31.はじめての友達
赤い光が消えると、そこはまるで秘密基地のようだった。
たくさんの瓶、薬草、本、羽ペン、魔法陣や走り書きがびっしりの羊皮紙、色とりどりの魔法石。所狭しと並ぶそれらは、ごちゃついているのに、妙にしっくりきている。まさに秘密基地だ。
「わあ…!」
ソフィが思わず声を上げると、ふふ、と美声が体の真ん中で響いた。
「ソフィ様、楽しそうですね」
声の持ち主は勿論、一人で歩けないソフィを支える為に、ぴったり身体をくっつけた、笑顔が眩しいリヴィオだ。
いつかの夜のようにソフィを支えてくれる逞しい腕、身体、そしてご尊顔。
変わったのは、リヴィオの片手がソフィの腰にまわっているところだろうか。
そう。
転移後、よろよろと立ち上がったソフィを支えたリヴィオは、迷いなく、ソフィの腰に手をまわしたのだ。
ソフィは、ふうん、と思った。ふうん。すちゃっと浮かれ脳みそ君が鈴を用意して構える。出番ですか?!うむくるしゅうない。なんて、あは。
実はソフィ、とっても良い気分なのだ。
リヴィオと二人、城を逃げ出した夜。
あの夜、リヴィオの手はソフィの肩にあった。うずくまるソフィに手を伸ばすことさえ躊躇っていた、騎士然としたリヴィオ。そんなリヴィオをソフィは好ましく思ったわけだけど。その正しい距離感が無くなったことが嬉しくて、気恥ずかしくて、どうしようもなく胸が温かくなる。
見上げるソフィに、リヴィオは目を細めた。
「だって、秘密基地みたいなんですもの」
「たしかに」
笑いながら、きゅっとリヴィオが近い距離をさらに近づける。リヴィオはとにかくデカイので、頭三つ分ほどの距離がある。ので。頭にくふっと頬擦りされるようにくっつかれて、ソフィの胸がぎゅうううと圧迫された。可愛い。苦しい。苦しい。
「ああ、やっぱり耐えられませんでしたか」
静かな声にソフィが顔を上げると、ルネッタが座り込んでいた。
透かすように、ガラスの破片、のように砕け散った魔法石を見ている。
「魔力は…やっぱり空ですね」
「それ何つくってたんだ?」
ヴァイスが問うと、ルネッタは破片を放った。
「何、というわけではありません。フェルに大きな魔法石をもらったので、魔力を蓄えられる許容量を知りたくて魔力を込めていただけです」
「結果は?」
ソフィが質問をすると、ルネッタは「さあ」と首を傾げた。
「かなり魔力を注ぎましたが、まだいけそうだったので実験途中のままなんです。…ただ、座標としての魔法陣が無ければ、やはり莫大な魔力が必要になる事と、今回アズウェロがいてくれたように、その莫大な魔力さえ用意できれば座標が必要ない事がわかったので、貴重な実験結果を得られました」
その言葉にソフィは、うーん、と微笑んだ。
これ、やっぱり帰りたいってだけじゃ無かったんだろな。酷い目にあっても、嫌な過去と対面する羽目になっても、ルネッタの目は輝いている。今すぐ色々試したいって顔に書いてんだよな。
ソフィはルネッタのそういうところを、良いなあ、と思った。
嫌味じゃない。
卑屈になってるってんでもない。
ただの感想だ。
ソフィは長い事、立派な王太子の婚約者、立派な王太子妃、そして立派な王妃、として自分を描き、そのためだけに生きてきた。
そこには一切の感情も私情も許されず、完璧であることを求められ、またソフィ自身も、自分にそれを求めてきた。
例えば、ヴァイスが相手だったら、違っていたのかもしれない。
完璧?と鼻で笑いそうだものな。この王様。見よルネッタの、のびのびした様子。大変に素晴らしい。
ただ、ソフィの相手はあの王子で、ソフィの両親はあの夫婦だった。
環境が違えば求められる役割も変わるものだ。つまり、ソフィには趣味の時間など無かったのだ。
発声や魔法のトレーニングが唯一、公務や教育の息抜きだった。
だから、知らない事ばかりの魔法の世界が、ソフィは楽しい。
だがルネッタのように、色んなあれそれがどうでもよくなるくらいのめり込めるか、と言えばそれは違う。
所詮はただの興味。がじがじと魔導書の端っこをかじっている程度のものだ。
良いなあ、とソフィは足元の破片を眺めているルネッタに思って。うん? と首を傾げた。
良いなあ?
