20.さあ、拳を拝借!
ソフィが、消えた小さな背中と赤い尻尾を見送ると、ふむとアズウェロが短い手をもふっと動かした。これは、多分、腕を組んでいる。組めていないけど。可愛いじゃないか。
「たしか、魔法使いの国の魔導士は、金髪に金目ばかりだったと記憶しているが、今もそうで、あの魔女は繋がりがあるという事か?」
ソフィは、アズウェロの言葉に、膝に置いた手を握った。
だって、ルネッタの髪は、瞳は、とても美しい黒だ。艶々と光を弾くその黒が、魔法を使うときには赤く輝く。ソフィは、見る者の目を奪うようなその色彩を見るのがとても好きだ。
そして、そう。
そんな黒と赤の魔女は、金髪と金目ばかりの国の王女様だ。
外交を殆どしない国なので、ソフィは王家の人間を見た事が無い。が、金髪と金目の美しいお姫様の話は、それはもう有名だ。曰く、天の使いかと見紛う美しさなんだって。ふーんあっそ。そんなん、でもリヴィオには及ばないんでしょ、と今ならソフィちゃんは思ったりするわけだけどね。
夜会でルネッタの姿を見た者が、本人に聞かせたくないような言葉を吐くほどに、ルネッタの姉君はそれはそれは麗しいんだとか。うるっせーわボケ!と怒鳴り散らかしてやりたくなる、くだらない言葉たちは、ソフィーリアにも覚えがある。妹は可愛いのにねえ。なんて。改めて人から言われなくたって知ってるっつうのな。わかりきったことを教えてくださってどうも!
ルネッタの生まれについて、本格的に胸糞悪い気配を感じたソフィは、ヴァイスを伺う。ヴァイスは、ふん、と鼻で笑った。
「繋がりどころか、ルネッタはあの国の第二王女だ」
「…なるほど。私が最後にあの国の人間と話したのは、100年程前だったと思うが、この世で自分たちが一番偉いと思っているような、恥知らずな人間だった。今もそうか?」
「俺は人様の事をどうこう言えるような立派な人間じゃねぇが、」
言葉を切ったヴァイスは、バキ、と手元で音を立てた。
なんだろう、とその長い指を見て、ソフィは硬直した。ヴァイスの持っていた、陶器のティーカップが、砕けている。
「俺はあの国の連中が嫌いだね」
冷たく、低い、その声に滲むのは。
恐らく、怒り。
凍てつくようなその声に、ソフィの心臓がひゅうと音を立てた。
息すらままならんような、そんな張り詰めた怒気の中で、「あーあ」とのんびりした声が割り入る。リヴィオがのんびりとのんびりと続けた。
「熱くないんですか」
「…熱いし痛ぇな」
ふーん、とリヴィオが手拭いを投げると、ヴァイスは溜息をついてそれを受け取った。
「安心してください、聞きませんよ」
「聞かれてもペラペラ喋んねぇよ」
そうですか、と気安い会話には、もうプレッシャーは無い。ソフィがほっと息を吐くと、隣から手を握られた。大きくて、温かくて、ごつごつした、硬い掌。
ちら、とリヴィオの顔を見ると、にこ、と優しい綺麗な笑顔。は? 好き。
今度はぎゅううううううと心臓を握り潰さんばかりに鷲掴みにされた心地のソフィである。
し、心臓が!と一人で静かに大騒ぎのソフィの前にちょん、と立っているアズウェロは、手を拭くヴァイスを見上げた。
ちなみにティーカップを砕いたわりにヴァイスの手は元気そうだ。血の一滴も無い。さすが。
「恐らく、ぬしと私が考える絵図は、同じだろうな」
「神様と一緒ってのは、心強ぇな」
ハッ、と皮肉気に笑う顔は、ひどく不機嫌そうだ。
その「絵図」とやらは、よほど酷いものなんだろう。決して見たくはなかったルネッタの表情を思い出して、ソフィのピンク色だった脳内の温度が一気に下がった。
できればルネッタのいろんな顔が見たい。いろんな感情に彩られる表情を見たい。でも、それはあんな顔じゃなかった。見たいのは、にっこり満面の笑顔とか、ヴァイスの隣で頬を染める姿であって、辛い悲しい、そんな顔じゃないんだ。誰だあんな顔させた奴出てこい。
