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【書籍化&コミカライズ】婚約者の浮気現場を見ちゃったので始まりの鐘が鳴りました  作者: えひと
第1章:婚約者の浮気現場を見ちゃったので始まりの鐘が鳴りました
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4.お返事は大きな声で!

最後はソフィーリア視点です

 春だ。

 この世の春が来た。花は咲きみだれ、太陽は歌い、風はファンファーレを奏でる。ふわふわして、ぽかぽかして、責任?義務?なにそれ美味しいの??てな具合にソフィーリアの頭は馬鹿になった。馬鹿になった、ってまるでそれまで賢かったみたいだな、とソフィーリアは笑った。


 もっと賢けりゃ、うまく生きられた。

 例えば、ソフィーリアは自分の父親が、母親と結婚する前からあちこちに愛人をつくっていたことも、自分が生まれた後も行いを改める気など無かったことも、知っている。

 祖父とはもともと折り合いが悪かったらしいので、そりゃあ祖父の決めた結婚相手なんぞ、さぞ不服でいらっしゃるだろう。と、思っていたのだけれど。

 母が死んだ後に父親が連れてきた義母は、桃色の波打つ髪とつやつやの唇が可愛い、もうどえらい美人で、なるほど母親とうまくいくわけがない、とソフィーリアは妙に納得してしまった。

 シンプルに母は好みでなかったわけだ。笑うしかない。はは。笑っとけ。


 じゃあソフィーリアの母はどんな人だったかって、絵に描いたような貴族のお嬢様だった。面白味とか華やかさとかとは縁遠い、クラシカルタイプの方の。歴史をちょー重んじる。重んじまくる。

 貴族とは、淑女とは、が口癖で、夫に逆らわないことを美徳としていて、浮かべる笑みは血の繋がったソフィーリアに向けるものですら、どこか冷ややかだった。


 今にして思えば多分、母もまた父の事が嫌いだったんだろう。そりゃあそうだ。自分の事が嫌いで、よそにぺっぺけ愛人こさえる男を誰が愛せるかっつーな。んで、多分、そんな男の血を引いたソフィーリアの事も、多分、好きじゃなかった。

 まーでも小さなソフィーリアちゃんは、外の世界を知らないからね。そんなモンなんだろうなあと、寂しいも悲しいも感じたこたあなかった。

 父親もいつもしかめっ面だし、歴史ある名家の使用人が仕事中にヘラヘラするわけもないので、笑い声が無い家で寝起きしていても。両親に褒められたことも、誰かと手をつないだことも無くっても。そんなモンなんだろうなあと。

 腹を抱えて笑う人間や、子供を抱きしめたり頭を撫でたりする大人は、物語の中だけなんだろうなあと思っていたのだ。比喩とかそういうんじゃなくて、本気で。


 だから、お茶会や街を移動する馬車の中で、初めて屋敷の外を見た時の衝撃ったらなかった。あれ?もしかしてこれが普通??ロータス家ってもしかしなくっても破綻しているのでは???

 あれれ?と不安になったソフィーリアちゃんは、隣に座る母のドレスをそっと引いた、のだけれども、次の瞬間にぱしりと振り払われた。

 この時の事を、ソフィーリアはしっかりねっちり覚えている。不快とか驚きとか躊躇とか。なんかこう、モヤモヤどろどろが絡まりあってぐちゃぐちゃに溶け合って、結局分離したような、母のすごい顔。


 あ。これは駄目だな。


 ソフィーリアが諦めた瞬間だ。

 この母は、父は、家は、ソフィーリアを「ソフィーリア」というなんか「そういう生き物」としてしか見ていない。貴族だから、仕方がないから、餌をやって教育して連れまわす。ペット?いやいやペット様の方が良い。ワン!つったら頭撫でてもらって可愛がられてんだから。

 ソフィーリアちゃんときたら、意味のわからん小難しい詩をそらんじようが、可愛くもない家紋の刺しゅうを完成させようが「ふうん」って顔で終わりなんですもの。けっ。


 だから、いつも優しく可愛いだけの笑みを浮かべて、ふふふと父と娘と笑う。初めからこの家の女主人だったように。ソフィーリアよりもずっと昔から、ロータス家にいたかのように笑う、義母と異母妹、それから「え?どなたですか」って顔の父親を見て、この人たちはなんて賢いのだろうと、ソフィーリアは感心したし、なるほどこれが世界、と納得もしたのだ。

