11.事情と実情と感情と
木の椅子は、硬かった。お尻が痛い。
それに、屋外に出された椅子に座るというのは、どうも珍妙だ。
けれどもソフィの疲れ切っていた身体は、椅子に座った途端、ふうと力が抜けた。思った以上に疲れていたらしい。
淑女らしくなく、ちょっと背もたれに寄りかかってみると、これがまあ楽でして。なるほど、背もたれはもたれるためにあったんだな。ソフィの新発見である。
「あいつもお前も、難儀な奴だな」
ふ、と小さく笑う顔を見上げると、ヴァイスは柔らかい顔でルネッタを見ていた。眉間の皺はデフォルトだ。
「ルネッタ様、ですか?」
「俺もあいつも呼び捨てでいい。不自然だろ。堅苦しいのも嫌いなんだ」
「…善処します」
ヴァイスは、笑いながら腕を組んだ。長い髪が風に揺れる。
「昨日の夜会では、ルネッタが世話になったな」
「え?」
世話。
はてなんのことだろうかとソフィが首を傾げると、ヴァイスはまた笑った。顔は怖いが、存外よく笑う男なのだ。
「俺の婚約者殿は、夜会はおろか、外の世界に出た経験がほとんど無いんでな。今回の旅も、同行を随分と悩んでいたんだ。あんたが優しくしてくれたって嬉しそうだったよ、あいつ」
ヴァロイス・エルサート・アスキロスには、長い間、婚約者も妻もいなかった。
何せ、「簒奪王」と呼ばれる前の彼は、「愚かな王子」と呼ばれていたらしい。
その頃のソフィーリアは、まだ片手で足りるほどの年齢だったので、詳細を見聞きしたわけじゃなく、あくまで彼を語る資料を見ただけだけれど。
若きヴァロイスは、城にいる姿を見る方が珍しく、下町に降りて遊びまわったり、商売をしていたのだという。喧嘩騒動を起こす事も多く、いつもどこかに真新しい傷があったのだとか。
そんなヴァロイスが父王を殺し、その玉座に座った理由は様々に語られた。
王の圧政に苦しむ民のためだとか。
無法者が欲を出したのだとか。
父親に罵られ逆上したのだとか。
ヴァロイスはそのどれも否定せず、いつもニヤリと笑うのだ。
血が滴るように笑う彼の元に嫁ぎたいと名乗り出る女性は、よほど勇気のある者か、変わり者か、それこそ欲深き者なわけで。欲深な策略など蹴散らすお力をお持ちの王様は、未婚の王としてもちょっと有名だった。
あいつまだ独身らしいよ。だろうな。って感じで。
ところがある日。
独身王として名を馳せたヴァロイスが婚約を発表したので、それはもう北から南まで大騒ぎ。多分衝撃でどっか地割れした。嘘だけど。
まあそれくらいの一大ニュースだったわけである。超超ビッグニュース。年末には今年一番の話題として、誰もが何度も口にした。
だって、連れてきたのが「魔法使いの国」の魔女で、第二王女様だったのだ。
その年の差、14歳。
ついでに二人の見た目が、誘拐犯と幼女にしか見えないところも話題になった。
しかも。
「…かの国に、第二王女様がいらっしゃるなんてお話を聞いたことが無かった事と、関係があるのでしょうか」
そう。誰も、誰も第二王女ルナティエッタ・ディアブレスの存在を知らなかったのだ。
美姫と名高い第一王女の話は、労さずとも石の裏のありんこよろしく、ぺっぺけ出てくるのに。第二王女がいつ産まれたのかすら、誰も知らなかった。
「相変わらず敏いな」
ヴァイスは、眉を寄せ不快そうに笑った。
「あいつの過去をペラペラ喋る気はねぇからな。詳細は言わんが、まあそういうことだ」
そういうこと。
どういうことかって。まあ、胸糞悪いお話だろう。
