80.再会とそれから
「マッチャさん!」
ソフィが駆け寄ると、黒い鬣を揺らした抹茶は「ブヒン」と一鳴きした。
まるで、「よう」と挨拶をするように鼻先を上げるそれが嬉しくて、ソフィはめいっぱい両手を伸ばす。賢くも優しい黒馬は、ソフィに応えるようにゆっくりと頭を下げると、頬にすり寄った。
「はわわわ〜〜!!」
か、可愛すぎるわ……!!
くすぐったくて、すべらかな毛並みが気持ち良くて、優しいところがたまらない。思いっきり抱きつきたい衝動に駆られるソフィだけれど、どこまで力を入れても良いのか加減がわからないので堪える。ぬぬぬぬうっと湧き起こる雄叫びを抑え込み、ソフィは丁寧に首を撫でた。ああ、うっとりする心地良さ。間違いなく抹茶だ。
エレノアがドラゴンの巣への扉を開いたその後、ソフィたちは抹茶と分かれたままリトリニアに戻ってくるはめになってしまった。城で大暴れしたルールーが落ち着いたところでお祭りが開催されたわけだけど、その前に。抹茶は大丈夫だろうかとソフィはリヴィオの袖を引いた。
「慌てなくても大丈夫でしょう。抹茶なら、エーリッヒ様とエレノア様の馬もうまく逃がすでしょうし。あいつ、結構面倒見良いんですよね。騎士団にいたころ、抹茶がいると馬が怯えないって評判だったんですよ」
「でも、あの森にはモンスターだっていたわ」
旅の途中に出会った、鋭利な牙や爪を持った姿を思い出すソフィに、リヴィオはからからと笑う。
「そのモンスターを蹴り飛ばしていた姿をお忘れですか?」
「かっこよかったわ!」
でしょうでしょう、とリヴィオは得意げに頷く。いやあ、あの蹴りは最高だったものな。惚れ惚れするほど鋭く素早いキックだった。忘れるものかとソフィは拳を握る。
「そういえば、前にもマッチャさんのそばにはモンスターの死体がありましたね」
「あいつなら、この国に戻ってくるのも余裕でしょうが……僕たちがここにいるってことを伝える術がありませんからね。明日にでも迎えに行きましょう」
ってわけで、翌日。早々に城を出発しようとしたのだけれど。
「私が行きましょう」
と、ランディからルールーの姿に戻った白いドラゴン様が言いなさった。腕に抱かれているテオは父親の変化にきゃっきゃと笑い声を上げている。父の七変化に見慣れているんだろうなあ。ソフィはもちろん、見慣れないので目がチカチカするんだけど。
「人や馬の足より、私の方が早い」
そりゃあお空を飛べるドラゴンだもの。あっという間に森に帰れることは、この場の誰もが身を持って知っている。これ以上ないくらいに。
リヴィオはソフィと顔を見合わせると、頷いた。
「対価は?」
「いりませんよ」
「ドラゴンが? まさか」
アズウェロがソフィの肩で、器用にも熊の顔を歪ませて言うと、ルールーは負けじと不愉快そうな顔をする。綺麗な顔がぐしゃりと歪められるのはちょっとしたホラーであった。
「失礼な神ですね。損得勘定だけで生きる人間と一緒にしないでくれますか」
いえ人だってそんなのばっかじゃないんですよ。多分。いやわたくしもそう思っていた時もありましたがそれは若さゆえと言うか箱庭の芋虫というか、人の世には本当に愛とか友情があったんですよ実は、と言いたいソフィだけれど、人でない者たちは人に失礼なのが通常運転であることを学びつつあるので大人しく神とドラゴンの対話を見守る。神とドラゴンの対話。うむ。響きだけ聞くとえらく壮大である。
「人ならざる者のくせに、契約を重んじたことがないと?」
「そうは言っていない。では聞きましょう」
フン、と鼻を鳴らしたルールーは、にやりと口角を上げた。
ひどく、楽しそうに。
「あなたはなぜ、人と共にいるんです?」