良いなあ、なんて。誰かを、羨むなんて!
まあこんなもんでしょう、と世界を薄目で見るように生きてきたソフィにとって、これまた新鮮な感情であった。
あんまり気持ちの良いもんじゃあないがな。
知らないだけで、人はこんなにも、複雑な感情を様々抱いて生きていたのかとソフィはちょっと感心してしまう。生きるってめんどくさいのねえ、なーんて笑っとけ笑っとけ。
いやあ笑っておかないとね、じゃないとね、なんだかソフィは落ち込みそうだった。
わたくしはなんて、おもしろみのない人間なのかしら。
冗談でも、だから王子とうまくいかなかったのか、なんて思いたくもない。
「ソフィ様?」
まさかソフィの心の動きに気付いたのだろうか。いや、そんなわけがない。落ち着け落ち着け。
表情には出していなかったはずなので、ソフィは「なんでしょう?」と首を傾げて見上げた。
秘儀、質問返し。
人ってのは不思議なもんで、当たり前の顔をされたり不思議な顔をされると、おおう…って何も言えなくなる。おおう…俺の勘違いか…なのか、おおう…こいつ駄目だな…なのか、その実態は知らんが、余計な追及を5割の確率で避けられる。
残りの5割は「いや、だからさ」と言葉を重ねてくるので、ふん…?、とさらに不思議な顔をするか、諦めて回答するか判断が必要だ。譲らない相手ってのは、アホのふりをしても発言をしても、いつまでも覚えて揚げ足とってくるからな。
5割、ってのは低いようで高い。
不用意に回答すれば、ただそれだけで言質を与えるわけだからな。「なんでしょう?」って顔だけで、回答権を一回パスできるならラッキーってわけだ。
大好きなリヴィオに、そんな姑息な真似を使うのはどうかと思いつつも、沁みついた「面倒な会話を避ける術」がオートで発動されてしまうソフィは、にっこりと微笑んだ。
リヴィオは、少しだけ眉を寄せて、でもすぐに「いえなんでも」と微笑み返してくれた。
紫の瞳は優しいけれど、油断ならない光を宿していたので、この場は騙されてやろうけれど忘れぬぞ、というところだろう。
夢中になれるものがなくてルネッタを羨ましいと思っていました、と正直に告げる事は躊躇われるが、リヴィオはそれを嗤うような男ではないし、ソフィとしては相談に乗ってもらいたい気持ちもある。
落ち着いたら話してみよう、と今は騙されてくれるリヴィオに、心の中で頭を下げた。ごめんなさい大好きです。
「ルネッタ、後でやれ」
ぶつぶつと考察に入ったルネッタを止めたのは、いつも通りヴァイスだ。
腹減ったんだよ、と眉間に皺を淹れたヴァイスは、扉を開ける。
良く見ると意匠を凝らしたデザインの扉には、防御魔法がかけられていた。ルネッタはここで、いろーんな実験をやっているんだろうな。具体的に知りたいような、知りたくないような。複雑な心境である。
ヴァイスは扉を大きく開けると、「ちょうどいいじゃねえか」と喜色が滲む声を上げた。
「ジェイコス、飯の用意を。それから、客人をもてなす準備をしてくれ」
「は………は?」
ジェイコス、と呼ばれたのは小柄で真面目そうな50代くらいの男性だ。
ストラップがついた眼鏡の奥、優しそうな目で瞬きをして、ヴァイスをまじまじと見ている。
「へ、陛下の幻………?」
「本物に決まってんだろ」
そういえば、ヴァイスは今頃、のんびりルネッタと二人旅を楽しんでいるはずだった。
