58.エーリッヒ・フォン・キングストレイ
ところで、リトリニア国で内戦が起きた原因は、国王にある。
病に倒れ生死を彷徨い、それでも国王は王座を譲らなかった。最後の言葉は「私が王だ」だってんだから、いやはや大したもんである。もはや伝説。嘘だろこいつ、と宰相が言ったかどうかはまあさておいて。
「ありゃ駄目だ」
と言ったのは、王が今際の際より立ち戻ったと聞いたヴィクトール。エーリッヒの兄であった。
後継者問題を抱えたまま王をベッドに乗せた国は、ゆっくりと、だが確実に、王と共に死に向かって歩んでいる。デスロードでみんな仲良くお手て繋いでお散歩。わあ楽しそう。
「あのゾンビ、まだ王位を譲りたくないらしい」
脳みそが腐っているんだ、と鼻で笑ったヴィクトールは長い足を組んだ。
国王の若い頃を描いた肖像そのままの兄の姿に、エーリッヒは目を細める。
「兄上が次の王でしょう?」
「馬鹿言え」
長い金糸の髪に太陽の光を乗せ、ヴィクトールは言う。にこりもとせずに。
「王はお前だ」
ヴィクトールは、小さく首を振った。
「兄上、俺がいくつか忘れたんですか」
「エーリッヒ、私がじっと椅子に座っていられると思うのか」
うーん、と悩むまでもない。絵画のように煌煌しい見た目に反して、倫理を蹴っ飛ばして歩いているような男が、大人しく、椅子に、座る。笑うとこだな。
三歳児の方がまだ賢かろうとエーリッヒは微笑んだ。
「兄上、今すぐ大人におなりください」
「うはは、成人しているが故に性格を変えられないところが問題なのではないか!」
最低だった。
最低で最悪で、最高の兄であることをエーリッヒはうんざりするくらいに知っている。
「でしょうねぇ……」
だから、はあと深いため息で返事をすると、ヴィクトールは一層楽しそうに笑った。
「何度も言っただろう、エーリッヒ。私が可愛い可愛い弟と、こうしてこっそり会っているのは、お前は勢力争いに関係ないと思わせるためで、全ては、お前を王にするためだ」
「荷が重いんだよなあ」
「だが、しょうがない。ピューリッツのクソカスが王になったら、いよいよこの国は終わるぞ。あれは阿呆で愚鈍で間抜けのくせに、欲深でプライドが高いところだけ糞親父殿にそっくりだからな」
まったくもって酷い言い草であったが、皿の色が気に食わないとコックの首を切ろうとした男なので、エーリッヒもフォローのしようがない。というか、目が合うだけで「死ねチビガキ」と吠えられるエーリッヒに、んな義理はないので「そりゃそうですが」と同意を返す。
「兄上が王になれば、おもしろい国になると思いますよ」
なにせこの兄上様は、欠点は常識を知らないところ、長所は常識を知らないところ、という破天荒な男だ。エーリッヒを含めて、補佐をする人間は「もうやめて手足がちぎれる!」って泣いちゃうほど振り回されるだろうが、まあ、それはそれで楽しそう。誰も見たことがない、笑いの絶えない国になるのではないかと半ば本気で言うエーリッヒを、ヴィクトールは鼻で笑う。
右側の口角を上げて、目を細めて笑う顔は、国王とそっくりだった。
「私は、私とネイが望む王にはなれない」
ネイ、と王族が呼ぶにはあまりに短い名は、ヴィクトールの母の名である。
そう、王子たちの母の血筋がまた、話をややこしくした原因であった。
王位を継承する権利を持つのはこの三人!