決まったいっぽーん! と聞こえた気がするのは気のせいではなく、ソフィの隣で拳を握ったリヴィオである。可愛い笑顔にソフィのお胸はきゅんとし、アズウェロのご機嫌はぎゅんと降下した。
「ぢぃっ!」
どっから出とるんだその音、というような舌打ちっぽいものを盛大に響かせたアズウェロは、ソフィの肩から飛び降りるとポンと猫の姿になった。びーんと天を指すふっさふさの太い尻尾は、アズウェロの怒りを如実に表し、したしたと可愛らしい足音で去っていく。猫って足音するのね、とソフィは呑気にそれを見送った。誰しも一人になりたい時はあるもんだ。そうでなくとも、あの神様は周囲の目を誤魔化すための変装である可愛らしい猫の姿を逆手に取って、城のメイドにおやつを貰うことにハマっているのだから。
「まあ、どうしても気になるなら礼だと思ってください」
「お礼?」
ソフィは首を傾げると、ルールーは目を細めた。
「子が世話になりましたからね」
ルールーはそう言うと、そっとテオの頭を撫でて姿を消したのだった。
それから半日も経たずに、三頭の馬を連れ帰ってくれたのだから、いやはやさすがである。
「おかえりなさい、マッチャさん。置いていってしまってごめんなさい」
「ヒヒン」
抹茶の鬣を丁寧に撫で頭を寄せると、気にするな、とばかりに頭を小突く鼻先に、ソフィは笑った。
それから、抹茶はぐいと顔を上げる。
リヴィオだ。
コツ、とリヴィオの靴が音を立てる。
ソフィが離れると、抹茶はふるりと首を振った。
そして、とん、と鼻先でリヴィオの胸を突く。
「うん、お前もな」
「ブヒン」
「!」
ソフィは震えた。
バリバリバリバリ!! と雷に頭から爪先まで食われちまったが如く震えた。
まって。無理。息が苦しい。
だって、リヴィオがびっくりするい可愛く笑っているのである!!!!! それも、急速に増えていくソフィのリヴィオとの思い出メモリーの中、二位と三位を争う可愛らしさなのだ!!
に、と上がる右側の口角、きゅっと寄せた眉、強気な瞳。少年のような無邪気さでありながら、自信にみなぎる戦士のようでもある、そのアンバランスさはもはや神々しい。え? 一位はどんな顔かって? それは思い出すといよいよソフィの浮かれ脳みそくんがピーヒャーとけったいな笛の音を響かせかねんので置いておこう。
「マチルダ!」
「イセラ、怪我はないかい?」
ソフィの隣では、エレノアとエーリッヒもそれぞれ愛馬と感動の再会を果たしているが、ソフィはそれどころではなかった。誰か新鮮な空気を。
「彼らのそばにはモンスターの死骸が点在していました」
はくはくと胸を押さえるソフィの耳に、するりと静かな声が飛び込んでくる。
顔を上げると、ルールーが抹茶とリヴィオを眺めていた。腕の中のテオが「おうまさんなかよし」と笑っている。
「死骸には何か強い衝撃を受けた痕跡があり、彼らには傷一つない。主が主なら、馬も馬ですね」
おまけに、とルールーは眉を上げた。
「私を恐れる様子もない」
「恐れる?」
「普通の生き物は、私を恐れるものです」
「ドラゴンだからですか?」
ええ、とルールーは頷いた。そして、視線をエレノアとエーリッヒ、というより二人の馬の方に向ける。
「己より強い生き物を畏怖するのは、生物として当然の生存本能です。実際、あちらの二頭も最初は怯えていたのですが……馬とはもっと繊細な生き物のはずですが」
最初は、ということはどうやらすぐにルールーに慣れたらしい。まあ、でなけりゃ連れてくることはできなかっただろうしな。にしても、どうやって連れてきたんだろうってやっぱり、ドラゴンの姿になったんだろうか。それって大丈夫なんだろうか。
少なくとも、騒ぎにはなっていないから、うん。うまいことやったんだろな。そうに違いない。
「マッチャさん、すごいんです」