「…ルネッタが、あんな顔をするなんて…」
ソフィが呟くと、ヴァイスは「そうだな」と顔を上げた。ぱ、と上げられた顔には、いつも通りの眉間の皺。
「あいつが、感情をわかりやすく表情に出すのは珍しい。そういうもんを出せるようになった、ってのは良い事なんだろうな」
ふ、と息を吐くように笑う顔は、好意的に見ても、まあ、怖い。何をしてもガラ悪いんだこの男。
なのに、なんでだろうな。その声音も、表情も、優しく思えるのだから不思議だ。他人のために怒れて、他人のために心を砕けるヴァイスが、ルネッタの側に在ることが、ソフィは嬉しい。
だって、ソフィはそれが、どれほど幸福な事か知っているんだから。
きっと、ルネッタもその喜びを知っているからこそ、小さな身体は今、凍えているのだ。やっぱり追いかければ良かっただろうか。
「では、良い方に考えましょう」
ソフィが下を向くと、明るいリヴィオの声が、するりと耳を撫でた。
リヴィオは、ソフィの手をぎゅっと握る。
やさしい。そうだ、リヴィオは、出会ってからずっと優しい。いつも優しくて、明るくて、そっと寄り添ってくれるから。だからソフィも、誰かに、ルネッタに優しくしたくなったんだろう。自分にそんな心があるなんて、まあ驚き。まるで人間みたいだ、とソフィは、リヴィオの石像のように整った横顔を見上げた。
「正体不明の変態は、神に喧嘩を売る魔法使いの国の魔導士らしい、という事がわかりました。ヴァイス様も、アズウェロも、何を企んでいるのか予想がつく、と。相手が何かわからない状況より、マシになったわけです」
良く通る声が、スパスパと空気を切り裂く。リヴィオは、まるで自身が操る大剣のように場の空気を変えた。ヴァイスが、ふうと息を吐く。
「…………まあな。あの町でモンスターを放ったのは、実験ってとこだろうな。遭遇したのはたまたまだろうが、運が良いと見るべきか?」
は、と笑うヴァイスに、リヴィオは「ええ」と頷いた。
「ご様子から見るに、その企みには、ヴァイス様とルネッタ様と良くない関りがあるわけですね? では、やることは一つでしょう」
「………そうだな」
ヴァイスは、笑いながらリヴィオの声に頷いた。どうやらこの二人、好戦的なようだ。やあね、暴力的なのって。
でも。ま。
「やられる前に、やる」
「ルネッタをにっこりさせましょう!」
こう見えて、ソフィも好戦的なので問題は無い。舐めてもらっちゃ困る。
そりゃあ、戦場でバリバリご活躍なされる方の殺気なんて浴びたこた無いので、無様な姿を晒してリヴィオを心配させちゃいるが。ソフィは王太子の婚約者だった女だ。伊達に口さがない連中や、王城の捻じくれた大人たちを相手にしてきてはいない。
陰口くらい好きにすりゃあいいが、目に余る行動をする者には容赦をするなと教育を受けてきたレディが、ただの大人しい少女だと思うなよ。
ふんぬとソフィが両手を握りガッツポーズをつくると、瞬きしたヴァイスは、ぶは、と笑った。
「そうだな、その意気で頼むよ」
笑われるようなことを言っただろうか、とソフィは首を傾げて、はっとした。
リヴィオと繋いだまんまの右手も掲げてしまっている。
二人揃って真っ赤になるソフィとリヴィオに、ヴァイスは肩を揺らして笑った。
食後のお茶をいただいている頃。戻ってこないルネッタを放っておくのもそろそろ限界で、ソフィはヴァイスをちらりと見上げた。行ってもいい?と伺うソフィの視線に気づいたヴァイスは、こくりと頷いた。
「そうだな。そろそろ、声を掛けてやってくれ」
その言葉に、ソフィはすっくと立ちあがった。その言葉を待っていた!
