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【書籍化&コミカライズ】婚約者の浮気現場を見ちゃったので始まりの鐘が鳴りました  作者: えひと
第3章:花が咲いちゃったので新しい旅の始まりの鐘が鳴りました
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51.彼の人

 ソフィは、風を切るように走っていた。

 正確には、ソフィを乗せたアズウェロが風を切るように、いや、風そのもののように走っていた。


 ソフィは馬に乗れない。もう、どうやってもどう考えても、乗れる気がしない。

 そんなわけでソフィを背に乗っけてくれたアズウェロは、ソフィが怖くない高さになるようにサイズを調整してくれて、大地を蹴り人知を超えた速度で走るお馬さん方に負けないスピードで駆けている。


 幸いしたのは、ソフィがスピードには恐怖を覚えなかったことだ。

 高いところが怖いってなりゃ当然、ソフィの身体は地面と近くなる。そんで、地面が近いと体感スピードが上がるんだってことを、ソフィは初めて知ったのだ。

 ぐんぐん迫る地面に、ソフィは「すごい!」と思えど、「こわい!!!」とはならなかったのである。

 いやあ、良かった。まじで。ほんとに。

 だって、ただでさえ馬に乗れないというハンデをしょってんのに、みんなのスピードについて行けません、だなんて、お口が裂けて顔が真っ二つになっちゃったって、言えんもの。あやうくソフィは、苦手な裁縫を駆使して己の口を縫い付けなければならんかった。いやあ、良かった!


 そんなわけで、一行は怒涛の勢いで大地を駆けた。




 野営も5日目になった。

 ソフィもすっかり慣れたもので、誰に指示されずとも焚き火に丁度よい枝を拾って集め、アズウェロに魔法で乾燥させてもらったり、賢いお馬さん方と水を汲みに行ったりする。

 高貴な馬たちは、水を飲む仕草も慎ましやかで美しい。

 慎ましやかに水を飲むってなにって話だが、だって、そうとしか表現ができぬ。

 どの馬も、小川にばっしゃんと突っ込むことはないし、鼻先をべっしゃりと濡らすこともないし、ソフィに水をかけることもない。

 水を飲むのに水で濡れないってどうやっているの、とソフィはお馬さん方を観察したい気持ちでいっぱいだったが、人の言葉を理解しているらしい、賢くてお上品なお馬さん方にそれをするのは憚られた。

 馬にもプライバシーはあるはずだ。うむ。


 魔法の鞄の中にしまっている食料や鍋を使って料理をするのは、もっぱらリヴィオとエレノアの仕事だった。

 エレノアが手際よくつくる料理は、野菜、肉、魚、とメイン料理のバリエーションが豊かで、少しピリッとした味わいの香辛料が特徴的だった。


「美味しい〜」 


 はうん、と溶けっちまうソフィの前に並ぶ今日の夕食は、魚のソテーに、野菜を酢で和えたマリネ、リヴィオのキノコと鶏のスープだ。ピリッと辛い味付けが食欲をそそるソテーと、さっぱりしたマリネ、それからリヴィオのクリーミーなスープがすべてを包み込むようで、ソフィの舌は幸せであった。


「アレン、本当に料理が上手なのね」

「ルディア国は小国だが、資源が多い国なんだ。昔から国境では、侵略や野盗の被害が多いし、モンスターも元気がよくてね。ルディア国の騎士は大陸一野戦が多いと言っても過言ではないだろうなあ」

「なるほど。野戦が多いと、自然と料理の腕も上がりますよね。美味しいご飯くらいないと、やってらんねぇもん」

「だな。リヴィオ殿のスープも本当に美味しい」

「それは良かった」

「それにしても、外でこれだけの料理を食べられるなんて……君たち以外とは野営ができなくなりそうだね」


 王族の舌をも満足させる騎士二人は、顔を見合わせて得意げに笑った。


「そうですよ。だから、ホイホイお外に出ちゃ駄目ですよリック様」

「その通りだ」


 うむ、としたり顔で頷くエレノアに、エーリッヒは少しだけ顔をしかめる。品の良い王様には珍しい表情に、ソフィは「あら」と思ったが無論、口には出さない。

 もきゅんとバターの香りとスパイスが効いた魚を飲み込む。美味い。


「随分と息ぴったりじゃないか」


 あらら、とソフィは思ったが勿論、口には出さない。

 しゃきしゃきとマリネの食感を味わい、こくりと飲み込む。うんまい。

 