 ソフィーリアもこんな風に生きることができれば、人間は息を吐けなくなる事があって、そんでそれだけじゃ死ねないんだって、知ることは無かった。


 話が長くなった。

 つまり何が言いたいかって、ソフィーリアを一目見て「フン」と鼻で笑った王太子殿下様も、ソフィーリアに触れたことなんて一度も無いわけでして。


 男性に、それも鍛え抜かれた体をお持ちの、きらっきらの超美人のイケメンに肩を抱かれて、ただ今ソフィーリアは爆死寸前なのである。


 人生初の他人との接触にはレベルが高すぎた。真っ裸で王家主催のパーティーに挑むような場違い感。あ、でも半裸の王子様がいたからダイジョウブ。ダイジョウブ?


「大丈夫ですか?馬車まで、もう少しですからね」

「だ、ダイジョウブです」


 んなわけなかった。耳元で囁いていい声じゃないですよ、と叫びたい。

 何?わたくし今から死ぬの?人生最後のご褒美なの?

 優しくて力強くてあったかくて、それで、その、いい香りもして、見上げれば、ふわ、と労わるように微笑む超美形。すごい。これ国で保護した方がいいレベルのご尊顔なんじゃないのか。なんで騎士をやっているんだこの人。この顔に傷が付いたら国の損失なのでは????


 何がすごいって、このとんでもなく綺麗な騎士は、ソフィーリアと一緒に逃げてくれるという。


「僕と逃げましょう」


 騎士はそう言った。

 甘くて優しくてどこか悲しい、そんなブルーベリー色の飴玉みたいな瞳が欲しくて欲しくて泣き叫びたくて、できるわけもないソフィーリアに、そう言った。

 逃がす、とか。逃げて、とか。じゃない。

「僕と」である。

 あなた()ぼく。の、「と」。一緒()、の、「と」。


 びっくりして、ぎゅうと閉じ込められた腕の中から見上げた瞳は、ひどく美しかった。

 透き通るような美しい瞳を2つも綺麗に並べたリヴィオニスは、形の良い唇で言った。


「僕と逃げてください」


 また言った!

 聞き間違いじゃないらしいぞ!!!!と、ソフィーリアはすぐさま頷いた。

 義務?責任?知らない知らない。だってこんな綺麗な顔をした人に、こんなに切実に、縋りつきたいのを諦めた瞬間に言われてみろよ!断れる人っていますかね?!いやいないでしょ!!!!

 ソフィーリアは、もう一度頷いて、さらにもう一度頷いた。


 で、死ぬかと思った。


「うれしい」


 そう言って、笑ったのだ。

 あちこちで「美貌の騎士」と噂されるその美貌がとろけるように、頬を染めて、笑ったのだ。ふにゃりと下がった眉に、うるんだ瞳。薄紅色の頬に、やわこい口元。

 目が焼ける。ソフィーリアは思った。最後に見る景色がこれならもう悔いはない。


 15年間「淑女」として生きてきた自分が初めて見る、営業スマイルではない笑顔がこれっていうのは、逆に不幸なのではないかしらと、ソフィーリアは今後の人生がちょっとばかし不安になった。


 でも、今。今この瞬間、びっくりするくらい幸福だった。

 幸福っていうか、春だった。もう、常春だ。これが噂に聞く、恋!これが!!

 感情ブッ殺して生きてきたお前が恋とか愛とか知っとんのか、って話だがいやでもしかし。この凄い顔面の騎士は、ソフィーリアが一緒に行くと。そう言っただけで。こんな顔をするんだぞ?!

 は?好き。好きだ。大好きに決まっとる。え?逆に好きにならないって可能?できる?

 できるわけなーい!


