12.涙と芋
ばちんっと火花が散った。
熱くて、チカチカする。
思わず額を両手で押さえてたソフィは、遅れて、それが痛みであると知った。
「いっ…?!」
「舐めんなよクソガキ」
目の前には、親指を曲げた掌をソフィの顔の前にかざしたヴァイス。
つまりは、あれ、いわゆる、デコピンをされた。すごい、痛い。ソフィ、生まれて初めての体験である。
「嫌がる女子供使って政治しようなんて、ゲスいことしねーわ俺は」
「大体、婚約者が世話になったつってんのにんな真似するかボケ」と吐き捨てる顔は怖いし乱暴。おまけに、暗にこの国の王をゲスと言っているわけで。とんでもない暴言だ。あと痛い。
でも、ソフィはふゆふゆと唇が揺れた。口元が笑みの形になるのを、抑えられない。なあんだ、やっぱり良い人だぞ、この王様。
「有り難うございます」
「うっせぇわ黙っとけ」
ううん、しかし口が悪い男である。
「あの、」
「ヴァイス様?」
ソフィの声を遮ったそれは、地を這うような声だった。
どろどろと、重々しく響いて首を絞めるような、そういう声。
どきりと振り返ると、リヴィオが真っ黒い笑みを浮かべていた。え、こわい。すごいこわい。
綺麗なのに、怖い。怖いのに綺麗。浮かれ脳みそ君が白旗を上げて混乱するソフィは、ぐいと身体を引っ張られた。
ぽすりと、リヴィオの胸に収まる。
「僕のソフィ様に何してんですか輪切りにして磨り潰して墓石に撒きますよ」
「お前、色々凄い事言ってるけど大丈夫か」
ヴァイスの冷静なツッコミに、ソフィは何度も頷いた。
僕の!僕の!ソフィ!!はいもう一度!僕のソフィ!!!幻聴じゃないんだって凄いね!ソフィはピンク色の可愛い花びらが舞っているのを見た。あ、これは幻視である。
「手ぇ出したら、ただじゃおかねぇって言いましたよね」
「指だ指」
「そういうの聞いてないんですよ。一回腹さばいときますか」
一回でもやったら死にます。
浮かれとる場合ではないぞとソフィは慌ててどす黒い美貌を見上げた。
「リヴィオ!ヴァイスはわたくしを褒めてくださっただけなんです!どうか怒らないでください!」
「別に褒めてねぇ」
素直になれない不器用さんか。いや今そういうのいらない。なんとか場をおさめようとするソフィに対して、ヴァイスのこの余裕よ。なるほどこれが大人の余裕ってやつかー、と笑う余裕はソフィには無い。ふん、子供で悪かったな。
「へーか」
「ん」
そこに、コツコツとヒールを鳴らし歩いてきたルネッタが、ヴァイスの服を引く。
ルネッタが口元に手をかざすと、ヴァイスは腰をかがめて身を寄せた。
悪い話なんだろう。ヴァイスは眉を寄せ、リヴィオは大人しくなったので、ソフィはハラハラするやらほっとするやら大忙しだ。
「ルネッタ。街を覆う防御壁はつくれるか」
「もうやりました。私の魔力を元に、後は空気中の魔導力を少しずつ使う術式にしたので、私が寝ても死んでも動きます」
「死ぬとか縁起でもねぇこと言うな」
ばちん、とヴァイスのデコピンを食らったルネッタは、額を押さえてプルプルと揺れている。その痛みを思い出し、ソフィが自分の額に手を添えると、「ソフィ様」と頼りない声がソフィを呼んだ。
見上げると、眉を下げた綺麗な顔が悲しそうにしている。
「何を仰ったんですか」
「え、っと」
ヴァイスが手、ではなく指を出したのは、ソフィが失言をしたのだろうと。どうやらリヴィオは気付いたらしい。
で、それがルネッタのように後ろ向きな事ではないかと、心配をしてくれているんだろうな、これ。
心まで本当に綺麗なので、ソフィは困っちまう。
デコピンをくらったのはヴァイスを見くびっていたからだもの。けれど本人を前にそれを言うのは、さすがに、あれだし。
ええと、と言葉を濁すと、おい、とヴァイスが顔を上げた。
「お前らをこの国に売らねぇのか、とかくだらねぇ事を聞きやがるから、うるせぇつっただけだ。それより、中で話そう」
え、とソフィが首を伸ばすと、リヴィオの拘束が緩む。
先ほどまであったはずの巨大な鳥の丸焼きは、なんと、跡形もなく消えていた!
