3.夢物語
自分がどんな顔をしているかは絶対に見られたくないが、ソフィーリアの顔を上げさせようとしたリヴィオニスの顔は見たい。ぜったい、かわいいかおしてる。でも自分は絶対に顔を上げたくない。でもリヴィオニスの顔が見たい。
そんなしょーもない葛藤と攻防は、ぱちん!と一際大きな音を立てて木が弾けたことで終了した。
よそでやれやバカップルが!と焚き火がお怒りになったかどうかはさて置いて。こほん、とリヴィオニスはわざとらしく咳をして立ち上がり、ソフィーリアはぱたぱたと顔を仰いだ。
リヴィオニスは、地面に置いている荷物から毛布を二枚取り出すと、そのどちらもソフィーリアに渡した。
括り付けられていた荷物から解放されている黒馬は、焚火から少しだけ離れた場所ではむはむと草を食べている。とても賢くて大人しいこの馬は、モンスターに怯まない強さもあるのだという。
なんて立派だろうかと感心したソフィーリアが名を聞くと、リヴィオニスは「抹茶です」と笑った。
「マッチャ」
「はい、東の方の国の、緑色のお茶の名前だそうです。ちょうどその時に好きだった本に出てきたんですよね」
「…マッチャさんの毛並み、黒いですよね」
「?はい」
あ、うーん。可愛いからなんでもいっか。ソフィーリアは考えるのをやめた。
抹茶本人。本馬?が良いなら良いのだ。ぽっと出のソフィーリアなんぞが、彼らが築き上げた歳月に口を出すなど無粋極まりない。
ただ、今後二人の間でペットとかに名前を付けるときは、うん。慎重に動こう、とソフィーリアはこっそり決めた。それだけの話だ。
ソフィーリアは、抹茶がここまで運んでくれた毛布をリヴィオニスから受け取り、首を傾げる。
「そろそろ、お休みください。一枚は、下に敷くと少しはマシです。端の方を鞄に被せて枕にすると、楽ですよ」
旅の豆知識を披露しながら、大きな毛布を広げるリヴィオニスに、ソフィーリアは「あの」と声を掛けた。
「リヴィオニス様の分は…?」
「僕は今日は寝ないので大丈夫です」
「え」
そうか。
そうだ。そりゃあそうだ。
森の中で、呑気に二人そろって眠るわけにはいかない。どちらかが起きて、火の番をしなくてはならないだろう。
ソフィーリアは慌てて立ち上がった。
「そんな、リヴィオニス様だけにお任せするわけにはっ」
「大丈夫ですよ。抹茶もいるので一人じゃないです」
ブヒン、と抹茶が鳴いた。任せとけ、とでも言いたげな様は男前である。
いやいや、でも。
「でも、リヴィオニス様にもマッチャさんにも休息は必要でしょう?ずっと走ってお疲れのはずです。せめて、先にお休みください」
何かあっても一人で対応ができる、と思うほどソフィーリアは世間知らずではない。
けれど、
「わたくし、こう見えて防御魔法くらいは使えます!」
時間稼ぎくらいはできるはずだ、と毛布を握ると、リヴィオニスはへらりと笑った。
「ソフィーリア様は本当にお優しいですね」
「ぶひひん」
「や、さしいって」
これっくらいで優しい、なんて言われたら世界中の人間が優しいし世界は平和だ。ソフィーリアからしてみれば、優しいとはリヴィオニスのために用意されたような言葉だと思うのだけれど。
リヴィオニスは「大丈夫ですよ」と言葉を重ねた。
「明日には町に着きますし。そもそも僕、1ヶ月ちょっとは不眠不休で動けるんで」
にこ、と笑顔は相変わらず可愛い。なるほどリヴィオニスは、優しいうえにジョークも言えちゃうらしい。そりゃモテるわなあ。
ソフィーリアは思わず笑ってしまった。
「そんな、わたくしを安心させようとしていらっしゃるのね」
「え?」
「…え?」
え?
ん?
「あ、ちょっと嘘つきました」
「そ、そうですよね」
「飲まず食わずだったら3週間くらいしか持たないです」
「え?」
「え?」
きょとん、とした顔が可愛いなあって今日、何回目だろうか。
何がおかしいのかわかっていなそうなリヴィオニスの顔に、どうやら嘘では無いらしいぞ、とようやく気付いたソフィーリア。に、ああ、とリヴィオニスも気付いたらしい。
「ウォーリアン家の人間って、昔からちょっと丈夫みたいなんですよね。長期休暇には、飲まず食わずの不眠不休サバイバルをするのが習わしなんです。うちの使用人は全員ある程度戦えるし馬にも乗れるので、対多人数訓練に持ってこいなんですよね。で、父に捕まったら即アウト。何がずるいって、あの人仕事があるからずっと追いかけてくるわけじゃなくて、不定期に現れるんですよ。どうやっても見つかるのがもう、悔しくて悔しくて」
ちょっと丈夫、とは。
みたいっていうか最強生物だろ、と笑い飛ばしたいところだが、リヴィオニスは、ぎり、と拳を握る。その顔は、本気だ。本気で、言っているのだ。
「あ、だからどうぞお気になさらず!安心してお休みくださいね」
「ぶひん!」
「あ、そうだな抹茶も一緒にサバイバルしてるから大丈夫だよな」
今更。
ほんっとーに今更ながらに。ソフィーリアは、ウォーリアン家が他国からも恐れられる騎士を輩出し続けていることを実感して、ちょっとだけ怖くなった。
無論、リヴィオニスが怖い、というわけでは無く。
人間離れした騎士を国から奪うことにでも、騎士から国を奪うことにでもない。
ウォーリアン家って何者?????
