34.夜の光
長い廊下に、ノックの音が響く。
先導してくれたメイドが扉を叩くと、アイシャと呼ばれていたメイドが顔を出した。ソフィとメイドの顔を見ると、「少々お待ちください」と頭を下げて中へ引っ込む。
しばらくすると、扉が大きく開けられた。
「お待たせ致しました。どうぞお入りください」
ソフィはメイドに軽く頭を下げて、室内に入った。
研究室と反して、すっきりした部屋だ。クッションやソファも無地で、これはこれでルネッタらしい。
そのルネッタの姿が見えず、はてとソフィが思ったところで、バルコニーからひょいとルネッタが顔を出した。まだ髪もドレスもそのままである。
休むところを邪魔をしたわけではないようだ。良かった、とソフィは微笑んだ。
「お邪魔してごめんなさい」
「…いいえ。まだ寝るつもりは無かったから」
「そうなのね。…えっと、そちらへ行ってもいいかしら」
伺うようにソフィが問うと、ルネッタはこくん、と頷いた。
それを見た二人のメイドが、バルコニーのティーテーブルに茶器を並べる。白磁に黒と金で花が描かれたティーセットだ。大きな花や、小さな花に、絡み合う蔦。複雑な絵柄だが、色がシンプルなので上品な美しさがあり、ルネッタとよく似合っている。
メイドの二人は、ルネッタとソフィが礼を言うと頭を下げ、退室した。よく気が付くメイドだ。さすがはヴァイスの城のメイドである。
二人になった室内で、さあ、と風がカーテンを揺らした。
穏やかな風と、遠くで虫の鳴く声が空気を揺らす、良い夜だ。
ソフィは、ルネッタに視線を戻した。
ルネッタは、不思議そうにソフィを見ている。
「……食事の席での、その、様子が気になって」
「……気を悪くさせたなら、すみません」
「違うの」
ソフィは慌てて首を振った。
うーん、難しい。難しいぞ。
困ったことに、交渉やプレゼンじゃない「会話」ってのが、ソフィは苦手だ。しかも、誰かを気遣って、悩みがあるの?なんて問いかけるのは、初めてだ。どう切り出せば良いのか、どうすれば傷つけないのか、ていうか踏み込んでいいのか。え、みんなどうやっているんだ。
「な、悩みがあるのかなって、し、んぱいになって…っ」
結果、ソフィの口から出たのはオブラートどころか空気を切り裂くような、どストレートな言葉だった。
死にたい。
はっは、見ろ。ルネッタが固まっておる。そらそうだよな。ぐう。
「ご、ごめんなさいわたくし、その、不躾ですわよね…えっと、」
「あ、いえ、その、心配、してくれてるって聞いて。ちょっとびっくりしただけなので、私こそごめんなさい」
「そんな、謝らないで。気を遣わせてしまったかしら、ごめんなさい」
「違います私の方こそ、こういうの、慣れてないから、その、ごめんなさい」
「そんな、わたくしが」
「いえ、私が」
「…………」
「…………」
謝り合戦に気付いた二人は思った。
これキリがない。
目で会話した二人はぱちんと瞬きし、ソフィは笑って、ルネッタは目を伏せた。
「…わたくしも、こんな風に誰かに声をかけるのは初めてだから、慣れていないの。だから、気を悪くさせてしまったなら申し訳ないのだけど…ねぇ、ルネッタ、その、貴女大丈夫?あんなことがあったばかりだし、大丈夫じゃないと思うけど…」
開き直ったソフィがそう言うとルネッタは、ぱちぱちと瞬きをして、あんなこと、と首を傾げた。
前髪がさらりと揺れる。
「ああ、いえ。それはべつに。お城も壊したし、スッキリしたので、もう良いかなって」
もう良いかなって。そんな言葉で片づけて良いんだろうか。
ソフィはちょっと、だいぶ、かなり、驚いた。
「結果的に、私たちの存在や死を封印することは正しいことだったわけですし、魔女があの場所に封印されることはもうありません。だから、良かったなって。こういうの、なんていうんでしょうか。お天気が良い感じ」
あっけらかんとしたルネッタが首をひねるので、ソフィは嘘でしょうという言葉を飲み込んで微笑んだ。
「清々しい?」
「それです。スッキリしました」
それで片付けていいような事では無いとソフィなんぞは思うわけだが。
だって、17年だぞ。
17年、ルネッタはまともな扱いがされない場所にいて、数えきれないほどの同胞が同じように苦しんでいた。周囲からは、お前のせいだと呪いだと恐れられ責め立てられてきた、その先頭に立っていた王家こそがすべての原因だった。
あれ? 思い返すだけでソフィの腸がぐっつぐつ煮えたぎってひっくり返りそうだな?