「そうかな。リヴィオ殿とは得物も似ているし、なんだか気が合うんだ。似た魔力が流れているからだろうか」

「うーん、なんとなく育った環境も似ている気がしますねえ。それでですかね?」

「……へぇ」


 あららららら? とソフィは思ったが、無論勿論、声に出さずにスープをすすった。はあ、うんまあい。濃厚でクリーミーでたまんないね。


 まあ、ね。

 ソフィだって、仲良しな二人に心がざわついた日もありましたとも。それに気づいて己を恥じ入ったり暴走したり、一悶着やらかしちまったのは忘れたい思い出ですとも。

 だけども、それとセットでリヴィオのかんわいい姿も思い出されるので、忘れるに忘れられぬし、ソフィの心は、あの奇っ怪なまんまるを想えば穏やかでいられた。

 見当違いな嫉妬なんてもんより、エレノアとエーリッヒの仲の方が、よっぽど気がかりだ。ってのも、ある。


 エーリッヒを置いてエレノアがどっかに行っちまうんじゃないかって、ソフィは気が気でならんのだ。

 一歩引いてエーリッヒを想うエレノアの背中を押すタイミングをソフィは虎視眈々と狙っているし、エーリッヒがどう思っているのか知りたくって仕方がないのである。

 余計なお世話だってわかってるけどね。

 でも、とソフィは水を飲むリヴィオの横顔を見やった。


 辛いものが苦手なリヴィオは、ちょっぴり顔を赤くし、水を多めに飲みながらエレノアの料理を食べていることをソフィは知っている。

 片付けの時にこっそり大丈夫かと聞けば、「ソフィと赤いスープを食べる時までに、少しでも慣れておきたいなって思って」と照れ照れで言うのでソフィは頭が爆発するかと思った。誰だこの可愛いひとは。リヴィオだ。ソフィの最愛だ。たとえ道なき道を駆ける強行軍であっても、ソフィが超絶元気でいられるのは、愛を惜しまないリヴィオのおかげだ。


 恋をすれば幸せになれるわけでも、恋をしなければ不幸になるわけでもない。

 んなこた当たり前だ。

 愛は恋だけに在るものではない。


 だけどソフィは、リヴィオが微笑んでくれる幸せを、心地の良い手のひらの体温を知っているから。

 恋い慕う誰かがいるならば、その想いが枯れてほしくはないと思う。


 まあ、お節介よねえ、とも思うんだけれど。

 ソフィがリヴィオのコップに水を足してやれば、「ありがとう」と笑う顔は、ソフィの心をほんわりと温めるのだ。





「あとどれくらいだろう?」


 食事の片付けを終えると、エーリッヒは地図を広げた。

 焚き火に照らされた地図の上に、エレノアが指を乗せる。


「獣道ばかりを駆けているから分かりづらいよな。今はこのあたりだ」

「もうこんなに進んだのか」


 ぱちぱちと瞬くエーリッヒの瞳に、焚き火の光がきらきらと反射している。

 森に足を踏み入れてからは、すっかり人の気配がない。エーリッヒは前髪を上げ、その美しい(かんばせ)を存分に晒していた。


「最初にリックの城に行ったときもこの道を使ったんだよ。あまり人に知られていないから、面倒も起きづらいし。あの時よりスピードを上げているから……そうだな。明日には着くと思う」

「アレンはどうしてこの道を知っているの?」


 ソフィが首を傾げると、エレノアは「ああ」と地図から顔を上げた。


「マリー、とレイリは情報通でね。私の知らないことも、多く知っているんだ」

「すごいのね」


 微笑むエレノアが頷くと、エーリッヒは「レイリか……」と顎を撫でた。


「彼は大丈夫だろうか」

「心配いらないよ。あのパーティーも随分と腕が立つようだったし、何よりレイリはそう簡単に死ぬほどヤワな鍛え方をしていない」

「もしかして君が?」


 見上げるエーリッヒの瞳に、エレノアは「うーん」と腕を組んだ。波打つブロンドが、きらきらと輝く。


「出会ったときはすでに、あの子は並の騎士じゃ歯が立たなかった。私の護衛になってからは、四六時中私といるだろ? 私について回るから、気づいたら勝手に鍛えられていた、というのが正直な話かな」

