表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/60

曽利29号

広島県廿日市市極楽寺山の山頂にある「蛇のじゃのいけ」では本当に八岐大蛇伝説があります。

内容も本編の記述通りの伝承です。

 私は、海辺育ちで海が大好きだけど、山頂から眺める瀬戸内の風景は格別だったので山登りも好きになっていた。

 もちろん身体が生まれた時から弱くてそれで鍛える意味もあったのだけど、

あの山頂から眺める我が愛する瀬戸内の風景が本当に好きだった。

 広島にはほとんど平野がない。

 瀬戸内海から道を挟んですぐに山。それが日常の風景だった。

 だからなのか山頂から眺める静かな海と島々には心が癒された。

 大学時代は大阪にいた。大阪と言っても奈良と和歌山の県境の大田舎で海も遠かった。山も低くめっきり登山とは縁遠くもなっていた。

 だから免許を取ったばかりの頃、高い山が見たくて長野と山梨の県境にある八ヶ岳に向けてレンタカーを飛ばした。

 もちろん八ヶ岳に登る程の装備も体力もないから下から眺めるだけだったが、瀬戸内では拝めない程に勇壮な八ヶ岳の姿に満足して、その近辺で出土したという大型香炉形土器の曽利29号のレプリカをお土産屋で買って帰る事にした。

 曽利29号は、縄文時代曽利期に宗教的な目的で使われていた土器だそうで、縄文のメデューサとも呼ばれる程、蛇の装飾が施されていた。

 後で聞いた話だが縄文人は蛇信仰で渡来した弥生人は牛信仰だったそうで蛇信仰は牛信仰に押されてしまったが、その名残が注連縄だったり出雲大社等へのセグロウミヘビ奉納だったりするらしい。

 私の故郷の山の山頂にある池でも、蛇信仰の名残だろうか、こんな話が伝わっていた。

 冬の寒い間、頭が八つある大蛇がその池で暮らし、春になると出雲に向かって行く。そして秋も深まった頃にまた舞い戻ってくると……

 その大蛇は、あの八岐大蛇退治があった年から、もう戻ってくることはなかったそうだ。

 当時の私はそんな事なぞ露知らず寮の自室に曽利29号を飾ってご満悦だった。

ある満月の晩、眠っている私が物音で目を覚ますと、月明かりで何かが窓の外を蠢く影が部屋の中で踊っていた。

 何だろうと正体を探るように窓を見たら、沢山の蛇がガラスにへばりついていた。

 急に部屋の中に小さな光が灯った。

 窓から目を離してそちらを見ると曽利29号の中に火が入っていた。

 目が離せない。じっとそれを見ていた。

 その時、曽利29号の蛇の意匠が蠢き出した。

 そして土器の女が笑った気がした。

 その後は覚えていない。気が付くと朝になっていた。

 古代の蛇信仰の執念を見た気がした……


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