三蛇祭
沢山の紫陽花が咲いていた。梅雨の雨に濡れながらも美しく気高さを保って咲いていた。
そんな頃、俺は、両親に呼ばれて山間部にある過疎の進んだ田舎に帰った。
仕事が忙しくて、3年ぶりの帰省だった。
三蛇祭があると言う。70年毎に行われるこの山奥に伝わる奇祭だから、俺も親父も参加するのは初めてだった。
地域の老人たちも子どもの頃以来だから、仕来り(きたり)は口伝で伝わった形式で行われる。
山中には、かなり広い空き地があり、何年経ってもそこだけ草木が生えない。俺たちはそこに行くらしい。
ただただ何もない地面むき出しの空き地だから、子どもの頃は、良くそこに友達と行って遊んでいたが、聖地だからといつもバレると叱られていた。
そこに酒樽を3つ持っていくだけという簡素な祭りらしい。
起源は、遥か太古の昔……
まだ大和の国が成立する以前に、この地に大雨が降り、多くの民が亡くなったのだそうだ。
その雨を止めてくれと村落の者たちが天に3日祈った所、その場所に空から3匹の大蛇が降臨して、70年毎に酒を供えるという約束の代わりに豪雨を止めたのが始まりらしい。
まったくの埒もない民間伝承だった。
仕来り(しきたり)に従い、年寄りや親父たちや女たちは、酒樽の準備をした。
山に上がるのは30歳までの男子のみだった。人数にして20余名。全員が褌姿になり、近くの神社の境内にある小さな滝で身を清める。
みんな各地から帰って来た男たちや農業を継いだ男たちだった。
清めが終わると全員で酒樽を3つ神輿にして、険しい山道を登った。
最初は、馴染の友人たちと積もる話もあって、和気あいあいと進んで行ったが、さすがに都会に出ていた者がほとんどだったせいもあり、段々と息が上がって休み休みで言葉少なの登山になっていった。
やっとの事で木々が開けて、目的の場所に着いたが、俺たちは、そこにある光景を見て絶句した。
これは何だ?
そこには真新しい立派な社があり、その中に巨石が置かれ、その上に3人の髪の長い女たちが立っていた。
女たちは、古代様式で煌びやか(きらびやか)な服装をしており現代人には到底見えなかった。
彼女らは、こちらを見ながら微笑んでいた。
俺は、地元に残って農業を継いだ年下の奴に小声で、いつのまに社を建てたのかと尋ねた。
そいつには覚えがないようだった。
俺たちは、女たちの前に酒樽を置いて年寄りに聞いて来た通りに祭事を行った。
その途端、辺りを霧が急激に包み込み始めた。
やがて隣りの奴の顔さえ見えない程の濃霧となった。
女たちの高い笑い声が霧の中に響き渡った。
その笑い声は濃霧の中で上へ上へと登って行くように俺には思えた。
そしてその霧の中で俺は、大きな3匹の龍を見た気がした。
誰も声も出せず動く者はなかった。
しばらくして霧が晴れた。
そこには、ただの広い空地しかなかった。社も酒樽も巨石も女たちも、ひと時の夢幻であったかのように消え去っていた。
俺たちは、ただただ、呆然とそこに立ち尽くし続けた。
民間伝承による祭事には、悠久の過去に起こった、何かしらの曰くが付きまとう。今回の謎は誰にも解けないが、きっとその答えはそんな遥かなる過去に、置き忘れられて、誰の手にも届かないものとなってしまったのだろうと、俺は思った。