23.暗い洞穴
「貴様はなんだ」
冷え冷えとした王の視線を受け、ソフィは深く頭を下げた。縛られた縄が痛いが、まあ仕方が無い。
「オブドラエルでルナティエッタ様の侍女を仰せつかっております、ソフィと申します」
嘘だけど。
侍女のバイトは仰せつかったが、ヴァイスの国の民ではない。けれども、ここで言うことでは無いので、ソフィは額が大理石に付かんばかりに頭を下げた。痛そうな床、もとい高そうな床だ。
「侍女如きが王と言葉を交わそうなどと、無礼ではないか?」
「お言葉はごもっともでございますが、わたくしは陛下の言葉をお伝えせねばなりません」
「何…?」
顔を上げよ、と言われて、ソフィはゆっくりと身体を起こした。
この国が外交をしないのは有名な話だ。
ではなぜ成り立っているかと言えば、この国の魔法文化が飛び抜けて優れているからだ。世界に流通する、魔力が込められた加工済の魔法石の約3分の1は、この国で生成されたものだとも言われている。どっかの国のように、大魔女様を抱えた武力大国でもなければ、争う気すら起こらない、そういう国なのだ。
魔法石が手に入りづらくなるのも困るし、その魔導士の力を戦に用いられても困る、というわけだ。
そんなわけで、ソフィは王の顔を知らぬし、王はソフィの顔を知らん。
これ幸いと、ソフィは微笑んでみせた。
「寛大なお言葉、感謝申し上げます」
「礼などいらん。本来であれば、魔法もろくに知らぬ下民の顔など見たくもないのだからな」
最悪だ。
ソフィは微笑んだ。
清々しい程の選民思想。そのうえドクズ。魔法が使えなければ人に在らずで、魔法めっちゃ使える娘には父と呼ぶなときた。ブレッブレのその大層な信念とやらを蹴飛ばしてやりたいところではあるが。それはソフィの役目ではない。
金色の目を見る、自分の茶色の目に嫌悪感が滲まぬよう、ソフィは慎重に微笑んだ。
「ルナティエッタ様を、陛下のご婚約者として我が国にお迎えすることは、我が国と貴国との和平の証であったはず」
そう、そうなのだ。
躍進を続けるヴァイスの国は、気付けば魔法使いの国を属国で囲んでいた。いつ、どちらが攻め入るのか、という緊張感で各国の上層部はピリピリとしていたわけだが、ヴァイスが魔法使いの国の第二王女を婚約者に迎えたことで、ひとまずの落ち着きを見せた。
そういう意味でも、この国の婚約話は重要な意味合いがあったのだけれど。まさか、まさか。和平を結んだ筈の王に喧嘩を売るなど、愚策にも程がある。
国と国との約束をなんだと思っているのか、ってのは多分。あのセリフが全てなんだろうな。
この国王、魔法が使えない人間をことごとく見下しておられるのだ。あら、あなたドレスを新調なさらなかったの? そんな恰好でよく生きていられるわね? そんな恰好で何を言われても笑っちゃうわよ? ってな。簡単に新しいドレスが誰でも買えるならそうするし、ドレスは別に買い替えなくたって死にゃあせん、大事なのはドレスじゃねーんだよ、ってのは通じない。聞く耳をお持ちでないのだ。耳が無けりゃ、ははあ。人の話は聞こえんわな。
凝り固まった古臭い自意識だけでおしゃべりあそばされるので、いやはや迷惑。公害だ公害。
なんだっけ。
あ、そうそう。国と国の和平の公約を、今度遊ぼうねっ!って子供の口約束かなんかと勘違いしとる阿呆の話だ。
「陛下を突如襲い、このようにルナティエッタ様をまるで罪人かのように扱い、無理やり国に連れてくるなど…」
何を考えているんだ馬鹿ですか馬鹿ですね王位など即刻返上した方が良いのでは?と言いたいところだが、それが言えるほど図太いおバカちゃんであれば、ソフィーリアは苦しまなかった。嘘をつくことくらい、なんでもない。
「よほどお困りの事態が起きてしまわれたのでしょう。これ以上、貴国との争いを陛下は望みません。どうか、ご事情をお話しくださいませんか」