 ってことで、走り込みも筋トレも欠かさない勤勉なソフィーリアは、ぶっちゃけると余裕で一人で歩けるほど元気だったが、この人生のラッキーボーナスみたいな展開を逃せなくて、「一人で歩けます!」とは言わなかった。言えるわけない。一生離れない。

 と思ったけど馬車に着いたので離れた。ソフィーリアの一生は短かった。


 ところがリヴィオニスはなんと、ソフィーリアの隣に座ったのだ!ソフィーリアは蘇った。不死鳥のごとく。

 パタン、と扉を閉めたリヴィオニスは、ソフィーリアを見詰めて、優しく目を細める。う、苦しい。


「ソフィーリア様」

「ひゃい」


 あ、噛んだ。

 他国の王と会おうが国王陛下に予算案を持っていこうが、スラスラと話してみせたソフィーリアの初体験である。かあ、と頬が熱くなるソフィーリアに、リヴィオニスはふにゃ、と笑った。


「かわいい」

「かっわ」


 こちらのセリフだった。

 え、可愛い。可愛いの暴力。可愛いの暴力ってなに?わかんない。

 思わずぎゅ、と握った掌が痛かった。


「だめだ、しっかりしないと。時間が無いので、手短に説明しますね」


 ひん!急にきりっとした顔しないで死ぬ。

 ソフィーリアはほっぺの内側を噛んで頷いた。


「ああ、すごいなあ夢みたいだ。じゃないじゃない。しっかりしろ僕」


 リヴィオニスの言っている事はソフィーリアにはよくわからなかったが、全文まるっと同意だったので、ソフィーリアはしっかりとリヴィオニスの瞳を見詰めた。

 めっちゃくちゃ綺麗だな。じゃないじゃない。しっかりしろ自分。


「確認なのですが、ソフィーリア様は婚約が破談になればいいと叫び声を上げられた、ということで合っていますか?」


 まあ、とソフィーリアは瞬きした。


「その通りですわ。本当に偶然だったのですけれど、殿下のああいうお姿を目の当たりにして、なんだかもういいや、という気になってしまいましたの。しかも、よく見れば相手は妹でしょう?他の相手であれば無かったことにされる可能性もありましたが、父は溺愛している妹のためなら喜んで縁談を纏めるでしょうし、王家としてもロータス家との縁は切れませんから、事態を収拾するにはその方が都合も良いでしょう。正直ラッキーでしたわ」


 ソフィーリアの父親は、当主としての手腕に()()()長けている。

 可愛い娘を醜聞に晒すわけにはいかないだろうから、王太子とのラブロマンスでもこさえて、何が何でも婚約者を挿げ替えるだろう。大歓迎だ。


「…貴女はご自分を過小評価しすぎですよ。陛下が、そう簡単に貴女を手放すとは思えないんですけどねえ」

「まさか。殿下がわたくしをお嫌いなのに、わたくしが婚約者であったのは、ロータス家の長女だからというだけですよ」

「あー……、ムカつくポイント多すぎて我を失いそうなんで、まあ、そういう事でいいです。そういう事にしておきましょう。貴女の気が変わっても困るし」


 またしてもリヴィオニスが言っている意味がソフィーリアにはわからなかったが、気が変わるなんて馬鹿な話があるわけがない。誰がこんなに綺麗な騎士からあのボンクラ王太子の元に、ソフィーリアに声もかけない父親の元に戻るというのだ。

 婚約者を寝取られた女として笑い者になるのも、まっぴら御免だ。


「それこそ、まさかですわ。わたくし、たとえ一人でもこの国から逃げてみせますわ」


 ソフィーリアはもう、「ソフィーリアという生き物」として生きていくことはできない。人間である喜びを知ってしまったのだから。

 と、見上げると、リヴィオニスは眉を寄せて、ひどく嫌そうな顔をした。


「一人になんてしねぇですけど」

「あ、はい」


 あ、はい。それ以上言えなかった。多分、ソフィーリアの顔は真っ赤だ。どうしようめちゃくちゃ嬉しい。一人にしないんだって!きゃあ!

 叫びそうになったもんでふん、と歯を食いしばったが、そんなソフィーリアには気づかず、リヴィオニスは「わかっていただければ良いんです」と満足そうに笑った。ふふ、ってなにそれ。ぐ、ぐううう。可愛すぎて唸りそうになったソフィーリアは、再びほっぺの内側を噛んだ。


「ではなんの憂いも無く貴女を連れ去れるとして…でもね、婚約者を姉から妹に変えるのと、王族について色々とご存じの貴女の逃亡を許すのとでは、話が違うでしょう?なので追手がかからないように…」


 ソフィーリア様、とリヴィオニスは悪戯を企む子供みたいに笑った。

 組んだ足に肘をついて上目遣いで、にって。何それ。めっちゃくちゃにセクシーで可愛い。



「僕と死んでください」

「あ、はい」



 ん?今なんて?と聞き返すには、リヴィオニスの笑顔が可愛すぎた。なんでもいっかー、とソフィーリアも笑った。頭が馬鹿になっとる。これが恋!



