14.栄光のスープロード
歌が聞こえた。
あたたかくて、やわらかくて、やさしい。そんな歌だ。
子守唄ってこんなんかな?って心がくすぐったくなるようなやつ。
もっと聞いていたくて、でも目を閉じたままでいるのも勿体なくて、ソフィはゆっくりと目を開けた。
ぼんやりとした頭に飛び込む、窓辺でまぶしい光を受けて佇む美しい人。
え? 天使?
パチパチと瞬きしても消えない嘘みたいに綺麗な人は、手元から顔を上げると、ソフィを見て微笑んだ。
「あ、起きましたか?」
目が潰れる!
光を背負う神々しい美しさに、ソフィは思わずぎゅっと目を閉じた。慣れぬ、この美貌。
いやしかし。これではリヴィオを無視する事になってしまうぞと気づいたソフィは、もう一度目を開け、そして体を起こした。
それにしても、やっぱり、もう少しだけ目を閉じておくべきだった。もっと聞いていたかったのに、実に残念だ。
ソフィはため息をこらえ、体にまとわりつくように揺れる、長い髪を耳にかけた。
「おはようございます…?」
「はい、おはようございます」
にこ、と笑う美貌に、眠りに落ちる前の事を思い出して、ソフィの体が羞恥で赤くなる。結局眠ってしまうとは、自分は意外に図太いらしい。
間抜けな寝顔を晒していた事を考えると今すぐにでもその窓から飛び出したいが、そんな奇行に走るのもまた勇気がいる。
リヴィオの気遣いを無駄にするような考えはやめよう、とソフィはベッドから降りた。
「食べませんか?朝から何も食べていないでしょう」
リヴィオが差し出したのはアップルパイだ。
王城で見るような、ふふん俺高いぜ一級品だぜ、とソフィを威圧してくるような佇まいのあれじゃなくて、いびつで大きな、家庭の味ですってウインクするアップルパイだ。
甘い物は好かん。でもこれは、なんだか食べてみたい。
ソフィはこくりと頷いて、ひとまず顔を洗おうと洗面台に移動した。
涎は…垂れておらんなヨシ。
部屋に戻ると、テーブルに置かれたアップルパイの隣に、ほこほこと湯気を上げるティーカップがある。驚いてリヴィオを見ると、どうぞ、と微笑まれた。いや、どうぞ、って。
ソフィの知る男性は、自らお茶を淹れたりしないし、ましてや女性の為にだなんて、城が突然まっぷたつに割れるくらいありえない。ありえないが服を着て微笑んどる。
「…昨日の朝も思ったのですが…お茶を淹れたり食事を作ったりできるなんて…リヴィオは凄いですね」
そう零すと、リヴィオはきょとん、とした後に笑った。
「褒めていただけるのは大変光栄ですけど、騎士団にはそういう男が多いと思いますよ? 自分のことは自分で、が当たり前ですから。給仕をしてくれるメイドも執事もいませんしね」
休憩室にあるお茶は、みんなが持ち寄ったものなのだけれど、誰が何を持って来たのかわからなくなり、何の茶葉か当てるのがちょっとしたコミュニケーションなんだとか。
ソフィは、大きな体をした騎士がティーカップ片手に首を捻る様子を想像して、笑ってしまった。
「茶葉によって蒸らし時間とか温度も違うでしょう?そもそもそういう繊細な事に向いてないってのもありますが、たまに酷い味に当たるんですよ。でも誰も整理しないし、気づいたらまた増えているから改善されないんですよねえ。馬鹿しかいないんですよ」
そう言って笑うリヴィオが淹れたお茶はとても美味しい。
昨日の、木漏れ日の中の遅い朝食を思い出して、ソフィの胸がじんわりと温まった。
リヴィオがゆったりと頬杖をつく。
「なんの茶葉でしょう?」
にやり、と笑うリヴィオは悪戯で可愛い。ソフィは笑った。
「ダージリン」
「正解です。さすが、ゲームになんねぇな」
くすくすと楽しそうに笑って、リヴィオはティーカップを持ち上げた。
ソフィは、フォークでパイを切り分ける。
一口大のそれを、ぱくりと口に運んだ瞬間、広がるシナモンと林檎の甘い香り!一流パティシエのつくる上品で可愛いスイーツには一度も感じたことがない喜びに、ソフィはもう感動した。
「美味しいです!」
