ビニ本自販機(ジェネレーションギャップより改題)
学生時代…… 特に中学生時代の男子の頭の中は、ピンク色に染まっていると俺は思う。
いや、俺だけじゃないはず。だけど中学生時代の男子を責めないで欲しい。彼らは、自分の中に大量に放出されるホルモンと戦っている戦士なのだ。しかし、そんな戦士たちも強い敵には到底敵う訳もなく敗れ去って行く。
俺が中学生の頃も戦士の一人だった。しかし、俺は正直な戦士で毎日のように戦いに敗れていた。
その日も、高校受験の勉強そっちのけでラジオを聞きながらも、頭の中はピンク色だった。そして俺は、ソワソワと財布の中を覗き込んでいた。小遣いを貰ったばかりで、財布の中には十分な物が入っていた。もちろんそれらは、近所の商店でその日の学校帰りに小銭に変えてあり、持ち上げる度にしっかりとした重さが俺の掌に伝わってきた。
そう、小銭でないとダメだったのだ。札ではダメなのだ。
時計を見る。オールナイトニッポンが始って一時間。両親も妹も寝静まった家の中。
ラジオは切らない。ベランダから雨どいを伝って外に出るのは初めてじゃない。俺は、この部屋で受験勉強をしているという状況を作らなくてはならないのだ。
今になって考えると恥ずかしいやら何やらでバカだとは思う。思うが、当時の俺にとっては、このミッションは世界で一番重要な任務だったのだ。
俺は、隠して自分の部屋に持ち込んでいた偽アディダスを持ってベランダに出た。当然服は黒っぽい物に着替えていた。
作戦は上手く行った。雨どいを伝って地面に降りると、靴を履かずに門をそっと抜けて、そこで靴を履いた。少し家の方を見ていたが、両親や妹が気付いた様子はない。外の寒さで息が白い。その息の痕跡さえ残したくないと思えた俺は、すぐに行動に出た。
家から田畑に囲まれた田舎の県道沿いを歩いて十分位の場所が目的地だった。
服はパーカーだったから、フードを被って猫背で目的地に向かった。途中数台の車のヘッドライトが俺を照らしたが、俺はあからさまに顔をそむけ気配を消したつもりで歩き続けた。
今の俺が考えるに、通り過ぎた車のドライバーから見たら、どれほど怪しい人物に見えただろうか? 通報されなかったのは幸運とも言える。
その目的の場所は、広い田畑の隅っこに立てられた粗末な小屋だった。
周りを見回して誰もいないのを確認すると、小屋の中に滑り込んだ。小屋にはドアはなく、人一人が入れるだけの隙間が空いており、中に2台のターゲットが設置されていた。
そう、H本の自動販売機だ。
H本の自動販売機は、自らを誇るように暗闇を煌々と照らしていた。
この手の本は、買うとビニールに包まれて出て来る。通称ビニ本。自販機の見本にはビニールはかかっていないが、出て来る商品は全てビニールに包まれている。
もちろん、当時は下のヘアも見せてはいけない時代だったし、モザイク処理なんて物は金がかかるので、モデルの局部は大きく真っ黒な四角形で見えないようにされている今でいうと何ともないヌード写真なのだが、当時の俺たち男子中学生にとっては、神秘の泉と同等の価値だった。
一説には、その四角く黒い邪魔者は、バターで擦れば消えて、本当の神秘の神髄が見られるという噂もあったが、多くの勇者たちがそれを試みるも連敗続きだったと聞く。当たり前だ。印刷物なのだから……
俺は、尻の右ポケットに手を伸ばした。財布の厚みが尻を圧迫していた。財布は案外ポケットの奥まで入り込んでいて、中々取り出せない。俺は焦った。ここで大きな音を出す訳にはいかない。誰かに見つかってしまえば、明日学校で俺の醜態は、大スクープとして拡散されているだろう。
焦りながらも財布がポケットから抜け出した。俺は財布を落とさないようにしっかりと握りしめ、初冬の寒さの中、額ににじんだ汗を腕で拭い去った。
俺は、数冊展示されているH本サンプルを眺めて吟味する。お値段はお手頃とは言えない。だから買えるのは一冊だけだ。ここで選び間違えたら俺は終わる。いや、今なら笑えるがその時は真剣そのものだった。
じっくりと選びたいが時間がない。誰かが来るかもしれないし、オールナイトニッポンが終わってしまって走れ歌謡曲が始ったら、不審に思った親が「早く寝なさい」と俺の部屋を開けてしまうかもしれない。
焦らないように焦らなくてはならない。
俺は、そのサンプルの中から一冊を選んだ。今はどんな物を選んだかは覚えていない。かなり前の話だ。いや、覚えていない事にしておいてくれ。
小銭を取り出して、自販機に投入する。意外に大きなガチャンという音が辺りに響く。なんでこの手の自販機には札の投入口がないんだ。もしかしたら都会のH本自販機には、札の投入口があるのかもしれない。
ガチャン! ガチャン! ガチャン!
