3.僕だけが知る君の声
大人たちは、リヴィオニスに諦めろと、拳で、言葉で云った。
大きな権力の前に、子供であるリヴィオニスにできることなど幾ばくも無く。不用意な行動は、家名を傷付けてしまうと、リヴィオニスも学んだ。
が。それで諦められるまっとうな神経であったなら、リヴィオニスはとっくの昔に父の拳から逃げていただろう。この程度で切り替えられる男はウォーリアン家にはいない。知らんけど、だって長く続く野蛮人の家系だぞ。そっちが諦めろ。一晩、うんうん考えたリヴィオニスは誓った。
僕は恋に正直に生きる。
誓ったリヴィオニスは、手始めに騎士学校を3年前倒しで卒業した。
すごい、やればできる僕。知ってた。
少しでもいいから、あのちっぽけな体で大きなものと戦う少女の近くに行きたい。一日でも早く、騎士団に入りたい。その一心で、リヴィオニスは優等生、それも寝る間も惜しんで己を鍛え抜く戦闘民族系優等生に生まれ変わったのだ。
それまでのリヴィオニスといえば、血の気が多いうえに、進級に影響しない程度に成績をあげておくサボりがちな面倒な生徒。まあ、つまるところ問題児であったので、白い目で見られたりやっかみを受けたり感激のあまり号泣されたりと忙しかったが、とにかくさっさと卒業することに成功した。
そう、忙しかった。リヴィオニスは多忙を極める男へ変身したのである!
リヴィオニスが恐れ多くも恋をした王太子殿下の婚約者の評価は、まあ、なんていうか、こう、まったくもって許しがたいことに、決して良いものではなかった。
遊びまわっている王太子を支えているのは婚約者だとみんな認識しているはずなのに、若い世代はキラキラと愛想を振りまく、彼女の妹君の方に注目していたのである。
はあ?である。
はあ?
言った。ある時リヴィオニスは「そういえばこないださ、家に帰った時にお茶会でリリーナ嬢に会ったんだけど、いやー、すげえ可愛かった。しかも超いい子なんだよなあ。姉君と大違いだったぜ」なんて、にやける同輩に、言った。
はあ?
「姉君だって可愛いし超絶いい子だろうが」
「うーん、いや、可愛くないわけじゃないけどさ。なんていうかさー、地味じゃん?堅苦しいし。しかも噂じゃさー、リリーナ嬢につらく当たってるらしいしさー。やっぱ高位貴族のご令嬢って高飛車なんかなー」
「よし表出ろ」
「いやなんで?」
その日からリヴィオニスのあだ名は「次期王太子妃過激派ファンクラブ会長」になった。尚、会員はリヴィオニス一人である。解せぬ。
が、リヴィオニスが恋に身を焦がす元気な青少年であることに誰も気付かなかったのは、幸いであった。リヴィオニスと少女では接点も無かったし、男ばかりのむさ苦しい学校で寝起きする騎士の卵たちの誰もが、心の中では女神にご同居いただいていたので不自然に思われることは無かった。
しかも、その女神がいずれは国母になるお方ということで、リヴィオニスは王家に忠実な騎士のかがみとして度々称賛された。
棚ぼたラッキー。腹の中では王家クッソ王子クッソ、と呪っていてもバレやしない。
これ幸いとリヴィオニスは、少女のよからぬ噂を口にする連中には、いかに少女が素晴らしいか語り聞かせてやった。いや、語るほどの親密さは無いんだけど。
でもこれが、調べればそこかしこに、少女の存在はあったのだ。
「おいお前、お前が持っているそれはなんだ」
「あ?ケーキですけど」
「そうだ。ケーキだ。毎日アホかってくらいしごかれて、くたくたになる僕たちに三食提供されている素晴らしい食事とともに用意されている、甘味だ。お前はそれが、あのお方のお心遣いだと知って、妹君の方が婚約者に相応しいのでは、などと今ぬかしたのか」
「え…?」
カラン、とフォークが音を立て床に落ちた。生クリー厶がぺしりと男の頬に跳ねる。
「おい、そこのお前」
「えっオレ?」
「お前が持っているものはなんだ」
間抜け顔でこちらを見ていた別の男を指すと、「チェスボードですけど」と声が返ってくる。食堂には甘味も紅茶も揃っていて座席も多いので、食事が終わってものんびりとしている生徒は多い。その隣の席の男に「お前は何をしている」と聞けば「え、小説読んでます」と返答があった。よく見ると先輩だったが、場の空気に飲まれているらしい。それで大丈夫か。
リヴィオニスは、ふうと、わざとらしく溜息をついた。
