29.不平等な契約
ソフィは頑張った。
も、すっごい頑張った。
何をって、人を守ることだ。
怒ったルネッタが、高威力の魔法を発動させれば、城は吹っ飛ぶだろう。いや、吹っ飛ばしてしまえ。なーんにもない更地になったお城なんて、おもしろすぎるじゃないか。
けれども、城と一緒に人が傷ついてしまうのは良くない。
だって、今日、こんな鬱屈とした城からお出かけをした魔女たちは、ルネッタは、誰かの死を願うような魔女ではない。王女だから、と国を護るために必死に命を繋いできた高潔な魔女たちだ。
ルネッタには盛大に怒ってほしいし、こーんな城無くなっちまえって話だが、人の死はあってはならんのだ。後悔も涙も相応しくない。
そんなわけで、ソフィはアズウェロの指導のもと、防御魔法を展開している。
城内にいる人が、怪我をしないように。
城の外に、余波が及ばないように。
ソフィ一人では、どうやって術式を組めば良いのかわからないし、ルネッタのような凄い魔女の魔法を防げるわけもない。でもソフィには、神様がついている。
人如きが、って見下しているくせに、人に興味津々で、義理堅くて、おちゃめな神様。
サーネットと恋をした神様は、どんな神様なんだろうな。
今もサーネットを探している神様。
そうよね、とソフィはちょっとだけ悲しくなる。もしもリヴィオが、自分のいない場所で旅立ってしまったなら、ソフィは悲しくて悲しくて悔しくて、その死を受け入れられないかもしれない。
何をしてでもリヴィオにもう一度会いたいと、人を呪うかもしれない。
リヴィオが強い人で良かった、とソフィは目を開けた。
神様を残していくサーネットもきっと、辛かった。寂しかった。だから、神様はサーネットを諦められない。
リヴィオだけじゃ駄目。わたくしも、強くならなくちゃ。
ソフィは、リヴィオを幸せにするのだと決めたのだから。
白く光る大きな魔法陣を見て、ソフィは満足げに笑った。身体からどんどん魔力が抜けていくが、気分は良い。
そして、ルネッタの詠唱が止まる。
ルネッタは普段、詠唱をしない。詠唱は魔力の底上げ、安定性を上げるの為の手段であり、それがなくてもルネッタは高威力の魔法を、一瞬で放てるから。
そんなルネッタが詠唱をしていた理由は一つ。
本気の本気の本気で、魔法を撃つため。
「来るぞ、主」
「はい!」
『ブリリアント・スクリーム』
それは、不思議な音だった。
誰かが歌うような、叫ぶような、笑うような、キラキラしているのに重苦しくて、ごうごうと吹き荒れているのに暖かい、そんな不思議な風が、ソフィの髪を、頬を撫でていった。
まあ、城壁とか家具とか、いろんなものは、どんどん吹っ飛んでんだけど。あっはっは、景気良いね!
吹っ飛んだものが、ソフィとアズウェロお手製の防御壁にぶつかり、また壊れて降ってきて壊れる。
でも、人にも自動で防御が働く魔法なので、降ってきた瓦礫は、ソフィやルネッタにぶつかる前に、弾かれるようにこつんと地面に落ちた。なかなかの出来の魔法である。
ルネッタは魔力を込め続け、暴風が吹きまくっとるので、ソフィも身体から魔力が抜けていくが、アズウェロのおかげでちっとも苦しくない。
「アズウェロ、これなんか楽しいですね」
「うーむ、この魔女やりおるな」
呑気に会話をする余裕もある。
ちらりと視線を動かすと、ヴァイスとリヴィオは腹を抱えて笑っていた。めちゃくちゃ楽しそうだな。
二人の足元では、王が真っ青になっている。あれ? 一人だけ、なんか髪の毛めっちゃぐおんぐおんなってるぞ。
「アズウェロ、王様大丈夫でしょうか」
「あー、魔女も無機物のみを破壊するような術式にしているみたいだがなあ。人として判断しそこねたんじゃないか。まあ、主と私の防御壁があるからな。死ぬことはなかろう」
「なるほど?」
まあ、じゃあいいか!
