27.恋の色
はっっっっっっっっっ?
は?
え?
は????
ソフィの頭は真っ白になった。
いや、真っ赤?混ぜたらピンクだなあ。春色だ。目出度い。間近で見える色は、まるで夜明けみたいだけれど。
伏せられた長い睫毛がばっさと上がって、ブルーベリー色がソフィの間抜けな顔を映した。
真っ白いローブが天使かな?ってくらいお似合いの超絶美男子様は、ソフィの頭を一撫ですると立ち上がった。
「そこから、動かないでくださいね」
「ひゃい」
あ、噛んだ。とか。バサッて白いローブを脱ぎ捨てるのカッコいいな、とか。それどころじゃない。
動くな? わはは、心配しないでほしいな。ソフィをなんだと思っているんだ。動けるか。動けるものか。
ソフィは両手で口元を押さえてプルプル震える新種の生き物になったんだぞ。むしろどうやって身体を動かしたらいいのかやり方を思い出せない。人間ってどうやって歩くんだっけ。
ソフィの視線は、リヴィオの綺麗な横顔から剥がれない。
長い睫毛が影を作り、敵を睨みつける鋭い眼差しが、ぞくりとする程に美しい。
あの、綺麗な人の、唇が、ソフィの、唇に、落ちてきた。
「っ!!!!!!!」
い、いや。いや待て。
一瞬だったし。苦しくてぜえぜえなってたし。勘違いじゃなかろうか。妄想? 夢? なんかそういう、幻覚的な。
だって、リヴィオだ。
ソフィが今まで見た誰よりも美しくてカッコよくて、真っ赤な顔でふにゃふにゃ笑うのがめちゃくちゃに可愛い、この世で一番綺麗な生き物だぞ。
そんなリヴィオが、ソフィを助けに来てくれた。
助けて、ってたった一言。そのたった一言を、ソフィは誰にも言えんかった。
言う当ても無けりゃあ、叶うとも思わんかったので、自分でどうにかする方が建設的だったのだ。伸ばした手を振り払われるのは愉快じゃない。
でも、リヴィオはずっとソフィの手を握ってくれたから。言っても良いんだと、教えてくれたから。
それで、力いっぱい叫んだ「助けて」を、リヴィオは当たり前みたいに叶えてくれた。
抱き留めてくれる腕も、髪を払ってくれる指も優しくて、この人は本当に自分を想ってくれているんだなって思ったらもう、どうしようもなく嬉しかった。
ずっとずっと欲しかった、自分だけには与えられなかった当たり前をもらえて、ソフィは嬉しくて仕方がなかった。
「僕を呼んでくれて、有難うございます」
なあんて、さ。
ソフィが甘えることを、欲しがることを、リヴィオはこんなに喜んでくれる。甘い歓喜を瞳に浮かべて、白い頬をピンク色に染めて、なんだか泣きそうな顔でさ。そんな風に言うから。
ソフィは好きだなあ、って。
リヴィオが好きだなあって、ぴかぴかのブルーベリージャムを瓶いっぱいに詰めたみたいな気持ちになった。嬉しくて、愛おしくて、誇らしくて、笑みが零れた。ずっとずっと、この瞳に見詰められていたい。指先まで甘く浸すような多幸感に、ソフィの気が緩んだ。
その、瞬間に。
近いなって。
睫毛長いな、って。
思ったら、唇に、触れられて、だから、あれは、やっぱり、キスだった。
「!!!!!!!!!!!!!!」
「ソフィ、大丈夫ですか」
真っ赤な顔を両手で覆うソフィに、ルネッタが駆け寄ってくる。
全然ちっともまったくさっぱりと大丈夫じゃないが、状況を考えろとソフィは顔を上げた。
いやほんと状況を考えてくれませんかリヴィオ様。
思ったが言えない。
「だ、だいじょう、ぶ、です」
「顔が赤いです。苦しかったですよね…」
顔が赤いのは別の理由だし、なんか雑巾絞りされた苦しさなんて吹っ飛んじまったソフィは、ぶんぶんと首を振った。
ソフィとルネッタの間にリヴィオの背中があったはずだから、ソフィの顔が赤い理由をルネッタは知らんのだ。居たたまれなさに浮かれ脳みそ君がそっと鈴を下ろした。
「ルネッタは? 大丈夫?」
「はい。慣れてますから」
ボコッ。
凄い音がして視線を動かすと、瓦礫が崩れるところだった。近くに革のブーツ。
