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久繰村

 調べていたら、不思議な話を見つけたので、ここに記したいと思います。

 広島県の県北といえば、不思議ワンダーランドです。

 稲生武太夫が30日間、物の怪と戦う稲生物怪録いのうぶっかいろくが残されていたり、古事記や日本書紀でイザナミが亡くなったとされる比婆山があったり、その周辺には、原人型UMAヒバゴンが現れたり、酒井勝軍さかいかつときが1934年に最初の日本ピラミッドとして発見した葦嶽山あしたけやまがあったり……

 その他にも、ツチノコの目撃例も多く、ツチノコ饅頭が銘菓として売られていたり、UFOの目撃例も多かったりと、まさに不思議に事欠きません。

 その集落があったのは、そんな広島県の県北だったそうです。

 集落の名前は、久繰村くくりむら

 東京帝大の山下是人やましたこれひと民俗学教授が書いた広島県北風土記を読むと、その村は、明治の中期に廃村になったとあります。

 久繰村は、ククリヒメノミコトを祀る神社を中心に広がっていたそうで、そこに行くには、たった1つの道を通らなければならなかったと記録されています。

 教授によると、その村へ行く道には、道祖神があったのだそうですが、その道祖神は、何故か正面を向かず、村に向いていて、まるで通常のそれと違って、村の中から厄災を外に出さないようにしている感覚を覚えたとあります。

 その村が廃村になった理由は、村民全員が結核にかかり全滅したのが原因だそうです。

 その広島県北風土記には、昭和初期に山下教授と助手数名が、その村落跡を3年かけて発見した旨が書いてあります。

 しかし、その村落は、廃村にはなっていましたが、女性が1人住んでいたそうです。

 とても現代の女性とは思えない出立であったと記されています。

 ただ、その村落については、それ以外に書かれてはいませんでした。

 広島県北風土記は、その他の町村について多くのページが割かれています。

 久繰村の事は、最後辺りに数行だけ書かれていました。

 しかし、この山下教授についても調べてみましたが、その廃村から帰ってきた翌月から、助手たちも含めて体調を崩し、みんな結核で死んでいる事が分かりました。

 山下教授の最後の言葉も残されています。

 とても不思議な言葉なのですが……

「ヒメがいた。ヒメが離さない」

 一体、彼らが久繰村で出会った女性とは、誰だったのでしょうか?

 村民や教授たちが皆結核で死んだのは、偶然でしょうか?

 久繰村は、今ではどこにあったのかさえ、過去の陰影の中に消されてしまっています。


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