「ここのおかみ、料理うまいですよね。僕、3個も食べちゃいました」
それは食べすぎでは。うーんでも可愛いからいっか。
それに、ついパクパク食べちゃう気持ちはわかるもんな。ソフィはこくこくと頷いた。
「ホールで貰ってるんで、まだ召し上がるなら仰ってくださいね」
にこっと笑うあまぁい笑顔。でもさすがに1個で十分だとソフィは曖昧に頷いた。
「ところで」
ソフィがパイをたいらげるのを、にこにこと見守っていたリヴィオは、ソフィのカップにお茶を注ぎながら口を開いた。
「今ちょうど地図を見ていたんですが、この先の進路について、ソフィ様は行きたい場所とか、希望はありますか?」
行きたいとこ……。行きたいとこ。
ソフィーリアの嫌いだったお茶会でも、度々そういう話題が上がっていた。誰それの領地だとか、どこぞの保養地だとか、オホホとレディが場所を挙げる中で、行きたいとこも、んーな余裕もありませんけど? と言うわけにもいかんソフィは、いくつかある別荘の名前をてきとーに挙げていくわけだ。毎回おんなじじゃあマズイだろうと、前回はどこだっけな? と思い出すのが、結構大変。あは。だって、てきとーに喋ってるだけなので、覚えているわけがないのだ。
まさかリヴィオにそんな回答をするわけにもいくまい。む、と眉を寄せると、リヴィオは笑った。
「難しく考えないでください。あてのない旅も楽しいですよ。食べたいものとか、見たいものとか、そういうのを目的にするのも楽しいし」
「食べたいもの」
それは。それは、素敵だ。とっても素敵。とっても良い。なんてったって、ソフィは食の喜びに目覚めたばかり。この世の全てを食したい!とは言わんが、まだ見ぬご馳走に心が踊る。
「あ」
「あ?」
どうしようか。
思い浮かんだそれに、ソフィは逡巡する。
どうしてもってわけじゃない。具体的に料理の名前や国を知っているわけでもない。わざわざ口に出すようなものかしらと、躊躇うソフィに気づいたリヴィオは首を傾げた。
「ソフィ様、飲み込まないで。ね?」
「っ」
ずっっっっるい。
超、ずるい。見ろ、世界よ。ちょっと眉を寄せて首を傾げて、ソフィよりもでっかいクセに上目遣い、だぞ。はあ? どうやってんのそれ?? 仕組みがわからん。あざとい。かわいい。ハッハン。なーるほどな。世で人気の恋愛小説のヒーローが、ヒロインに上目遣いをされるだけで恋に落ちちゃうわけだ。この引力、凄まじく。吸引力の変わらないただ一つの美騎士。抗えるはずなど無い。
ソフィにはちっとも真似できんそれを、自分よりでっかい男にされるんは解せぬが、まあいいだろう。幸せだし。
ソフィは、微妙に視線を逸しながら口を開いた。見たいけど見れないあれだ察しろ。
「ひ、東の国の料理に、辛くて赤いスープがあるって、聞いて、その、ずっと気になっていたんです」
リヴィオは、ぱちん、と瞬きした。
食い意地が張ってるって。そんなことのために、あんな遠いとこまで行けるかって。馬鹿馬鹿しいって。
リヴィオは言わない。言うわけがない。
それでも、誰かに、感情で物を言うのは。ソフィ個人の希望を伝えるのは、どうしたって慣れないので。
ソフィの胸が、理屈を置いてぎゅう、と苦しくなった。
膝の上の手を握りそうになって、それで、
「いいですね!」
「っ」
ブルーベリーの星屑が、キラキラ弾けた。
「抹茶の名前にしたお茶も気になりますし、僕もその辛いスープ気になります! ああ、楽しそうだなあ」
にこにこと、何がそんなにと泣きそうになるほどリヴィオは嬉しそうに笑う。
キラキラ、キラキラ、溢れ落ちていく光は、「あ、でも…」と、ふいに影を落とした。
言いにくそうな、不安そうになる顔に、ソフィの胸がざわつく。
眉を下げたリヴィオは、顔を上げて、形の良い唇で言った。
「僕、辛い物が苦手なんでかっこ悪いとこ見せますけど、嫌わないでくれます?」
ソフィは思わず笑い転げた。
「ありえないわ!」
そもそも君、かっこいい時いつだ、ってのは言わないお約束。リヴィオの格好いい時選手権開催。





