33.王様の食卓second
「さ、さっきは気が動転していて……」
咳き込んだせいで涙目になったリヴィオに見上げられて、ソフィの心臓はどっこんと跳ねた。
かっっっっわいい。一等賞。かわいい。うるうるのブルーベリー色に、まっかなほっぺ。いやしかし、ソフィが見上げるほど背が高い癖に、上目遣いってどういうこと。どうやってんだそれ。意味が分からんが、意味が分からんほど可愛い。
「………そんな顔しても、騙されません」
嘘だった。
もう呼び方とかどうでも良いかしら、とソフィは思った。可愛いし。こんな可愛い顔を見せられてりゃ不安に思う事も一つとして無い。ならもう良かろう。可愛いし。無理強いして呼んでもらってもなんか違うし。あと可愛いし。な。
ただ、ただちょーっと残念なだけだ。
ソフィは、誰かに自分の名前を親しげに呼ばれるくすぐったさを知ってしまったから。
ルネッタが「ソフィ」と呼んでくれるように、リヴィオも呼んでくれたらなあってのは、我儘な欲張りだ。ちょっとだけ寂しいな、なんて思う自分にむしろびっくりしとるんだ。
新しい自分よこんにちは。ちょっと人見知りしちまうのはご愛嬌。あんまり好きな自分じゃないが、多分嫌いでもないのでそのうち、まあ仲良くなれるだろう。
ふふ、とソフィは、眉を下げるリヴィオに微笑んだ。
「冗談ですわ。ご無理なさらないで」
ソフィはリヴィオを困らせたいわけではない。
いや、この可愛らしい顔を見てしまうと、困らせたいわけではないことも、無いかもしれないが。いつぞや封印した扉が、ガタガタ音を立てている。ええい、出てくるんじゃない。
ソフィは何でもない顔で、ティーカップを持ち上げた。
紅茶の香りを楽しみながら、こくりと味わう。口内で広がる香りにほっと一息つくと、リヴィオが「そんな悲しい顔をなさらないでください」と小さな声で言った。
「え?」
「悲しませたいわけじゃないんです…」
そんな顔をしていただろうか。
カップを置いたソフィは、自分の頬に手を添えた。
悲しんじゃいないし、いつも通り笑ったつもりなんだけど。はてとソフィが首を傾げると、リヴィオはくしゃりと前髪をかきあげた。ああ、せっかくセットしているのに!
「ソフィ様は僕にとって、ずっと手が届かない初恋の人で、憧れの人だったんです。貴女の側に行きたくて、貴女のようになりたくて必死でした。…貴女は、僕の特別なんです」
きゅ、と眉を寄せて悩ましげに見られてそんな風に言われて、これ以上何が言えようか…
乱れた髪がとんでもなくセクシーな、男女問わず泣かせてきましたって顔しておいて、ソフィの名前を呼べないなんてそんな話があるか。あるんだな。もうなんでもいいよ。この顔に逆らえるならきっと、あの日ソフィはリヴィオの手を取らなかった。
ソフィへの想いをいっぱいに浮かべた顔に酔っぱらっちまって、脳みそも心も浮き立って幸せで。だからソフィはここにいるんだ。
「リヴィオ、」
「だから少し時間をくれませんか!」
「え?」
もういいの。変な事を言ってごめんなさい。
そう言おうと思ったソフィは、必死そうに言うリヴィオに瞬きをした。
「貴女の願いなら、どんなことでも、なんでも叶えたいんです。僕は、貴女を喜ばせる事が出来る男でありたい。…だから、少しだけ待ってくれませんか?」
はあ、やれやれ。そーんなもん、答えは一つだろう。
切なそうに震える夜空の瞬きみたいな瞳に見詰められて、ここまで言われて、忘れてくださいとか待てませんとか言える人、いる?いねぇよなあ!いるわけない!