見よ、この世のすべてを殲滅せん、とばかりの機嫌最悪なヴァイス様の眉間の皺を。おっそろし。
思わずルネッタの手を握った。
「ルネッタ、防御壁」
「はい」
ソフィは邪魔にならないよう、そっとルネッタの手を離した。
ふわ、とルネッタの髪が赤く光る。
ばさりとヴァイスが白いローブを投げ捨てると、ひっくり返っていた国王が、よろよろと身体を起こした。
リヴィオが見えない手を2本断ち切った時に、その反動で吹っ飛んでったのだ。
「…くそ、野蛮な下民が…。魔力をそのように使うなど、冒涜だぞ貴様っ!」
「何言ってんだあんた」
訝しげなリヴィオが振り返ると、ソフィの肩が跳ね、ルネッタが首を傾げた。
「リヴィオさん、剣と、自分の身体に魔力を流してますよね。だから魔力の流れを断ち切れたんだと思うんですけど…普通、魔力は魔法を使うために操作するものだから、珍しい、というか魔導士はやろうとも思いません。私はかなりの高等技術だと思います」
「え」
リヴィオは、ぱちんと瞬きをした。
ルネッタに高等技術、と褒められた事にではない。あれは、「え、そうなの?」って、きょとん顔だ。
「僕、そんなことしてます…?」
「…………自覚が無いんですか…?」
「ウォーリアン家の人間の異常な戦闘能力は、その魔力の操作をしながら戦うことに秘訣があるってわけか」
「本人無自覚ですけどね…。父上はわかってんのかな」
「知らされてねぇって事は、代々無自覚でやってんじゃねぇの」
「ええー、うちマジで馬鹿ばっかだな……」
なんだか凄い会話をしながら、リヴィオはぶんと剣を振り、ヴァイスはポキポキと首を鳴らした。声は軽いのに、二人の背中は、わかりやすく怒っている。圧が、凄い。
「で? 自分の顔を見るだけで硬直する娘を縛り上げて、どんな気分だ? あ? 教えてくれよ。俺みてえな凡人には理解できねぇんだわ」
「はーい、僕も野蛮な下民なんで、どうやったら、か弱い女の子二人をいたぶれるのか教えて欲しいですねぇ。お礼に生まれてきたことを後悔したくなる気持ちを教えて差し上げるんで。物理的に」
あは、と笑うリヴィオの声のかわいさったら!セリフと合ってなさすぎて超怖い。そんな余裕綽々な切れっぷりを披露するリヴィオもソフィは好きだけど。
「っ愚民が!」
バチッ!と雷が爆ぜた。
そして、ドン!と轟音と共に、いくつもの雷の柱が上がる。
「り、リヴィオ…?」
危ない!そんな衝動で名前を呼ぼうとしたソフィの声は、疑問形になった。となりでルネッタが「うわ…」とドン引いた声を上げている。
なんでって、リヴィオはまるで華麗なステップを踏むように雷を避けているのだ。え、嘘。魔法って避けられるの。あ、いやあ、まあ、直線的な魔法とか。詠唱をしているとか。予測ができるようなものならわかるんだ。魔導士はそういう事を考えた上で、避けられないように魔法を当てる事が重要となる。
そういう意味では、上から同時にいくつも柱が降ってくるような雷の魔法は、効果的なはずだった。そう、普通なら、避けられないはずだ。
「な、なぜ避けられるのだ…!」
「カン」
王様のお顔は青ざめている。なんかちょっとかわいそうだ。
カンって。そりゃ無い。
「っこれならば避けられまい!」
国王は、部屋いっぱいに広がるような、大きな火の玉をつくった。ごお!と燃え上がる赤い炎が、こちらへ迫ってくる。ソフィはルネッタと一緒に、ルネッタがつくる防御壁の中にいるから、きっと平気だろう。
でも、あんな炎に焼かれたら、リヴィオはどうなる? あんなに大きくては、今度こそ避ける事も容易ではないはずだ。
ソフィは思わず駆けだしそうになって、それで、瞬きをした。
いや、嘘だろ。
炎は、リヴィオがぶんと剣を振ると消え、ついでに無事だった王の背後の壁が真っ二つになって崩れた。こっっわ。え、何。あの剣なんか出てる? 実は目に見えない魔法が噴き出してる???