誰も存在を知らないお姫様は、夜会はおろか外の世界を知らんという。そんな馬鹿な話がどこにある。「はあ?んなわけあるか」って笑ってはい終わり。実は俺幽霊なんだ!とか言った方が場が盛り上がるだろう。
でも、ソフィは笑わない。笑えるわけが無い。
ソフィーリアちゃんは、親が必ずしも子を愛するわけではないって、知っているもの。そんなわけない、と言える人は、まっとうに育てられた幸福な人だ。親が子を愛して当たり前の、健全な世界に生きる人だ。
だが、ああ、恐ろしくも忌々しい話だが。
親は子を殺せるし、子は親を殺せる。
そうだろ?でなけりゃあ、ソフィがここで座り心地の悪い椅子に座って隣国の王と話すことも、ヴァロイスが簒奪王と呼ばれて戦場を駆けることも無かったんだから。
「…ルネッタ様はお幸せですね」
「あ?」
ソフィの視線の先では、ルネッタが防御魔法を展開した。
鳥のモンスター、キックフィッチャーを避け、人や建物をまるっと覆う巨大なバリアだ。
それから、ルネッタはリヴィオの大剣にも魔法をかけた。魔法を使う度に赤く光って揺れる黒髪が、なんとも美しい。
赤い灯火は、リヴィオの剣にキラキラと白い光を降らせる。
あれは多分、浄化の魔法。穢れや汚れを払う魔法がかかった大剣を、リヴィオはぶんと振った。
思いきり、凄い勢いで。
ごお、と風が巻き上がり、キックフィッチャーの焦げた羽が飛ぶ。
羽、といっても黒焦げなのでほとんど灰だ。ぶわりと黒いものが飛んでも豪風が吹こうとも、ルネッタの防御魔法のおかげで周囲の家々や人々にはなんの影響もない。もちろん、ルネッタ本人も何食わぬ顔でじっとキックフィッチャーを見ている。ついでに、巻き上がった灰は透き通るように消えていった。
「わたくし、リヴィオといて楽しいです。今は、いろんな事を知りたいし、見たいし、いろんな物を食べてみたい」
風がおさまると、キックフィッチャーさんは哀れ。丸裸になった。ただの巨大な鳥の丸焼きが、でんと姿を現す。
真っ黒だった表面が綺麗に消し飛んで、なんとも香ばしそうである。
ルネッタはパチパチと無表情で拍手をした。
「こんな風に思えることがどれほど幸福で、そう思わせてくれる人に出会えたことがどれほどの奇跡か、わたくしは知っています」
ルネッタは、おもむろにナイフを取り出し、キックフィッチャーに突き刺した。
あれで解体しようとしたのだろうか。刺さったはいいものの、ナイフが抜けなくなったんだろう。なんだかぴょこぴょこ跳ねて、しょんぼりと肩を落としている。
「わたくしも、幸せなんです」
ふふ、と笑うソフィの視線の先で、リヴィオがルネッタに何かを言い、ルネッタが頷く。
すると、とん、とリヴィオが跳躍した。
ソフィの知る跳躍、とはだいぶ違ったが。なんてったって、高い。高すぎる。2階建ての家を超えている。あれもはや飛んでんじゃないのってくらいの高さまで飛び上がったリヴィオは、そこでぶんと大剣を振りながら落ちてきた。
やっぱり飛んでんじゃねぇのってくらいの滞空時間で降りているリヴィオの剣は、あまりに早くてソフィの目にはよく見えない。
「…あんたが言うなら、そうなんだろうな」
ヴァイスは、そう言って笑った。
それから、リヴィオを見て「相変わらず無茶苦茶な奴だな」と楽しそうに言う。
「あんなデカイ剣使ってあの速さで30近い斬撃飛ばせる馬鹿がどこにいんだよ。相変わらずあの家の人間は化け物だな…」
あれが見えてカウントできるそちら様も化け物では、とは言えないソフィは音もなく着地をしたリヴィオを見た。
ふわりと舞うローブが可憐である。
