8.拒否権はありませんと嘯いて
「リヴィオさんにソフィさんね。新婚かい?」
にこ、と愛想良く微笑まれて、二人は顔を真っ赤にした。
やだ可愛いねえ!っておかみさん、お願いですご勘弁ください。
さてさて。
リヴィオ?ソフィ?案ずるなかれ、言い間違いでも聞き間違いでもなく、リヴィオニスとソフィーリアの事である。
この日、遅めの朝食を取った後、手綱を引かれずとも荷物を運んでくれる賢き黒馬抹茶と、その隣を歩くリヴィオニス、それからさらに隣を歩くソフィーリアは、街を目指してとっとこ歩いた。
のんびり旅をしよう、と笑った通り、リヴィオニスはソフィーリアの歩幅に合わせてゆっくりと歩いた。
1に淑女らしく2に淑女らしく、3だろうが4だろうが5だろうがとにかく淑女らしく、と母に育てられたソフィーリアは、歩き慣れているというわけではないが、伊達にトレーニングをしていないし。しかも、リヴィオニスが使用人を介してソフィーリアに用意してくれた編み上げのブーツは、とても軽くて歩きやすい。ので、ゆっくり歩いてくれる二人の協力もあり、無理なく歩くことができた。
道中の会話は、有体に言えばどうでも良いものだった。
ソフィーリアは甘い物が好きじゃなくて、リヴィオニスは甘い物が好きだって事。
ソフィーリアはどうも高いところが駄目で、リヴィオニスは高いところに登るのが好きな事。
ソフィーリアは本を読むのが好きだけれど、リヴィオニスは文字を追うのが好きじゃない事。
ま、つまり二人は真逆だった。
ソフィーリアからしてみりゃ、前から見ようが後ろから見ようが、やったこと無いから知らんが多分上から見ても斜めから見ても下から見ても全方位美しいリヴィオニスと、薄眼で見ようが暗闇で見ようが地味で影の薄いソフィーリアが、そもそも同じ生き物であると思っていないので。リヴィオニスの事を知れて嬉しいなあとニコニコしていたのだが、リヴィオニスはなんか落ち込んだ。え?そんなんで落ち込んでくれちゃうの?って話である。可愛い。
「あの、ところで、ですね。あの、ソフィーリア様」
「はい?」
ふいに、リヴィオニスになんだか歯切れ悪く切り出され、ソフィーリアは首を傾げた。
抹茶がひっひん、と尻尾を揺らす。
「あのー、えっと、貴族って長い名前が多いじゃないですか」
「そうですね」
ソフィーリアと、リヴィオニス。
二人の名はそこまで長くないが、平民や冒険者にはあまり無い名前である。
なるほど確かに、逃亡には不向きかもしれない。ソフィーリアは頷いた。
「偽名を使われますか?」
「そう、そうなんです。でも、その、本名とあまり違っても、呼ばれ慣れない名前って、反応が遅れたり、あんまり良くないと、思うんです」
「そうですね」
確かに、とソフィーリアは頷いたが、抹茶はひひーん、と小さく鳴いて、リヴィオニスがうるさいな、と赤い顔で返した。
二人の会話がわからないソフィーリアは首を傾げるが、リヴィオニスの言う事は最もに感じた。だってもし、「ショコラート!」とか呼ばれてもソフィーリアはすぐに返事ができんだろうし、おっえ、って感じだもの。せめてパンチェッタとかが良い。あ、そういうことじゃない?
「えっと、それで、僕の事は、リヴィオと、呼んでいただけたら、なって」
あは、と笑う赤い顔の。はあ、またほんと可愛いリヴィオニスに、ソフィーリアは頷いた。
「リヴィオ様ですね」
「っ」
突如、ぼっ、と音がしそうなくらいリヴィオニスはさらに真っ赤になった。
え?大丈夫なやつ??可愛いを通り越して心配になる顔色である。
「あ、その、ちょっとしか変わんないですけど、さ、さすがにリヴィは母が呼んでた愛称なので、ちょっとなって思って、ですね」
あははは、と笑うリヴィオニスの赤い顔に、ソフィーリアは、ぱちりと瞬きをした。
愛称。
愛称な。
ん?愛称?
え?愛称ってなんだっけ。
ソフィーリアは頭の中で辞書をバラバラバラバラッと捲った。そんで、二代目の脳みそくんがパンパカパーン!とファンファーレに紙吹雪をブチ上げる。
発表!愛称とは、特に親しい間柄で使うニックネームだね!