「その全てを、あの方が用意してくださったのだと、お前たちは知っているのか」
ざわつく食堂を、リヴィオニスはゆっくりと見渡す。わははいいぞ、知れ。おののけ。崇め奉れ。
「かつてこの学び舎が、これも訓練だと、戦場で耐えられるようにと。娯楽らしい娯楽もなく、質素な食事が当たり前だったことを、ご存じの方もおいででしょう」
「ああ…」と目頭を押さえるのは、リヴィオニスが入学するよりも前から在籍している諸先輩方だ。過去を思い出してげっそりする男や、想像して身を震わせる男たちに、リヴィオニスは優しく優しく言ってやる。
「それをあの方は、憐れに思ってくださったのだ。有事の際に力をいかんなく発揮する為にこそ、心も身体もしっかり休めるように環境を整えるべきだと。国のために辛い訓練に耐える者たちへ当然の配慮だと、騎士団長や学園長に直訴し、予算案を通してくださったのだ」
なん、だと…と驚愕に目を見開く乗せられやすい男共に、リヴィオニスはしめしめと声を張り上げた。
「この中に同じ事ができる者はいるか!顔も知らぬ誰かのために、あの熊連中に物申せる勇者はいるか!」
ちなみにリヴィオニスにはできない。しようとも思わない。
何の得にもならんのに、言語より物理を愛する暴力組織に直談判とか冗談じゃない。無理無理。顔も知らん汚い野郎共なんて勝手にくたばっとけ。我が身大事。いのちだいじに。
でもあの少女はそうして、やらなくたっていい事を、国のためにと、淡々とこなしていた。
一つ一つは小さな事だ。でも、事実を知った野郎共が「オレ、ファンクラブ入るよ…」「おれも…」と涙を流す、誰かをちょっと幸せにする、そんな大事な事なのだ。
タチが悪ぃ、とリヴィオニスがかき集めた書類を破り捨てそうになったのは、権力のある大人たちしかその一つ一つを知らないからだ。
小さな事だからと重要視しないクセに、積み重ねるそれに「少女は有能だ」と判を押し、荷を背負わせる。いや、宣伝しろよ。しまくれよ。
結果、若い世代には彼女のあたたかい仕事はちっとも届かず、少女にはろくでもない声ばかりが集まるのだから。頭が悪いのか大人は。
或いは、王子の悪評に対し、婚約者の評判が良すぎてしまう事を懸念したのかもしれない。実際、調べてみれば王子の功績とされているものは全て、少女が関わっていた。怪しいにも程がある。
取り繕うとこがちげーだろ王家マジでクソ。
そんな風に吐き捨てたリヴィオニスは、隙あらば彼女の「一つ一つ」を野郎共に説いて回った。
気分は宣教師だ。リリーナ教から改宗させてまわるリヴィオニスの活動は、学校を卒業しても変わらない。
つくった覚えのないファンクラブの会長は、そうして16歳になった。
のし上がり続けて王太子に近づけば近づくだけ、聞きたくもない話を聞き、夜会で一人ぽつんと微笑む少女を目にし、飛び出しそうになる己を、リヴィオニスは必死にこらえた。
いつからか、しっかり纏められるようになった若葉色の髪も、キャラメルみたいに甘そうな瞳も、紅をひかれるようになった大人の顔をした唇も、ぜんぶぜんぶリヴィオニスは可愛くて仕方なかったけれど。いやもうマジでほんとに超かわいくて警護の仕事を放り出したかったけれど、それでもこらえた。
こらえ続けた。
それで、今。
リヴィオニスの腕の中には、夢にまで見た少女がいる。
その髪の手触りを、本当の笑顔を、あの時堪えていた涙が零れていく様子を、少女が何も我慢しない世界を、夢見て祈って想像して、勝手に一緒に戦っていたリヴィオニスの腕の中で、少女はリヴィオニスを見上げている。
城でのパーティーの最中、王太子が姿を消すのはわりといつもの事だった。
それがまかり通るってのはどうかと思うが、それがこの国なのだから仕方がない。わーい今日もこの国はアホらしい。噂では第二王子を推す派閥が反逆を企んでいるのだとか。
リヴィオニスは、ぜひとも頑張っていただきたいと「こっそり支援」をすべきか否か。父がどう考えているのか探ろうかと、悩んでいる。
あのアホクソ王太子が継承権を剥奪されるのは色んな意味で大歓迎だが、これまで必死に生きてきた少女の努力が無駄になるのはいただけない。即決即断が売りのリヴィオニスとはいえ、こればかりは慎重にならざるを得なかった。