ソフィはリヴィオに心からの笑みを向けた。もうどうにでもしてくれ。
「楽しみに、お待ちしておりますわ」
「ソフィ様…」
あの、あれだ。あれ、したくせに、とかな。ソフィだって、うん。思わなくもないんだが。
それを言うのは憚られた。恥ずかしいし。責め立てているみたいだし。
それにリヴィオなら、すみません無礼でした以後気をつけます、とか言いそうだし本当にそれきり触れてこなくなりそうだ。それは違う。それは断じてソフィが求めた展開ではない。
ならばここは黙するが良かろうよ。大丈夫、不味くて吐きそうなものを飲み込んできた日々に比べれば、じっくり煮詰めたブルーベリージャムを飲み込むことくらい、ただの至福のひと時。ただのティータイムだ。誰かスコーンを持ってまいれ。
うふふと互いに微笑み合っているだけで、まるで陽だまりの中にいるようだ。実際のとこ、窓の外では夜空のお星さまがぺっかぺか輝いとるが、それもまた良い。リヴィオがいりゃ、ソフィはもうなんでも良いのだ。
そんな、心がほやほやあったまる二人の空間に、ノックが響いた。
びっくう!と二人して肩を跳ね上げてしまい、ソフィとリヴィオは二人で笑った。
食事ができたと呼ばれ食堂に行くと、書類を片手に眼鏡をかけたヴァイスが顔を上げた。
ちなみに、髪を後ろで団子にして白いシャツを着ただけのヴァイスは、今更だがとても王には見えず、晩餐の席にはたして相応しいのかというラフっぷりである。無論、そんなことを気にしないソフィとリヴィオは、けれども礼式通りに頭を下げ、メイドの案内に従って椅子に掛けた。
「少しは休めたか」
「はい。バイトとは言え侍女ですし、今のわたくしには身分もありませんのに…このようにもてなしていただき、恐れ多いことですわ」
リヴィオもうんうんと頷くと、ヴァイスは眼鏡を外して胸ポケットにしまった
「やめろやめろ。公式の場でもねーんだから、そう改まるな。お前らには俺とルネッタの友人として滞在してもらうんだ。これでも一応、王なんでな。俺のメンツのためにも、黙ってもてなされとけ」
すいと側によった側仕えに書類をまとめて渡すと、ヴァイスはくつりと笑った。
「二人とも良く似合ってる。俺はこうだからな。張り合いがあるってみんな喜んでるんだぜ」
なるほど。
にっこりと頷く側仕えとヴァイスを見比べて、ソフィは内心頷いた。
身支度を手伝う者からすれば、白いシャツを着せるだけというのは張り合いが無かろう。というか手伝いを拒否してそうだ。
その点、客人という立場から断れないうえに、素材が良すぎるリヴィオのお世話は張り合いがあるどころか、山のように試着をお願いしたくなるかもしれない。ソフィだって、ちょっと混ざりたいと思うものな。
妙にソフィが納得したところで、ガチャリと扉が開いた。
黒い髪を結い上げ、黒いドレスを身に着けたルネッタだ。着飾っても全身真っ黒なのはさすがである。
「お前も少しは休めたか」
「はい」
頷くルネッタの後ろで侍女が静かに頭を振った。ソフィと別れた後も魔法の事で頭がいっぱいだったんだろうな。侍女の疲れた眼はなんとなく、頑張って着飾りました感、があった。お疲れ様です。
「…お前、あんまり侍女に苦労かけんなよ」
「へーかに言われたくないです」
似たもの同士だった。お似合いだな。
お似合いな二人が揃うと、料理が運ばれてくる。大きなテーブルに、ずらりと料理が並ぶのはなんとも圧巻の景色だ。
「無作法で悪いが、ちまちま運ばれて来るのは嫌いでな。まあ付き合え」
「たくさん並ぶのも楽しくて良いですね」
ソフィが微笑むと、ヴァイスも「だろ」と笑った。
そもそも、実家では一人で食事をすることが常だったソフィは、一つのトレイに乗っかるくらいの料理が基本だ。お上品に1品ずつ運ばれて来る食事は、城や要人との会食など特別な機会でなけりゃ、出会わない。ソフィにとっちゃ料理が一度に並ぼうが、順序立てて運ばれてこようが、ひっくるめて「豪華な食事」なのだ。