「!」
「…マジでバケモンだな……」
そして、キックフィッチャーの肉がぱかっとサイコロステーキよろしく宙に浮いた。
綺麗に割れた肉が、ぽとぽとと地面に落ちる。飛び散る肉汁と、ほこっと上がる湯気がこう、
「う、うまそう…!」
誰かがじゅるりと涎を拭いた。そう言えば、あのモンスターの肉は、美味いらしい。
「…あの、モンスターの肉を食べるのは普通の事なのですか?」
「毒性があるヤツもあるが、まあ冒険者にとってはわりと普通だな。俺の国には専門の店を出してる奴もいるぜ」
世界は広い。また一つ賢くなったソフィである。
視線を戻すと、ルネッタが自分の何倍、どころか何百倍もありそうなキックフィッチャーに、もすもすと埋まるように検分している。使えそうな臓器を探しているのだろう。
あれから一体どんな薬ができるのか、知りたいような知りたくないような。
今は美味しそうな巨大チキンステーキだが、さっきまで凶悪そうな見た目の巨大な鳥だったわけで。しかも内臓だ。臓器だ。どうやって加工するんだろうか。考えたらちょっと気持ち悪い。でも気になる。
む、と眉を寄せるソフィに、「で」と低い声が言った。
「どうやって逃げてきた」
「え」
「駆け落ちだろ?」
「え、ええっと」
なぜわかったんですか、と言うのはまあ、さすがに、白々しいだろう。
とは言え、どう答えるべきか。
うーんとソフィは視線を逸らし、頭を悩ませる。どんなシーンでもどんな相手でも、華麗にかわしてきたソフィーリアのはずなのに。浮かれ脳みそ君は「かけおちっ?え、なれそめっ?」と飛び跳ねている。おい、落ち着け。
「おかしいと思ったんだが、そうか。あの悲鳴は嘘か」
「えええっと」
そう、このお方は夜会に出ている。ソフィーリアの全力の悲鳴を、お聞きになっているのである。
恥ずかしい。ソフィは恥ずかしかった。
誰もいないと思って裸踊りをしていたら実は人がいた、みたいな気分。いやソフィは淑女なので、やったことないけど。なんていうか、ソフィもキックフィッチャーに埋まりたいくらい恥ずかしかった。
「あ、あの悲鳴は…」
そして悲鳴を上げたことは嘘では無い。が、本気で叫んだわけでもない。でも嘘にできるならしたい。
どう答えるべきか。王の追及を前に汗をかくソフィに、ヴァイスは笑った。
「まあ良い。あの王子とあんたじゃ釣り合ってなかったしな。坊ちゃんが相手なら、良いんじゃないか」
「え」
思わず顔を上げると、なんだよ、とヴァイスは首を傾げた。
「わ、わたくし、その、何か不手際がありましたでしょうか」
「は?」
ぽかん、と目を見開くヴァイスに、ソフィはぎゅっと膝の上に置いた両手を握った。
自分が王太子の婚約者なんて、次期王妃だなんて、相応しくない事はわかっていた。そんなもん、ずっとわかっていた。
でも、それがソフィーリアの役割だったから。そのためだけにソフィーリアは生きていたから。怖くて、自分には無理だ、なんて言えなかった。
だから周りからの評価は、いつも怖かった。
いつか、こんなふうに、面と向かって、「お前じゃ駄目だ」と言われたら。
そしたら、
ソフィーリアは、
「馬鹿言うな」
は、とソフィーリアは落ちていた視線を上げた。
ヴァイスは、眉間に盛大に皺を刻んで、ぎろりとソフィを睨んだ。
「逆だろ。あのガキに、あんたは勿体無いって話だ。あんたを充てがう考えは悪くないと思うがな。あんたに、夫を操って国を支配する野心がなけりゃ、不幸話だろうよ」
「……そういう、考えは思いつきませんでした…」
