。吸い込んだ空気で窒息しそうな、そういう空気。わかるだろ?
ようやく馬車が止まった時の解放感といったら…!
アズウェロがいればまた違ったのだろうが、空気の読める神様は「デートなんだろう? 私も忙しいんだ」と尻尾を揺らした。デートって言葉知っとんだな。俗世に明るい神様は、メイドさんに人気が高かった、ふさふさの白い猫の姿で厨房に向かった。忙しい、とは。
そんなわけで、ソフィは好きな人と一緒にいる空間は必ずしも癒やされるわけではない、と知ったわけだ。一つ大人になったね。
ソフィは、ほっと一息ついた。
ソフィの思い出の男の子は、リヴィオだった。
これは、良い。とっても良い。とってもとっても、良い。
大切な人が、大切な思い出の中にも居ただなんて、なんて奇跡。ああ神様、なんて祈りを捧げたくなるってもんだ。ちなみに言っておくが神様ってのはアズウェロでもどこぞのストーキング大賞でもないんでそこんとこよろしく。
まあともかく、実はそれ僕なんです、とリヴィオから聞いた時はまだ、ソフィは「そうなんですか?!」と、呑気に喜んでいられたのだ。
「あの時は、本当に有難うございました」
そう言って、ソフィは心からの感謝を込めて微笑んだのだ。
ところがどっこい。
「僕がソフィ様を特別に想ったのはあの時なんです。僕はあれからずっと、貴女をあの庭から連れ出したくて仕方がなかった」
なーんて言われてみろ。みろよ。ソフィの涙腺は、言葉が脳を通ってその感情に名付ける前にゴーサインを出した。後から後から、ぼろぼろと涙が零れ落ちて止まらない。
「貴女の築いた日々を尊敬しています。…あの日貴女に出会えたことを、貴女のいる国に生まれたことを、幸運だと思っています」
ソフィの涙を拭う、剣を扱う手は硬くて、優しい。
役割をこなすことが自分の存在意義だったソフィの日々を包む、大きな手だ。
「僕が騎士になることを決めたあの日を、貴女も大切に思っていてくれて、嬉しいです」
そう言ってリヴィオは、ソフィの大好きなブルーベリーを滲ませた。
歓喜と優しさに満ちたその色に、ソフィの胸が苦しくなる。
だって、それは、ソフィーリアの願いは届いていたってことだ。
ソフィは、何も成せずに逃げ出した役立たずでもなけりゃ、役割を果たせず逃げ出した臆病者でもない。
ソフィの人生には、確かに意味があったのだ。
幸運なのは、ソフィの方だ。
役割を呪いではなく、意味のあるものだと信じられたのは、そこに生きる人を知ることができたから。
今こうしてみっともなく泣き崩れることができるのは、受け止めてくれる腕の温かさを信じることができるから。
ぜんぶ。ぜんぶ、ぜんぶ、リヴィオのおかげじゃないか。
リヴィオがソフィを見つけてくれたから。
だからソフィは、ソフィーリアの人生を、頑張ったよねって褒めてあげられるんだ。
ず、と鼻をすするソフィの涙腺から生まれる水分に、終わりが見えたころ。
リヴィオは、零れたソフィの涙を拭い、顔に張り付く髪を耳にかけて、ふわりと微笑んだ。
上気した頬と優しい瞳が、ふわふわとして可愛いリヴィオに、ソフィの心が溶ける。
好きだなあ、と思った。
ソフィが泣き虫のお荷物になっても、大切なものを見詰めるように微笑んでくれるリヴィオが、ずっと見えない場所でソフィを守ってくれていたリヴィオが、好きだなあ、とソフィの心が溶けた。
あまくやさしく微笑んだリヴィオは、顔をすいとよせ、ソフィの髪にキスをすると立ち上がった。
は?
は? だ。は?