うんうん、とソフィが頷く間にも、どんどん見通しが良くなる。わーい、お空が綺麗。
ソフィたちは、いきなり城内に降り立ったから知らんかったんだが。噴水とか、東屋とかもあったんだなこの城。どんどん、ぶっ壊れてるけど。がっつんがっつん吹っ飛んで壊れてってるけど。
お値段張りそうなものが盛大にぶっ壊れていくのは、いやあ清々しいものである。己の中に、こんな破壊衝動があったとはソフィも知らなんだ。また新しい自分と出会えてうっきうきである。
そうして気付くと、辺りは一面石の山だった。何の比喩でも表現でもなく。ただの事実だ。現実だ。
瓦礫を砕いて砕いて石にした丁寧な仕事ぶり。職人の技とこだわり、っていうか怒りが良くわかるよな。
風が鳴りやんだので、ソフィはふうと手を下ろした。
足元がふらつきそうになってたたらを踏むと、もふん、とソフィの身体はふっかふかの毛並みに支えられた。っていうか埋まった。
「頑張ったな主」
「…有り難うございます」
神様に褒められた!
頑張ったな、なんて人生でほとんど言われたことが無いのに、神様に言われるなんて。ソフィは、どしんと地面にお座りする熊さん型の神様の背中を借りながら、笑ってしまった。
「…怒るって、疲れますね」
そう言ったルネッタが、はあはあと息を切らせ、汗を拭う。
「でも、スッキリしました」
「そうだな」
笑いながらルネッタに歩み寄ったヴァイスは、なんと、その小さな体を、ひょいと抱き上げた。
目を白黒させるルネッタは大層可愛らしく、あわあわとさせた手をヴァイスに捕まえられた。
「掴まっとけ」
笑うヴァイスは、ルネッタの小さな手を自分の肩に乗せる。
胸がむずむずするというか、ほこほこするというか、なんだか叫びたくなるような気持ちで、ソフィはアズウェロの毛を握った。もっふもっふ。
「ヴァイス様、マジでほんと拗れるんでいい加減にしといた方が良いと思いますよ、僕」
大きな剣を地面から引き抜くリヴィオの目は、なんか生気が無かった。拗れるってなんだろう、とソフィは首を傾げる。アズウェロは、くわ、と欠伸をした。
「……わ、わたしの、城が…歴史ある…城が……………」
ソフィが、広い石野原で、何が起きたのだと慌てふためきながらも怪我は無さそうな人達を眺めていると、しばらくぶりに王が声を出した。
髪の毛ぼっさぼさで、傷だらけの、ぼろぼろの王様。
なんか心なしか、服もさっきよりぼろぼろだった。
「もう一度城を建てるには大金が必要だろうが、この城にその金や財宝はあるのか?」
ニヤリと相変わらずシニカルな笑みを浮かべたヴァイスが、自分の腕にあるルネッタを見上げると、ルネッタは、ふんぬと胸を張った。
「全部石粒だと思います」
「そりゃ大変だ。砂金探しか」
王はがくりと地面に両手を付いた。再起不能、って感じ。
それを見たリヴィオは剣をしまいながら、「魔法でどうにかできるんじゃないですか?」と首を傾げた。
「金、とか、ルビー、とか材質に限定して集める事はできると思いますが、元の形をよほど正確に覚えていない限り、元に戻すことは難しいと思います」
「じゃあ無理ですね」
うん、無理だろうな。
ソフィもかつては王城に出入りしていた身である。宝物庫のリストがあり、それを管理する者がいることは知っていたが、ではそこにあるものを、例えば絵に描けるくらいに正確にディテールを覚えている者がいるか、と言えば首を振る。そんな人がいれば、リストなんざいらんわな。
「さて、そこで王よ。俺と取引をしないか」
こういう時生き生きする人間との取引は、つまり悪魔との取引だ。
都合の良い展開なんてのは望めないし、かと言って取引せねばこのまま滅びゆくだけ、っていう。どっちに転んでも最悪。
ちなみに、ソフィは他人事なのでワクワクしている。ルネッタを大切にして、自分の国を大切にして、簒奪王と呼ばれるこの王は、何を言うのだろう。
「ヴァイス様、ろくでもねぇ顔してますね」
そう言いながら、リヴィオは笑って隣に並んだ。
「リヴィオ、アズウェロもふもふですよ」
「僕もいいんですか?」
「主の番だからな。特別に許してやろう」
「「つっ」」
ぼん!と二人して顔が真っ赤になった。
「ま、まだ番じゃない、です」
「まっ」
リヴィオは、まだって言った。まだって。まだ。じゃあ、はいそうです、って頷く未来が、あるってことですかね。いや、ある日突然フラれても嫌だし困るし、ソフィだって、そりゃあ、ねえ。ずっと一緒にいたいなあ、とか思うわけだけども。言葉にされるとあれじゃん。