けれど、当事者がこれで、そんで後の事はヴァイスがきっちり目を光らせるのだろうから。
ならばソフィに残された言葉は数少ない。
「そう、えっとそれなら良かったわ」
良かったのか? わからんが、はいとルネッタが頷くから、まあ良かったんだろう。
ソフィは温かい紅茶を一口。こくりと飲んでなんとも言えない複雑なそれを丁寧に飲み込んだ。
「じゃあルネッタ、他に何か思い悩むことがあるのかしら…?」
聞いても良いものだろうか、と思いつつも。ヴァイスに頼まれた責任をソフィは果たさなければならん。心配な気持ちとヴァイスの言葉を胸に、ソフィは勇気を振り絞った。
誰かの中に踏み込むというのは、ソフィにとって恐ろしい事だ。
ドキドキと、心臓が音を立てる。
無論、恋のトキメキなんて甘ったるいもんじゃない。
不快に思われたら、嫌われたら、疎ましく思われたら。そんな後ろ向きな恐怖のドキドキだ。
ソフィは、ぎゅ、と手を握った。
ルネッタが、眉を、寄せている。
ほっとんど表情を見せない、ルネッタが、眉を寄せているのだ。
そんなに嫌だったんだろうか、とソフィの心臓が音を立て、背中を嫌な汗が伝った。高価なドレスを着ているのに、とまた嫌な汗をかく。
「ご、ごめんなさいルネッタ、わたくし、余計な事を、」
慌てて謝罪を口にすると、ルネッタはふるふると首を振った。
きゅ、と唇を噛む仕草に、ソフィの眉が下がる。
「違い、ます。ソフィは、悪くないんです。これは、私の問題っていうか、我儘って、いうか」
「……それは、わたくしが聞いては、いけないことなのね…?」
ルネッタは顔を上げ、「あ、いや、ええと」と言葉を濁した。
きょろきょろと視線を揺らすルネッタに、ソフィの「余計な事を聞いただろうか」と焦る気持ちが、まあ待てと萎んだ。ソフィなんかより、ルネッタの方が動揺しているように見えたからだ。
目の前に狼狽える人がいると、自分の方が落ち着いちゃうやつ。
ソフィは首を傾げた。
聞いてほしくなければ、ルネッタなら「ごめんなさい」と距離を取っただろう。
ソフィならそうする。
ソフィもルネッタも、人と何気なく会話をしたり、内面を見せることに慣れていない。
ルネッタの生い立ちを知らずとも、そういうのは、こう、なんとなくわかるものだ。類は友を呼ぶってやつだな。同志センサーは、ルネッタがいたという部屋を見てその効果が立証された。
だもんで、はっきり拒否されないソフィは、思い切ってルネッタの名を呼んだ。
「嫌でなければ、聞かせてくれないかしら。わたくし、その、えっと、る、ルネッタと、えっと、ね、」
かあ、とソフィの体温が上がる。
過ごしやすい良い夜だったはずなのにな。暑い。ワインが今頃回ってきたかなー。なんて、んなわきゃない。ソフィは勇気を振り絞った。
「わ、わたくしっルネッタと、お友達になりたいわ!」
「!」
ぽん!とルネッタから音がした気がした。
ルネッタの、淡くチークを乗せた頬が、薔薇色に染まる。美味しそうで可愛らしい色には、一片の嫌悪感も無い。
ソフィは、ほう、と安心して微笑んだ。
「ヴァイスに、友人って言われて、わたくし、嬉しかった。今まで、お友達なんて、いなかったし、ルネッタが嫌でなければ…」
「や、やじゃないです!」
ルネッタにしては、大きな声だった。
言った本人も驚いたように目を見開き、口を手で塞いでいる。幼い子供のようで、かわいいな、とソフィは微笑んだ。
「…嬉しいわ。じゃあ、ルネッタは、えっと、わたくしの、初めての、お友達ね」
「……私も、初めてです。友達」
こくん、と頷くルネッタに、ソフィの心がぽかぽかと温かくなる。
もっと早く出会えたなら良かった、と小さなソフィーリアが大きな本をぎゅうと抱きしめた。
もっと早く、面白みなんてない、可愛くもない、つまらないソフィーリアを受け入れてくれる友がいたなら、ソフィーリアはきっと、少しは自分を好きでいられた。彩りの無い日々も、きっと息ができた。
なあんて、詮無い事だわな。
あの日々があって、あの憂鬱を抜け出す勇気を持ったソフィだから、きっと、今、ルネッタにこんな告白みたいな事ができるんだ。
誰かに好意を告げるのは、自分が嫌われていないと信じられるからだ。
ソフィはそれを、よく知っている。
だから今、ここでルネッタという友を獲得できたのは、ソフィを可愛いと手放しで絶賛してくれるリヴィオのおかげなのである。やっぱりあの騎士は天の使いかもしれない。幸福を告げる天使様だ。
「えっと、じゃあ、ルネッタ。改めて、何か悩みがあるなら、聞かせてくれないかしら?」
何ができるわけでもないけれど、とソフィが天使様にもらった勇気を胸に問うと、ルネッタは小さな手を握った。きゅう、と握る拳の中には、きっとルネッタの勇気がある。
ソフィは固唾を飲んで、ルネッタの言葉を待った。
「……………ソフィが、行ってしまうから…」
「………………え?」
わたくし?