初代当主が山を切り裂いたとか実はドラゴンの血が混じっているとか、眉唾な伝説の数々もあながち嘘では無いんじゃなかろうか。
ソフィーリアは、抹茶と楽しそうに戯れるリヴィオニスと距離を感じて、大人しく毛布を抱きしめた。
ていうか使用人全員戦えるって。馬も一緒にサバイバルって。色々おかしいぞ、この家門。
いつの時代も、ウォーリアン家が優遇されている事に疑問を呈する輩はいるらしいが、軒並み叩き潰されているのは、そりゃあ当然だわな。誰が勝てるかこの家門。
「…お言葉に甘えさせていただきます」
「ぶひん!」
「いくらでも甘えてくれ、だそうです」
ほんと男前な馬だな抹茶!
ソフィーリアが礼を言って、笑いながら横になると、リヴィオニスは嬉しそうに笑った。かわいい。
「リヴィオニス様は、動物語がお出来になるのですか?」
「動物語?ああ、魔女や魔導士が使えるっていう。まさか。僕がわかるのは、抹茶の言いたい事だけです。物心ついたときから一緒なので。まあなんとなくですけど」
「ぶひひん」
「あ、ちゃんと合ってるみたいです」
よしよし。
リヴィオニスがにこにこと鬣を撫でると、抹茶は肩口にすりすりと鼻先を乗っけた。
美麗な騎士と馬の、素敵なワンシーンである。
まるで夢物語のような光景。ソフィーリアはいつの間に眠ったんだろうか、なんてな。
はは、これが夢。
もしも。
もしも、本当にこれが夢だったなら。
起きて、全部無くなっていたら、どうしよう。どうしようか。
「ソフィーリア様?」
優しく名前を呼んでくれる声を、ソフィーリアは無かったことになんて、できるだろうか。
なんにも知らん顔で、また、あの日々に戻れるだろうか。
戻れない。戻れるわけが無い。
もう、ソフィーリアは好きに喋って、泣いて、笑って、笑いかけてくれる心地良さを知ってしまった。このひとが好きだって、かわいいって思う、熱を知ってしまった。
もしも今、この全てが夢だったなら。目覚めたソフィーリアはもう、生きてはいかれまい。
幸福を知らん事よりも、失う事の方が耐え難かろうことは、試してみずともわかった。
「…夢を見ているみたいなんです」
はら、とまた涙が落ちてゆく。
嫌だな、とソフィーリアは思ったが、視界がじわじわと滲んだ。
「起きたら、また、王子の婚約者に戻っていたら、どうしようって」
「攫いに行きますよ」
「え」
ぱちん、とソフィーリアは瞬く。
はらん、と涙が落ちて、視界がクリアになった。
目の前に膝をついたリヴィオニスが、そっとソフィーリアの頬を撫で、涙を拭いた。
今まで夢でも見たことが無いような、綺麗な瞳が、ソフィーリアを優しく見ている。
「僕だってもう、貴女の手を離してあげられません。もしもこれが夢だというなら、僕がソフィーリア様を攫いに行きます」
だから安心してください、とリヴィオニスはゆっくりとソフィーリアの頭を撫でた。
大きくて、ゴツゴツした、硬い掌が、それはもう慎重に。
「絶対、誰にも渡してやりませんから」
とろりと蜂蜜がとけるように甘い声は、けれどひりつくように熱くて、ほんのりビターだ。甘いものが好かんソフィーリアが、胸焼けをしてしまいそうな。もっと飲み込みたくなるような。
そんな、恋の味をした声にソフィーリアの胸が、ぎゅうっと鳴いた。
もっとこの痛みを味わっていたいのに、素知らぬ顔で頭を撫でる体温がやさしすぎて、まぶたが重い。
「…わたくし、頭をなでられたのなんて、はじめてです」
「う、」
「…う?」
「さ、叫びたくなるの我慢してるだけなのでお気に、なさらず…!」
叫ぶ?なぜ?
知り合ってまだ1日も経っていないが、リヴィオニスは時々ソフィーリアのよくわからないことを言うので、そうか、とよくわからないけどソフィーリアは目を閉じた。
そうか。
リヴィオニスが言うなら、そうなんだろう。
攫ってくれるって。連れて行ってくれるって。安心していいって。リヴィオニスが言うなら、そうなんだろう。
誰にも渡さない、だって。
そんなのは、まるで物語の主人公ではないか。
こーんな、誰にも好かれず愛されず、与えられた役割すらついに放棄してしまった出来損ないを、お姫様のように扱うリヴィオニスの、なんとやさしくかなしいことだろう。
「ふふ」
「…っ」
なんだかリヴィオニスが呻く声が聞こえた気がしたけれど、頭を撫でる手は感じたことが無いほど心地が良くて、今まで生きてきた中で、一番、ほっとしたから。
ソフィーリアの意識は、すとん、と溶けた。