「っ!!!!!!!!」
ぼんっ、と多分、ソフィーリアからも音が鳴っただろう。
きっとリヴィオニス、あ、いやいやリヴィオと。リヴィオと変わらぬ赤さだろう自分の頬を両手で押さえ、ソフィーリアは呻くように声を出した。
「わ、わたくし、が、お呼びして、良いの、ですか…」
ソフィーリアの消え入るような声に、リヴィオ、もソフィーリアが「愛称」という言葉の意味に気付いたらしいと。なぜ言いにくそうにしていたのか、その理由に思い至ったらしいと。気付いたようだ。リヴィオが真っ赤な顔で息を飲む。
それから、しっかりと頷いた。
「どうか、呼んでください。その、できれば、その、け、敬称を付けずに…」
ん、まあね。まあ、共に旅をするってえのに、リヴィオ様ソフィーリア様ってんじゃ怪しいだろう。
呼び捨てにしてくれやと言う、そこに深い意味はなかろうとソフィーリアは思って、でも、だとしたらこんなに真っ赤な顔でこんなに言い淀む必要は無いわよねって言葉に詰まる。
ひひん、と小さく鳴いた抹茶の声が何を言っているのかソフィーリアはわからんが、ですよね、となんでだか思わず頷きそうになって、そこにはやっぱりソフィーリアへの感情が、あるのだろうと。深読みを、期待を、せざるを得なくて。
ソフィーリアは、ぎゅうと肩にかけたショルダーストラップを握った。
リヴィオニスが用意してくれた、軽くて丈夫な鞄。
いいや、鞄だけじゃない。
重たいごてごてしたドレスと比べ物にならない、軽くて可愛いワンピースに、同じく軽くて丈夫そうな編み上げのブーツ。ソフィーリアを連れ出しくれる為に与えてくれた物、言葉、笑顔。
ソフィーリアは、それらを信じたいのに、恐ろしくてならない。
それこそ、高いところに向かって階段を一歩一歩上るような、高いところから思い切って飛び降りるような恐怖が張り付いて剝がれやしないのだ。
でも、きっと、ソフィーリアが言えば、リヴィオニスは、リヴィオは、可愛く笑ってくれるはずなんだ。
だって、だってさ。今すぐにでも世界を手に入れられるだろうって綺麗な顔してるくせに、ソフィーリアなんぞに、こんな顔を晒すんだから。そんなん、もう、階段だろうが梯子だろうか駆け上がって飛び降りちまうしかない。
ソフィーリアは、星を散りばめたみたいなリヴィオの紫の瞳を見詰めた。
「だ、だったらわたくしのことも、ソフィとお呼びください!」
「そ?…そっ………………!!!!!!」
リヴィオは、ぽかん、として、その後小さく呟き、そんで。破裂した。
あ、いや比喩だぞ。
実際に目の前で破裂しようもんならトラウマ確定の猟奇事件と化しちまう。それじゃあお前ソフィーリアの旅はここで終了。いっそ夢であれ。ってな絶望だ。安心しろ比喩だ。
リヴィオは、破裂と称してまあ構わんだろうなってくらいに、硬直し、真っ赤になり、多分ちょっと浮いた。ぴょんって。
「ソフィです」
「そそそそそそそそそそ、そふぃーさ、ま」
なんかの歌みたいに呼ばれた。
ソフィーリア、いいや。ソフィは、ふふ、と笑った。
「もう一度呼んでくださいませんか」
「そ、そ、そふぃーさ、ま」
ううん、おしい。
ソが。ソが多いんだ。なんかリズム刻まれてる感じ。
「リヴィオ様、じゃなくて、ええと、リヴィオ、わたくしにも敬称は無い方が良いと思いませんか?」
「…………………!!!!!む、むりです!」
言い切りおった。まっかな顔で、全力で首を振って否定した元騎士で元リヴィオニス・ウォーリアンに、かっわいいなあ!と浮かれ脳みそ君が鈴をシャンシャン鳴らした。
浮かれるなってのは今更だ。ソフィーリアはもう、覚悟を決めたのだから。
「でもリヴィオ、わたくし、愛称って初めてですのよ。わたくしもソフィって呼ばれたいです」
「なにそれもうかわいい……」
ついに両手で顔を覆ったリヴィオは、それでも「むりですぅ」と震える声で言った。
どうも、過大評価してやしないかとソフィーリア改めソフィは、リヴィオの正気を疑っちまうんだが、こんなもん我に返られたら終わりである。恋なんて馬鹿になってなんぼだと、初恋真っ盛りのソフィと浮かれ脳みそ君は手を取り合ったのだから。