今、何を。何をした。
ソフィは固まった。涙も完全に止まった。なーるほど、これがショック療法。いや違うだろ。
リヴィオは素知らぬ顔で部屋にあったティーセットを持って戻って来る。
丁寧な仕草でお茶を入れるこの美男子の思考が、ソフィはわからない。
いやいや、そらあな。すっかり心許したソフィではあるが、リヴィオとは出会ってまだ日は浅い。そう簡単に相手の心がわかれば苦労はせんわな。
けれどそれにしたって、ソフィの名を気安く呼ぶこともままならんくせに、ふいに、こういうことをするんだ、この天使様。ははあ、やっぱり卑しき地上の生き物なんぞに天上人のお心なんぞわかるわけがないんだなあ。なんて現実逃避。逃げて逃げて気づいたら、ぐるっと周って元の現実に戻って来ちゃったハイこんにちは。
誰にでもこういうことしてんじゃなかろうな。なんて。さぞ慣れていらっしゃるんでしょうね。なんて。嫌な思考になりそうでならないのは、リヴィオのぱっと上げた顔が死ぬほど可愛いからだ。
「喉が渇いたでしょう? どうぞ」
はにゃんて溶け切った顔が言っとる。何よりも雄弁に。
「貴女だけ」って。「嬉しい」って、大声で叫んどる。
未だ自分にそこまで想ってもらえる価値があるとソフィは思えんが、この笑顔を疑う程愚かでは無い。この笑顔を否定すればきっと、リヴィオを傷つけてしまうだろうことは、わかるのだ。
だから、ソフィは悔しいんだか嬉しいんだかわからない気持ちで、カップを受け取るしかないのだった。くそう。
そんなこんなで。で、でえと。ごほん。
お出掛けは、朝食の後から昼食の後へ変更となった。出立の日だけは、すんすん鼻をすすりながら決めた。
そんで、今。
リヴィオの顔を見る事すらままならんソフィは、先に馬車を降りたリヴィオに手を差し出され、エスコートされただけで頬が熱くなる。
形式的なエスコートに、いちいち頬を染めるほどソフィは世間知らずではない。けれど、相手がリヴィオとなれば別だ。別なんだ。全っ然、別なんだ。
だって、ソフィを特別な女の子として扱ってくれるリヴィオが差し出す手は、そういうことだろう。女性が馬車から降りる時には手を貸すべきだ、っていう儀式的なそれではなくて、ソフィが怪我をしないようにっていう、ソフィを想ってくれるが故の、行動だろ? そんなの、もう、なあ?
あのやり取りの後に平然としていられない程度には、ソフィは世間知らずな自分を自覚している。
自己嫌悪に陥らずに済むのは、ソフィの手を握るリヴィオが心底嬉しそうだからだ。はー、かわいい。もう!
目が合っただけで世界中の生き物全て虜にできるんじゃないかって綺麗な顔しといて、ソフィなんかをずっと想ってくれていたんだって、改めて自覚してしまう、その顔!
逃げ出したい、と思うソフィに気づいたのか、いないのか。
リヴィオは、ソフィの手をぎゅっと握って、それから柔らかく笑った。
お花が飛んでんじゃないかなってくらい、可愛くて、優しくて、嬉しくてしかたないって笑みだ。
「行きましょう、ソフィ様!」
いつまでも目を逸らしているのが勿体なくなる、春みたいな笑顔に、全面降伏をしてソフィは笑った。
開き直ってしまえば、それはとても楽しい時間だった。
例えば、便利な魔法道具を売っている店には、ソフィが見たことのない物ばかりが並んでいる。
訪れた場所はピカピカ光るというマップや、魔法石を使ったアクセサリーなどの便利アイテムから、舐めている間透明になる飴や、お家へ連れて帰ってくれる靴などの眉唾アイテムまで、ソフィの好奇心を刺激するものだらけだ。
おもしろいな。本当かしら。きっと嘘ね。
なんて思いを巡らせ振り返れば、リヴィオは楽しそうに笑った。
「これ、本当なんでしょうか」
「僕は魔法について詳しくないのでなんとも言えませんが…この店は店主の趣味で、ジョークグッズも多いそうですよ」
「ジョークグッズ…?」
リヴィオは、リヴィオにとって当たり前なんだろう事を聞いても笑わない。ソフィが首を傾げると、悪戯を企むように笑うのだ。
「そんなわけない、と思いながら試すことがおもしろいんですよ」
「…本当じゃなくて、いいんですか?」
「うーん、そりゃあ本当だったら良いんですけど、そうでなくてもおもしろいっていうか」
