53.異世界転移
目を開けるとそこは異世界でした。
──そんな書き出しの本があったわね。
ソフィはぱっちんと瞬いた。
冗談でも比喩でもなく、そこにはソフィが見たことない景色が広がっているのだ。
紅葉に色づく木があれば、青々と輝く葉を揺らす木もあるし、光が灯るように美しい花々が咲き乱れているかと思えば、木がどさりと雪を落とす。
めちゃくちゃな季節感なのに、完璧な調和が描くこの世のものとは思えない美しい景色が、ここにあるのだ。ソフィの足元。ソフィの目の前。ぐるっと見渡す限り、異世界。
「……わたくし、夢でも見ているのかしら……」
ソフィが思わずつぶやくと、いやあ、とリヴィオが笑った。
「あの魔導士に魔法を掛けられて、みんなで同じ夢を見ている可能性も無くはないですけど、あの瞬間にそういう感じはなかったですしねぇ」
「夢じゃない?」
ソフィが自分のほっぺをつまむと、リヴィオは剣をしまいながら「ふは」と子どものように笑った。
「かわいいことしてる」
「!」
季節感ごっちゃごちゃの異世界?! それがなんだなんの問題がある。こんなに豊かで綺麗なのだからそれでいい。風は穏やかで舞う花びらは鮮やかで、笑うリヴィオは世界一可愛い。きゅきゅきゅーんと浮かれ脳みそ君がねじ切れんばかりにリヴィオが世界一可愛い。それが全てだ。
だって頬を撫でる親指がくすぐったいんだもの。
「エレノア!!」
だがしかし。
見事な景色の中で聞こえた名に顔を上げたソフィは、そのまま固まった。
ねじ切れんばかりに悶えていたさしもの浮かれ脳みそ君も、ぎゅるるんと元の姿を取り戻して正座する勢い。今度こそソフィは自分の眼を疑うが、これが夢でない事は証明されてしまった。
なればこれは現実。これは事実。
「みんな!」
見上げるほどの巨体。
目を凝らすまでも無くわかる、強大で燃えるような魔力。
大きな口から見える、鋭い牙。
一瞬で全てを粉々にできそうな、刃のような爪。
船の帆のような、大きな翼。
──ドラゴンが、エレノアに飛びかかっている。
「どうしたの! ちょっと見ないうちにこんなに大きくなって!!」
「ちょっとってレイビィ、私がここを出たのはもう随分と昔だよ」
「たかだか数年の話じゃないか!」
「ノア、数年は人にとって長い時間なんだよ」
「そりゃそうさ。だって、こーんなにちいちゃかったエレノアが、こんなに立派になっているんだもの!」
「アーチ、そこまで小さくはなかった」
「そうそう。今だってエレノアはちいちゃいぞ!」
「君たちに比べたら人間はみんな小さいよ」
飛びかかられたドラゴンにわっちゃわちゃにされながら、エレノアは笑い声を上げた。
大きなドラゴンにどっしんと大きな音を立ててぶっ倒されても、きゃっきゃと笑っていられるとは流石は大陸一の戦姫である。ソフィならぷっちんと潰れて終わりだろう。
ドラゴンと組み手をしていたとさらりと語っていたエレノアは、その鋭い爪も牙も自分を傷つけないと知っているのだ。
自身の丈夫さとドラゴンを信じているエレノアは、とても楽しそうだ。
ソフィはもう一度自分の頬をつねってみたけれど。
「……夢じゃないのよね」
「うーん、多分」
「まさかドラゴンを……こんなにたくさん見られるとは……」
はは、と乾いた笑いをあげたのはエーリッヒだ。
一頭ならば、まだ三人も動揺を隠せたかもしれない。なのに。なんということでしょうか。ソフィは、一、二、三、と視線を動かしドラゴンを数える。わあお。六。六頭だ。伝説の生き物が。おとぎ話の生き物が。六頭。あ、また一頭わちゃわちゃに参加した。向こうからもやってきている。冷静でいられるわけがない。
ちなみにアズウェロ先生はくありと欠伸をしている。呑気だ。
ドラゴンは、どんどん増えていく。
いやドラゴンが増えるってなんだ。ソフィの鞄には、叩くとクッキーが増える袋が入っているが、エレノアがいるだけでドラゴンがどんどん増えていくのはどんな魔法だろうか。
「おかえりエレノア!」
「ああ、ただいま」
まあ、わかりきったことだけれど。
家族に会えたことをただ喜びあう笑顔は、どんな魔法がもたらす効果よりも素晴らしいものだ。
だって、色とりどりの大きなドラゴンに囲まれた小さなエレノアの笑顔は、本当に無邪気で子どもみたいなんだから。
ほっこりとするソフィの胸に、
「どういうつもりですエレノア」
ピシリと空気にひびを入れるような冷たい声が滑り込んだ。
思わず身体を固くするソフィの前に、リヴィオが立つ。アズウェロはすいとソフィの手に鼻先を押し付けた。
「答えなさいエレノア」
地の底から響くような声と迫力に、ドラゴンと地面を転がっていたエレノアは立ち上がった。
「わざとらしく魔力を広げて、あれの牙を突き立てるなどと、どういうつもりかと聞いているのです。おまえのせいで」
どん、とドラゴンは地面を叩いた。
その勢いに、空気はビリビリと揺れ、大地がひび割れる。ソフィは、ぎゅ、と握られる手を握り返した。
ドラゴンが、大きな口を開ける。
「思わずその人間たちごと招き入れてしまったでしょう! 何事かと思ったんですよ!」
──ん?