「アレン様の護衛って、冷静に考えると凄いですよね。護衛になる前は何をされていたんですか?」

「ん?」


 エレノアはリヴィオの言葉に眉を上げると、「うーん」と斜め上を見上げた。何かを考えるように、探すようにそうして視線を動かすと、再びリヴィオに視線を合わせた。


「まあ、あの子の話は良いだろう。とにかく、心配はいらないよ」


 堂々と、嘘偽りなく、語る気はない、とエレノアは笑った。

 語れない過去があるのか、ただ単純に人の過去を勝手に語るのは気が引けるのか。

 思慮深いエレノアにはどちらもありえたが、ソフィとリヴィオに人の過去を詮索する趣味はない。ソフィとリヴィオだって、過去について聞かれれば「いやあ」「ねえ」なんて顔を見合わせてすっとぼけるしかないんだもの。

 ソフィがエレノアに頷くと、エーリッヒは「では」と膝の上で頬杖をついた。


「君の話を聞きたいな」

「私?」


 あら、とソフィは瞬いた。

 両手で抱えた木のカップの中身をあおり、リヴィオを見上げる。

 世界で一番ソフィのことをわかってくれている頼りがいしかない騎士様は、にっこりと笑った。


「僕たちはそろそろ休みます。アレン様、火の番を先にお願いできますか?」

「……ああ。頼まれよう」

「有難うございます」


 不眠不休でも平気で動けちゃうリヴィオはそう言って笑うと、カップを大きな身体を丸めて欠伸をしているアズウェロに渡した。アズウェロは尻尾を揺らすと、水の塊でさっとカップを洗い流し、風を起こして乾燥させてくれる。なんとも便利で気の良い神様は、もひとつ欠伸をすると、腕に顔を乗せた。


「我も一眠りする。結界を張っているから、主もゆっくり休むと良い」

「有難うございます」


 うむ、と頷いたアズウェロは目を閉じるとすぐに寝息を立て始めた。すうすうと穏やかな音に、ソフィはそっともふもふの頭を撫でる。

 柔らかな毛並みに寄りかかって座ると、暖かくて心地が良い。ソフィのクッション代わりにわざわざ身体を大きくしてくれているアズウェロの優しさに包まれほうと息を吐くと、カップをしまったリヴィオが隣に腰を下ろした。

 アズウェロは、「紫のは主の番だからな」とリヴィオが一緒に休むことを当たり前のように許している。気ままな神様の優しさに、二人は体を埋めた。



 しばらくすると、「気を遣わせたな」と小さく笑うエレノアの声が、ソフィの耳に滑り込んだ。

 聞き耳を立てているようで申し訳ないけれど、聞こえてくるんだから仕方がない。仕方がないのだ。


「私の話か……何を話せばいいんだろう」

「なんでも。君はいつも俺の話聞いてくれるけど、自分のことはほとんど話さないから」

「そうだっけ?」

「そうだよ」


 そうかなあ、と不思議そうなエレノアの声に、ぱち、と木が爆ぜる音が重なった。


「聞いてみたい事があったんだ」

「うん?」


 とぽとぽと、水の音がする。カップに紅茶を注ぐ音だろう。立派なものではないが、茶器も一式鞄に詰めているのでいつでもティータイムを楽しめるのだ。魔法の鞄さまさまである。

 そういえば水をもう一度汲みに行こうと思って忘れていたわ、とソフィはふと思った。でも今から起き上がるわけにはいかない。明日の朝でも良いか、と思い直す頃、「君は」とエーリッヒの声が静かに言った。


「どうして騎士になろうと思ったんだい?」

「女の身でありながら?」


 エーリッヒが息を詰めたような空白の後、ふ、とエレノアは笑った。


「意地悪だった?」

「そうだね」


 小さく笑いながら答えるエーリッヒの声に、エレノアも笑いの滲む声で、「それしかなかったんだ」と軽やかに言った。


「私は赤子の頃からドラゴンに育てられた。お師匠様に魔法の使い方、身体の使い方、生きる術を教えられた。森では誰もドラゴンに逆らわないけれど、大人しく餌になってくれるほど動物は臆病でもない。私は生きるために、ドラゴンのように四足で歩かないし空を飛ばないけれど、ドラゴンと組手ができるほどには強さを与えられた」