ソフィは、アズウェロにさらに体重をかけてもふもふに埋まった。もっふもっふ。
「貴殿が条件を飲むならば、俺が城を建ててやろう。ついでに、この手記についても公言しないと誓う。何、感謝はいらない。俺の婚約者のことだからな」
随分と破格の提案である。
城を建てるには莫大な予算が必要だし、始まりの魔女の話が広まれば王家の信頼は失墜するだろう。
ただ、後者については魔女たちの汚名をそそぐ機会でもある。ソフィとしてはぜひとも広めていただきたいのだけれど、ソフィはあくまで侍女のバイトをしているだけの、通りすがりだ。
大人しく観戦席に埋まった。もふん。
「…条件とは、なんだ」
「まず、ルネッタを家系図から外すこと。二度とルネッタと関わるな。二度と、お前たちのいいように扱うな。ルネッタはうちの国民にする。今後一切、俺の許可無く、ルネッタの意志無く、言葉も文も交わすことを禁ずる」
ルネッタはこくんと頷いた。
「おとといきやがれです」
誰だあんな言葉教えた奴。
「…よかろう。こちらとて、そのよ」
「ハイかイイエ以外を口にすんな」
がすん!と王はヴァイスに顔を蹴飛ばされた。学ばないな、あの王様。
「次だ。あんたには、退位を宣言してもらい、第一王女に即位してもらう」
「な、お、女が王位を継ぐなど歴史に無い事だぞっ」
「は? この国に真っ当な歴史なんかあんのかよ。ルネッタ、お前声をでかくする魔法使えるな?」
「全国にお届けします」
嫌すぎるプレゼントだった。
手記をちらつかせるヴァイスに、王はぐうと呻いて頷いた。
「よ、よかろう」
「はい次。即位すると言っても、王女はまだ幼く、王としての教育は受けていないだろう。何より、ゼロから政治を始めるのは簡単じゃない」
文献もなんもかんも石つぶてだからな。
役人たちはまず、いろんな書類の復旧、というか作成から始めねばならん。わあ、地獄。
「そこで、うちから優秀な人材を派遣しよう。城の人間は全てその配下とし、宰相には俺の国の人間を置くこと。女王陛下のサポートも任せてもらおうか?」
わあなんて親切。それ乗っ取りじゃん!とか言っちゃいけないぜ。
「そ、それでは乗っ取りではないか!恥を知れこの蛮族、」
「あ?」
がっす、って顔蹴飛ばされるからな。
王様としてどうなんだろうか。あの学習能力の無さ。本当に魔法だけで生きてきた国なのだなあ、と感心する。
王女を即位させろ、って話に頷いたのはどうせ、形だけにして自分が実権を握ればいいと思ったんだろうが。そんなん、お見通しに決まっているだろうにな。王にしては、ちいと考えが浅いが、まあ状況も状況である。ぼろぼろになるまで物理的に追い込まれて、城を吹っ飛ばされて、一人でおどされているんだから。そう考えると、頑張っている方ではないだろうか。どんまい。
「ハイかイイエ以外口にすんなつっただろうが。あ? イイエってことだな。いいぜ、じゃあ城は頑張って自分たちで建てりゃあいい。俺は今から楽しい読書会だ。資金と人材が集まるといいなあ?」
だって相手が悪すぎる。富と名声を持ったチンピラ相手に、ナイスガッツだ。
「……………条件を、飲めば、本当に、城を建て、それを公言しないのだな」
「お前ら屑と一緒にすんなよ。明朗会計が俺の売りなんでな」
それより、とヴァイスは楽しそうに手記を振った。
「早く頷かねぇと、あんたに気付いた家臣やら王妃やらが集まってくんじゃねぇの? お喋りしたくなっちまうなあ?」
外道感が凄い。
ソフィとしては、ルネッタの味方であることに異論はないのだけれど、ヴァイスの仲間というのはなんとも微妙な気持ちになってくるのだから不思議だ。なんだろうな、この悪の手先になった感。
「わ、わかった…全て、飲もう」
「立場わかってねぇなあ、上から言うんじゃねぇよ。ハイだろハイ」
「…………は、い」
「そうそう、従順にな」
もう悪だった。悪役みたいっていうかチンピラっていうか、もう悪だった。悪魔だった。魔王だった。ここは地獄か。ルネッタはなぜ、こくこくと頷いていられるんだろうか。なぜあんなにも、黒曜石のような瞳を輝かせているのだろうか。
「…魔王の花嫁って感じですよね……」
「………悪影響を与えてるって言葉が思わず浮かぶのはなぜかしら…」
リヴィオと二人で乾いた笑いが浮かぶソフィである。
「じゃあ次だ」
まだあるの?
