21.森のピクニック
白い熊が、のっそりと歩く。
赤く濡れた足を引き摺りながら、時折木々を倒す姿は痛々しく、凶暴だ。この地に生息するモンスターとよく似た姿の熊は、けれど不思議な魔力の流れがあった。
大きな力だ。
神や精霊だからこその、清廉な、大きな力。
それは自分たちの手にあるべきだと思っているのか、自分たちこそが力の主に相応しいと思っているのか。
白いローブを着た、金髪の男がじわりと、熊の背後を取った。
男の、光に透ける金色は実に美しい。白い木々の中で、きらきらと光る金色、そしてメラメラと燃えるような金の瞳は、魔法使いの国の魔導士にとても多い特徴だ。
男の目には、今、熊しか見えていないに違いない。
巨大な力を手にできると欲望に滾り、自分ならば使いこなせると驕り、そして雪辱を果たそうと復讐心で満ちている。
ああなるほど。ろくなもんじゃない。
こういう手合いが、一番面倒で厄介だ。言葉が通じんからな。
きっと常人と違う言語を扱うだろう男は、光を放ち、杖を出した。
詠唱と同じく、魔力を底上げし、魔法を安定して使うための重要なアイテムだ。まあ、世の中には杖を使わずとも魔法を使える者もいるが、残念ながら男はそうではないらしい。
いや、べつに。べつに、それが悪いってんじゃない。便利な道具は、いくらでも使えばいい。使わないのが格好良いなんて、それこそ格好悪いだろう。結果が同じなら、方法は最も簡単で早いものを選ぶべきだ。戦いで魔法を使うなら、尚の事。
ただ、その程度の魔導士が、熊に喧嘩を売っている事が、勝てると思っている事が、滑稽なだけだ。さっさとおうちへお帰んな、と現実を思い知らせてさしあげなければ。
ざわ、と魔導力がざわつく。
『深淵の死者の咆哮、凍てつく吐息、』
詠唱が始まった。
さすがに素人ではない。まずは自分の周囲に防御壁を展開し、その後、次の魔法の術式を描く高等魔法だ。とは言え、防御壁をつくる必要が無い高威力ゼロ発射な魔女を知っていれば、へぇさすが、なんて程度のもんだがな。高等魔法を巧みに使いこなせるからこその哀れなお頭だというのならば、いっそ不幸なのではなかろうか。あーあ、そんな才能が無けりゃあ、勘違いすることも無かったろうにねぇ。ってね。
肌をビリビリと、小さく、いくつも切り裂くような魔力が膨れ上がる。
ううん、なかなかの威力らしい。あーあー、そんな才能が無けりゃあ、以下同文。
世界はやっぱりままならん。
『アディティカルブレイド!』
ど、と魔力が放たれた。
青く光る魔導力の塊が、熊の体を容易く吹っ飛ばしてしまう。
折れた木の上で、ぐったりと血に濡れる姿は、魔法の威力を物語っている。
魔法によって負った傷や折れた木々で、血を流す熊は、けれども、ぐらりと身体を揺らしながら立ち上がった。
青い目が、男を射抜く。
びくりと身体を揺らした男は、それでも勝利を確信したように、にやりと笑った。
ご自慢の魔法が熊に効いたと見て、さぞご満悦だろうな。
何せ、男は前回、熊の足に怪我を負わせた程度で、返り討ちにあっている。数百年ぶりに人に襲われた熊は、怒りに我を忘れ、魔力を濁らせ、巨大化した。男は分が悪いと一目散に逃げた、というわけだ。
今度こそは逃がさんと、男が笑う。
「あの男に、目に物を見せてやる」
くは、と堪えきれないように笑った男は、次の詠唱を始めた。
幾重にも展開される防御壁が、その魔法がそれなりに時間のかかる、大掛かりなものであることを示している。
