集まってくる
【腐り目】
私の左目は義眼でした。
ある時、裏山で腐りかけた遺体を発見してしまいました。
私は、何を思ったのか今では思い出せませんが、自分の義眼をその場で取りだして遺体の左目と交換してしまいました。
何故そうしてしまったのか?
今では後悔しています……
見えるのです。それが……
最近、怪談を書いている。
「呟怖」様というツイッターに投稿したり、この「千文字怪談」を書いたり……
とうとう初の長編小説にも挑戦を始めた。
何故書き始めたかと言うと、以前ホラー映画用の脚本を初めて書いたが納得行かず、次の構想を進めている脚本もホラーであり、外注の映画用プロットも何度も書き直ししているがそれもホラーテイストだったので、勉強の為に色々なyoutuberの方々の怪談を聞き始めた事による。
脚本を書くのは好きだが、結局映像の部品なので登場人物の感情や雰囲気等は書き込めない。故にただ読んでも状況の説明と台詞だけの物で決して面白い物ではない。読んで頂く読者の方々に映画監督になったつもりで読みながら映像を頭の中に作って頂く必要がある。
脚本とは、映像になってから面白さが出るものだ。
なので「書いて読まれる事で完結出来る」小説には、以前から魅力を感じていた。
しかし「脚本家は小説家になれず、小説家は脚本家にはなれない」と言われている。小説と脚本では、そのシンタックス(文章構造)が根本から違うのだ。両方出来る方もおられるが稀有な存在である。
小説は、読者の想像力に任せられる。同じ小説であっても読者によって創造した映像が違って良い。なので例えば谷崎潤一郎の「痴人の愛」においてナオミの瞳の記述が「ガラスを何枚も重ねたような蒼さ」と書かれているが小説では成り立つ。脚本は部品でありスタッフ全員に同じイメージを提供しなくてはならない。目の蒼さを決めるのも監督や小道具の仕事であり、脚本家の仕事ではない。
話が長くなった。本題に入ろう。
言霊と言うが文章も同じだと今週に入って気が付いた。怪談を書き始めてからと言うもの、私の部屋に人が増えている。
今日、掛かりつけの精神科医に相談したら「幻覚でしょう」と言われたが、今も部屋に4人居て内1人は、この文章作成作業を覗き込んで笑っている。
「呟怖」様で先日投稿した【腐り目】も、その中の1人の当事者だという者から聞いた話だ。聞いた話なので何が見えるようになったのか私も知らない。聞いてみたが目を取り換えた男はただニタニタと笑うだけだ。