「そのうち、あの王にそういうレールに乗せられてたんじゃねぇの」
どうだろう。
そんなまさか、と笑えないのは、ソフィは王の心など想像もつかんからだ。
リオネイル・フォンス・アルベイユ・ロゼイスト国王陛下は、不可解な大人だった。
ソフィーリアが書類を片手に話すことを、それはそれは喜んでくれるのだ。
他の大人たちは「子供のくせに」「女のくせに」と笑うのに、リオネイルは「今日は何の話かな?」と身を乗り出して話を聞いてくれた。ソフィーリアの話を正面からきちんと聞いてくれる人は、とても少なかったから、ソフィーリアは王と話す時間が、多分、嫌いじゃなかった。
たとえ、それがソフィーリアを利用するためだったとしても、それで良かった。だってソフィーリアは、そのために存在していたんだもの。
リオネイルにとっては、大人も子供も、貴族という大きな箱に入れた駒にすぎない。
無情で恐ろしい男は、けれど、ソフィーリアを嗤わない数少ない大人だったのだ。
「俺が王になってすぐは、弱っているところを突けと攻めてくる国がいくつかあったが、ロゼイスト王は最後まで手を出さなかった。…正直、ウォーリアン家が出てくりゃヤバかったんだが、初めて会った時に戦争は国益を損なうから嫌いだと言われたあれは、本気なんだろ。ぞっとしたね」
笑うヴァイスは、いつの間にか王の顔になっていた。
人を、物を、切り裂いて分けて並べて動かす、王の顔。
「国民も財政も傷つかねぇ力を手にしたら、国益になるなら、いつだって戦争するぞってことだろ。戦争は嫌いだと、綺麗事言われた方がマシだな」
笑うヴァイスに、ソフィは否定の言葉を持たない。
そうだろうな、と思うからだ。
王が、国民を大切にし、国民の生活を守ることを最優先にするのは、愛情だ優しさだなんてモンじゃないことは、近くにいる人間なら誰でも知っている。
王とはそうあるべきだから。
損が嫌いだから。
それがリオネイル・フォンス・アルベイユ・ロゼイスト国王陛下を動かす不文律だ。
「だから、あんたにそういうつもりが無いんなら、あんたが今が幸せだっつーなら、いいんじゃねぇの。俺がどうこう言うことじゃねーわ」
「…見逃してくださるんですか」
ソフィが言うと、ヴァイスは首を傾げた。
「お前ら売って俺になんの得があんだよ」
あるでしょう。
もし、もしも本当に国王がソフィーリアを買っていたとしたら。そうでなくても、ソフィーリアは王家について、国について色々と知っているのだ。脱走に気付いて追っ手を放っておかしくない。だからリヴィオとソフィと抹茶は夜の森を走った。
そんなソフィーリアの所在は、この国とのやり取りを優位に進められるカードになるはずだ。
じ、と震える手を握り、ソフィーリアはヴァイスを見詰める。
「わたくしに価値があると仰ったのは、貴方ですわ」
ヴァイスは、鋭い目でソフィを見下ろした。
深い濃紺の瞳は、若輩のソフィなんぞには底が読めやしない。そもそも、ソフィはヴァイスを語れるほど知らないのだ。
ここで突然歌いだしても、ソフィは「へぇそういう人なんですねえ」と思うだけだ。上手いなあ、とか下手だなあ、とか感想は持つだろうし、ヤバい奴だなと避難はするかもしれないが。「えっそんな人だったんですか!」とか思うほど、この男を知らない。
ただ、いくら男前だろと警戒心を削がれようと、この男は、王だ。国を支配し、動かす、王なのだ。
感情ではなく、国のために損得を重んじる。
王なのだ。
「そうだな」
さて、どうやって逃げればいいんだろう。