今のうちにすたこらさっさと逃げればいい、というには傷を負いすぎた。熊は、前足を振りかぶるが、防御壁にはじかれて、再び地に伏した。
男はそれに気を良くして、笑いをこらえきれないとばかりに、口角を上げ、詠唱を続けた。
そして、巨大な魔方陣が、熊の前に現れる。
淡く光る魔法陣は灰色で、不気味に空気を震わせている。ぐったりと地に横たわる熊は、その場から逃れようとして、けれど身体が動かず、
「ぐああああああああああああああああ」
大きな悲鳴が響いた。
思わず、耳を塞ぐ程の轟音は、けれど男の思惑通りに動いているということだ。
男は、笑みが止まらない。
取り出した、魔法石。ガラス玉のように向こうが透けて見える魔法石に、この大きな力が入るのだと!神の力が手に入るのだと!男は詠唱を結ぼうとして、
「は」
男の身体は、おもしろいくらいに吹っ飛んだ。
騎士団の演習を見学したこともあるソフィは、これっくらいじゃ動じない。ふっとぶ男を見送って、ふんと鼻を鳴らしてやった。
「残念ですが、幻影です。本物は、傷1つ負っていませんよ」
ルネッタが指を振ると、うっすらと赤い光が弾けるように散って、不機嫌そうに耳をぴるぴると揺らすアズウェロが姿を現す。ふすふすと、鼻息を吹かすアズウェロは、ぶんと前足を振った。
「私がお前程度の魔法に参るものか!」
「魔力や魔導力の流れまで騙せたのは、アズウェロの協力があってこそでした。有難うございます」
ぺこ、とルネッタが頭を下げると、アズウェロは「う、うむ」と、こしこしと顔を前足で擦った。礼を言われて照れてるんだろうか。可愛いとこがある神様だな。
吹っ飛んだ男は、よろよろと立ち上がり、金色の目に忌々しそうなくらい火を昇らせた。
「く、国殺しっ…!」
くにごろし。
国殺し、と言ったのだろうか。何の話だと、ソフィはルネッタの方を見ようとして、その瞬間再び男が吹っ飛んだ。向こうへ吹っ飛んで行った体が、今度はこちらの方へ飛んできた。お帰りなさい。ってか。
「誰が勝手に喋っていいつったよ。あ?立場をわきまえろ。現行犯だってわかってんのかよ」
すたすたとこちらへ歩いてきたヴァイスは、びくびくと手足を震わせながら立ち上がろうとする体を踏みつけた。う、と呻く男の声に「うるせぇ」と返す極悪っぷりだ。
ちなみに最初に男を向こうに吹っ飛ばしたのはリヴィオで、向こうからこちらへ吹っ飛ばしたのはヴァイスである。嫌すぎるキャッチボールだった。
革のブーツにぎしりと踏みつけられた男は、その足を見上げ、不機嫌極まりないヴァイスの顔を見て、悲鳴を上げた。
「な、なぜ、貴様がっここにっ、お前は、街道にいるはずじゃ……!」
「ああ、やっぱり俺が狙いか」
わかりやすいねぇ、とヴァイスは、ぎりぎりと白いローブの男を踏みつける。男は呻き、土で汚れた白いローブで、手足をバタバタと動かした。
「う、うるさいっ、貴様なんぞ、我が国の敵ではないわっ!」
「あぁ?なんだ。やっぱり王の差し金か?あーあー、くっだらねぇなあ。暇か。暇なんだろうなあ、お前ら」
はは、と笑いながら、ヴァイスはぎりぎりぎりぎりと、白いローブの背中を踏みつけた。
う、とかあ、とか呻く声に、「うるせえ」と返す徹底した鬼畜っぷり。いやあ、さすがは一国の王さまである。リッパだね。
「くそっ、くそっ、俺が!俺が何をしたって言うんだ!」
「あの魔法陣は、対象物の魔導力を書き換えるものでしょう。自分の魔力で汚染し、魔法石に閉じ込める。そういう術式だったはずです」