ソフィとルネッタとの間にある距離は、まだ、よくわからない。出会って3日そこらなんだから、簡単に全部を分かり合おうってのは、無理がある。そらそうだ。
そもそもソフィには、友人と言える人もいない。どうやって距離を詰めればいいのか、の前に、距離を詰めていいのかすらわからないんだ。暗中模索。もう探しまくりの真っ暗闇だ。
でも、ルネッタに元気になってほしい。それだけは、揺るぎない、確固たる思いだ。
眠れなくたって構わない。いくらだって歩ける。なんてったって、ソフィは馬に乗れないからな。何時間でも、何日でも、ルネッタの魔法談義を聞きたい。だから、また、あのキラキラした瞳を見せてほしい。
祈るように足を進めたソフィは、すぐにその小さな後ろ姿を見つけた。
長い黒髪を地面に流して、背中を丸めたルネッタの側に立つヴァイスの愛馬カタフは、ソフィに気づくと顔を上げた。赤い毛並みが美しい馬は、ゆったりと尾を揺らす。
ソフィは、ふ、と一つ息を吐いて、ルネッタの隣に腰を下ろした。
「…へーか、怒ってませんか」
「何に対して?」
「私、スープひっくり返しちゃいました」
何それ。
ソフィは笑おうとして、うまく笑えなかった。
スープを零したからなんだ。そんな、まるで、そんなことでひどく怒られた事があるように、膝を抱えないでほしい。そんな暗くて物々しい過去は、川に流して魚の餌にでもしておしまいよ。ああ、でもそんなまっずそうなもん、魚も遠慮したいよなあ、なあんて。
笑おうとして、ソフィは笑えなかった。
「…辛かった日や、悲しい日って、どうしても、嬉しい日よりも記憶に残るものなんですって」
ソフィは、それが本当かどうか知らんが。ストレスがかかる苦しい時間は、生命の危機として記憶されるんだと、なんかの本で読んだ。身体を生かすために、生き延びることができるように、備えとして保存される。そんで、落ち込んだ時とか、ちょっとした時にその恐怖やストレスを思い出して、身体に逃げろ!と告げるんだって。うーん、有難いんだか、余計なお世話なんだか。わからんな。と思ったことを、よく覚えている。
「だから、身体が思い出しちゃうのも、落ち込んじゃうのも、仕方ないんですよ。生きてるんですから」
「……ソフィも?」
頼りなく、か細い声が問うのに、ソフィはくしゃりと笑った。
やっぱりうまく笑えないソフィを、この少女はどんな風に見ているんだろうな。
夜会のあの日、王城には美しいと評判の義母も義妹も、ソフィーリアに微塵も興味がない父も王太子もいた。白粉と同じように、ぶあっつい体面で覆われた、うっすーい笑みを浮かべるソフィーリアは、ルネッタにどんなふうに見えていたんだろうな。
「はい。だから、逃げたかったら逃げていいんですよ。わたくしは、逃げてきましたよ」
二度と戻りたいと思えない、あの場所にいたソフィーリアは、ほとんど死んでいたようなものだ。逃げ出してきた今、初めてソフィは好きに息をしている。
役割だからと諦めて、あの場所に必死にしがみついていたソフィーリアを、けれど「優しくしてもらった」と、少女は婚約者に語ったのだという。そんなルネッタの心を、ソフィは尊く思う。
「…私も」
ルネッタは、立てた膝の上で伏せていた顔を上げた。
「私も、逃げてきたんです。へーかが、いたから、私は、外に出たんです」
ルネッタの黒い瞳は、水面を見ているようで、何も見ていない。反射する光も、泳ぐ小魚も、何も映していない瞳で、淡々と言う。感情の無い声に滲む痛みに、ソフィの胸が苦しくなった。
「…じゃあ、わたくしたち、おんなじね」
「…おんなじ」
ええ、と笑うソフィの方が、きっとひどい顔をしている。今辛いのも悲しいのもルネッタなのに、勝手に落ち込む自分が、ソフィは嫌だ。リヴィオのように、強くありたいと、右手を握った。
「嫌なことも、辛い事も、苦しい事も、逃げて、今わたくし幸せなんです。ルネッタは?」
「私……私、」
ルネッタは、目を閉じた。
細い睫毛がふるりと震えて、髪を風が揺らす。小さな唇は、ほ、と息を吐いた。
「私も、楽しいんだと、思います」
ゆっくりと、ルネッタの瞳が開かれる。水面を反射する、黒い瞳だ。
魔法の事になると喋り倒す、一生懸命で楽しそうな魔女の瞳は、ぱちん、と瞬きをした。
「知らない事ばかりで、いろんな事を試せて、へーかはうるさくて、」
だから、とルネッタは立ち上がった。
ふわりと、黒い髪と黒いワンピースがひらりと舞う。頭から足の先まで真っ黒の魔女は、いつものように無表情にくるりと艶めく瞳を乗せて、ソフィを見下ろした。
「だから、叩き潰さなくちゃいけません」
あは、好戦的。
「いいですね!」
そうこうなくっちゃ!
んじゃあやっぱり、やるこた一つだな。
♪殴りに行こうぜ~!
お返事ができておりませんが、皆様たくさんの、あたたかいお言葉有難うございます!!!
大事に拝読いたしました。頑張れます!!!!
また、さっそく「#はじかね」で呟いてくださっている方がいると伺いました!嬉しい!有難うございます頑張ります!!!