まるで、最初から何もなかったみたいに。
なんなら、ちょっと建物とか綺麗になっている気がするし、瓦礫も無くなっている。
ちょっと目を離した隙に一体何が。
まさか、大食漢があっという間にたいらげた、というわけではなかろう。だって、「き、キックフィッチャーの肉が…!」「美味そうだったのに…!」と、なんか地面に伏して泣いている男たちがいる。筋肉ムキムキなお兄さん達が、「肉が…!」「肉が!!」と泣いている姿は、はっきり言えば異様だ。そんなに美味いのかあれ。
ソフィは、リヴィオを見やった。
「モンスターは?」
「それが、」
「!」
ソフィが問うと、リヴィオは言葉を切り、ヴァイスのように腰を折った。
ぐい、と綺麗な顔が近づいてくる。
ま、睫毛ながっ長い!ブルーベリー色の瞳は飴玉っていうか宝石。宝石っていうか星空。星空っていうかもう奇跡。至高。神の傑作。ていうかほんとにお顔が綺麗で、すい、と耳元に口を寄せられれば視界を覆う首筋の色っぽさったらあんた!
ソフィの思考は停止した。
「実は、」
「っ!!!!!!」
耳元で囁くなとあれほど……言ってない!言ってないなソフィーリアちゃん!言えるかってんだよ!な!声が良いし吐息が肌を掠めるし、ソフィの大事な浮かれ脳みそ君も良き絶え絶えである。待って、君の墓をつくる予定は無い。
「……ですから、街の外に飛び出そうとしたルネッタ様に、一度ヴァイス様にお話しされるべきだと申し上げたのですが、僕たちも同席した方が良いと思うんです。よろしいでしょうか?街を出た後が心配ですし…」
「えっ、あ、はいっ」
何がどうよろしいのか一つもわからんかったが、ソフィは頷いた。
「つまり、あのモンスターは突然変異だってことだな」
荷物を預かってくれていたおかみに礼を言って、一行は客室に移動した。
おかみが言った「嫌だっていう兄妹のお客さん」はこの二人だったらしい。
それはそうだ。だって、宿はここしかないらしいから。
しかし兄妹。兄妹か。まあ、夫婦にはちと年の差があるもんなあ。ヴァイスはなかなかの貫禄だし、ルネッタは全体的に小さい。両者が反対方向に振り切っているので、仕方が無かろう。
で。そんな訳アリ一行は、ひとまず荷物を置きがてらリヴィオとソフィに割り当てられた部屋に移動したのである。
尚、ヴァイスとルネッタは隣の部屋から椅子を持参した。二名用の部屋なので、数が足りんかった。
ちなみに、少し大きな机の上には、山のように盛られた食事が乗っている。街に到着したばかりの4人に気を遣ってくれたおかみが作ってくれたのだ。「街の英雄だからね!」と料理を持って来てくれた笑顔は、とてもあたたかかった。良い宿100選とかあったらぜひとも掲載を依頼したい。
「あのキックフィッチャー、内臓はほぼ機能していませんでした。しかも私の魔力とは違う、良くないものを感じたので試しに浄化魔法を最大力で使ってみたら、跡形もなく消えてしまったんです」
しょぼん、とルネッタは肩を落とす。
手に入るかもしれなかった素材を失い、落ち込んでしまったようだ。まあソフィの目には、相変わらずの無表情に見えるんだが、なんか、こう。覇気が無い気がする。いや、物静かなこの少女が元気いっぱいの姿をまず想像できないんだけども。
ソフィは、なんとなく肉料理を眺めながら黒い瞳に問うた。
「あの、浄化魔法は、穢れや汚れを取り除く上級魔法ですよね。つまり、あの鳥のモンスターは消えてしまうくらいに穢れていた、ということでしょうか?」
ようやく話が飲み込めた、というか話をしっかり聞いて整理したソフィに、ルネッタはこくりと頷いた。