そんなこんなで、夕焼けまぶしい空の下、辿り着いた宿屋にて新しい名で冷やかされ、二人は真っ赤になった次第である。
「で?部屋は一緒でいいんだよね」
「べっ別々で!」
おかみの声に、リヴィオが真っ赤になって言うのを、ソフィはちらりと横目で見た。
これ、ちょっと前の。
例えば昨日の昼間とかに同じシチュエーションで、父なり王子なりに同じことを言われれば、ソフィーリアは自分が一緒ですみませんねと鼻で笑いながら、まあそれなりに落ち込んだり傷付いたりして、今更だろって呆れたりしたんだろうけれど。
昨日の夜出会ったばかりのリヴィオが言っても、「ああ照れていらっしゃるのね」なんて、こちらも照れちまうから不思議である。浮かれ脳みそくん、大活躍中。
「うーん、そうは言っても部屋が空いてなくてねぇ。ダブルベッドの部屋が2つしか空いていなくて、さっきも、嫌だっていう兄妹のお客さんが諦めて部屋を決めたところなんだよ」
「………!」
「ちなみに、うち以外に宿屋は無いよ。小さな街だからね」
赤い顔でプルプル震える小動物みたいなでかい男の袖を、ソフィはついついと引っ張って見上げた。いや小動物みたいな大男ってなんだって話だが。何せこのお方、お顔がとにかくお綺麗なので、真っ赤な顔で瞳うるうるしやがると大層かーいらしいので、小動物のようなんである。体はでかいけど。
「リヴィオ、わたくし同じ部屋で構いませんわよ?」
「でっですがっ」
「おや、あんた達、訳アリかい?いいねぇ。そういうの、おばちゃん好きだよ。よし、宿代まけてやるからゆっくりしていきな!」
有無を言わせないおかみの笑顔に、あうあうと小さな声を零してリヴィオは諦めた。
ソフィは、この気の良い女主人に自分たちがどう見えているだろうかと考えた。
と、いうのも。
リヴィオが、何度やってもどうやっても「ソフィ」と呼べなかったのだ。ついでに敬語も取れない。
ついに、「許してください」と、いたいけな少女のように言われたソフィは、決して開けてはならぬ扉を開けそうになって全力で見ないふりをした。扉は釘を打って板を張って厳重に封鎖したが、リヴィオといるといつかバッカーンと開いちまいそうで怖い。
で、ソフィはソフィで、何度やってもどうやっても敬語が取れなかった。
いくら浮かれっぱなしのソフィでも、或いはだからこそ?ウォーリアン家の跡継ぎであった騎士様に、ハァイダーリン!とはいけないのである。何せこう見えて、ソフィーリアちゃんは淑女だった。
そこで、息も絶え絶えなリヴィオはひらめいた。
「諦めましょう」
「え」
そんな良い顔と声でそんな後ろ向きな…と、どう返すべきか言葉を探すソフィに、リヴィオは「そ、そソフィ、様」と続けた。
「下手な芝居や嘘はトラブルのもとになります。僕と、そそソフィ様の話が食い違っていても変ですし」
変なのはわたくしの名前の呼び方です、とかソフィは思っていないし言っていない。
可愛いなこのひと、と思いながらこくりと頷いた。
「お互い、一番楽な話し方にしましょう。それで周りには、どこかのお嬢様と使用人とか、お姫様と騎士とか、好きに想像させておけばいいんです。僕らは肯定も否定もせず笑っていればいいんですよ」
ね、と疲れたリヴィオのそれはもうなんか自分自身に言い聞かせているようであったが、ソフィとて同罪なので何も言えぬ。ソフィに許された言葉はサーイエッサーのみである。
それに、実際「訳アリかい?」なんてニコニコされちまえば、自分たちはどんなふうに見えているんだろう、ってちょっと楽しかったりする。
ソフィなら、自分の前に途方もなく綺麗な男と、何度見ても覚えられなさそうな地味な女が一緒に旅をしていたら、さぞ空想が広がるに違いない。
妄想する側って楽しそう。
でも残念。一番楽しいのは間違いなくソフィ自身だ。
ふふ、と思わずソフィは笑いを溢した。
その時。
突如、悲鳴と血に飢えた獣の声が響いた。
ということで、リヴィオニスとソフィーリア改め
リヴィオとソフィです。抹茶は抹茶です。
よろしくお願いします!