「まだあるのか!」
「あっちゃ悪いかよ」
悪いか良いか言えば、悪い気がするのはなぜだろう。
誰も二の句が継げないのを確認すると、ヴァイスは「安心しろ、最後だ」と、ニヤリと笑った。全然安心できない笑顔だった。
「貴殿には、離れで一生を過ごしてもらう」
「……わ、私を、監禁すると言うのか!他国の、蛮族如きが!」
「人聞きが悪いな。あんたたちが魔女にしたような仕打ちは一切しないさ。先王の名に値する、それなりの屋敷で、それなりの衣食住を用意しよう。ただし、外部との連絡は許さない。屋敷から一歩も出る事を許さない。屋敷にはルネッタが結界を張る。使用人は、俺に直々に喧嘩を売ってくださった連中にしよう。随分と仲が良さそうだったもんな? 仲良く結界の中で暮らせるぜ」
なるほど、事実上の投獄である。
死ぬ事も無ければ、粗末な牢に入れられるわけでは無い。仲良しの使用人もセットなのだから、魔女たちが受けてきた扱いを考えれば、天と地だ。
ただ、王はもう二度と、この国の政に関わることが許されない。
復讐など、もってのほかだ。
その瞬間、手記の内容が公開され、王家の罪で国が呪われ続けた過去が明らかになる。
しかもその手記は、城を一人で吹っ飛ばせる最強の魔女の手にあるわけだから。
「嬉しいだろ?」
「…………………は、は、いっ」
王は、唇から血を流すほど悔しくても、頷くしかないのである。
生きながら殺されるような人生。しかも、巻き添えを食らった使用人からは、恨みを向けられるかもしれないのだ。その人生も、いつまで続くだろうか。
もういっそ手記を公開すれば、と思うがそれで玉座に齧り付いたとて待っているのは地獄なのだから、結局頷くしかないわけだな。
「………僕、ウォーリアン家に生まれて良かったって今初めて思いました」
「わたくしも、初めて自分の人生に感謝していたところですわ」
ヴァイスの敵として生きていなくて、ほんっっと良かった!リヴィオとソフィは頷きあった。
「よし。ルネッタ、録音したな」
「はい。魔法石にバッチリです」
「書記官、書き留めたな」
「ははははははいっ、た、確かに!」
「!」
誰!
ソフィとリヴィオが身体を起こすと、王の後ろに、小さなおじいちゃんがいた。長い羊皮紙とペンを持っている。いつからいたんだ!
側には、一緒に階段を下りていた白いローブの魔導士たちもいた。
「ぼっちゃんが王を引き付けている間に、そいつらに連れて来させたんだよ。最後のシーンには間に合って良かったぜ」
そういえば、リヴィオが雷や火の玉を避けていた時、ヴァイスの姿は無かった。
それで、最後にヴァイスは背後から現れたのだ。
手記について話している時は、確かにいなかったはず。ということは、本当に最後に最後。あの書記官がいることを確認して、この契約の話を始めたのだろうか。
外見だけじゃなくて、やり口も恐ろしい上に、わりと行き当たりばったり。そのくせ、知能犯なのだから、もう、恐ろしすぎじゃあなかろうか。
絶対に敵にまわしてはいけない、とソフィは心に誓った。
でも。
ま。
ヴァイスが管理する新しい国は、ながーい歴史をかけて女の子をいじめた国より、きっとずっと素敵な国になるだろうな。
だって、ルネッタがあんなに瞳を輝かせるのは、あの簒奪王の側にいる時なんだもの。
なんだか疲れたな、とソフィとリヴィオは顔を見合わせて笑った。





