2.幸いを運んで
妖精。
物語に度々登場するそれは、虹色の羽を持つ小さな花々だ。キラキラと光る粉とともに舞う姿は絵にも描けぬ美しさだという。あの妖精!
「主が知る妖精がどんな姿か知らぬが」
「え」
嫌そうな顔をするアズウェロにソフィの肩が跳ねた。呑気な頭を見透かされたようで、盛り上がった心がしょもしょもと座り込む。
「妖精がいるんですか?」
なんてこった。リヴィオにまで嫌そうな顔をされ、ますますもって気まずい気持ちになるソフィである。だがしかし。幼少の時分に絵本で育てられた「妖精」への夢はそう簡単に消えるものではない。羨む気持ちが滲まぬように表情筋を大活躍させてソフィはリヴィオを見上げた。
「リヴィオ、妖精に会ったことがあるの?」
「いえ、幸いなことに」
「それは良い。あれらは悪意持たぬ悪意だからな」
「なー。可愛くない悪戯だとか、赤ん坊をさらう話とか、嫌な話が多いのってあれ、本当なのか?」
「まあ、おおよそ」
そんなか。妖精って、そんななのか。
本の世界で笑う彼ら彼女らは、いつもソフィに優しさと夢をくれた。聞いたことがないはずの無邪気で楽しげな笑い声に懐かしさを覚えるというのに。なのに。
「物語に描かれている妖精は嘘なの…?」
いつかは会ってみたい。そんな風に幼いソフィは夢に胸膨らませてきたというのに。
あれは、あれはすべて嘘だった……?
「あ! いや、でも、まるきり嘘ってわけではないかと! たぶん! な!」
「う、うむ!!!!」
よほど悲しい顔をしていたのか、リヴィオとアズウェロが慌てたように手を振るが今更だ。
あんなにも嫌そうな顔とおっかない話をしておいて、あらそうなのと飛び跳ねられるほどソフィは単純ではない。いや、絵本で見た「妖精」の姿を信じ込みこれほど落胆してみせる呑気なおつむで何を言うかと言われればまあ、それまでなんだけれども。
んなこたソフィとてわかっとる。
ソフィがそれなりに舐めてきたつもりの辛酸は、所詮は城の厨房で味付けされた「お上品」なスープにすぎない。
だから飛び出した。
ひどい味のくせに、上品ぶって高級料理の顔をするその全てにうんざりして、逃げ出した。
広い世界を見たい。いろんなものと出会いたい。いろんなものを食べたい。
誰かの紡ぐ物語を眺めるのではなく自分自身で物語を描きたいと、鋭利なピンヒールを脱ぎ捨てて、ブーツで地面を踏みしめているのだ。
「まあ、話が通じるものがいないわけではないしな。人が妖精を絵空事のように言うようになったのも、あれらが大人しくなったからではある」
「悪いものではないのよね?」
「何をもってして悪というか定義が難しいところではあるが……そうだな。見殺しにしろと言うほどかと改めて問われると……」
「なら、妖精さんに話しかけても良い?」
「うーん」
「ううむ」
困り顔の二人に、ソフィは眉を下げる。
ずるい言い方をしているのは承知している。「妖精」というものが、厄介なだけではないものなのだろうことも、まあなんとなくではあるが察した。二人が嫌な顔をするのはソフィの身を守る為なのだとソフィはわかっている。
けれど、あの光は今にも消えそうなのだ。
か細く、泣きわめく体力すらないように、淡く淡く消えゆこうとしているのだ。
「お願い」
救いたい、などと。
なんと傲慢で浅はかで愚かだろうか。
ソフィ如きにできることなどたかが知れている。困ればすーぐにリヴィオとアズウェロに泣きつくくせに。やめておけと静止する二人の手を握りしめて引きずっていこうだなんて、恥知らずもいいところだ。
でも。ね。だって。
「ソフィのお願い……!」
「主の頼み……か……フッ」
リヴィオはキラキラと瞳を輝かせ、アズウェロは毛並みを艶々と光らせるんだもの。
その嬉しそうな姿ときたら、ソフィの目が潰れちゃいそうなほどだ。いや、本当に眩しい。神様なんて物理的に発光しておられる。なんて愉快で優しい騎士と神様だろうな。
ソフィは微笑んだ。
──誰かに優しくしたい。わたくしが救ってもらったように。
逃げ出した飛び出したと威勢よく言っちゃいるが、自分一人では手にできなかった、与えられたにすぎない幸運の上に息をしていることを、ソフィは知っている。
普通の家に生まれてりゃ、旅立ちはもっと穏やかだったに違いない。或いは、生まれ育った国を出ようとは思わなかったかもしれない。巡り合わせなんてドラマティックな言葉で飾ったってさ、其の実ただの運じゃないか。そんな不確かなモンに左右されるばかりの人生なんて冗談じゃないね。
だからソフィは己に幸福を与えてくれる全てを大事にしたい。
だからこそ、ソフィは誰かの不幸を見過ごしたくない。
「ありがとう、二人とも」
浮かれた傲慢な自分を悪くないと思えるのは、二人がどこまでも優しいからだ。
ソフィにとっての幸福そのものである二人は、「では」と笑った。
「行くか主」
「抹茶は荷物番な」
「ヒヒン」
抹茶は、すりと鼻先でソフィの頭を撫でた。まるで「気を付けて」と言わんばかりに。
そうだ。優しいのは二人だけではない。賢くて逞しいこのお馬さんも、底抜けに優しいのだ。
「ありがとうマッチャさん」
「ブヒン」
とんとソフィの背中を頭で押した抹茶は、尾を揺らし荷物の方へと戻っていく。ソフィが知る限り最も凛々しい馬の背中であった。
「格好良い……」
「ソフィ! ソフィ?! 抹茶は馬ですからね?!」
「何をわかりきったことを」
そうして光を辿ったソフィが目にしたのは、今にも消えてしまいそうな、小さくも可憐な花であった。