一足飛びで転移ができる魔法陣は、ルネッタの魔法のラインナップには無かったし、使う予定も無かった。主の戻りはまだ先だろう、と見越していた人にとっては、驚き以外の何物でもない。
「!!」
しかも、招いた覚えのない男女、のみならずお馬さんまでひょっこりと、主の婚約者の研究室から顔を出すのだから…そりゃ、ぴょんと身体が浮いたって仕方が無い。
城内を歩いていて突然、いるはずのない人物に出会ってしかも馬まで出てきたら…そんな……。ソフィならうっかり倒れてしまうかもしれない。
「ろ、ロータス嬢ではありませんか!!!!!」
「ご無沙汰しております……」
だからソフィは、申し訳ない、という気持ちを込め、丁寧にカーテシーでご挨拶をした。
このおじさま、優しいお父さんって顔をしているが、かなりの切れ者で、この国の宰相なのだ。
つまりは、先頭切って戦場に出る国王に代わって城を預かる、この国の頭脳である。当然、隣国の王太子の婚約者であったソフィとも面識がある。
どうしたものか、とソフィが良い口実を探していると、ヴァイスが「うるせぇなあ」と髪をかきあげた。
「この嬢ちゃんはソフィで、そっちの坊ちゃんはリヴィオ。お前の知るどこぞのご令嬢ご令息とは別人で、城まで送ってくれたバイトの侍女と護衛で、ルネッタの友人だ。わかったな?」
「「ゆっ」」
ソフィとルネッタは、顔を見合わせた。
友人?
友人って、あれだろ。紅茶片手に内容の無い会話をしてみたり、愛読書の話をしてみたり、好きな男の話をしてみたりするやつだろ。なんかこう、ふわふわして、薄いピンク色で、花の香りとかしそうなやつ。
ソフィには「自称友人」はそれなりにいたが、そのほとんどが会話をしたことが無くって、そのくせソフィがいないところでは王子の隣を狙ってソフィーリアを貶めようとする、そんな人ばかりだった。
恋愛小説に出てくるような、一緒に泣いて笑って悩んでくれるような女の子には、お目にかかったことがなかったわけである。
ああこれも想像の産物なのだろうなあ、と思っていたわけだが。
ルネッタは、ソフィと女子トークをしてくれたし、愛読している魔導書について盛り上がったし、ソフィの好きな男の子の話を聞いてくれたし、一緒にいるとワクワクしてキラキラして、本のインクの香りがしそうで、それで、一緒に泣いて笑って過ごした、わけで。
「そ、そふぃ…」
なんか、ひらたい音で呼ばれて、ソフィは瞬きをした。
きゅううん、と胸が高鳴る。
言っていい? 駄目? と伺うようで、それでいて迷子のように不安そうな瞳に、きっと自分も同じ顔をしている、とソフィは微笑んだ。
こんなに幸せで良いんだろうか。
うーん、まあいいか。良いだろ。
だって隣にいるのは天使みたいに綺麗な人なんだから、こんな神様の最高傑作の手を取った時点で、ソフィはこれまでの人生と永久さよならなわけだ。
遠慮したって始まらない。
欲しいと思うものは、頑張って手を伸ばそう。
ソフィは、ジェイコスに向き直った。
で。
「りゅ、リュネッタの友人のソフィと申します!い、以後、お見知りっおききゅださいっ!」
噛んだ。
一回なら、噛んでませんけどって顔で誤魔化せたのに。
声が小さければ、なあに? って顔でいけたのに。
大きな声でしっかりと正式に丁寧に、ソフィは噛んだ。
数千人の前でスピーチをしても噛まなかったのになあ、とソフィの顔は真っ赤だった。
また更新できてなかった原始人ですみません!!!!!!





