78.思いはそれぞれ
どこまでいっても己の行いを反省しない、恥にまみれたヤツってのは、いる。悲しいことに結構な割合でいる。
むしろそういうヤツの方が図太く生息していて、善人の方がちょっとしたことで気に病んで頭抱えてたりするんだから、世界ってのはどこまでいっても不平等が大好きだ。
んなこと、誰だって知っている。ソフィーリアだって、もうずっと前から知っている。
だから、エーリッヒが「兄上が魔道士と逃げた」となんでもないように言うのを聞いて驚いた自分に、ソフィは驚いた。すっかり平和ボケしちまってる。
悪党をとっ捕まえたらハイ終わり、なんてのはそりゃあ物語の中だけの話だ。勇者はお姫様と末永く幸せに暮らしました。って、末永い幸せとやらが勝手にやって来るとでも? んなアホな。幸せは己でぶんどりに行かにゃならんってことを学んだはずなのに、リヴィオとアズウェロとお祭りを満喫して、用意されたふっかふかのベッドで死んだように眠った自分を恥じた。
つっても、まあ。落ち込んだってまあしょうがないので。
こういうときに言うのよね。言ってみようかしら。
と、ソフィが口を開くと、
「マジですか」
リヴィオに先を越されたので、ソフィは大人しく口を閉じた。いつかリベンジをしたいものである。
「マジだ。クッソだよね」
はは、と笑うエーリッヒは、やんごとなきお立場の方なのに口が悪い。誰の影響かしら、と考えたソフィの脳裏に、高笑いをする美丈夫と不機嫌そうなメガネが並ぶ。なるほど。
「笑ってる場合なんですか?」
「笑うしかない。捜索はしているし、今俺にできることは報告を待つだけだから」
「あー、まあ、たしかに」
騎士であったリヴィオなら走り出すところだろうが、王であるエーリッヒは椅子から立ち上がることができない。笑っても焦っても等しく時が流れるならば笑ってようかな、という性格らしいエーリッヒは相変わらず子供らしからぬ落ち着きでティーカップを持ち上げた。
「そんなことより」
「そんなことより?」
クーデターを企てた兄が魔道士と逃げ出したことが「そんなこと」になる事件が他にも?
ぎょっとしたソフィがエーリッヒの隣を見ると、エレノアがエーリッヒにむうとしかめっ面をしている。
「また命を狙われたり、国が荒れるような事態になったらどうするんだ。こちらの方が、”そんなこと”だろう」
「あの魔道士は馬鹿じゃないからね。大丈夫だよ」
静かにティーカップをソーサーに戻すエーリッヒの瞳は、何かを含んでいる。
魔道士を見たときにソフィが感じた違和感の正体を、きっとエーリッヒは知っているのだ。それがきっと、「しばらくは放っておいても問題がない」と彼が判断する材料になっている。
なんだろう、とソフィはちょっとだけ考えてみる。
ソフィの目に映ったピューリッツは、エーリッヒとアドルファスの手から逃れ続けることができる知能犯というより、誰かの手の上でシャバダバダ踊る元気な男の子だった。うんうん一生懸命ステップ踏んでんだね。パチパチ。って。そういう感じ。
そうだ。そうそう。だからソフィは、ドラゴンに吊るされた魔道士が「ピューリッツに脅された」と叫ぶのをきっかけに始まった茶番劇に、当の魔道士が早々に興味を失っているのを見て「あれ?」と疑問を覚えたのだ。
シャバダバ殿下が、エーリッヒとアドルファスの目を掻い潜ってクーデターを企てる。って。ね。ちと無理があるのでは。いや、だいぶ無理がある。
で? 今、エーリッヒはなんと言った?
『あの魔道士は馬鹿じゃない』
ソフィはそっと指で唇を撫でる。
つまり。つまりつまり、ピューリッツがシャバダバってた舞台は、魔道士の手の上ってことなのでは?