ぱちぱちと瞬きしたソフィは、てこてこと歩いてきたエレノアの顔を見る。
エレノアはドラゴンの迫力を前に、にっこにこと微笑んでいた。あらまあ、なんて無邪気な可愛らしいお顔。
「ルールー!」
「ぎゃ!」
エレノアは両手を広げると、がばちょとその身体に抱き着いた。
「会いたかった!」
「離れなさいみっともない!」
「いやだ!」
「大体おまえ、さっきまでそこで転がっていたでしょう!」
「土は払った!」
エレノアに抱き着かれた真っ白のドラゴンは、がうがうと怒鳴るわりには尻尾すら動かさない。その爪でひょいと摘まみ上げれば、簡単にエレノアを放り投げられるだろうに、じっとしているのだ。
──つまりは照れ屋さんね?
随分とご立腹だったのは、エレノアを心配してのことだったのだろう。
なあんだと気が抜けたのはソフィだけではなかったようで、アズウェロはごろりと地面に転がった。寝るつもりだなこれは。
「わかっているのですかエレノア! 人間を招き入れるなど……うん?」
白いドラゴンは言葉を切ると、顔を上げた。
腹にくっつくエレノアではなく、ソフィとリヴィオを見ると、ぱちぱち瞬きをする。大きな目がぎょろぎょろとこちらを見るのはちょっとぴし怖いけれど、どこか愛嬌のある仕草にソフィは思わずへらりと笑った。
「……まあ、いいでしょう。外のあれはなんです」
ドラゴンは顔をエレノアに戻すと、嫌そうに問いかけた。
エレノアはドラゴンから離れると、うーん、と顔を見上げる。
「ちなみに、彼は何をしている?」
「おまえ、煽っていたでしょう。おまえの思惑通り、なんとかこちらと繋がろうと、何か魔法を使おうとしているようですね。無駄な事を」
あのフードの魔導士からしてみれば、エレノアにとんでもないネタバラシをくらい、そのまま消えられたのだから、そりゃあまあ、たまらんだろうなあ。
「城で数回見かけただけだが、彼はプライドが高そうだったからな」
ふふん、と嬉しそうに笑うエレノアに、エーリッヒも肩をすくめて笑った。
「牙をそのまま持ち去ってもよさそうなものなのに、律儀に子供に返すし、それまでの作戦を放り出して自らドラゴンを探しに出るほど自信家で、猪突猛進。しばらくは留められそうかな」
「……それで?」
ドラゴンは、笑い合うエレノアとエーリッヒに、目を細めた。
そして、ふ、と息を吐くように頭を下げる。
すると次の瞬間、風が舞う。
ぶわ、と踊るように小さな渦をつくるように、風が吹くのにあわせて花びらが飛ぶそれは、とても美しい光景だった。
見惚れるソフィの前で、そうして美しい風がやむと、真っ白の糸がふわりと揺れた。
いや、それは真っ白の、長い髪の毛だ。
絹糸のような髪が宙を舞い、それで、
バシン!!! と、頬を打つ音が響き渡った。
「おまえのそれは、どういうつもりですか?」





