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月影ノ巫女  作者: やすだ洋
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商店街ノ裏道ニテ

 私の母は私がまだ物心つく前に亡くなった。だから私には母に関する思い出がほとんどない。どんな人だったのか、どんなことをして遊んだのか。そして、どんなことを教えてもらったのか。

 でも、これだけは覚えている。母は殺されたのだ。人ならざる存在に、『悪霊』と呼ばれる悪しき存在に。



 * * *



 (すめらぎ)御琴(みこと)は高校生だ。他の生徒と同じセーラー服を着て、同じスカートを穿いている。違うのは靴下とローファーの色くらいである。靴下は黒が多いなか白を選び、ローファーは褐色を選んでいる、という些細なものだ。しかし、一つだけ他の生徒と違う部分がある。御琴は今、その違う部分に大きく関わっている場所に向かっているところであった。

 賑やかな商店街を一本裏道に入ると、そこはとても静かな場所になる。御琴はこの場所が好きであった。誰にも気を遣わなくていい場所だ。自分が今、女子高生らしからぬ全速力で走っていることなど気にしなくてもいい。


「ん?」


 と、まもなく裏道を抜けようという辺りで御琴は走るスピードを緩めた。


「この気配……」


 彼女は完全に足を止めると何かを探るように周りを窺った。なんの姿もない。だが、彼女には何かの気配を感じていた。御琴は緊張を解かない。


「どこにいるの?」


 その瞬間だった。何か冷たいものが背筋を撫でるような感覚を覚えた御琴ははっと後ろを振り返る。


「……!」


 振り返った先に『そいつ』はいた。一見すると犬に見えるが、この世のものとは思えないその巨大な図体がそれを否定する。モコモコの毛で覆われた全身が可愛らしく見えるが、鋭く尖った鉤爪や剥き出しになった牙がそれを否定する。巨大な化け物が御琴の視線の先にいた。


「悪霊!」


 御琴は思わず後ろに飛び退いた。化け物、いや、悪霊の距離があまりにも近かったためだ。


「くっ、人が急いでいるって時に……」


 御琴は愚痴をこぼした。が、悪霊はそれを知ってか知らずか、彼女のほうに歩を進め始めた。


「やるしかない、か……」


 そう言うと、御琴はスクールバッグの中から、十五個の小さい鈴が付いた神楽鈴を取り出した。これは神社などで巫女さんが舞を披露する時に手に持っているものだ。同じように御琴は鈴を手に携える。そして、一度だけ鈴を振る。シャンという可憐な音が辺りに鳴り響いた。次に鈴を持つ手と持たない手を円を描くようにゆっくりと振り上げる。その途中、御琴は次の歌を歌った。


(ぬさ)たつる ここも高天の原(たかまのはら)なれば 集まりたまへ 四方(よも)の神たち」


 それは神楽歌であった。最も基本的であり、とても大事にされている儀式舞だ。神様を招くために神楽殿を清めるという意味を持っている。と、御琴が歌っている時、周りの風景が変化を始めた。アスファルトの地面は砂利道に、電柱は雪洞(ぼんぼり)に、民家はなくなった。御琴のいる場も床が木で作られた演劇などで使われるような舞台に変わった。彼女が歌い終わる頃には周囲の風景は現代らしくないものに変化していた。


「東青 南は赤く西白く 北紫に 染め分けの色」


 御琴はさらに歌った。これは出雲大社から帰る神様を迎え入れるというものだ。次に変化したのは御琴自身だ。滑らかな透き通った生地が空中に現れたかと思うと、少しのあいだ御琴の全身を優しく包み込む。そして、それから解放されると彼女の見た目が大きく変わっていた。Yシャツは白衣(はくえ)に、紺のスカートは丈がくるぶしまである緋色の袴に、褐色のローファーは黒に変わり真紅の鼻緒が付いた草履にそれぞれ変化している。髪の長さも肩ほどから腰辺りまで伸びた。目尻には赤い化粧、口元には口紅が塗られ大人っぽくなる。御琴の姿はあっという間に学生のものから巫女のものへ変わった。


「皇御琴、退魔の巫女としての職務、全う致しますわ」


 巫女となった御琴の話し方はどことなく優雅であった。そんな御琴を見て悪霊は何かを感じたのか不意に走り出した。まっすぐに御琴がいる舞台のほうへ向かう。


「随分と攻撃的な悪霊ですわね」


 御琴は手を差し出した。と、どこからか鉾先舞鈴が現れ、彼女はそれを手にする。その瞬間、鈴は長刀に変化した。御琴は刀を横に構える。


「さあ、参りますわよ」


 悪霊が御琴に飛びかかった。彼女はそれをひらりとかわす。袴がふわりと広がった。悪霊は上手く着地し次の攻撃に転じる。それも御琴は華麗にかわす。それはまるで舞を踊っているかのようであった。優雅に美しく、しかし確実に機会をうかがいながら。


「どうしたの? そんなものでは私に当たりはしないわよ」


 御琴の言葉に、まるで怒ったように悪霊は一吠えした。そして、さらに早く彼女に突進し飛びかかった。


「そろそろ、こちらからも宜しいかしら?」


 そう言うと、彼女は一瞬を狙って斬りかかる。切っ先は悪霊の腹部を掠めた。悪霊は着地するがよろめいて膝から崩れ落ちた。


「さあ、遊びはおしまいよ」


 御琴はそう言い、袂から一枚の長細い紙を取り出した。その紙を指で挟みこう唱える。


「悪しき者よ、その血と魂を我に捧げよ。悪霊退散!」


 すると、紙が一瞬にして燃え尽き、それと同時に悪霊の姿も消え始めた。


「次は良い魂になって生まれ変わりなさい」


 御琴の言葉を聞いた悪霊は改心したように微笑みを浮かべると姿を消した。


「約束よ」


 御琴はそれを最後まで見届けた。


 いつの間にか周りの風景は元に戻り、商店街は活気を取り戻していた。

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