厚いステーキや、艶々のパイ、豆が浮かぶスープに、ミルフィーユみたいに野菜が重なった綺麗な料理。数えきれないくらいに並ぶそれは、ソフィの心を躍らせる素敵な景色だ。
しかもよく見ると、ルネッタのお皿は子供用でも小さいだろう、というおもちゃサイズで、ヴァイスとリヴィオは何人前用だろうかっていう大皿で、ソフィの前に並ぶのが多分、普通サイズだ。
何度か食事を共にしたヴァイスが、それぞれの食事量を指示してくれたのだろう。
ヴァイスの、物言いや振る舞いからは少々意外に映るこの気遣いさんっぷりを、ソフィは改めて格好良いなと、こっそり感心した。
こういう大人になりたいなあ、と心のメモに書き留めておく。
「んじゃまあ、腹いっぱい食ってくれ」
にか、と笑う顔が、ちょっと可愛いところもポイント高し。
ところで大皿サイズのお二人さんは、モンスターの肉を食べた後なのでは。
胃袋のサイズが謎である。
「で?お前ら、仕事はどうする」
「今、さらっとこの国に住む体で話ふったでしょう。その手には乗りませんからね」
すかさず返したリヴィオに、ヴァイスはち、と舌打をした。
一国の王に気に入ってもらえたというのは、まあ、嬉しくないこともないが。
「駄目ですよ。僕とソフィ様はまだ旅の途中なんですから」
「冗談だろ」
「冗談に聞こえませんでしたけどね」
うるせえなあ、とヴァイスはワイングラスを傾ける。
こくりと喉に流すと、静かにグラスを置いた。
「ま、お前らが欲しいっつーのは本音だからな。優秀な人材は、異国の人間だろうが、異種族だろうが、駆け落ちカップルだろうが、欲しいな」
ニヤリと笑う意地の悪い顔に、リヴィオとソフィは思わず言葉に詰まって、互いの顔を見合わせた。リヴィオの頬が赤いのは、肉料理にとても合っている、樽の香りが良いフルボディのワインのせい、では無いだろうな。ソフィの頬もきっと赤い。
ソフィは、こほん、と咳ばらいを一つして、楽しそうに細められたヴァイスに目を合わせた。
「こちらのお城には、異種族の方もいらっしゃるのですか?」
「まあな。獣人族とエルフと、あとなんだ?」
ヴァイスが振り返ると、側仕えの男性が微笑んだ。
「陛下、私は魔族で、武器庫を管理する兵士はドワーフでございます」
「ああ、そうだったな」
そうだったな、って。
ソフィが瞬きすると、側仕えは笑みを深くした。
「陛下は他者を、身内、気に入った、使える、外交相手、気に入らない、使えない、としかカテゴライズされておりませんから」
「おい、人を馬鹿みたいに言うんじゃねぇよ」
「滅相もありません」
ふふ、と丸メガネの奥で綺麗に笑うそれは、多分、本心なんだろな。誇らしそうな、嬉しそうな温かい瞳には、ヴァイスへの信頼しかないのに、当の本人は、不満そうにぶつぶつ言っているところがおもしろい。
「次の目的地はお決まりですか?」
側仕えが微笑むと、ああそれだ、とヴァイスは頷き人差し指を立てた。
「うちから出てる航路は全部で3本だ。1つは、東の大陸まで出てる船だが、明後日には出航するから急いで旅支度しねぇと間に合わねえ。ついでに商船だからな。待遇は良くねぇぞ」
ぴ、とヴァイスは中指を立てる。
「2つめは、東の海を挟んだ隣の国往きの船だ。1日程度で着くから初めての船旅にはちょうどいいだろうな。出航は1週間後の予定だ」
最後は、とヴァイスは薬指を立てた。
「南の国に往く船だ。一番豪華な旅客船だから嬢ちゃんにも安心だが、目的地がお前らの希望じゃないから、実質選択肢は二つだな。」
ヴァイスはそのまま頬杖をつき、猫のように目を細めた。
「まあ、どの船もお前らを粗末に扱う事はねぇように言っておくし、すぐに乗れるように手配しておいてやる。いずれにしろ明日一日はあるからな。悩むでも準備をするでも好きにするといい。決まったら俺か、アーヴェ、もしくはジェイコスに言うように、近くの奴に声掛けろ」
「申し遅れました、アーヴェと申します」