「……なるほど、我が国にあのような蛮族が敵うわけが無いと思い知ったか」
「…陛下は、痛手は最小限に留めなければならないとお考えです。我が国にできることであれば、何なりとお申し付けください」
なああんて嘘ですが!はい、嘘です嘘!あの過保護な王様が、婚約者をこんなくっそみたいな国に送り返すわけが無いし、王様はピンピンしておられる。絶賛元気マン。元気すぎて、今頃この城の弱みを捜しまわっていらっしゃる。護衛のアルバイト中のリヴィオを連れて。
つまりは、今度はルネッタとソフィが囮役なわけだ。
リヴィオはそれはそれは嫌がって、違う作戦にしよう、と声を荒らげたが、ソフィはその顔に見惚れることはあれど頷くことは無かった。リヴィオのシリアスなお顔、すごく良い。ヴァイスに食って掛かる顔、とっても良い。と浮かれ脳みそ君は鉢巻を巻いてスタンディングオベーションの嵐で、違う作戦なんて思いつかぬ。
決め手はアズウェロの「私が姿を消して同行すれば心配は無いだろう」という言葉だった。
「人間如きに悟られぬようにするくらい、朝飯前だ」
ふふん、と笑ったアズウェロは、ルネッタの魔法で身動きが取れなくなった男から足を上げ、ぽん!と姿を消した。
どこにも姿が見えないアズウェロに、ルネッタが「本当に魔力が感じられません。さすがですね」と感心したように声を上げたが、ソフィにはすぐ隣にいることが、なぜだかよく分かった。
首を傾げると『主は別だ』と、低い声が言う。
みんなは聞こえていないらしい、あの声だ。
『主と私は、主従の契約を結んだから特別なのだ』
「すごいですね」
そうだろう、と自慢げに頷くアズウェロの声に、ソフィの脳内では、もこもこの小さな熊さんが仁王立ちをした。可愛い。
「じゃあまあ、決まりだな。俺は街道で瀕死ってことにして、坊ちゃんと城を漁る。嬢ちゃんは、ルネッタが無茶をしないように見張ってくれ。ルネッタは、」
「はい」
ルネッタは、真っ白の顔を上げた。
ちなみに、手放すと爆発する、という世にも恐ろしい魔法石を持たされた男はもっと真っ青だ。どんまい。爆発を解除してほしくば言う事を聞け、というわけだ。テロリストはどっちだろうな。
神様と大魔女の魔法に逆らえない男は、いそいそと転移魔法の準備をしている。指定の場所へ複数人で移動ができるという、魔法使いの国が開発した魔法だ。まだこの魔法を使える国は、他に無い。気になって仕方が無いソフィなのだが。
「ルネッタは、てきとーにやってこい」
「…てきとーですか」
「!」
おう、と頷いたヴァイスは、ぽすん、とルネッタの頭に手を乗せたので、ソフィの胸がどきんと高鳴る。これ、見てていいやつかな。
「逃げてもいい。やっぱやめた、って言いたきゃ言え。すぐに行ってやる」
「は、はい」
「そうでなけりゃ、せいぜいぶっ潰してこい」
「…はい」
きゅっと唇を噛んで、胸元を押さえて、下を向くルネッタは、可愛かった。可愛かった。
目元を赤く染めて、ほんのりと黒い瞳を揺らす、そのお顔!そうそう、そういうお顔が見たかったのよ、とソフィはなんとなく、隣に立つリヴィオを見上げた。
目が合ったリヴィオは、にこりと微笑み身を屈める。近い!近い!!ぎゃあと悲鳴を飲み込むソフィにくっつくように、リヴィオが身を寄せるので、ソフィの心臓は今にも破裂しそうだ。このままだと浮かれ心臓くんの墓も作らねばならんのではないか。
「かわいいですね」
「ル、ルネッタ、ですか?」
リヴィオは、ぱちん、と長い睫毛で瞬きし、いいえ? と、首を振った。
「嬉しそうなルネッタ様を見る、嬉しそうなソフィ様が、かわいいです」
「!!!!!」
かわいい! 可愛いって!! ソフィが可愛いんだって!!!