 と、うかれっぱなしのソフィーリアも、この先の計画を聞いて真っ青になった。

 とんでもない!と声を上げたがリヴィオニスはけろっとしていて、「王太子の婚約者と逃げるってそういうことでしょう」と、なんでもないように言う言葉は、ソフィーリアの頭に水をぶっかけるようだった。

 きょとん、とした顔がお可愛らしい、なんて逆上せることもできない。


 一気に、冷静になった。

 ソフィーリアは自分が価値のあるものじゃないと知っているけれど、ソフィーリアの立場はこの国で唯一のものだ。一人で逃げるのと、「連れ去られる」では、それこそ話が違う。

 巻き込むなんてできない、と思ったそれはもっと漠然としていて、考え至らなかった。馬鹿な自分に、ほとほと呆れる。

 どうしよう。こんなつもりじゃなかった。なんの覚悟も無しにリヴィオニスの手を取ってしまった事に、ソフィーリアの手が震えた。


 リヴィオニスは、馬車が止まったことに気が付くと扉を開けた。

 待って、駄目よ。言わなきゃ。やっぱりやめようって、言わなきゃ。止めなきゃ。できる。今なら、まだ間に合うから。

 意を決したソフィーリアが顔を上げると、リヴィオニスは馬車の外から、にっこりと手を差し出した。


「ソフィーリア様。ここで僕を突き放したって、貴女は逃げるんでしょう?だったら僕、何をしても追いかけますよ?」


 向けられた笑顔は有無を言わせない美しさで、ソフィーリアは、ぼん!と、ついさっき下がった血液が急上昇するのを感じた。待って、ちゃんと考えさせて、と必死に頭を動かそうとするのに、リヴィオニスは「僕の手を取ってくれたのは貴女ですよ」と、嬉しそうに笑うので可愛い。じゃない、待って待って。


「言ったでしょう、一人になんてしません。だったら、ここで今一緒に逃げちゃった方が効率良いと思いません?」

「効率」


 そういう問題じゃない。冷静なソフィーリアが反論を試みるが、リヴィオニスが首をかしげると、さらりと黒い髪が揺れてやだ綺麗。じゃなくて、


「僕、諦め悪いんでソフィーリア様が諦めてくれた方が、効率良いです」


 いやだからそういう問題じゃないですよね、とソフィーリアは思ったが、リヴィオニスは自信満々だし、キラキラと誇らしそうな笑顔がはちゃめちゃに可愛かったので、効率悪いより良い方がいいわよね?だって効率が良いんだもん、とわけわからんことになった。


 だーって、恐る恐る伸ばした手を白い手袋に重ねたら、ぎゅっと握られてさ。


「つかまえた!」


 なあんて嬉しそうに笑うんだぜ?あっはっは、もう駄目だこりゃ。死んだ死んだ。ソフィーリアの脳は死んだね。思考停止。これ以上の活動は無理です降参ですって殉職なされた脳みそ君は丁寧に埋葬だ。墓にはね、ブルーベリーの飴を供えて差し上げようね。お疲れさまでした。


「会長様がうかれる気持ちはわかるけど後にしろって。時間ねーんだから急げよ」

「てへぺろ」

「殺すぞ」


 御者台から降りてきた騎士と、どこから現れたのかローブを着た男がギロリと睨むと、リヴィオニスはけらけらと笑った。そういう笑顔も可愛い。つらい。


 会長ってなんだろう、とソフィーリアが首をかしげると「暗号みたいなもんなんで気にしないでください」とリヴィオニスはソフィーリアの手を離し、横から大きな袋を抱えた女性が頭を下げた。