おもしろい。
おもしろいってなんだろう。「おもしろい」という言葉の意味がわからなくなりそうなソフィに、リヴィオは楽しそうに笑った。
「じゃあ一つ、買っていきませんか。ソフィ様が気になるものを一つ」
リヴィオの言う「おもしろい」は、まだソフィにはよくわからないけれど、わかったらきっとソフィもこんな風に楽しく笑える。
そう思ったソフィは、広い店内をぐるっと一周した。
ソフィだって、ルネッタのように魔法についての知識が豊富なわけではない。
理論も歴史も語れるほどの知識量は無いが、リヴィオと「おもしろい」を共有するためにはきっと、そんなもんは無くていいんだろう。
ううん、とソフィは店内をさ迷う。
高価なものは嫌だ。
いくら本当じゃなくたって良いとは言え、お金が無駄になるのは嫌だものな。それから、本当だったら良いなって、期待したくなるようなものも嫌だ。
ソフィが今求めているのは、がっかりじゃなくて、おもしろい、なんだから。嘘でも、なあんだ、って思えるのが良い。
悩んだソフィが手に取ったのは、「たたくとクッキーが増える袋」だ。丁度良いくらいの、どうでもよさと嘘くささと期待心が、ソフィは気に入った。
何か役に立つ物も欲しいな、と再び店内を一周したソフィは、空の魔法石を買う事にした。ルネッタみたいに、魔法石をつくれるようになってみたいな、と思ったのだ。
幅広い商品を取り揃えるだけあって、魔法石の種類も豊富で、ソフィの胸は高鳴った。わくわくすっぞ。
魔法石は、リヴィオが耳に着けているような小さな物から、ルネッタが良く使っている卵くらいの大きさの物、宝石のように綺麗にカットされた物まである。
店に入る前に青い宝石のピアスを売って手にした軍資金を計算しながら、ソフィは魔法石を10個購入した。
自分の手で買い物をするのも、魔法道具を買うのも初めてなので、ソフィはそれだけでウッキウキだった。二度と見たくない青いピアスとおさらばできたのも、それを元手にできたことも嬉しい。
あの日々が活きているって感じがするからな。
買い物を終えたうきうきソフィは、リヴィオを探す事にした。
ふらふらと赴くままに店内を歩いていたソフィは、リヴィオを見失っていたのだ。置いて行かれたってことはなかろう。ソフィは、きょろきょろとしながら店内を歩く。
あんなに目立つのだからすぐ見つかっても良さそうなものだけれど、背の高い陳列棚はソフィの視界を遮ってしまう。入り口で待っていた方が良いだろうか、と思ったところで、近くにいた男性客が「わ」と声を上げた。
つられて視線を動かすと、階段を下りてくるリヴィオと目が合った。あ、うん。すごい目立ってる。
「ソフィ様」
まっぶしい。後光が見える。
う、と胸を押さえる男性の様子を見たソフィは「わかる」と思わず頷いてしまいそうだった。
あんな溶けるような笑みを見て正気を保つことは難しかろう。今後、並大抵の美人じゃ素直に「美人だなあ」と思えないだろう男性にソフィは同情した。どんまい。
「二階があったんですか?」
「はい。魔法石の加工をしてくれるというので、行ってきました。欲しい物は見つかりましたか?」
「はい!」
ルネッタの魔法がかかった鞄を見せると、リヴィオは「あれ」と瞬きした。
「もう支払ってしまったんですか?」
ソフィが頷くと、リヴィオは眉を下げた。
「プレゼントしたのに」
「ええ」
とんでもない!
ソフィは両手を振った。
「いいの!それに、自分で買い物できて楽しいわ」
リヴィオはしゅんとして、デートなのに、と唇を尖らせた。
「!」
呻いたのはソフィではない。
視界の端にいるさっきの男性客と、たまたま居合わせた女性客だ。わかる。わかるぞ。
二人のおかげで冷静になれたソフィは、頷きたいのを堪え、丁寧に微笑んだ。
「じゃあ、他のお店も付き合ってくださる?」
するとリヴィオは、大きな目をもっと大きくして、それからとろりと微笑んだ。
「よろこんで」
どさどさ、と物が落ちるような音は多分気のせいだし、ソフィとリヴィオが店を出た後に「人が倒れてるぞー!」と聞こえたのも多分、気のせいだ。
気のせい。
多分。
あなた様が、聞いたことがある魔法道具な気がするなあと思われたのも、気のせい。