丁寧にお辞儀をした側仕えの男性に、ソフィとリヴィオも慌てて頭を下げる。
アーヴェの微笑みはぞっとするほど美しく、魔族には容姿が整ったものが多い、という話をソフィは思い出した。ソフィの隣には、定期的に天使かな?と頭を混乱させてくれるヒト族がいるので、魔族だから、というのは些かナンセンスであろうが、年齢不詳で性別不詳な美しさは、なるほど、と思わせる魅力があった。
「…へーか」
「あ?」
ふいに、静かにカトラリーを置いたルネッタが、ヴァイスを呼んだ。
そういえばずっと黙って、もくもくと食事をしていた。ルネッタの為だけに用意されているんだろう小さな皿は全て、綺麗に空になっている。
「行っていいですか?」
「…ああ。今日はもう休めよ」
「……」
「んな顔しても無駄だ。アイシャ、研究室に鍵はかけたな?」
ソフィには無表情にしか見えんので、どんな顔なのかわからんが。アイシャ、と呼ばれたメイドは「勿論でございます」と頭を下げた。ううむ確かに。そこまでしないと、夢中になったルネッタなら一晩中、研究室に籠っていそうだ。というか多分、前科があるんだろな。
「だから、んな顔しても無駄だからな」
「…わかってます」
「アーヴェ、図書室は?」
「鍵をかけてございます」
にこ、と微笑んだアーヴェにルネッタは固まった。表情は無いのに、ぴしゃーと落ちる雷が背後に見えるようだ。前もこんなんあったな。
「へーか」
「図書室に逃げる気だったろ」
「……部屋に帰ります」
「そーしろ」
諦めたように、ふうと溜息をついたルネッタは立ち上がり、丁寧にお辞儀をした。黒いドレスが、ゆったりと揺れる様は美しい。
「ソフィ、リヴィオさん、では失礼します」
「はい。ゆっくり休んでくださいね」
「おやすみなさい」
はい、と頷いたルネッタは、アイシャ、と呼ばれていた研究室の鍵を持ったメイドに先導され、部屋を出た。艶めく黒髪を見送るソフィは、その扉をじっと見詰めてしまう。
「……ルネッタ、大丈夫でしょうか」
「あんな騒動の後ですからね」
頷くリヴィオに、ヴァイスは「そうだなあ」と笑った。
「まあ、それもあるだろうが…」
「何か他に悩みがお有りなんですか?」
「さてな」
ふ、と落とすように浮かべる笑みは、意地悪そうで、優しそう。ヴァイスらしい笑みにソフィは首を傾げた。
「気が向いたら、様子を見に行ってやってくれ」
「わたくしが行って良いのでしょうか?」
「あんたが良いだろうな」
ソフィはルネッタのことを、まだそんなに良く知らない。
偶然、過去を知ってしまったにすぎず、そもそも人付き合いってもの自体、ソフィはよくわからんのだ。悩むルネッタに声を掛けるのに、ヴァイス以上の適任者はおらんだろうとソフィは思うのだけれど。そのヴァイスが行けというのなら、馳せ参じるまでである。
「今追いかけても良いでしょうか?」
王の前で先に席を立つのは気が引けるが、あまり遅くなっても良くないだろう。無礼を承知でソフィが言うと、ヴァイスは頷き、控えているメイドに向けて手を上げた。
「茶でも持って、案内してやってくれ」
「かしこまりました」
少々お待ちいただけますか?とメイドに問われて、ソフィは頷く。
それからリヴィオの方を見ると、リヴィオはふわりと笑った。う、眩しい。
「明日、良かったら街に降りてみませんか?航路のお話はその時に」
「はい! 楽しみです!」
元お嬢様なソフィは、街歩きなんてした事が無い。
宿に泊まった時も、外に出そびれてしまったので、初めてのお出かけと言っても過言では無いのだ。嬉しくて思わず破顔すると、リヴィオは両手で顔を覆ってしまった。
「かわ……」
「デートか。良いじゃねぇか、行ってこい行ってこい」
「おすすめマップをご用意しましょうか」
大人の微笑ましい視線に、ソフィの顔は真っ赤になった。
目玉が溶けるんじゃないかってくらい寝てました…。
更新待ってくださっていた皆様、有難うございました!また頑張ります!