「うちの使用人のカノンです。子供の頃、僕がどんなに悪戯しても内緒にしてくれた口の堅いマダムなのでご安心ください」

「どうせ旦那様と奥様にバレるから黙っていただけですけどねえ」

「あれ」


 馬車に乗り込んできたカノンは、袋の中に入ってた質素なワンピースを広げて、にこにことソフィーリアの着替えを手伝ってくれた。

 夜会用のドレスは、動きにくいし重いし目立つので逃げるに向いていない、ということである。

 リヴィオニスの手際の良さに驚きながらも逃亡に相応しい服装になったところで、ソフィーリアはぶちぶちと青い宝石のピアスも外した。こんなもの投げ捨ててしまえ、と思っていやしかし。

 お金になるわね?とソフィーリアは青い宝石を握り込んだ。宝石に罪は無いしね。慰謝料代わりってことで。これっくらいで済むんだから感謝してほしいものである。


 良し、とソフィーリアは、ドレスの装飾もぶっちぶちとちぎった。さすがは父の溺愛を受ける妹のお古とあって、小さな宝石やリボンの生地はとても質が良い。しめしめ、としまう場所を探していると、カノンが革袋を渡してくれたので礼を言う。

 すると、にこりと微笑まれた。


「坊ちゃまは思い込みが激しくてご気性が荒くて、貴族と思えないくらい口も悪いんですけれど、きっとお嬢様を幸せにしますから、安心してくださいね」


 ひどい言いようだ。でも、ぽかぽかする笑顔だったので、ソフィーリアは思わず笑ってしまった。


「わたくし、もう幸せですわ」


 まあ、と。あたたかい笑顔を向けてもらえることが、どんなにソフィーリアにとって幸せなことかわかるだろうか。きっとわからないだろうなあ、と泣きそうになるのを堪えて、ソフィーリアは馬車を降りた。パンパンになった革袋を、ワンピースと一緒にもらったカバンにしまった。


 馬車の側で、地図を広げて騎士とローブを着た男と話すリヴィオニスは、制服の黒いスラックスはそのままに、ラフな上着とブーツを身に着け、紺色のローブを羽織っていた。流していた前髪もおろしていて、少し幼い。可愛い。


「では、私はカノンとお屋敷に戻ります」

「ああ、有難う。気を付けて帰ってくれ」

「リヴィオニス様も、というのはご不要でしょうな」

「まあな。僕を殺せるのは父上くらいじゃない?」

「で?馬車を燃やすのは、この辺りでいいのな。しかしお前、よくこんな道知ってたな。周りマジで誰もいねーし暗いし木ばっかりだし、悪巧みし放題じゃんここ」

「あれ、知らねぇの?こないだ捕まえた盗賊連中が使ってた道だぞ。団長が木を伐採して見晴らし良くするって言ってたやつ」

「あ、あれここか」

「坊ちゃま」


 ん、と振り返ったリヴィオニスは、ソフィーリアを見ると「かわいい」とへらりと笑った。

 だから可愛いのはそちらですってば、とソフィーリアが言葉に詰まる横で、カノンがリヴィオニスに、ソフィーリアに渡したのとは違う革袋を渡した。リヴィオニスは、それを受け取ると眉を寄せる。


「多くないか?」

「奥様からです。さすがはウォーリアン家の男だと笑っておいででしたよ」

「さすがはウォーリアン家の女主人だと伝えておいてくれ」

「ええ、たしかに」


 はは、と笑うリヴィオニスの朗らかな顔を眺めていると、「あの」と御者台にいた騎士に声を掛けられた。ソフィーリアが見上げると、騎士は「よろしいですか」と緊張したような声で言う。己なんぞに何を緊張することが、と思いつつソフィーリアは、こくんと頷いた。


「貴女様が、騎士学校の改善や、モンスターの討伐計画を一新されたことなど、次期王太子妃としてのご公務の最中、騎士団のためにもご尽力くださったことをリヴィオニスに聞きました。現職の騎士、そして未来の騎士たちを代表して、お礼を申し上げます」


 有難うございました!と、騎士はがばりと頭を下げた。すごい綺麗なお辞儀だなとか、声の大きさ大丈夫?とか、なぜ知っているのかとか、気になるポイントだらけだったのだけれど、ソフィーリアは今一番、気になっているその名前に瞬いた。


「リヴィオニス様?」

「はい、あいつ貴女のファンなんです。あいつの影響で貴女のファンになった騎士も多いんですよ。今回の逃亡もファンクラブ会員総出で成功させますので、ご安心ください!」


 え、なんてなんて???