「そういうことにしておきましょう」
言外に何か含んでいるような気がしないでもないソフィであったが、辛辣なドラゴン様が秘することをわざわざつつくのはアレなので気づかないことにする。
「さて、ソフィ」
「はい」
リヴィオに名前を呼ばれたソフィは、ととと、と駆け寄る。
抹茶とリヴィオ。また二人と一頭で楽しい旅の始まりだ。
嬉しくて、にへ、と緩む頬のままリヴィオを見上げると、リヴィオが胸を押さえた。
「リヴィオ?」
「だ、だいじょうぶですいつものやつです」
「ヒヒン」
いつものってなんだっけ、とソフィは首を傾げる。なんかわからんけど、まっかな顔のリヴィオは可愛いので良いのである。
「リヴィオ、ソフィ嬢?」
こちらに気づいたエーリッヒに、ソフィは向き直るとスカートの裾を持ち上げた。久方ぶりのカーテシー。ラフなワンピースじゃ、ちと格好つかんがね。
良い旅だった。
いろんなことが、いや、ほんとにもういろーんなことがあったけれど、ソフィがまた一つ、ソフィを好きになれた旅だった。
部外者でしかないソフィを受け入れた懐広き王に、二人目の友人に、ソフィは深々と頭を下げる。
「陛下、エレノア様、楽しい時間を有難うございました」
「お二人と過ごせたこと、光栄に思います」
す、とソフィの隣に影が落ちる。リヴィオが騎士の礼をとったことに気づいたソフィは、正面から見たい!! とちょっと足が震えた。頑張れ元淑女の足。
「待ってくれ! もう出発するのか!」
エレノアの慌てた声に重なるように、エーリッヒが「頭を上げてくれ!」と大きな声を出すので、ソフィはちら、と隣を伺う。
目が合ったリヴィオが、ふ、と笑うのでひっくり返りそうになったが、ゆっくりと頭を上げた。
「急に他人行儀になるのはやめてくれ、悲しいじゃないか」
しゅん、と眉を下げる少年王はなんとも可愛らしいので、ソフィもあららと眉を下げる。
「でも、城を出れば、こうして気軽にお会いできる方ではありませんし」
「気軽に会いに来てよ。それに、もう少しゆっくりしたっていいだろうに。ずっとバタバタさせていたんだから」
「エーリッヒの言う通りだ」
うんうんと頷くエレノアに合わせて、後ろで二頭の馬も頷いている気がするのは、多分ソフィの勘違いだろう。
「あ、もしかしてヴァイスに早く帰ってくるように言われているの?」
ヴァイス? なんで??
とソフィは首を傾げそうになって、あ、とそもそもの旅のスタートを思い出す。
ヴァイスにエーリッヒの様子を見てほしいと頼まれたのが始まりで、彼に渡された身分証を持って城に乗り込んだのだった。アドルファスにはヴァイスの臣下と思われたが、都合が良いのでそのままにしていたのをすっかり忘れていたのはリヴィオも同じだったようで、隣で「ヴァイス様?」と首を傾げた。素直なんである。そういうとこも可愛いよね。
「実は、旅のついでにとお手紙をお預かりしただけなんです。あ、もちろん身分証は本物ですよ」
「……つまり、君たちはヴァイスの部下というわけではない?」
「え?」
正直に頷く? 嘘をつくのも微妙だし……
再びソフィがリヴィオを見ると、リヴィオは「いんじゃないですか?」と頷いた。うむ。エーリッヒだしな。今更、咎められることもなかろう。
「おっしゃる通りです。ちょっとした縁で、王の婚約者であらせられるルネッタ様とお友達になりまして……国を出る時に、エーリッヒ様のご様子を伺ってほしいと頼まれたんです」
「なるほど……」
エーリッヒは、何事か思案するように頷いた。細い指先で顎を撫でる横で、エレノアはにっこりと笑った。え、なにこの空気。まさか、
「ソフィ嬢! リヴィオ!」
「はっはい」
「はい?」
「僕の部下にならないか!!」
え、そっち?