「……ドラゴンと組手を?」

「お師匠様は手加減がなかったからね」


 容赦がないにもほどがあるのでは、とソフィは思ったがツッコミは入れられない。ソフィは寝ているのだ。ぐぅ。

 そういえば、リヴィオも父である騎士団の副団長に無茶苦茶な訓練を受けて育ったと話していた。リヴィオが言った「育った環境も似ている気がする」とはそういうことかもしれない。

 旅のなか、度々二人で戦闘談義に花を咲かせていた姿をソフィが思い出していると、「お師匠様は」とエレノアがそっと呟いた。


「鍛えることは生きることだと、私をドラゴンの子のようにしごいてくださった」


 ふふ、とエレノアは笑う。


「でも決して、ドラゴンのように牙や爪をもって戦うことを許さなかった。どこかで拾ってきた剣を私に持たせて、剣を己の手のように扱う術を教えてくれた」


 多分、とエレノアの声は温かさに滲んでいる。穏やかな声だった。


「私を人の世に戻すことを、お師匠様は最初から決めていたんだろうな」


 そして、とエレノアの声は静かに森に溶けていく。


「私をドラゴンの住まう森から連れ出したのは、王族だった。城では女はドレスを着て、化粧をして、刺繍をして、茶会をして男の帰りを待たなければならない。女には女の戦い方があって、それは剣を振るうことではなかった」


 ソフィは城で生きていた自分を思い出す。

 ソフィーリアが持っていた武器は言葉で、ペンで、膨大な資料だった。剣も魔法も求められなかったソフィーリアの向こう側に、エレノアが立っている。


「うまく生きられる気がしなかった」


 例えば引き取られた先が、騎士だったならば。ただの村人だったならば。エレノアの人生はまた違うものになっただろう。

 でも、エレノアが与えられた場所は、王の娘だった。

 ソフィが、貴族の娘であったように。


「……そんなときだよ」


 ふふ、と声は甘やかに言った。


「私に、好きに生きてみればいいと言った人がいたんだ。似合わないドレスを着て、涙でぐちゃぐちゃの私に、好きに生きてもきっと父上や母上は受け入れてくれるはずだと背中を押してくれた人がいたんだ」


 ソフィは思わず目を開けそうになって、ぐっと頬の内側を噛んだ。

 しんみりしてたのに、なんか、あの。


「もし、本当に誰も受け入れてくれなかったなら、行く場所がなかったなら、自分のところにくればいいと、笑ってハンカチを差し出してくれた人がいてね」


 いい話だ。頑張っている自分を受け入れられないつらさ、それを救ってくれる言葉の威力を、ソフィは知っている。存分に知っている。なんていい話だろう。

 けれど、あの。


「ずっとその言葉をお守りにしてきた」

「へえ」


 エーリッヒの声がちょっと、硬いような気がするのはソフィの気のせいだろうか。


「大切な思い出だから、『黒鬼アレン』は私にとって愛しい名でもあるんだ」


 反対にエレノアの声が甘やかなのは、ねえ、気のせいなんでしょうか。


()はそんなこと、覚えてないけどね」


 あ、あうとーーーーーーー!

 浮かれ脳みそくんもまっつぁおになって叫んだが、ソフィはそれを寝返りをうってこらえた。もふん、と頬にあたるアズウェロの毛に心を落ち着けるのだ。クールになれソフィ。動揺を悟られてはならん。

 わたくしは空気。わたくしは空気。

 ソフィは心のなかで繰り返した。


「あ、水がないな。すぐ戻ってくるから、少し待っていてくれ」

「え、あ、ああ。いや、待って、一人じゃ危ない」

「誰に言っている」


 ふふ、と楽しそうに笑ったエレノアが立ち上がると、それを止めるように、ひひん、と馬が鳴いた。


「マチルダ、一緒に来てくれるのか」


 すぐに戻る、と言ったエレノアの足音が遠ざかっていく。

 残されたのは、エレノアを見送ったエーリッヒと、爆弾発言をうっかり聞いてしまって睡魔なんてやってくる気のしないソフィ。と、多分同じように起きているリヴィオ。

 案の定、ソフィがそっと目を開けると、眉を下げなんとも言えない顔をしているリヴィオが、小さく笑った。




「……彼」



 ぽつりと落ちた声に、ぱちんと薪が爆ぜる音が重なった。


 









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