 ファン、ファンクラブ???

 ぽかん、と見上げるソフィーリアに、騎士は「ところで」と首を傾げた。いや次の話題にいかないでほしい。こちとらまだ処理しきっていない。


「ソフィーリア様は、なぜ我々騎士に目をかけてくださっていたのでしょうか」

「え、あ、えっと、子供の頃、元気をくれた男の子が騎士の訓練を受けていたんです」


 ちょっと待って、が出てこなかったソフィーリアは、正直に答えながらその日を想起する。

 その日。

 ソフィーリアは月に一回の王太子とのお茶会のために登城していた。

 にこりともしないどころか眉間に皺を寄せた王太子殿下は、ソフィーリアに好き勝手文句を言った後、どこかへ走って行ってしまった。逃げたいのはこちらですが?と嫌味の二つや三つや四つ言ってやりたいところだが、高貴なる王太子殿下様にそのような無礼な振る舞いはできない。まー、ポジティブに考えれば、さっさと解散できて良かったってことだよね。と思うことにする。


 残されたソフィーリアはひどく疲れて、王宮のメイドや騎士の見送りを辞退し、とぼとぼと庭園を歩いた。お茶会が終わって帰るには、あまりに早い。予定より早く終わったのは嬉しいけれど、真っ直ぐ家に帰れば「また殿下を怒らせたのか」と、身に覚えのない事で父に叱られるのは目に見えていたので、時間をつぶそうとソフィーリアは生け垣に隠れるようにして座り込んだ。


 ふと思う。このままじっとしていれば、誰にも見つからないのでは?

 お腹が減っても、寒くっても、怖くっても我慢していれば、朝には死体になった自分を誰かが見つけてくれるのでは??


 そりゃ一晩で死ぬわきゃあないと、12歳のソフィーリアにだってわかっていたが、一日で駄目なら二日でも三日でも、じっと我慢できるから誰も見つけないでほしいな、と願った。

 ま、願うだけで、できもしないんだけどね。だってソフィーリアは、ロータス家に生まれた義務と責任を、母から叩き込まれていた。

 家のために、父のために、国のために、王たるお方のために尽くさねばならん。

 それこそが、それだけが、ソフィーリアという生き物に与えられた役割だ。殴られるのも仕方がないし、殴られたくなけりゃもっと努力するしかない。簡単なことだ。とうに諦めはついているし、悲しくも寂しくもない。あれだ、朝飯前ってやつ。何せ朝飯を食うためには、「淑女」でなければならんので。


 そんなソフィーリアのために、怒ってくれた少年がいた。

 腫れあがった血まみれの顔で、ソフィーリアを心配してくれる、変わり者の少年がいた。


「…わたくし、誰かとあんな風に話すの初めてで…嬉しかったんだと思います。それで、どこかにいるあの男の子に喜んでもらえたらな、って」


 少年が、騎士になることを諦めてしまわないように。騎士になった時に、がっかりしないように。そんな国に、しないように。


「あの子がいたから、頑張れたんです」


 ふ、と思わず笑うと騎士は、あらー、と頭をかいた。


「それ、リヴィオニスには言わないでくださいね」

「え?ええ。でも、どうして?」

「多分あいつ嫉妬深いんで、ソフィーリア様の初恋トークは地雷ですね…」

「?」


 少年との出会いは衝撃的で感謝もしているが、あれ初恋かしらとソフィーリアは首をかしげた。なんてったって、ソフィーリアはつい先ほど初恋に目覚めたところだ。うかれにうかれまくって、脳みそ君の墓もこさえた。

 顔も覚えていない、というか顔より鼻血と腫れまくった頬のインパクトが強すぎる少年と、神様が何度も練習を重ねた結果つくりあげた最高傑作あとの人類は惰性です、みたいなリヴィオニスとは比ぶべくもないのだが。