エントリーナンバー、ワン。最初に生まれた待望の御子、ヴィクトール。
だがしかし、母は旅の一座の踊り子だった。
褐色の肌に黒い髪が美しい、王に見初められた二番目の側室が「妻にしてやろう」と言われて「頼んでねぇわ」と笑ったのは伝説だ。ついでに一座を人質に取られて「美しさは罪ね」と鼻で笑ったのもまた、伝説である。
そんなネイが、我が子が生まれた瞬間「あたしの遺伝子どこよ」とツッコんだのは城内では有名な話で、母親の生まれを捻じ伏せるほどにヴィクトールは国王に瓜二つ。おまけに度胸もありゃ剣の腕も立つし、謎のカリスマ性まである。
周囲の口癖は「母親が貴族であれば」と「言葉が通じたなら」である。
エントリーナンバーツゥ。貴族の子、ピューリッツ。
母親は公爵の娘であり、その勢力を手中に収めたい王と、権力を手にしたい公爵の欲がタッグを組んだ結果の側室である。王妃は早くに亡くなっていたので、ピューリッツの母は権力をほしいままにしていた。
つまり状況だけ見ればピューリッツが最も王位に近い王子なのだが、残念なことに容姿も癇癪持ちであるところも母親にそっくりなのだ。
周囲の口癖は「似なくて良いところだけが王に似ている」「素質さえあれば」である。笑えない。
エントリーナンバースリー。正妃の子、エーリッヒ。
地方からえっちらほっちらと王のご機嫌を伺いに登城した両親に連れて来られ、不幸にも王太子に見初められてしまった地方貴族の娘が、エーリッヒの母だ。
その当時、爵位が低い家柄の娘だと王や側近たちは大反対したが、この子にしてこの親あり。己の子に自分を凌ぐ権力を持たせたくなかった父王は、最終的にこの結婚を良しとした。いやあ、クソである。
二人の結婚は王太子と地方貴族の娘の大恋愛として、盛り上がりに盛り上がった。身分差を問わない王として、どの新聞社も「わっしょい!」と取り上げた。
そんな欲望の渦中にあっても、エーリッヒの母は凛と微笑む美貌の女人であった。しかも慌てて進められた王妃教育も弱音一つ吐かずにやり遂げた才女だったが、残念なことに病弱で、エーリッヒを産んでまもなくしてこの世を去った。エーリッヒは、正妃の子でありながら、なんの後ろ盾もない小さな王子としての道を歩んでいる。
周囲の口癖は「そういえばそんな王子がいたね」である。
いやあ、まいった。貴族たちは頭を抱えた。どーすりゃいいのと王の暗殺を考えた眠れる夜もあっただろう。
なんつっても、この世にこんなろくでもない問題を創り給うたのは神であり、国王だ。
王は待てど暮らせど、誰を王太子にするかは無論、誰に王位を譲るかも決めやしねぇ。
ピューリッツの一派が暴れだすのは明白であったが、王が存命の間に下手に動けば「謀反」と捉えるかもしれない。今にもおっちんじまいそうな王でも王だ。反逆者だとそしりを受ければ、王位はヴィクトールのものになるかもしれない。
ピューリッツ一派も悩んだ。貴族も悩んだ。王は死にそう。
まさに膠着状態だった。
さて。
内戦の発端は、そのピューリッツの一派がついに痺れを切らしたと言われているが、さてさてさて諸君。「膠着状態」という言葉が最も似合わず、「先手必勝」という言葉が誰よりも似合う男は誰だろうね?
「あの汚物殿を土に還しても、椅子が一脚だという現実は変わらない」
と、それはまあ愉快そうに笑う王子だ。
実のところ、ヴィクトールがピューリッツに仕掛けさせたのが、内戦の始まりである。
そうしてエーリッヒは王になった。
ヴィクトールとエーリッヒの策略によって、エーリッヒは内戦を収めた第三勢力と称されているが、本当のところは、二人がかりでつくりあげた絵図に、よいしょと椅子を乗せただけなのだ。
決して流されたわけではない。中途半端な覚悟で死体の山に座ったわけではない。
けれど、それは、
「さみしいな」
孤独な旅であった。
父親がエーリッヒに言葉をかけることはなく、母親は幼い時に死んだ。
兄は表立ってエーリッヒに声をかけられぬ。
目をつけられぬようにひっそりと、ひっそりと息をする。
エーリッヒの幼年時代はそうして静かな暗室から、王座へと続いていた。
エーリッヒは、孤独な旅を続けている。
まあ、仕方がない。王とはそんなものだ。だからこそ、父王は最後まで己の存在意義を手放せなかったんだろうなとエーリッヒは思ってる。いっそ哀れだね。いやはや、まっこと王とは難儀なことだ。
それでもエーリッヒは、生きる限り、生き続ける限り、この旅路をゆかねばならん。
「さみしいと、言っていいと思うよ」
さみしい?
二番目の兄が放った刺客が息絶える血溜まりで、エーリッヒは不思議な色をした瞳を見つめた。
どんなに優秀な商人も用意できないだろう、強い光を宿した対の宝石だ。
一番目の兄が連れてきた婚約者は、エーリッヒが見たことがない光をその瞳に灯し、エーリッヒに微笑んだ。
「君の側には人が絶えない。でも、君はいつも一人のように笑う」
なんでだろうなあ。エーリッヒは目の前で悲しそうに眉を下げる婚約者のことを、よく知らん。
兄が「友人ができた!」と嬉しそうに語るその物語しか、側近が持ってきた紙の上の情報しか、エーリッヒは知らん。
なのに、エーリッヒの婚約者は、エレノアは、エーリッヒの孤独を知る唯一のようにして、微笑んだのだ。
「君が望む限り、私が側にいるよ」
それっていつまで?
口に出せないエーリッヒに、エレノアは目を細める。
「私を、君の妻にしてくれ」
「どーっでもいいんですよ!!!!!」
エーリッヒは、はっと息を吸う。
これが走馬灯ってやつですか。んな馬鹿な。
呆けるエーリッヒの頭をぶん殴ったのは、髪をかきむしる男の叫び声であった。
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めっちゃくちゃ美麗なイラストなので、まだの方はぜひぜひリツイートよろしくお願いします!





