2.暖かいと熱い
パチッ。木が爆ぜた。
物理的にも視覚的にも暖かい焚火を見ていると、心がほっとする。
暖炉で火が揺れているのを見るのは、ソフィーリアの数少ない好きな物であったが、焚火はもっと良いな、とソフィーリアは目を細めて。鼻をすすった。すん。
「………」
「………」
向かいでは、リヴィオニスが目を伏せて焚火を見ている。
長く濃い睫毛がどっさり影を落とし揺れ、静かに火を見つめる様子はそういう精霊みたいだ。ぞっとするほど綺麗なこの男の前で、ソフィーリアは先程、一生思い出したくないくらいの醜態を晒した。
えんえんと声を上げて泣いたのだ。嘘みたい。嘘だと思いたい。が、現実。ザ、リアル。
子供の泣き真似大会とかあったら優勝トロフィー担いで帰れるレベルの泣きっぷりだった。
その泣き様を見て動揺しまくりのリヴィオニスに「ど、ちょ、どどどうしましたかっ???」と噛みまくりながら聞かれて、ソフィーリアは「気持ち悪いです高いとこ怖いですうううう」とゲロっちまった。あ、いや物理的にじゃないぞ。吐くってそっちじゃなくて白状する、の方だ。あ、お食事中の方すみません。
ともかく。
ソフィーリアの我慢強さに対する自信は、リヴィオニスの美の強さに真っ向からぶん殴られ、いとも容易く吹っ飛んじまった。帰ってくる気配はない。
一人で食事も移動もできん赤子時代はともかくとして、記憶にある限りは人前で泣いたことが無いはずのソフィーリアの涙腺は、この騎士の前ではガッバガバなので情けない。あ、こちら枯れないことで有名な井戸なんで垂れ流しときますね、ってくらいバッシャバッシャだ。え、やだ昨日まで汲み上げポンプもありませんでしたよね??って責任者に問いただしたいところであるが、責任者はソフィーリア自身なので「記憶にございません」としか。
あの醜態を忘れてくれないかしら、とソフィーリアはリヴィオニスを見詰めた。
「…あの」
「はい?」
リヴィオニスはすいと顔を上げた。
きっれ。
え、きっれいだな焚火に照らされた顔。今んとこぶっちぎり1位でソフィーリアの好きな物に急激ランクインした紫の瞳が、ちかちか。火に照らされ赤っぽく光っている。
ぽかん、とソフィーリアがその煌煌しい瞬きを眺めていると、リヴィオニスは首を傾げた。黒い髪が、さら、と揺れる。
「どうなさいました?」
「あ、いえ、その」
みとれてました、とは言えない。
ソフィーリアは、ぐ、と拳を握った。
「先ほどは、その、」
「落ち着かれましたか?」
「え」
「吐き気」
「あ、ええ、はい。はい」
「良かった」
そっちね。
ソフィーリアは頷いた。しばらくは、馬から降りているのにまだ揺れている気がして気持ち悪かったが、今はだいぶ落ち着いている。それに合わせて、ぼたぼた落ちる涙も落ち着いたのである。
いやほんと良かった。
ほ、と目を細める美しい顔に、ソフィーリアは「ご迷惑をお掛けしてすみません…」と蚊が鳴くような声で頭を下げた。
「そんな、僕こそ気付かなくてすみません」
「とんでもないです!わたくしが貧弱だから…それに、その」
「?」
え、言わせるの?
ソフィーリアは頭を抱えたくなって、でも意を決して顔を上げた。きょとん、とした幼い表情が可愛くて泣きそう。
「な、泣きわめいてしまって、その、」
「ああ」
ああ。ああ、って。何。
どきっ、として、ひやっとするソフィーリアに、リヴィオニスは目を細めて、頬を染めた。
「お可愛らしかったです」
「んっ」
なっんですかそんのかっわいいいい顔!!!
ふやん、ってその笑顔がほんとうにかわいいな。笑顔一つで国すら買えるレベルだが、ソフィーリアに差し出せる国は無い。いっちょ国盗りでもするべきかしらん、てんなアホな。
て、いうか。
ソフィーリアが。可愛い。何が?どこが?どうして??最強にかわいいのがなんか言うとるぞ。ソフィーリアはなんかもう、いっぱいいっぱいで、硬直した。
「あ、いや不謹慎ですよね。泣くほどお辛かったのに、すみません」
「い、いえ、その、そういうわけではないので、その、今わたくし、変なので、忘れていただけると嬉しいのですが」
できれば金輪際思い出さない方向でお願いしたいソフィーリアだけれども、リヴィオニスは、ふふと笑った。
「ソフィーリア様のお願いでも、聞けるものと聞けないものがあります」
「…聞けないお願いですか、これ」
「ええ。僕の前で無防備にお泣きになるソフィーリア様記念日です」
記念日になっちまった。
馬鹿にされたり揶揄われたりしている、わけではない。ないだろうな。だって、この可愛い笑顔である。
この顔でそんな悪意を口にできるなら、もうこの世界の何も信じられない。
いや、それでも良いか、とすら思えてくる。リヴィオニスになら、騙されても裏切られても、もう良いや。馬鹿にされても揶揄われても、リヴィオニスならなんでも良いな。だって、こんな可愛い顔が見れるんだものな。
人はそれを諦めとか開き直りとか言うんだってこたあソフィーリアとて知っとるが、リヴィオニスは馬鹿にしても揶揄ってもないし、騙したり裏切ったりする予定も無さそうなので大丈夫。ハッピーライフでファイナルアンサー。
だって、ソフィーリアだってリヴィオニスがもし「うえええん」とか言って目の前で泣いたら、いろいろ堪らん気がする。記念日に制定しちゃう気がする。
リヴィオニスの美しさによる破壊力と強さによるレア感を、己のうっすい顔と同列に語るはソフィーリアとて気が引けたし気が違ったか、って気分だが、だって、この可愛さなんだもの。
「…いつか、わたくしもリヴィオニス様の泣き顔を見ることはできますか?」
「僕?うーん…」
リヴィオニスは、腕を組んで斜め上を見た。
ぱちぱち、と長い睫毛で瞬きをして、視線が戻ってくる。
「多分、無理じゃないですかねえ。僕が泣くとしたら、」
「泣くとしたら?」
あは、とリヴィオニスは笑った。
「きっと貴女に捨てられた時でしょうから」
「!」
背を向けた貴女に僕の泣き顔を見ることはできませんよ、と笑う顔の。まあ、なんと、ずるいこと!
ソフィーリアはなんだか叫びだしたくなって、ふんと顎を上げた。
「でしたら、ええ。きっと、わたくしは見ることができませんわね。だって」
だって。
…だって。
……だって、だって。だって、さ。
むむむ、と口を閉じて、開いて、結局ソフィーリアは下を向いた。
「…だってわたくしぜったいあなたのてをはなしてあげられませんもの…」
ばき、って何かが音を立てたけれど。ソフィーリアは顔を上げられなかった。
「そ、ソフィーリア様かおみせてくださいませんかねえお願いします顔を上げて!」
「むむむ無理です無理です無理です」
いくらリヴィオニスのお願いだって、聞けるものと聞けないものがあるので。
ね。あははははははは。