俺は、その音に溜まらず手汗をかいていた。そして手が滑って百円を一つ落としてしまう。俺にとっては大金の百円だった。俺には百円が落ちていくのがスローモーションのように見えた。そしてそれは、着地するとH本自販機の下に消えた。
あの百円が無ければ、お宝を手に入れるには財布の中身が弱すぎた。あれはどうしても必要な百円だった。
金が足りなかった訳ではない。以前、こっそりここを覗いた時に一冊の金額は調べ終わっていた。だから古びた田舎の商店で崩して作った小銭は丁度買えるだけで、千円札はもう一枚あったのだ。
しかし、こいつには札の投入口はない。ああ、なんで俺は、あの時商店でこの千円札も小銭に崩しておかなかったのか。後悔先に立たずだった。
俺は、しゃがんで自販機の下に手を突っ込んだ。色々とまさぐる。その間に時間が来たのか、ガシャシャ~ンと大きな音を立てて、さっきまで地道に投入した小銭の群れが返却口に落ちてきた。
人生が終わった気がした。誰かが気付いて覗くかもしれないと思った。あれはバカな考えだ。そんなHな自販機が置いてある場所で中から人の気配がしたら、誰しも察して覗く訳がない。だが当時の俺には、そんな事が頭に浮かぶ程の余裕がなかった。罪悪感を感じなくてもいいはずだとは思うが、何故かその時は、罪悪感を感じて、正しい判断が出来ない状態だった。まぁ、脳内ピンクだったからしょうがないが……
俺は大汗を吹き出しながら、必死で今夜のおかずの為に自販機の下をまさぐった。
その時だ……
自販機の下に突っ込んだ俺の腕を誰か掴んだんだ。こういった怪談では良くあるありきたりな展開で申し訳ないが、事実誰かに腕を掴まれた。
俺はとっさに腕を引っ込めたが、俺の腕をつかんだ手が一緒に自販機の下から現れた。細く白い女の手。爪には赤いマニュキアが塗ってあるのまではっきり見えた。
それだけでも俺の心臓は爆発しそうなのに……
なんてこった……
その腕は、千切れて肘から向こうの身体がなかった。なのに、俺の腕をしっかりつかんで離さない。
俺は、喉が潰れる程に悲鳴を上げた。股間に生暖かい物が溢れるのを感じた。
小さい方だけじゃなく、大きい方も……
その臭いを感じながら、俺は意識を失った。
俺は、病院で目を覚ます事になる。朝にその自販機の管理人が俺を見つけて通報したんだとか。すぐその日に異常がないと分かり退院したが、親には大目玉を食らい、中学卒業するまで俺のアダ名はビニ本太郎になってしまった。女子の視線が辛い数か月だった。幸いにも街の高校に受かったので、中学だけで終わったが……
営業部の武藤先輩は、そこまで語るとビールジョッキを傾けながら遠い目で虚空を見つめた。何故かドヤ顔だった。
武藤先輩は怖い話を語ったつもりなのだろうが、イマイチ状況が分からないのは、昭和生まれの先輩と平成生まれの私の違いなのだろうか? 私が物心ついた時にはネットが普及していて、H本の自販機なんて見た事がない。都会育ちだし、そもそもそんなのはネットで見ればいい事だった。怪談としても先輩の言うようにありきたりだし……
どうだと言わんばかりでタバコに火をつけた先輩を前に、私は、これは笑ってもいいものか? 怖がるべきなのか? と悩んでしまった。
先輩相手なので、取りあえず笑っておこうとしたが、笑った私の顔はきっと引きつっていた事だろう。