直接どうしたい?って聞ければいいんだけどなーって、それが出来たらとっくに声を掛けている。気高い少女にほんの僅かでも傷をつけてはならない。世間に疑われずに話し掛けるには…は!女装でもするか!と、わりと真面目に考えながら警護に当たっていたリヴィオニスは、アホバカ王太子を探していた。
というのは名目である。にやり。
王太子が美女と評判のリリーナを伴い会場から姿を消したころ、リリーナの異母姉である少女も同じくして会場を出ていた。
少女が一人で酒が振舞われる夜を歩くなんて、断じて許さん。
王子を探そう、と元気よく同僚に声を掛け、リヴィオニスは少女を探していた。王子は大丈夫。どうせどっかで励んでるよ。何をとは言わんがね。なんて走る中、響き渡った悲鳴に、心臓が口から飛び出して三回転捻りを決めて着地した後ダッシュで駈け出さんばかりに驚いた、リヴィオニスの気持ちがわかるだろうか。生きた心地がしなかった。
冷たい廊下にうずくまって震えている姿を見たときなんて、捕まえた心臓がシャバじゃあー!と再び全力ダッシュを決めそうになったもんである。
震える少女の身体を抱き起こしたいのを堪えた、リヴィオニスのファンクラブ会長の名に相応しい紳士的な振る舞いを、会員たちは褒め称えるに違いない。
まーそんな紳士的なリヴィオニスも、そこまでだったけど。
あくまで紳士「的」なだけで、リヴィオニスは紳士じゃない。なんてったって本性は野蛮人だ。
「でん、か、が、っあ、は、」
ふるふると涙が溜まる、キャラメルみたいに優しい、傷つけられ慣れた瞳に見上げられたらもう、駄目だった。もう、なんもかんも、ふっとんだ。
少女の覚悟を汚さないようにと、決して邪魔をしないようにと、遠くから見守る騎士でいようと決めた、そんなうわっつらは、一瞬で仕事を放棄した。はいはい悪いねお客さんもう閉店だよ。また来てね。え?開店はいつかって?
そんなもん知るか。
「ソフィーリア様」
リヴィオニスは、ついに宝物のような名前を呼んだ。
口にすることすら躊躇われた、いっとう大事な名を、呼んだ。
「は」
驚いたように、まんまるの瞳が自分を見上げる。
あの日の、昨日のことのように思い出せるあの日の小さな女の子そのままの瞳に、リヴィオニスは目を細めた。ああ待ってやばい大変、泣きそう。
「落ち着いてください。身体をこちらに倒して、ゆっくり、ゆっくり息をして。僕の声に合わせて、吸って、吐いて、そう、お上手です」
過呼吸を起こしている身体を、なるだけ優しく倒す。若葉色の髪を丁寧に撫でて、呼吸を促すリヴィオニスは、部屋の向こうにいる半裸のアホバカクソ王太子とリリーナに気づいた。それで、ああ、と理解した。
少女は、ソフィーリアは、あの排泄物みたいな王太子に、ようやく。ようやく、見切りをつけてくれたのだ!
賢く強いソフィーリアがこんなに取り乱しているのは、事を大きくしてやろうという算段だろう。ファンクラブ会長の目を侮るなかれ。いつものソフィーリアならば見なかった事にしてやるか、自身の動揺を悟られないようにするはずだ。
でも。傷ついて傷ついて、忍耐力が擦り切れるくらいに傷付いたのも、本当なんだろう。
ファンクラブ会長の目を欺けるとお思いか。
とん、とん、と全神経全筋力を総動員して、可能な限り優しく背中を叩きながら、リヴィオニスは周囲を観察する。あっはっは地獄絵図。
バタバタと駆け付けてきた同僚その1とその2は、幸いファンクラブ会員である。
リヴィオニスの腕の中で震えるソフィーリアにすぐに気づき、二人はこくりと頷いた。そして、リヴィオニスの方に人が近寄らないようにと、少し離れた場所に並んで気をつけをする。
するとすぐに、壁役となった二人を避けるように、騎士、兵士、宰相、大臣、ロータス家当主、奥方が現れ、あ、ついに陛下まで来おった。
びっくりして見上げると、同僚その1とその2がバッチンとウィンクをした。きっも。じゃない、これはアレか。ファンクラブ会員たちが集めたんだろな。
リヴィオニスならそうさな。騎士や兵士には「王太子殿下の一大事だ!」と人手を集めさせて、重鎮共には「王太子殿下が、その…我々ではですね…」とやらかせを匂わせて、ロータス家には「リリーナ嬢が大変です!」と伝える。
びっみょーに違う情報をそれぞれに伝えて、あとは力業で誘導。最近導入された、一瞬で情報を伝達できる機材をフル活用したチームプレイは、教官のご指導の賜物である。
