50.牙をむく
時は戻って。
ソフィが回復魔法をかけたワイズ率いるボロボロの憲兵団、もとい騎士団が子どもたちを家に送って行っているその間。
エーリッヒの手にある魔法石に映る子供たちの様子に、ソフィは言葉を失ったし、リヴィオはおもむろに入った部屋で破壊音を響かせたし、エレノアはにこにこと微笑み静かな怒りを振りまいた。
まあようするに、ちっとばかしカオスな有様であった。
処理しきれない怒りってのは、集まるとこんなにも空気が重たいのかと、ソフィは新たな知見を得た。うーん嬉しくないな。ない。
「みんな、気持ちはわかるがまだ続きがあるんだ」
この場で一番幼いが、一番冷静なエーリッヒ国王陛下の声に、三人は自我を取り戻した。いやあ危ない危ない。二体のバーサーカーが誕生するところであった。うむ。笑うとこだぞ。
「エレノア、これを見て」
エーリッヒが差し出したのは、首飾りだった。
大ぶりの牙に組紐を通した、いたって簡素なものだが、ソフィの目を捉えて離さない美しさがあった。
牙のつるりとした光沢だろうか。それとも、鮮やかな青と緑と黄色の組紐の色と、複雑な編み方だろうか。
不思議な魅力に眼を瞬き、ソフィは「あ」と声を漏らした。
「魔力が」
「ああ」
頷いたエーリッヒは、エレノアの目を見詰めた。
「君の魔力に似ている」
「……ああ」
エレノアは、エーリッヒの手から首飾りを持ち上げた。
牙をそっと撫でて、目を細める。
「ドラゴンの牙だ」
「!」
ドラゴンの! 牙!
ソフィとリヴィオは、驚いて顔を見合わせた。
リヴィオの祖先はドラゴンで、エレノアを育てたのはドラゴンで、エレノアの身体にはドラゴンの魔力が流れているっていう、あの、ドラゴン。ドラゴンだ。
急激にお馴染みワードとして浮上してきた名であるが、世間じゃ夢まぼろし、伝説の存在であるドラゴンに、ソフィはまだちっとも馴染んじゃおらんのに。その! ドラゴンの! 牙ときた!!
「ほ、本物なんですか?」
ドキドキワクワクで走り出しそうな心臓を押さえてソフィが問いかけると、エレノアはくすりと笑って、それを差し出した。
「ああ。見るかい?」
「い、良いんですか」
ソフィはその辺のおじょうちゃんではない。
国の式典で用意される宝物や国同士の贈り物である高価な宝石とか、そういう、値がつけられないようなとんでもない一品を目にしたことも触れたこともある。
王に視線を向けられれば、したり顔でそれを相手に差し出したりする。
だけども、ドラゴンの牙だなんて、触れることはもちろん、見たことだってない。あるわきゃない。
はわわ、とソフィが震えながら両手を差し出すと、ころりと牙はソフィの手に乗せられた。軽い。
それで、真っ白で、艷やかで、力強さを感じる滑らかな美しさ。鼓動するように煌めく魔力。象牙のようでいて似て否なる、その生命力の塊のような美しさは、世界中を旅したってそうそうお目にかかれる物じゃないだろう。
「はわ……」
「殺傷力高そうですね」
思わず感嘆のため息をもらすソフィの隣から、なんとも言えない表現が聞こえたので視線を動かすと、リヴィオが興味深そうにソフィの手のひらの上を見ていた。瞳は好奇心できらきらと光っている。可愛い。きゅるんきゅるんのお目々に、ソフィの脳内から味気ないセリフは消し飛んだ。可愛い。
「その魔導力はよく知っている」
エレノアは懐かしそうに微笑んだ。
「お師匠様と、とても親しいドラゴンだった。真っ白でとても美しくて、穏やかなのに、意地が悪いんだ」
ふふ、とエレノアの声が楽しそうに弾んだ。転げるような温かさの滲む声は、エレノアがドラゴンと過ごした日々をどれほどに大切に思っているのかがよくわかる。
大切な、そう「家族」を語る顔とはこんなものだろうなと思わせる横顔に、エーリッヒも微笑んだ。
「エレノアも親しかったんだね」
「どうかな。彼は人間嫌いで、いつも嫌味を言われた。……でも、私は好きだったよ」
暖かで、柔らかい、物寂しいエレノアの声に、ソフィの喉がぐ、と詰まった。
「懐かしい」
エレノアはソフィの手のひらの上を、目を細めて見ている。
どこか違う場所にいるようなその瞳の、なんと、遠いことか。
まって貴女はここにいるわ。
そう怒鳴りたいような、追いすがりたいような、心寂しい思いに襲われて、ソフィは手のひらに乗せた牙が急に重くなったかのような錯覚を覚えた。
「あの、空気読めない奴だなあって我ながら恥ずかしいんですが、聞いても良いですか」
ふ、とソフィの口から呼気が漏れた。
張り詰めた心をさらりと撫でるような声は、リヴィオだ。
長いまつげを見ながらソフィは、好きだなあ、と思った。
空気が読めないのではない。読まないのだ。
場の空気が重くなると必ず、リヴィオは呑気な声を上げる。何度も何度も、その声に、掌に、ソフィは窮屈な場所から連れ出される。
リヴィオが誰にでも好かれるのは、きっとそんな柔らかな気質があってのことだろう。
だって、ソフィだってメロメロなんだもの。はあ、なんて良い男。ソフィの人生における最大の幸福は、間違いなくリヴィオに手を差し出されたことで、ソフィの人生における最高の決断は、その手を取ったことだろうね。あのとき、小難しく考えなくてよかった、と思うたびにソフィは思うのだ。
ぐるぐる考えるのはよそう、ってね。
ぱちん、と瞬きしたソフィはエレノアの手に牙を戻した。
エレノアは、牙を親指で撫でると「どうした?」とリヴィオに問いかけた。
「なんていうか……牙がここにあるってことは、ドラゴンは、その、国に行っても無事ではない可能性が、あったりするんでしょうか?」
「ああ」
牙が人の手によって加工されている。
ならば、その牙の本体は。ドラゴンの身体は、何処にあるのだろう?