「浄化魔法が作用する“穢れ”は術式でも変化しますが、基本的には術者のイメージで異なります。魔法は同じ方法でやれば同じ効果が得られる、という単純なものではありません。結局のところ、どうイメージするか、どう現象を切り取るかが大きいと私は思っています。実際、同じような効果の魔法であっても、術式や発動条件は、私の知るだけでも数千通りあります。結果に対して方法は、国や民族で違うんです。そもそも、魔法をどういうものだと考えているか、その解釈というか、理解の仕方?そういうものが、それぞれ違うように思うんです。だからこそ、発想次第で起こせる現象が異なるのは当然で、」
「ルネッタ。おもしろい話だが、それは飯が終わってからにしろ」
ソフィとしてもおもしろい話だったのだが、まあ、話は逸れているな。逸れまくって異国へ旅立つレベルだ。お船に乗って海を渡りかけていた。
ぴたりと静止したルネッタも自覚があるらしく、もにもにと唇を動かす。
「ご飯…」
「食えよ。残すな」
はい、と小さく頷いたルネッタは、ぱくりとサラダを口に運ぶ。もしゃもしゃと咀嚼をし、ヴァイスを見上げた。
「ドヤ顔するなら完食してからにしろ」
「う」
ドヤ顔。ソフィには無表情にしか見えないが、ルネッタはドヤ顔をしているらしい。どこで見極めているんだろうか。
なんだろな。この無表情の違いがわかるというのは、こう、そわそわしちゃうんだけども。自分の恋も楽しいが、人の恋はもっと楽しい。ソフィ、大発見である。
「で」
「はい。私が使ったのは、毒や破壊を取り除くものです。それらがある前の姿に戻すようなイメージの浄化魔法にしたら、キックフィッチャーは2体とも消えてしまいました」
ヴァイスに促され口を開いたルネッタは、下を向いてプスリと付け合わせの芋にフォークを刺した。芋を食べる姿に哀愁がある人がこの世界にどれほどいるんだろうか。いや、むせび泣いていた筋肉ムキムキさん達も今頃、泣きながら食事をしているのかもしれない。
ならば、キックフィッチャーの襲撃で喜んでいるのは、ルネッタの浄化魔法で建物が綺麗になった人だけだろう。ラッキーハウス。
しょんぼりと芋を食べるルネッタの向かいに座っているリヴィオは、そもそも、と腕を組んだ。
「あの大きさは異常ですよね。僕が見た中で一番大きなものでも、精々、家一軒程度ですよ」
それも十分に巨大では。
はてとソフィはリヴィオと対峙していたキックフィッチャーを思い出す。
あの時、叫んでいたキックフィッチャーは、二階建ての家を見下ろす背丈で、幅もなかなかのサイズ感だった。たしかに、家一軒分どころの大きさではないので、異常と言っていいのだろう。
「だいたい、この辺りに出るキックフィッチャーは、小型だったはずです。どう考えてもおかしいんですよね」
「なるほどな」
ぐ、とエールを煽ったヴァイスは、はむはむと小動物のように野菜を口に運ぶルネッタの名を呼んだ。
「お前、その良くない魔力ってやつを辿れるか」
「…索敵ってやつですね。やったことはありませんが…やり方は知っています。おもしろそうなのでやりたいです」
「なら決まりだ」
グラスを机に置いて、ヴァイスは髪をかき上げた。
「俺とルネッタは明日、街の周りを見てみる。いつまでもこの街に滞在する気はねぇが、あんなもんにしょっちゅう会っても面倒だ。突然変異の原因がわからんでも、せめて近くにいるのかいねぇのかだけでも、はっきりさせておきたい」
リヴィオは、そうですね、と頷いた。
この三人ならもう一度出会ったところで何てこたなさそうだが、非力なソフィに言える言葉は無い。ソフィは、なんとなく三人が巨大なモンスターを囲んでいる様子を思い浮かべてみたが、地形が変わったので想像を終了した。
「僕達は必要最低限の荷物で出てきているので、街の様子を見ながら装備を整えさせていただけますか?たいしてお力になれず申し訳ありませんが…」
「気にするな。魔法を使えない俺はルネッタが暴走しねぇように見てるだけだしな」
「暴走」
「するだろお前」
「魔力のコントロールは得意ですが?」
「そういうことじゃねぇんだよ」
「?」
規格外の魔女は、表情の無い幼い顔を、こてんと傾ける。
ヴァイスが頭を抱えた。