「喧嘩売る相手、間違えてんだよあんた」
で。
国王の身体は、背後から現れたヴァイスに蹴り飛ばされた。多分、骨が何本か折れてる。そういう、おもったい音がして、地面になぎ倒された身体に、とどめのように崩れた瓦礫が降り注ぐ。
ぎゃあ、と悲鳴が上がると、ヴァイスが舌打ちをした。
そして、つかつかと歩み寄り、ずぼりと身体を瓦礫の中から持ち上げる。
ヴァイスは、呻く国王の身体を、ぶらん、と汚い毛布のように持ち上げ、どさりと投げ捨てた。
容赦がない扱いである。
「謝れよ。父として、王として、ルナティエッタに、ここで死んでいった魔女たちに、頭擦り付けて土下座しろ」
「…へーか」
防御壁を消したルネッタは、ぽつりとヴァイスを呼んだ。
心許ないその声が苦しくて、ソフィは自分のスカートを握った。
謝ったって、ルネッタの17年間が、魔女たちの命が返ってくるわけではない。あんなボロボロの汚いおっさんの謝罪一つで、全部無かった事になんて、なるもんか。
でも、でも、ルネッタのこれからは、変わるかもしれない。
一歩も動けずに硬直していた、あの男に怯えていたルネッタの心を、ちょっとでも変えられるかもしれない。
けれど。
「っ、だ、だれがっ!あれは私の娘などではない!私は王として、この国の厄災を管理する責任があるのだ!謝罪などっ、するものか!」
「あーっそ」
そうだよな。
簡単に謝るような賢い男なら、ヴァイスに喧嘩を売ろうなんて馬鹿な真似はせんだろうな。
ヴァイスもそれをわかっていたんだろう、王の言葉に動じることなく、鞄から一冊の本を取り出した。
「これ、何だと思う?」
「…は………?」
その声にヴァイスを見上げた王は、顔を引きつらせ、地べたでうずくまっていたのが嘘のように、立ち上がり、本に手を伸ばした。
のだけれど、その体をリヴィオが容赦なく蹴り上げる。足長いな。
仕上げとばかりに、ガン!と剣を突き立てた。王の、足の間に。
「動くなよ。ついやっちゃうだろ?」
何を?とかこの場で声を上げるほどソフィはお馬鹿ではない。ただ、そのいつもより低い声がかっこいいな、と思った。馬鹿では無いが脳みそは浮かれておるのだ。てへぺろ。
「な、なぜ、貴様が、それを、どうやって…!」
「うちのお姫さんは優秀なんでな」
「む」
最後の「む」は、隣から聞こえてきた。
ちらっと横目で窺うと、ルネッタが、ぱしぱしと瞬きをしている。え、やだこれ照れてる?
かわいいな、とソフィの胸がきゅんとした。
「……ルネッタ」
「はい」
かわいいルネッタは、背中を向けたままのヴァイスに返事をした。
「お前は、知らない方が良いかもしれない。どうする」
ルネッタは、じっとヴァイスの背中を見詰めた。
光を反射するような黒い瞳は、すいと空を見上げ、それから、もう一度ヴァイスの背中を見る。
「へーかなら、知らないままにできますか?」
その言葉に、ヴァイスは小さく笑った。ふ、と落とすような音は、優しくて、どうしてかほんの少し悲しい響きだ。振り返ったヴァイスは、そんな悲しい響きなど嘘のように、ニヤリと、いつも通りにシニカルに笑った。
「言うじゃねぇか、ガキが」
「ガキじゃないです」
ヴァイスは、ルネッタに向き直った。
黒い髪を、風が揺らす。
眉間の皺、意志が強そうな眉、機嫌が悪そうな胡乱な目つき、無精ひげ。乱暴でちっとも王らしくないヴァイスは、良く通る声で、ルネッタに向けて本を持ち上げてみせた。
「これは、11代目の王の手記だ」
「はい」
じゃり、と小石を踏む音がする。王が身じろいだのだろう。動くと危ないよ、とリヴィオの声がした。
「この王は、なぜ魔女が生まれるのか根本に立ち返ろうと、始まりの魔女について調べたそうだ。魔女はどんな王女で、なぜ国を呪ったのか。どうやって呪ったのか。…不思議と始まりの魔女も、その次の魔女も資料が少なく、かなり苦労したようだがな、王はやっとの思いで手に入れた情報から、仮説を立てた」
低くて心地の良い声は、淡々と本の内容をなぞる。
感情が籠っていない声には、けれどもだからこそ、ヴァイスのやり切れないような、怒りのような思いを感じて、ソフィは少しだけ恐ろしくなった。
これは、本当に、ルネッタに聞かせていい話なんだろうか。
揺らぐソフィの耳に、ヴァイスの淀みない声が響く。
「自身の仮説が恐ろしくなった王は、これを封印した。消さなかったのは、魔女を封印する結界を強化していくうえで役に立てば、と思っての事らしいが。…さてな、小心者が恐ろしくなって消せなかったか、自分だけの胸に秘めておくことに耐えられず、次の世代に押し付け続けただけのように思えるがな」
お前はどうするつもりだったんだ? とヴァイスは、王を振り返った。
壁に寄りかかり、リヴィオの大きな剣を足元に突き立てられた惨めな王は、それでも鼻で笑った。
「何を言っているのか、さっぱりわからんな」
「あっそ。じゃあ読み聞かせのお時間だ。せえぜえ、良い夢を見ろよ」
「っ」
ルネッタは、「へーか」とヴァイスを呼んだ。
胸元で握った手は、小さく震えている。
ヴァイスは、目を細めて、小さく息を吐いた。
「……始まりの魔女は、」
きっと誰よりも今、魔女を想う声が語るそれは、良い夢なんてちっとも見れやしない。
醜くて歪んだ、おぞましい、恋の話だった。
A.「ソフィ様」すらどもっていたリヴィオが、さらっと呼べるようになったのは、戦闘が始まった時でした。
へたれ伝説が始まったあの時、絶対に書いてやると意気込んでいたシーンが書けて私は満足です。
次回、胸糞案件なのでご注意ください。