 とりあえずソフィーリアは頷いておいた。騎士も、うんと頷いてくれたので、多分正解なんだろう。


「リヴィオニス」

「あ?」


 満足したらしい騎士は、リヴィオニスに声をかけると、ぽいと革袋を投げた。


「わ、なに」

「団長から。今月分の給料だって。あと、それでこそウォーリアン家の男だ、と、自分が家督を継ぐつもりで生きてきたから安心しろ、って伝言を俺も預かった」

「父上とアーサーだな。ドヤァ、って言っといてくれ」

「そのムカつく笑顔は再現できねーからな」


 くは、とリヴィオニスは心底楽しそうに笑った。

 気品すら感じる美しい造作の顔を、子供のように幼くして。本当に本当に、楽しそうに笑う。大きく口を開けて、心底嬉しそうに。楽しそうに、笑う。その顔が、あまりに可愛くて、ソフィーリアはまた泣きそうになった。


 可愛い。楽しそう。

 幸せそう。


 それは、リヴィオニスが周囲の人間に愛されている証だ。

 誰も彼もが、まるで当然のように、この逃亡劇を応援している。それこそが、彼が愛されるべくして生まれ、そして生きてきた証だ。


 ソフィーリアを家まで送る途中に、盗賊に襲われ馬車は燃え尽きてしまった。二人の生存は不明。

 そんなひどい筋書きなのに。


 もう、二度と。

 二度と、愛する家族にも友人にも、誰にも会えないかもしれないのに。彼が築いた地位も、名声も、努力も、全て全てソフィーリアが攫ってしまうのに。


 リヴィオニスも、騎士も、ローブの男も、使用人の女性も、みんな笑っていた。


「じゃあな」

「おう、またな」

「お元気で」

「またいつか」


 ちょっと散歩に、くらいのテンションで。

 旅立ちを祝う、そんな晴れ晴れしさで。

 憂いも悲しみもない笑顔で、誰も彼も軽やかに別れを告げた。


 ぐ、とソフィーリアは歯を食いしばる。


 この世で一番やさしい場所に背を向けたリヴィオニスは、ソフィーリアを見て、くしゃりと笑った。

 暗闇をものともしない、夜が明ける直前の星空みたいな、輝かしい瞳で。



「行きましょうか、ソフィーリア様!」


 ぼろ、と零れた。

 ソフィーリアは、その笑顔に、我慢できなかった。今まで泣いたことなどなかったのに、嘘のように。

 ぼろぼろと、ぼろぼろと馬鹿みたいに涙が零れて、胸が苦しくて、どうにかなってしまいそうだった。


「ど、どうされました!やっぱりお嫌ですか?家に一度お帰りになりますか?」

「いいえ。いいえ!貴方となら、どこまででも、どこへだって行けるわ!」


 慌てて走り寄ってくれるリヴィオニスに、ソフィーリアは一生懸命笑いかけた。

 義母や異母妹のような、特別美しい容姿のわけじゃない。涙と鼻水で、きっとそれはもう、ひどい顔のはずだ。情けなくって鏡を見る気もしない。

 もっと賢ければ。もっと綺麗だったら。もっと、もっと、もっと、もっと。ここまで頑張ったんだから、あともうちょっと頑張れば良かったんじゃないのか。ここで諦めたら、今までの全部が無駄になるんじゃないのか。自分でなければ、違う今があったんじゃないか。



 本当の本当は、後悔も未練も尽きないけれど、全部どうでも良くなるくらいに、リヴィオニスが嬉しそうに笑ってくれるから。



 自分の全てをかけて、このひとを幸せにしよう。




 誰にも言えなかった助けてを拾い上げてくれた恋に、ソフィーリアは誓った。

 生まれて初めて、声を上げて笑った夜。

 



 それはソフィーリアが産声を上げた、美しい星空の夜の話。




ひとまず終わり!

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有難うございました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ソフィーリアもリヴィオニスも幸せになってーーー
コミカライズの連載から来ましたが(第2話まで)…とんでもなく素敵な逃亡劇ですね! 国の為に心を殺していたヒロインが、今まで国に尽くした分彼と幸せになれる事を願います。
[良い点] タイトルで面白そうな予感がして、開いたら講談の名調子みたいなワクワクする小説で最高です。まだいっぱい読めるので楽しみ! [一言] 寝る前にちょっとだけ読もう、と夜中に開いたのは失敗でした。…
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