相変わらず、美的感覚が心配になるが、言われて嬉しくないわけがない。どっきどっきと心臓は危ういが、浮かれ脳みそ君は元気いっぱいだ。しゃんしゃん鈴を片手に踊っている。
「ソフィ様も、くれぐれも無理をなさらないように。何かあっても無くても、いつでも僕を呼んでくださいね」
何も無くても呼んで良いなら、別行動なんぞできんな。毎秒呼んでしまいそう、とソフィは緊急時のみ名前を呼ぶことを決意した。
そんなわけで。
異国の地で王を前にしても、縄で縛られようとも、ソフィは少しも怖くなかった。
胸には見守るようなアズウェロの温かい魔力を感じたし、城内にはリヴィオとヴァイスがいる。隣には、青い顔で俯くルネッタがいる。
ここで戦わなけりゃあ、あの日々を耐えた意味もなくなるってもんだ。
「お前は、魔法もろくに普及しておらぬあの国の人間にしては、まともではないか」
「有難いお言葉にございます」
全然有難く無いし、なんなら吐きそうだけれどソフィは笑顔で頭を下げた。
下手に出て出まくって、遠回しにルネッタを売ると言ったことで王はご機嫌だった。まーじで胸糞なお父様に、ソフィの顔は引き攣りそうだ。
ソフィーリアは、自分が何を言われても、またかと何とも思わなかった。はいはいそうですねーと聞き流して、いつだってにっこり微笑んできた。
なのに、ルネッタを嗤い、ヴァイスを嗤う、この王の声が、目が、顔が、不快でたまらない。ざわざわと、むかむかと、込みあげるものを堪えるので必死だ。
ぽかぽかと暖かい胸の魔力が無ければ、うっかり嫌味のオンパレードになっていたかもしれない。危ない危ない。
「良かろう。それの働きによっては、これ以上、あの国へ手出しはせぬ。我々は蛮族ではないのだから」
思考停止して武力行使してんだから蛮族でしょう、とソフィなんぞは思うんだがな。いやあ、高貴なお方って何を考えてるのかわっかんないね!
上機嫌なゴミ虫王様に、ソフィは恭しく首を垂れ、そしてもう一度顔を上げた。
「それで、何をお望みなのでしょうか」
「あの部屋をどうにかしろ」
「あの部屋…?」
ソフィが呟くと、ああ、とルネッタがゆっくりと顔を上げた。
真っ黒の瞳が、黒い影を乗せて、瞬きをする。
「そうだろうと、思いました」
そして、今。ソフィは白いローブの男、ティベウスとやらと、他の魔導士に連れられてなっがい階段を降りて降りて降りていた。
縄は、この階段へ続く扉を開けた後にほどかれた。転ぶと面倒だと思われたのか、ここから先は逃げようがない、と思われているのか。安心はできないが、歩きやすいのは良い事だ。
コツコツと、複数人の靴音が重く響いていく。響きが重なり、反響すると、世界からまるきり切り離されたかのようで気分が悪い。
近付くにつれ、重たく、首を絞めるような、暗い魔力が伸し掛かるように濃くなっていく。
あの部屋、とやらはこの下なのだろう。
「…あんた、平気なのか」
吐き気を堪えているのか。ぐ、と口元を押さえたティベウスに聞かれ、ソフィは微笑んだ。
「ルナティエッタ様がかけてくださった保護魔法がございますから」
これは嘘ではない。出発前に、アズウェロとルネッタが丹念に魔法をかけてくれた。全員に施されたそれは、並大抵の攻撃ではびくともしないだろう、という言わば装甲だ。
魔力の圧に不快感はあれど、男のように足を止めるほどではない。
階段を降り切ったのは、ソフィとルネッタだけだった。
そこにあったのは、部屋の半分を仕切る、大きな、鉄格子だ。
真っ黒で、冷たい、重たい、鉄格子。
真ん中の大きくひしゃげた穴が、鉄格子にいくつも張っている破れた魔法陣の札が、天井からぶら下がった魔法石を繋げた悪趣味なネックレスのような飾りが、全てが異様だった。
なのに、ルネッタの足に迷いは無い。
中から何かが飛び出したような大きな穴から、すいと鉄格子の中に入る。それから、中を見渡し、視線を上にあげた。壁のはるか上には、よく見ると、鉄格子付きの四角い穴が開いている。窓とは到底呼べないそれをルネッタは、静かに見上げた。
まるで、いつも、そうしていたかのように。
「…る、ルネッタ、ここは…?」
「ここは…」
鉄格子の向こうには、簡素なベッド、机、そして、たくさんの本棚。
言わないで。
違うと言って。
そんなソフィの願いは、いとも容易く切り捨てられた。
「私が育った部屋です」