淡々と話すルネッタに、男は燃えるような瞳でルネッタを見上げた。
「黙れ!黙れ!!お前ごときに何がわかる!」
「わかりますよ。私は魔女ですから」
「魔女!何が魔女だ!!」
は、と笑う顔は、ルネッタを見下し、傷つけてやろうという悪意にまみれている。
到底、自国の王女を見る目とは思えない。口の利き方ひとつとっても、ふざけている。
「お前は災厄!お前は汚点!お前は呪いだ!!!」
その言葉が、全てだろう。
ルネッタのことを人とも、人の子とも、ましてや王女などと思ってはおらん。
ろくでもない感情を正面からぶつけられ、それでもルネッタは表情を変えずに、首を傾げた。
横で聞いてるソフィの方が、泣きたくて怒鳴りつけたい衝動でいっぱいになって、ぎゅうと両手を握った。が、まあ。心配しなくとも、どしん、と思いきりヴァイスが背中を踏みつけなおしてくれたので大丈夫。
ぐりぐりと力を入れる足には、感情がこもっていて大変良い。
「私たちは厄災で汚点で呪い。結構ですよ。そうでしょうね。それで、だからなんですか。へーかを巻き込む理由がどこにあるんですか」
「は、」
これだけ踏みつけられても、鼻で笑う元気があるのだから、かの国の魔導士の根性とは凄いなと、ソフィは場違いにも感心してしまった。折れろよ心。
「我が国に喧嘩を売ったのは、この男だ。この男さえいなければ!お前なんかが思い上がることもっ」
ぶべ!と珍妙な悲鳴を上げて、男は転がった。ヴァイスが蹴り上げたのだ。
見事に回転して、べしゃりとまた地面に転がった男の身体は、アズウェロがふんぬと踏みつぶして止めた。ナイス連携プレーである。
「これは生かしておくのか?」
「まだ使い道がある」
そうか、と頷いたアズウェロは、よいせとその体の上に2本の前足を乗せ、その上に顔を乗っけた。おすわり。うがああああ、と男の嫌な悲鳴が響くが、誰も気にもとめない。
数日前のソフィーリアちゃんであれば、顔色の一つでも変わったろうが、ここにいるのはルネッタへの暴言を許せない、ただの人のソフィだ。
白いローブを汚した男よりも、男の言葉にルネッタの心が傷ついていやしないかと、そればかりが気になったソフィは、ルネッタの顔をちらりと伺った。
変わらぬ無表情は、ぱちりと瞬きをし、踏みつけられる男の前へ進み出た。
「仲間は何人ですか」
「いっ、言うかっ!」
「他の仲間はどこですか」
「…死んだとしても、言わん!」
へえ、と不気味に笑ったのは勿論、ヴァイスだ。
「恐れいったね。まだ自分が優位だと思っているのか。その根性だけは褒めてやってもいいが、魔法使いさんは、よほど戦争を知らぬと見える。いいか、戦況を見誤ったものから、死ぬ。何もなくても死ぬ。銃を向けただけで、善人も悪人も死ぬ。それが戦争だ」
ご存じなかったか?とヴァイスは笑った。はは、と心底おかしいと、それは、純度の高い怒りだ。彼が足蹴にした男は、彼の国を嗤った。
この世の全てを手中に収めた気でおられる魔導士様は、なーんもわかっておらんのだろうな。いいな。頭が軽そうで。ピクニックに行くにも旅行に行くにも、身軽でよろしかろう。それこそ、戦争でもな。身軽なのは良い事だ。そうだろ?
「戦争などと、簒奪王は言う事が違うな」
「何を言う」
まあ、その最終地点がどこなのか。そんなのはソフィの知るところではないが。
「国に国が喧嘩売ってんだから戦争だろうがよ」
仕事が忙しく、明日も更新が遅れそうです…。
可能な限り頑張りますので、宜しくお願い致します…!!





