04
シゲノブはいつもはチャランポランに見えても、確かに約束を守ってくれた。
まったく、シナリオ通りだった。
一周約15分、もう乗ってしまった船、後には退けない。
―― しかし、用意していたシナリオはもうない。
どうしよう、伝えようということばは覚えていた、はずだった。
最後の最後まで紙をみて暗記していたのだ。
頭の中は真っ白だった。
この期に及んで、あのメモを落としたのは痛恨のミスだった。
しかし自らを責めてももう、どうしようもない。
湖畔ととりまく街の灯り、少し離れたところに流れるビーズ細工のような高速道路の長いきらめき、美しい夜景にしばし、香織は見とれているようだった。
静けさがゴンドラの中に満ちて、和人自身の身じろぎの衣擦れすら、耳に痛い。
「あの……」
和人のようやくの呼びかけに、香織がこちらを見た。
大きな瞳の中に、街の灯りが反射していつになく美しく輝いている。
「あの、俺さ」
「何?」
「うん?」
「……楽しかった? 今日」
ああ、と香織は笑いながら息を吐く。「うん、とっても」
「また明日から仕事だねえ」
ついそんなセリフが口をついてしまう。和人は惰性でその後を続ける。
「俺も楽しかったよ、ほんと今日はありがとうね」
香織の肩が少し下がらなかっただろうか?
うつむいたのか、香織の声が少し低くなる。
「いえ、こちらこそ」
「明日はミツオカ商事アポだっけ? 香織ちゃん」
「うんそう」
「俺はまたキタニ物産、あそこの社長と半日お付き合いだよ」
「たいへんだね」
違う、そんな話じゃあない。
和人の思いとは裏腹に、口がそれ以上の話題を出そうとしない。
すでにゴンドラは頂上だ、どうしようもない、もうチャンスはない。
あの、そう言いかけた時、急に気づいた。
エンジン音が完全に止まっている。
耳につくのは、わずかな風のうなりだけ。
そして、景色も止まっていた。