64.エレノア・ディブレ(3)
ちょっと遅刻ですが連続投稿中です!
読み飛ばしにご注意ください。
エレノアは幼い頃から、たいそうな美形たちと共に育った。
エレノアが美形をはべらせるのが趣味、ってんなわけない。
普段は鱗に覆われたごつごつとした大きな身体をしたドラゴンたちは、時折人の姿を真似るんだが、それがまあ、すんごいのだ。
ドラゴンが人の姿をとる事自体は、珍しくはない。ちっさなエレノアと遊んだり修業をつけてくれる為だったり、単純にエレノアをおもしろがっていたり気まぐれだったり。或いは街に降りる為だったり。
理由は難しいものではないが様々で、それなりによくある事だったが、さて問題はその容姿だ。
やたらめったらキラキラしていやがるのだ。
一緒に街を歩こうもんなら、まあ視線がうるさいことうるさいこと。しかも性別も年齢も構わず人々の視線を集めまくるのに、当人たちはちっとも気にしていない。エレノアはうんざりしちまうが、まあ仕方がない。ドラゴンが人如きを気にかけるわきゃないんだから。
それでも、エレノアが彼らの側によってしまうのは、自分の頭を握りつぶせるような手が、不器用にがしがしと撫でてくれる。それがただひたすらに、嬉しかったのだ。
さて、そんな人の世と遠い場所で生きるたいそうな美形たちを見慣れているエレノアでも、目を見張るような美少年が自分を見下ろしているのでエレノアは驚いた。
どれくらい驚いたって、涙が一瞬で止まるくらい驚いた。
透き通った湖の底のような瞳も、真っ白い肌も、揺れる金色の髪も、どえらい迫力だ。妖精かな? とエレノアは瞬く。エレノアはまだ妖精には会ったことがない。
なにせ、妖精は滅多に姿を現さないらしいのだ。だもんで、人はすっかりその存在を忘れ去っているらしい。妖精は今やそれくらい珍しい存在なのだ、と言ったのはエレノアの師匠であったが、だがしかし。そのドラゴンだって、人の世じゃ伝説だと言われている。つまりは、エレノアが知らないだけで妖精も案外普通に生きてんじゃなかろうかと。エレノアは問いかけた。
「妖精?」
「え?」
なんだ、違うらしい。
どうしてわかったの? ってリアクションとは明らかに違うので、エレノアはちょっとがっかりしちまった。こんなに綺麗なのになあ、とエレノアは少年を眺める。
「妖精がいるの?」
少年が首を傾げる姿には「可憐」という言葉がとても似合う。風に揺れるお花のよう。もう妖精ってことでいいんじゃないかな、とエレノアは思ったが、言えるわきゃないので大人しく首を振った。
「いない」
「? そっか」
自分の容姿の特異さをわかっていないんだろうか。自分が妖精に間違われたなんて微塵も思っていなさそうな顔で首を傾げた少年は、エレノアの隣に腰を下ろした。
いやいや待て。訝しげにエレノアを見ているくせに、いったいどういうつもりだろう。とんだ変わり者だぞ、とエレノアは身体を起こした。
「不審者に近寄らない方がいいぞ」
妖精が身を隠すようになった理由の一つは、人間がその美しい魔力と容姿を手に収めようとしたことにあると師匠は言った。妖精たちは悪戯好きで恐ろしいが、純粋で騙されやすい種族も多いのだとか。
エレノアは目の前の少年がますます妖精に見えてきて、「帰りなさい」と保護者みたいなことまで言ってしまう。
「自分で言う奴は大丈夫でしょう」
「怪しくない奴ほど怪しいもんだろう」
「なら大丈夫じゃないか」
おっと、失礼な少年である。
やっぱり私は怪しいんじゃないか、とエレノアは口をとがらせた。
「人と話すときにフードを取らないような奴は信用しちゃ駄目だ」
「そうだねぇ」
ふふ、と笑う横顔はやけに楽しそうだ。エレノアがため息をつくと、少年は悪戯に口の端を上げる。
「フード、取ってくれるのかい」
「私は不審者だからな」
「やっぱり自分で言っちゃうのかあ」
少年は笑い声を上げた。
その声は子供らしいのに、仕草がちっとも子供らしくない。静かに笑う子だな、とエレノアはフードの端からその綺麗な横顔を眺めた。