さすがは「次期王太子妃過激派ファンクラブ」会員たち。やることが過激だ。仕方がない。会長の家風だもの。
やるなら迅速に。徹底的に。
だから大丈夫だよ、とリヴィオニスは青い宝石が光る耳に囁いた。
泣いていい。たくさん泣いてほしい。
本当はいつだって、ずっと、好きな時に泣いてよかったし泣くべきだったのに。きっとリヴィオニスが恋を捧げたお姫様は、一度も泣いていないに違いないから。
「誰も見ていません。我慢なさらないでください」
恐る恐る、といったようにソフィーリアは顔を上げた。
大きく見開いた眼から、ぼろ、とまた涙が落ちる。ソフィーリアの決意の欠片が、ぼろぼろと、ぼろぼろと溢れ落ちた。
なんて、きれいでかなしくて、切り付けられるように痛い泣き方をするんだろう。
この小さな女の子を、どうして一人にできるだろうか。
世界を呪いたいのに、それでもソフィーリアが生きてくれている世界を憎めなくて、リヴィオニスは笑った。きっと、さぞ不細工な顔だったろう。
美貌の騎士と呼ばれて久しい自慢の顔面は、ちっとも役に立ちゃしない、みっともない顔だろう。
なんにも持たない、ちっぽけな騎士。爵位も王位も無い、ただの野蛮人。
だけど、絶対、ソフィーリアを一番知っているのは、リヴィオニスだ。
「貴女は誰よりも頑張ってこられました」
ずっと見ていたから。ずっと、焦がれていたから。
涙より血を流すような、そんな生き方をしてきたソフィーリアを、リヴィオニスは知っている。
「もう、休みましょう」
「なぜ…」
なぜ、と問われて素直にストーキングをしていましたともファンクラブ会長ですとも、お慕いしています、とも。言えなくて。
はく、と頼りなく口を開けるソフィーリアの涙を、リヴィオニスはそっと親指で拭った。
迷子のような頼りないソフィーリアは、リヴィオニスをどうしようもない気持ちにさせる。
過激派だけど、ソフィーリアを傷つけないただ一つのものだと誓えるから。どうか安心してほしい。どうか。祈るように、リヴィオニスは笑った。
湧き出でる、枯れることを知らない想いが、少しでも届けばいい。少しでもソフィーリアの心をそそいでくれたらいい。
そう思って涙を拭った白い手袋を、握られて、それで、ふるりと震える瞳に、唇に、あ。あ。あ。ああ!
リヴィオニスは叫び出しそうになった。
言って。
言ってほしい。その一言を。その、たった一言を、ずっとずうっとリヴィオニスは待っていた。言ってくれれば、何を置いても駆け付けた。何を捨ててでも叶えてみせた。何だってできる。何でもする。
だから、
「有難うございます、リヴィオニス様」
は。
は。はは、そうだ。そうだよな、貴女はそういうひとだ。
知ってる。知っているとも。ソフィーリアが、リヴィオニスの心がどれほどに期待に震えているかなんて、ちいっとも知らない事を、リヴィオニスはようく知っている。
どんなに傷ついてボロボロになっても、一人で立ち上がるひとだって、リヴィオニスは笑いたいくらい知っている。
そんな顔で見てくるのに、絶対にそれを口にしないんだって、リヴィオニスは誰よりも誰よりも知っている。
だってそんなソフィーリアのうつくしさに、リヴィオニスは恋をしたのだ。
だから、もう、いい。もういい。聞こえた。リヴィオニスはちゃんと聞いた。ねえ、言った。言ったでしょ。言ったよね?そんな、見てる方がめちゃくちゃになる顔と声を知らん顔できる奴は男じゃない。リヴィオニスじゃない。空耳?それならそれでいい。ソフィーリアが言うなら、リヴィオニスは黒を白と呼ぶし猫を犬と呼ぶしネズミをライオンと呼んでみせる。どんな馬鹿野郎にだって膝ついて臣従してやる。
ここで生きてくと言うのなら、最後まで騎士として守ってみせるから。
思いあがった馬鹿ですみませんって土下座でもなんでもするから。
だから、軽く引いただけで、腕の中に戻って来る小さな身体を、リヴィオニスはぎゅうと抱きしめた。
「僕と逃げましょう」
この世でただひとり、貴女の『助けて』を聞き逃さない男でいさせて。
ちなみにリヴィオニスが、名前知ってくれてたんだ?!と気付いて感動に打ち震えたのは、次の日の朝になってからだった。はは。ガラにもなく緊張していたらしいよ。リヴィオニス君。
あともう1回続きます。