一途な魔女は王の為に其の身を投げ出す
美しい歌声が聞こえた。
此の歌は魔女が人々を惑わし、自分の元に連れてきて食らう為のものだ。だから此の歌に惹かれてはいけない。其の地に住まう人々は口々にそう言った。
でも、僕は其の歌がどうしても気になって夜中、父上と臣下の目を盗んで森の中に入った。
森の中に入ると掠れ掠れしか聞こえなかった歌がはっきりと聞こえて来た。其れは此の国の言葉とは違う言葉で歌われていた。
何と歌われているか分からない。けれど、とても美しくそれ故か心に深い悲しみを植え付ける歌のように聞こえた。
やがて僕が辿り着いたのは森の広場のような所。
大きな湖の上で月の光を浴びながら歌う一人の少女が居た。
其の少女は月と同じ色をした髪にルビーのような瞳を持った今まで見たことが無い程美しい少女だった。
「誰?」
鈴が鳴いたような声だった。
「突然、ごめんなさい。僕はアシュレイ」
「そう。私はアナスタシア」
「此処で何をしているの?」
「何も。ねぇ、アシュレイ、此処に入って来てはいけないって言われなかった」
アナスタシアは無表情でそう問いかけた。ともすれば其れは自分を責めているようにも思えた。
「言われた。でも、とても綺麗な歌だったからどうしても気になって」
「そう」
やはりアナスタシアに表情の変化はない。けれど、追い出そうという雰囲気もないので何となく許されたような気がしてアシュレイは質問を重ねることにした。
「ねぇ、何て歌っているの?此の国の言葉じゃないよね。だから何て言っているか分からなくて」
「此れは古の言葉よ。だからもう此の言葉を理解できる者は居ないの。私も此の歌でしか分からない」
そう言って今度はアシュレイにも分かる言葉でアナスタシアは歌ってくれた。
<此の地に住まうものよ、大地の恵みに感謝しなさい
命の有難みを知りなさい
地は常に我らと共に
決して驕らず、全てのものに生かされていることを知りなさい
世界はあなたの一部 あなたは世界の一部
そうあるように生きなさい
我らは貴き古き一族の末裔 誇りを持ちなさい>
「いい歌だね」
「ありがとう」
ほんの少しだけアナスタシアは笑ってくれた。
とても可愛らしく、儚げな笑みにアシュレイは一発で落ちた。
其の日からアシュレイは父や臣下の目を盗んでアナスタシアに会いに行くようになった。
一緒に過ごすうちにアナスタシアは少しずついろんな表情を見せてくれるようになった。
けれどアシュレイは父の視察に同行して此の地に来た。其の為明日には帰還しなければいけなかった。
アシュレイはアナスタシアに必ずまた会いに来るという約束をした。
あれから一〇年
アシュレイは王子から王になっていた。
そして今は戦時中だ。
「怯むなぁ」
戦場にアシュレイの叱咤が飛ぶ。彼の顏にも服にも血がこびり付いていた。
兵士たちは疲弊し、勝ち目はないものと思われた。
「陛下、お逃げください」
傍に居た兵士の一人が居た。
「もう我らに勝ち目はありません。どうか陛下だけでも」
「ならん!」
「しかし」
「俺は此の国の王だ。俺には民を守る義務がある。民の為、今尚戦っているお前達の為にも俺が此処で退くわけにはいかない」
「・・・・陛下」
絶望に沈みかけた兵士たちの目には一八歳になったばかりの若き王が絶対の王者、希望にも見えた。
とは言っても戦況が変わるわけではない。
どうしたものかと思いあぐねていると歌が聴こえた。
「何だ、此の歌は?」
味方も敵の兵士も急に聞こえて来た場違いな歌に一旦戦いを忘れてしまう。
全てを洗い流すような戦慄の歌。此の歌には聞き覚えがあった。
「・・・・・アナスタシア」
思わず呟いた言葉に応えるかのとうに美しい金糸の髪にルビーを嵌め込んだような美しい姿をした女が戦場に降り立った。
美しく成長した彼女は眼前の敵に向かって手を伸ばし、薙ぎ払うような仕草をした。すると突風が吹き荒れ、敵のみを排除した。
絶望的な勝利が突如現れた見目麗しい女性によって簡単に盤がひっくり返されてしまった。本来なら喜びに騒ぐところだがあまりにも突然の出来事で全員固まってしまった。
「アナスタシア、本当にアナスタシアなのか?」
女性はゆっくりとアシュレイに近づき、其の場で跪いて頭を垂れた。其れは臣下の礼だった。
「アシュレイ、願ってください。あなたの願いを私が叶えましょう。あなたが守りたいと望むものは全て私が守りましょう。だから願ってください」
「アナスタシア、何を?」
