17.白けりゃ良いってもんじゃない
「まずは、防御魔法を展開してください。詠唱はせずに」
「…はい」
詠唱ってのは、魔法を使う上で重要な行為だ。
言葉自体に魔力が宿り、魔法の威力が底上げされるし、何より魔力をコントロールしやすくなる。従って、詠唱をしない魔導士はまずいない。しないよりやった方が良いなら、誰でもやるだろ。手間じゃなし。ま、時間のロスとかその間、無防備になってしまうとか欠点が無いわけじゃないが、まず魔法を安定して使うことが大事なわけで。結局、誰もが詠唱をする。
まあね。誰でも、に当てはまらない人がたまにいるんだけども、その当てはまらない人に当然のように無茶苦茶を言われ、それでもソフィは頷いた。
教えを乞う立場はまずはやってみるべき、というのがソフィの考えなので。相手の意図、仕組みを理解してから質問をする。提案なんてのはその先だ、とソフィは15年を生きてきた。
今この時こそ、異論を言いたくなったことは無いが。
異議あり!なあんてね。笑うもんか。
逆らっても始まらない。
ソフィは体内で魔力を練る。
「防御魔法を完結してはいけません。魔力を練って、探って、手繰って…そこで止めて。そう、目の前にいるモンスターの魔力、それを構成する魔導力、よく視て。欠けている、損傷している、千切れたような魔導力があるでしょう」
ルネッタの淡々とした言葉を頼りに、ソフィはひたすら集中する。
体中の血管が開いて濁流のように流れている気がした。は、と息が漏れ汗が落ちる。
身体がざわざわして、沸騰しそう。なのに、頭の中は静かだ。さしもの浮かれ脳みそ君もフル活動。ざわ、と歪な、ぼろぼろになった何かを、ソフィは知覚した。
「見つけましたね。それです。では、元の姿を観察してください。違いはなんですか?」
ぼろぼろで傷ついた、そう、千切れそうな何かの側には、必死にそれを繋ぎ止めようとする何かがある。元は一緒だったものだ。わかる。そうだこれらと、それらは一緒だった。手をつないで、一緒にこの大きな力を、身体を構成していた。丸くて、キラキラしていて、なんだか暖かくなるような、神聖さすら感じる、そうだこれが、この大きな彼をつくりあげる、魔導力。
「順調ですね。では、形を同じに戻しましょう」
「…ど、どうやって…?」
は、と息を吐きながらソフィが問うと、ルネッタの声はやっぱり淡々と言った。
「お好きなように」
嘘だろ。
必死に頑張る脳みそ君二代目が、ひっくり返った気がしたソフィである。ずっこおんって。
「ソフィ、魔法は想像。イメージです。貴女なら、傷ついてボロボロで千切れそうなものを、どうやって修繕しますか」
修繕。繕い物だろうか。困ったな、ソフィは刺繡が嫌いだ。あれは、やれと言われて小難しい図案を必死で刺した苦痛の時間だもの。ソフィの腕前といったら、先生が真っ青になって手で口を押さえるほど前衛的で。先生の口から何が生まれそうになったのか、ソフィは終ぞ知らんが、先生が顔色良く頷くためには人の何倍も時間をかけねばならんかった。
だもんで、治癒、癒し、回復、そういった言葉にはどうも結びつかん。ろくでもないものが混ざりそうで、ソフィは必死に考えをめぐらす。
傷ついて、ボロボロで、千切れそうで、立ち上がれない、どこにも行けない、それは、
それは、まるで自分では無いか。
ソフィは笑った。
なあんだ。それなら簡単だ。任せろ。ソフィは目を閉じた。
自分は我慢する必要なんてない。それに気づいたソフィーリアは、いつものように一人で立ち上がろうとした。
本当はもう、何処に行けばいいのかすらわからなかったけれど、どこかへ行きたくて、一人で立ち上がろうとした。
身体が重かったけれど、全部放り出した自分に何の価値があるのか怖かったけれど、一人で立ち上がったのだ。
だってそれが当たり前だと思ってた。
だって、世界はそういうものだった。
でもね、違うんだよ。一人が当たり前だなんて、思わなくていい。欲しいものは、欲しいって手を伸ばして良いんだよ。
それは光。それは歓び。それは祝福。それは、あは。そう、恋の色!