王を裏から操って美味い汁を吸おうって輩は、意外と多い。
ソフィーリアの元婚約者も、後ろにそういう甘い汁大好物モンスターを連れて歩いていた。またそんなの拾ってきてぇ! 捨ててらっしゃい!! と下町の母は子供が変なモンを拾ってくると怒鳴るらしいが、元婚約者の御母堂はそういうタイプじゃなかった。スリスリスリスリ擦る手の隙間から煙が出てきそうな好物甘い汁モンスターを見ても、好物甘い汁モンスターに得意技「おべっか」を放たれても、目をにぃって三日月にするばっかりだった。
取り巻きが多ければその分だけ玉座が強固になるという彼女の思惑はソフィーリアにもわかったが、モンスターの右手と左手はスリスリモミモミイチャイチャ絶えず愛し合っていたので、玉座を支えるなら手は二本じゃ足りないんじゃないかしら、とソフィーリアなんかは思っちゃうんだけど。あ、モンスターだからいっぱい生えてくるんだろうか。だとしたら安心だね。さすがモンスター。学の浅いソフィは、生えてきた手が何をするのか予想できなくって怖いなあと思うのだけれど、母の愛とは全てを見通すらしい。母の愛すごい。
それはさておき。
あの魔道士が、甘い汁大好きモンスターだったとして。
右手と左手をイチャつかせるどころか、両手でドンとピューリッツに悪事を押し付けておいて、そのピューリッツを王にして裏から操ろうってのは。無理がすぎないだろうか。王への道はもうぐっちゃぐちゃである。
たとえアドルファスだって、こっから巻き返すのは無理だろう。
では魔道士は何がしたかったのか。
ピューリッツの為に悪行に手を出して、しまいにはピューリッツを突き放して、だけどピューリッツを連れて逃げた。
──まるで、ピューリッツ様を操ることそのものが、目的みたい。
あれ?
ソフィは、ぱちん、と瞬く。あれ? なんか、それって。
顔を上げたソフィの視線は、エーリッヒの静かなアクアマリンに捕まる。
エーリッヒは、宗教画の天使のように美しく微笑んだ。
「誰にでも良いところはあるんだろうね」
あ、うん。うん? あ、えっと?
言葉につまったソフィはへらっと笑う。
「おめでとうございます?」
「ソフィ?」
なんとも間抜けなセリフに「ありがとう」とエーリッヒはやっぱり美しく微笑み、エレノアとリヴィオは訝しげにソフィの名を呼んだが、ソフィは曖昧に笑うしかなかった。
えー……うそ……マジで?
あ、今がリベンジのときだった。とソフィは気づいたが。
「まあそれはさておき」
ふう、と息を吐いたエーリッヒが額を押さえたので、ソフィが今どきの若者らしいセリフを口にすることはやっぱりなかったのだった。残念。
「聞いてくれる?」
「はい」
答えたリヴィオの隣でソフィも頷く。
アズウェロは慣れた猫の姿でくありとソファで欠伸をした。聞いているのか聞いていないのか。
エーリッヒはしゅんと眉を下げた。
「……近々、ルディア国の王と王妃が来られることになってね……」
「ええ!」
それってつまり……
「陛下がプロポーズして初めて、エレノアのお父様とお母様とお会いになる……ということですか?!」
きゃあ! とソフィは思わず胸を押さえた。何そのドキドキイベント!
だってもし、ソフィがリヴィオの家族とご挨拶するとしたら……無理無理無理。心臓破裂しちゃう。リヴィオを産んでくださったお母様とお父様……つまり創造主だ。お二人がいなければリヴィオはいなかった。そんなの感謝と緊張で心臓破裂しちゃう。おまけにソフィは大事な長男を拉致して呑気に旅をしている身である。どんな顔して会えば良いんだろう。
想像しただけで吐きそうになってきたソフィに、エーリッヒは力のない笑みを向けた。
「一大事だろう?」
エーリッヒはエレノアを攫った訳ではないが、エレノアは一国の王女でありながら、エーリッヒに代わって呪われて、親代わりのドラゴンの怒りを買い、ピューリッツを庇ってドラゴンの魔法を受けるところだった。う、うわあ。
「一大事ですね」