ん? え? ソフィは瞬きをした。
「わたくしが、行く、って、えっと。ヴァイスのお誘いを断って、旅を続けるからって、こと?」
「…………もっと一緒にいたいです」
ええええ~なにそれ可愛い。可愛いな? 嬉しいな???? え? それで落ち込んでたの?? 別れを惜しんで??
はあ~、ソフィは顔を覆ってため息をついた。
あ、なるほどリヴィオが顔を覆うときってこういう気持ち? えー何それ好きだ。誰を? リヴィオとルネッタだ。最高の恋と最高の友を手に、ソフィの人生は春真っ盛りである。パンパカパーン!鳴り響く素敵な音楽に涙が出そう。
生きてて良かった。
「ソフィ、ごめんなさい私」
「違うわルネッタわたくしの胸は今人生の喜びに溢れているのよ」
「?」
思わずルネッタの両手を握ると、ルネッタは首を傾げた。ぴよぴよと焦っている様子が可愛い。いや、幻想だけど。ルネッタは相変わらずの無表情だ。
「ねえ、わたくしの大切なお友達で、尊敬する最高の魔女さん。手紙をやり取りする魔法って、無いのかしら」
「!声や映像ではなく、手紙。物質をやり取りする魔法ですか?」
「ええ。手紙なら、お互い焦らずに、ゆっくりやり取りができるでしょう?それにわたくし、お友達からのお手紙って、憧れていたの」
ソフィは、建前が並ぶ招待状を受け取るばかりで、私的なやり取りなどしたことが無い。自分宛ての手紙を受け取るってどんな気分だろな。ソフィーリアはずっとそれが、本当は羨ましかったんだ。
照れを隠しながら言うと、ルネッタの黒曜石は、キラキラと輝いた。
「私もソフィのお手紙欲しいです。それに、おもしろそうです。今日使った、転移の魔法が応用できるかもしれません」
「でも、魔法陣を地面に都度書いたり、大きな魔力が必要だったりするのでは不便よね?」
「はい。ただ、手紙であれば小さいのでそこまで魔力はいらないはずですし、魔法陣を持ち歩くか、魔法石を使うか…」
「受け取り側が、魔法陣や魔法石をしまっている状態でも送れないと駄目よね?」
「ああ、そうですね。私はともかく、ソフィは移動しているわけですし…となると空間を操作するような魔法も入れ込んだ方が良いでしょうか。いえ、それだと負荷がかかりますし、しまう場所をひとまず鞄に限定してもらえば、」
色んな魔法、術式を、頭の中に描いているんだろう。
ソフィが目の前にいる事を忘れているかのように、ぶつぶつと言葉を吐き出しながら、ルネッタの指が宙に何かを書く。魔法陣だろうか。
ソフィは、思わずふふ、と笑いを零してしまった。
はっとしたように、ルネッタが顔を上げる。
「ねえ、ルネッタ。わたくしは、まだまだいろんな物を見たいわ。いろんな場所に行って、いろんな物を食べて、自分の知らない自分と会ってみたい」
城に閉じこもって、明日を当たり前に受け入れて、まんじりと未来と睨み合う。そんな日々は全部捨ててきた。だからソフィは、もっと世界を見たい。世界を知りたい。
ソフィを価値ある生き物にしてくれたのは、城じゃない。
城の外へ連れ出してくれたリヴィオで、夜会じゃなくて城の外で出会ったヴァイスとルネッタだ。
自分の事を話すのは勇気がいる。
自分の想いを伝える事は、とても勇気がいる。
誰かの名を呼ぶことも、手を握ることも、本当は恐ろしくてたまらない。
自分がこの世で一番、信じられない。
でも、それでも、ソフィはもっと世界を知りたいのだ。
知った気になっていた、薄暗いモノクロじゃない、ソフィの知らない世界の顔を見たいのだ。
「だから、リヴィオと行くわ。旅をしてみたいの」
はい、とルネッタは頷いた。
ソフィは、我慢が上手なルネッタの手を、ぎゅうと握った。
「だから、たくさんお手紙を書くわ。ルネッタも、たくさんお手紙をちょうだいね」
「はい。はい、私、書きます。お手紙たくさん書きます。だから、さみしいけど、行かないでってちょっと思うけど、魔法完成させますね」
うる、と滲む黒い瞳の正直さに、ソフィの視界も滲むけれど。
ソフィは握った手に力を込めて、頷いた。
「ええ。わたくしにも協力させてね」
それはとっても、良い夜。
キラキラした夜の話。