カ、とソフィの魔力が騒いだ。
わあああって、湧いて、跳ねて、踊って、飛び出して、目の前のボロボロの魔導力を、ぎゅうって抱きしめる。それで、キラキラの白い光の一部になるように、溶け合った。
そう、寂しかったのね。怖かったのね。いいよ、あげる。
ソフィは白いキラキラに頷いた。浮かれ脳みそ君がスタンディングオベーション。大丈夫よ、だってわたくしはそれをもう、たくさん持っているもの。
誰かを好きだって、思う心。誰かに、大切にしてもらえる心。
それは、ソフィがもう一度生まれた夜の光。
大きくひしゃげて穴が開いていたような場所は、綺麗さっぱり元通り。白い光に包まれている。
それを確認したソフィは、ふ、と目を開けた。
伸ばしていた両手が重い。のろのろと両手を下ろすと、赤く光らせていたルネッタの髪と目が元の黒い色に戻った。万一が無いように、周囲に防御魔法を張ってくれていたのだ。
ソフィの邪魔をしないように、ごく微量で。けれど、何かがあればすぐに膨れ上がるように。それがとんでもない離れ業なんだってことを、ソフィは身に染みて理解した。
「傷を治すだけで、こんなに大変なのに…そんな精細な操作ができるなんて……ルネッタは本当に凄いのね…」
ふう、と汗をぬぐいながら言うと、ルネッタは首を振った。
「他人の治療は、魔力が反発することもあるから難しいんですよ。ソフィ、上手でした」
「…ルネッタがいい先生だからだわ」
頑張った生徒はきちんと褒めてくれるんだから、なんて立派な先生だろう。ちと力業が過ぎるというか、無茶苦茶だがな。その分、達成感も大きい。
ソフィは、真っ白の毛並みの大きな足を見て笑った。こんなに良い気分になるのは、いつぶりだろうか。嬉しいなあ、とくふくふ笑うソフィの肩に、ぽん、と温かい手が触れる。
「お疲れ様です」
にこ、とソフィを見下ろす、世界で一番綺麗な顔。リヴィオがそうやって笑ってくれるなら、ソフィはなんだってできるのだ、と嬉しくなった。
「はい!」
「っか、」
力いっぱい笑い返すと、リヴィオが呻いた。
はて。首を傾げると、いえ何でも…と大剣をしまう。危険は無いのだろう。大きな白い身体を見上げると、足元がふらついた。
「座りましょう」
「はい…」
リヴィオに手を貸され、腰を下ろす。ルネッタがハンカチを渡してくれたので、礼を言って受け取った。すごいな、ハンカチも黒い。
ふうと再びその巨体を見上げると、『ぬし』と声が響いた。低くて、渋くて、落ち着いたダンディーな、とんでもない美声。
「えっ」
「え?」
驚いたソフィが声を上げると、リヴィオがソフィを見る。
「聞こえました?」
「…何をでしょう?」
ソフィが体を預けているので、大きな身体を曲げて顔を寄せるリヴィオが、近い。ご尊顔が、近い。ちっとも見慣れないソフィの脳内で、浮かれ脳みそ君がよっこいしょと腰を上げる。いい、いいからじっとしてろ。慌てたソフィが、側に膝をついているルネッタを見ると、ルネッタはこくりと頷いた。
「私にも聞こえませんが、恐らく、彼の声かと」
そして、ぐいと見上げる。
小さなルネッタの首が折れるんじゃないか、というくらいに見上げた白い巨体が、『その魔女は、勘が良いな』と笑った。空気がざわざわと震えるような、少し反響した声は楽しそうだ。
『礼を言う。おぬし、名はなんと申す』
さて、とソフィは考える。
こういう時、うかつに名乗ってはいけない。人であろうが人でなかろうが、個人情報は秘匿するに限る。
「わたくしたちは、あなたが何かもわかりません。失礼ですけれど、そのような方に名乗れませんわ」
モンスターでは無さそうだ、というのはソフィにもわかった。