「アシュレイ・フォン・デュラハン・ギュンター。魔女最後の末裔であるアナスタシア、あなたに忠誠を誓います」
『魔女』という単語にざわめきが起こり、序に一振りで全ての敵を倒してしまったアナスタシアが自分達の味方であることに兵士たちは今度こそ勝利を確信し、歓喜した。
そんな中、一人取り残されたアシュレイだけが茫然と美しく成長したかつての友を見つめていた。
戦勝会が終わった後、アシュレイはアナスタシアを連れて部屋に行った。
「どうしてあんなことを?」
「私が来なければ、あなたは信じていた」
「お前は自分が何をしたのか分かっているの?あんな力を見せられて周りがお前を利用しようとやって来る。お前の力を使って他国を侵略しようと考える者も現れるかもしれない。そして最後にはお前の力を恐れ、お前を処刑しようという者が現れるかもしれない。
お前はあまり人と関わらないから分からないかもしれないけど、人というのは何処までも愚かで何処までも欲深い生き物だ」
「知っているよ。私は『魔女』と呼ばれてずっと迫害を受けて来た。己を守るにはいつも己だけだった。正直、人間なんてどうでもいい。生きようが死のうが私には関係ない」
「だったら何故?」
「アシュレイのせいよ。あなたが私の前に現れたから。私のことを知りながらも普通に接してきて。あなたが現れる前までは私は幸せだった。なのにあなたが現れてから私は孤独になった。
あなたは言ったわ。会いに来ると。私は其れをずっと待ってた。もしかしたら明日かもしれない。明日がダメななら其の次の日かもしれない。あなたに分かる?私がそんなふうに思いながら日々を過ごすのがどれだけ孤独なのか」
「其れは」
「利用したければすればいい。邪魔なら処刑すればいい。でも、私はもう孤独に生きるのはいや。あなたを失うのはもっといや。私はあなたの傍に居たいの。其の為ならどうなったっていいし、どんなことだってやるわ」
一途な想いにアシュレイは一〇年前のあの日から一度として忘れることはなかった恋心に火が付く
「お願い、傍に居させて」
「っ!」
気がついたらアシュレイはアナスタシアを抱き締めていた。
「本当にいいんだな。もう、後戻りはできない」
「たとえ行き着く先が地獄でも構わない」
「なら、共に堕ちよう」
闇に止めてしまいそうなアシュレイの漆黒の髪がアナスタシアの顔に触れたかと思うと優しく温かい彼の唇がアナスタシアの唇に触れた。
其れはアナスタシアが一〇年間ずっと恋い焦がれて来た温もりだった。
目が覚めた時、アナスタシアもアシュレイも生まれた時と同じ姿のままだった。
「おはよう、アナスタシア」
「おはよう、アシュレイ」
とても幸せだった。知ってしまったらもう二度と此の温もりを手放すことができないだろうとアナスタシアは思った。そして其れはアシュレイも同じだった。
王宮内ではアナスタシアの存在を危険視する者も居たが、今は侵略しようとしてくる列強諸国から自国を守ることを最優先にすべきだ。少なくともアナスタシアは自分達の敵ではないという声が大きく彼女を排そうという声は少なかった。
其の日からアシュレイの横にアナスタシアは立ち、魔女の力で国を敵から守り続けた。
アナスタシアの存在を列強諸国や自国の民に知らしめようという声が勝利の数と共に増えていったがアシュレイは徹底してアナスタシアの存在を公の場に出すことを禁じた。
脅威が去った後、アナスタシアの存在を危険視する者が増えることを危惧してのことだった。
だが、人の口に戸は立てられない。
アシュレイの傍には魔女が居るという噂が半分は冗談で半分は本気で国民の中で囁かれるようになった。
そんなある日、アナスタシアの活躍により他国のむやみな侵略が鳴りを潜めだした頃、アシュレイはアナスタシアを正妃に迎えるという声明を出した。
国の為に戦い、勝利を治め続けたアナスタシアとの婚姻を反対する者は居なかった。魔女の力を独り占めしたいという打算も勿論あったが。其れでもアシュレイは一〇年来の初恋を実らせ、堂々と彼女に愛を囁くことが赦されたのだ。
やがてアシュレイとアナスタシアの仲睦まじい様子は国民の中では知れ渡る様になっていき、国は幸せに満ちるようになった。
結婚から半年後、アナスタシアは懐妊。
生まれたのはアナスタシアの金色の髪とアシュレイの青い目を受け継いだ女の子と黒い髪と青い目をしたアシュレイそっくりの男の子の双子だった。
更に三年後には黒髪、赤い目の女の子が生まれた。
孤独の魔女は愛する家族に囲まれ、もう二度と孤独に震えることはなかった。