魚切ダムの殺意(実話怪談)
大学を出てすぐの頃。私はビデオレンタルの会社に勤めていました。初めは本社にいたのですが、まだまだ若く尖っていた私は常務と衝突ばかりしていて、すぐに店に飛ばされました。
その店というのがそこに行った者は3か月ともたないと言われる店で、客単価が非常に高い…… つまり時間とお金がある顧客が多い店でした。いわゆるヤのつく自由業の方々の事務所が乱立するど真ん中です。
店長はその方々と付き合いのある雇われ店長で実質正社員は私1人。私は意地になって会社を辞めず、半年経った時今度はその店の副店長と右翼団体様の事務所の隣にある店の店長という2店舗への勤務辞令を受けました。どうも常務にはとことん嫌われたようでした。何かと常務に噛みつき続けた結果でしょう。まだ青かったのですね。
生活は、2店舗を深夜に閉めて清算をし、バイクで一旦帰宅してシャワーを浴びて、商品知識向上の為に、会社から命じられた映画やアダルトビデオをメモ片手に5本観てどの常連客に薦めるかを決めて着替えて開店準備と品出しの為に早朝に出勤。アダルトビデオは正直短いので助かりました。観られなかった分は開店準備中や品出しの間に店で観ました。それから開店してバイトが来るのを待って、来たら引き継ぎして後を任せてバックヤードで座って眠る。そんな日々を送っていました。土日祝どころか盆暮れ正月もなく、休めても月1回というブラックぶりで、その休みも店から問題発生の電話があるとすぐに直行という状態でした。勤めて1年半で吐血下血し倒れましたが……
それはそれでリアルな怪談になりそうですが、今日はそんな休みの日に起きた謎の現象を聴いてください。
折角の休みもバイトからの連絡があればアウトでしたので、休みが取れた日にはバイクで峠を攻めに行っていました。携帯電話のない時代、留守にするのが最適な休み方でした。いわば逃亡です。
攻めていた峠は2つありました。廿日市市から吉和村(現・吉和町)へと抜ける峠と広島市佐伯区五日市から北に上がる峠です。
気分によって変えていましたが、その日は後者を選びました。
その峠の途中には魚切ダム(うおきりだむ)という物がありました。峠道を最初からアタックするのは危ないので、そこに行く時はそのダム湖外周を慣らし運転するのが常でした。勿論慣らしですからスピードは出さず乗り方やバイク自体の細かい調整としてゆっくりと走りながらチェックするという作業です。
ダム湖を2~3周したでしょうか? そろそろ峠アタックをしても良いかなと思い、峠道に出る為にダム本体の上に差し掛かりました。
最初は緩い左カーブです。そこをゆっくりと曲がっている最中に異変が起こりました。
バイクをやや倒し込んで安全に曲がっているはずなのにダムの外に向けてどんどんと引き付けられ始めたのです。
アクセルもあまり開けてないのに何かに引っ張られるようにバイクは車輪をドリフトさせながらダムに向かってどんどんスピードを上げて行きました。
このままではダムの転落防止ガードのコンクリにぶつかりハイサイド状態で数十メートルあるダムの下に投げ出されると直感しました。
どんどんガードにスピードを上げながら引き寄せられるバイク。私は曲がっている最中に絶対やっては行けない事をとっさに行いました。クラッチを切り前後ブレーキをロックするまでフルブレーキングして思い切りバイクを倒し込む。普通ならこれで間違いなく転倒するはずなのにまだバイクは倒れずダムへ。
私はぎりぎりでバイクから飛び降りました。
ガッシャ~ン!
バイクはダムのガードに側面を激突させて立ち上がり、それから倒れました。私は皮繋ぎを来ていたので手首を軽く捻挫しただけですみましたが、あのまま乗っていたら間違いなくダムの下に落下していたでしょう。
今考えても、あれは物理的にあり得ません。たしかに砂が多く乗ったアスファルトでの出来事でしたが、無風であれだけ不自然に引っ張られるように動くのは慣性の法則を考えてもあり得ません。未だに不思議でなりません。傷だらけのバイクは起こしてから手で押してダムを渡り、その日はもう帰りました。死ぬよりは店に呼び出される方がマシですからね。
時代が下ってもう峠には行かなくなった頃、ネットが普及して知りました。魚切ダムは自殺者が絶えず、またヤのつく自由業の方によって亡き者にされた方々の遺体が上がる事でも有名な心霊スポットだった事を……
私の科学の知識は狭く浅くなので、あの状況はあり得るのかもしれませんが、今の私では何者かに引っ張られたとしか説明が付きません。どなたか分かる方はいらっしゃいますか?
歳を取って思います。虎穴に入らずんば虎子を得ずではなく、君子危うきに近寄らずである事を……