キラキラと白く温かい、神々しさすら感じる魔導力は、何か高位の生き物だろう。ルネッタも、それに気づいている。ならば猶更、簡単に名乗るわけにはいかない。
名は魂だ。
誰よりも何よりも、自分の一番側にあり、自分自身を確定するモノ。力のあるものに明け渡すわけにはいかんと、ソフィが見上げると、それはくっくと笑った。
『阿呆ではないな』
失礼な奴だった。
『では、ぬしが名付けよ。ぬしの、こっ恥ずかしくなるような、微笑ましい、温かい魔力が気に入った。私の主に認めよう』
「は……?」
ぽかん、とその言葉にソフィが口を開ける。なんか失礼な事も言われた気がするぞ。
ルネッタは、黒い目をくるん、とさせてソフィに「なんて言ってますか」と問うた。
「わたくしを、主に、したいって」
「良いですね。名前はなんにしましょうか。毛玉?」
え、これ受け入れて大丈夫なやつ? ていうかセンスどこに捨ててきたんだ。ドブか。いっそその無表情が怖い。
『…その魔女の意見は聞くな』
「えーっと」
「ルネッタ様、本当に大丈夫なんですか?」
心配そうなリヴィオの声に、ルネッタはこくんと頷いた。
「さっきまでと違い、今はとても綺麗で澄んだ魔力が流れています。神気、とでも言えばいいんでしょうか。今まで実際に会ったことが無いので何とも言えませんが、精霊や神と言われるものに近いのではないでしょうか」
ルネッタがそう言うと、声は楽しそうに笑い、ぽん!と弾けるように光った。思わず目を閉じると、その一瞬の間に、大きな白い熊が4本足で立っている。ふっわふわで、もっふもふな、白い熊。見上げるほどのサイズではなくなったが、抹茶が頼りなく見えるような大きな熊は、再び、ぽん!と光る。
「!」
すると、次は真っ白の狼の姿になる。流れる毛並みが美しく、鋭い青い目が知性を湛えている。
ソフィが驚いて目を見開くと、それはまた、ぽん!と光り、今度は真っ白の大きな兎になった。赤いおめめの兎ちゃん、ならぬ青い目の兎さんだ。
『そこの魔女の言う通り、私は神の席にある者。光を司る、初めの神の縁ある者よ。どうだ、この姿の私は愛らしかろう?』
ふふん、と可愛い兎さんの姿で、しっぶい良い声で言われて、ソフィはあんぐりと口を上げてしまう。なんて言ったこの兎、今。神。神様だって。え、神様って実在するの。まあ、するんだろうな。だってご本人がそう言ってる。え、神様って人が主になれるの。うーん、まあ、なれるんだろうな。だってご本人がそう言ってる。下剋上? 下剋上なのか?
「熊さんがいいです」
『む』
ソフィの口から出てきた言葉は、どうでもいいものだった。自分でびっくりソフィちゃん。
「じゃなくて、えっと」
ぽん!と光って熊に姿を変えた白い神様は、うん?と首を傾げた。やだ、かわいい。もっふもふが首を傾げとんだ。可愛いぞ、これ。
「まあ、いっか」
「いいんですか」
いいんだ。だって、ルネッタが良いと言っとるし。ソフィは可愛いに弱い。自由に生きると決めたソフィは己の感性を大事にすることにした。だって背中を包む騎士はこの世で一番綺麗で可愛い。
「じゃあ名前は、牛乳とかどうですか?」
「えーっと」
ネーミングについては、お黙りいただければと思いますが。
人生初レビューをいただきました!!嬉しい!!!
はるさん、有難うございました。ご期待に添える事ができるよう頑張ります!!
また、なんて略せばいい?というご質問をいただいていたのですが、「始まりの鐘」から取って『はじかね』ということで、よろしくお願いします。
たくさん呟いていただけたら嬉しいです。