それはつまり、ドラゴンは、もう?
ソフィはぎゅっと胸元を握る。
三人の探るような視線を受け、けれどエレノアは何でもないように笑った。
「心配してくれて有難う。でも、ドラゴンにとって牙の1本や2本は大したことじゃないんだ。彼らは、たまに牙が生え変わるからね」
「牙が?」
「ドラゴンの魔力はとてつもなく強大だ。身体に溜まりすぎると、かえって毒になる。だから、たまに牙とか爪とか、体の一部を身体から捨てるんだ。魔力と一緒にね。だからむしろ」
エレノアは言葉を切ると、牙を握り込んだ。
そっと、目を伏せると、長い組紐が、きらりと揺れた。銀色の糸が一緒に織り込まれているのだ、とソフィが組紐に目を奪われている間に、エレノアは顔を上げていた。
「むしろ、牙や爪を落とさなくなった方が、危険なんだ。身体から魔力を排出する必要がない、つまり、死期が近いということだからね」
それは。
それは、どういう意味かしら、とソフィは言葉に詰まった。
ソフィが見逃した一瞬の間に、エレノアは何を隠したんだろう。
わからない。
わかりゃしないが、それをたやすく口に出せるはずがないソフィは、違う言葉を空気に乗せた。
「リック様は、どこでこの牙を見つけられたんですか?」
ソフィに言葉を向けられたエーリッヒは、すべてを承知した瞳で「うん」と頷いた。
「捕らえられていた少年の一人が、首から下げていたんだ」
「少年が?」
「ああ。木材置き場で遊んでいる時に、倒れた木材でひどい怪我をしたらしい。その時にね、一緒に遊んでいた子供がくれたんだって。これを受け取り、子供がまじないを呟くと、怪我はあっという間に消え、子供は姿を消したそうだ。父親と旅をしていた見慣れない子どもだったと。……おかしいと思わないか?」
ドラゴンの牙を持ち、その「使い方」を知っていた親子の正体?
そりゃあ気になる。すっごい気になる。めちゃくちゃ気になるが、エーリッヒがこのタイミングで言いたいことはそこじゃないだろう。
ソフィは頷いた。
「子どもたちを捕らえて兵にしようと企んでた魔道士は、どこに行ったんでしょうね」
「結局、子どもたちは何もされていなかったんですよね?」
「ああ。計画を後回しにする、何かがあったんだ」
「なるほど」
エレノアは、首飾りをぎゅうと握り込んだ。
今度は、寂しさなんて感傷的な言葉なんざ、微塵もない。
立ち上るは、怒気。揺らめくは、殺気。
思わず息を呑むソフィの背を、リヴィオの手が受け止めた。
「この組紐は、ルディアの伝統なんだ。青は空、黄色は大地、緑は草木、織り込まれた銀糸はドラゴンや精霊、人よりはるか昔から住まう者たち、そして複雑な編み方は人の繁栄、生けるものの営み、その循環を表現している」
エーリッヒは、エレノアの言葉に頷いた。
「この大陸ではその組紐がルディア国の民芸品に使われていることや、騎士が飾り紐として使っていることを知っているものは多い」
なるほど。それでは、どっかの魔道士様も、例外ではないだろう。なにせ、城で王族に仕えているのだ。おまけに、こんな悪事を企む大変高尚な趣味もお持ち合わせである。それっくらいの教養はお持ちだろう。
そんなお方が、魔力を帯びた牙を見つけた。
ドラゴンの牙、と思ったかどうかはわからない。けれど、途方もないほどの力を持った生き物が、ルディア国にいることは気づいたはずだ。
「魔道士は、ドラゴンを捕らえる気だ」
そういえば、神様を捕らえようとした魔道士もいたなあと、ソフィはそっと息を吐いた。
緊張を逃がすためのそれを溜息ととったらしい神様は、「どこにでも馬鹿はいるんだな」と鼻で笑った。
ところでコミカライズ4話前編が一般公開中です!
抹茶が美人で格好良くてかわいくて最高なのでぜひ読んでいただきたいです!!
一緒に頭下げてるの可愛すぎて、リヴィオは野蛮人すぎて、とっても楽しいお話でした!!