少年が「人」と違う生き物のように見えたのは、その美しさのせいだけではなかったのかもしれない。
誰もの目を奪うような存在感と反する、風に同化するような希薄さは、おおよそ「人」には似つかわしくない。
「君はなぜここに?」
不思議な空気感に惹かれるようにエレノアが問うと、少年は少し迷うようにして首を振った。
「透明人間なんだ、俺」
「?」
人を揶揄って喜ぶような人間には見えないし、人をだまくらかすにしちゃあ、物憂げな顔をしている。エレノアが「なんの比喩だ」と重ねて問うと、少年は眉を下げた。
「俺は本来、ここにいないはずなんだ。……その、たまには息抜きをしようと連れ出してくれた人がいるんだけど、その人と一緒にいるところはあんまり人に見られたくないんだ。その人が用事を済ませている間、こっそり散歩をしていようと思ってね」
はは、と疲れたように肩を落とす姿があんまりに儚いので、エレノアはわざとらしく頷いた。
「一緒にいるのが恥ずかしい人ってことか」
どうやら深刻な事情がありそうだが、エレノアがそれを暴き立てる必要はないだろう。
エレノアだって、「お姫様」なあんて呼ばれているのに、城を抜け出してこんなところで寝転んでいたんだもの。顔も素性も知られたくない。っていうか知られちゃいけない。そんなエレノアに、少年が選んで並べた言葉の隙間をつつく資格はないのだ。うむ。
少年は、ぱち、と瞬きをすると、目を細めて笑った。
「そう。とびきり五月蠅くて、じっとできない人だから」
エレノアの意図に気付いたらしい少年は、肩を揺らして笑う。声を抑えて笑うのは癖だろうか。よくよく見れば、着ている物は上等だし、髪もキラッキラに手入れされている。日焼けを知らない真白い肌も艶々だ。
貴族、それもかなり裕福な家門の子かもしれない。
エレノアは勉強中の身であったが、小さなルディア国に貴族が多くないことは覚えている。それも、「かなり裕福な貴族」となれば数が限られる。該当するのはどの家だろうか、と考えを巡らせそうになって、エレノアは瞬きでそれを払った。
詮索してなんになるってんだ。そんな必要はないと思ったばかりなのに、エレノアもすっかり「らしく」なったもんである。これはきっと良い事だ、とエレノアは声に出さずに自分に言い聞かせた。
「それで、君は怪我をしたり具合が悪いわけではないんだね?」
笑いをおさめた少年が、少しだけ身を寄せてくる。
こちらを窺う気配に、エレノアはフードの下で微笑んだ。
「ちょっと寝てただけだよ」
「そうか。気持ちが良い天気だもんね。でも……昼寝をするには少し眩しいんじゃない?」
そうかもな、とエレノアは頷いた。
日差しはたしかに、陽気というには元気が良すぎるかもしれない。
でも、師匠と一緒に昼寝をするのがエレノアのお気に入りだったのだ。
師匠の大きな身体でできた影の下は、とっても暖かくて気持ちが良い。時折、師匠が尻尾を揺らすと、ぶおんと風を切る音がする。それがおもしろくって、妙に安心するから、エレノアはお天気が良いと草の上で昼寝をしたくなっちゃう習性があるんだ。仕方がない。
「……いつもは、眩しくなかったから」
聞けばよかった、とエレノアは思った。
師匠、小蔭をつくってくれるのはわざとなのか? って。聞けば良かったんだ。師匠は認めなかっただろうけれど、でも、そうしたらエレノアは「有難う」って言えたのに。
それで、師匠も私と昼寝をするのが好きなのか? って、聞いてみりゃ良かった。ね。そしたらさ、エレノアは「私は好きだよ」って言えたのになあ。
「大丈夫?」
は、とエレノアは息を吸った。
自分が草をやたら睨みつけていたことに、静かな声に気づかされる。
「大丈夫」
ほとんど反射で返したエレノアに、少年は「そうかな」と小さく笑った。
「そうは見えない」
「……顔、見えないだろ」
うん、と頷く声は、エレノアよりもずっと大人びて聞こえる。
「見えないけど、君がさみしそうだなってことはわかるよ」
「っ」
エレノアの身体を覆う、大きくて穏やかな影のような。
そんな声に、エレノアはぎゅうと目を閉じた。
「言わないでくれ」





