おおかみと 朝焼けの情熱
みんな学校に慣れてきて、特に目新しいことをするでもない毎日。
そんな退屈な日常の退屈な授業の合間にちらっと先生が言った言葉は退屈を鬱屈に変えた。
「来週は中間テストです」
教室が少しざわつく。 学校に慣れた矢先にくる負のビッグイベントだ。
そして中間テストに向かって、ここ一週間は勉強だ。
凛は勉強は押し付けられているという感じで嫌いらしいが、理由をしっかり教えてくれて分かりやすい化学の先生は好きらしい。
僕も凛も普段ロクに勉強していないせいもあり、徹夜でやる羽目になったのだ。
今日のテストは国語や世界史など、暗記系科目だったので一夜漬けで何とかなり、ほっと一息だ。 学校の終わりも早く、そのまま帰ってきた僕と凛。
「暑いな」
「暑いね」
「だからって、服を脱ぐなよ」
「しょうがないじゃん……暑くてクタクタなんだもん……」
季節はもう夏。 照りつける太陽の陽射しが強くなり、日に日に暑くなっていく。
窓からは夕焼をバックに群れを成して飛ぶ鳥の影が見えた。 オレンジの光が山の輪郭を徐々にぼかしていく。
喉が渇いたようで、凛はアイスカフェオレを飲んでいる。 あの自然で暮らしてた時にはなかった苦味と甘みが好きらしい。
全部飲み終わった後も氷をガリガリと食べている。
普通に見るとなんだか可愛らしいが、その口角に覗かせる鋭い犬歯がギラりと光った。
夜になっても蒸し暑い空気は存在感を残し、何時までも付きまとってくるのだ。
シャーペンを握る手から垂れた汗がノートにしみを作った。
凛は尻尾をパタパタと振って風を起こしているが、この微妙な風では全然涼しくならない。
「ふぁああ……なんだか眠くなってきちゃった」
もう夜分遅い時間だ。 夕焼けの暑さが去った後に残された星空から涼しい風が流れてくる。 ちりんと軒にぶら下げた風鈴が透き通る音で風を教えてくれる。
徹夜で僕の体内時計はずれにずれ、今はまったく眠くない。
「わたしは……もう寝るね……」
「ああ、おやすみ」
凛はすっぽんぽんで大の字ですうすう寝息をたてて眠ってしまった。 今となってはすっかり家の風景になっているが、僕にとっては夜の森で凛に初めて出会った喜びと、初めて女の裸を見たというあの日の興奮を思い起こさせる。
すうすうと息をするに連れて上下に動く控えめな胸に、その頂きの桃色。
半開きの柔らかそうな唇から漏れる寝息。
脳裏にこびりついて離れない『あの時』の凛とは、同じようで全く違う……彼女は紛れもなく『女』なのだ。
それに、すべすべした健康的な小麦色のお腹の少し下のほうを見やれば、つるつるで何もなかったあの時と違い、すっかり大人になっている。
そんな大人の狼の女が、床で腹を上にして寝息をたてて寝ている……その無防備な横顔を見ていると、自分の鼓動が早くなるのを感じた。
……ち、違う……凛は……ともに暮らす家族だ。
そう自分に言い聞かせ、寝息たてて寝ている凛を脇目に、僕は自分の布団に潜り込むと、軒先の風鈴がチリンとなった。 涼しく暑い夜だった。
#
身体が熱い。 いつの間にか布団を蹴っ飛ばして、お腹丸出しで寝ていたみたい。
隣を見るとぐっすり寝ている敬之が見える。
窓から見える外の明るさは、山で暮らしていた時によく見ていた日が昇るちょっと前のそれだ。 山の端が次第に白く縁取られていき、眩い朝日が一直線に差し込む、なんとも神秘的な瞬間。
身体が熱い。 窓は開いており、心地よい涼風が鳥のさえずりとともに頬をさする。
向かいに見える木の葉には朝露が滴っている。 黒い影を鬱蒼と纏う森を照らすオレンジの光。
夜は漆黒の闇。 月明りと己の目力だけが頼りの生活では雲がかかると何も見えず、腹が減っても満足に動けない。
この朝日の安堵感、その裏の恐怖、そんなしがらみをわすれ楽しむ事が出来るのも、あの日偶然現れた敬之に人間界の橋渡しーー服ーーを貰ったからに他ならない。
身体が熱い。 心臓がドキドキする。
熱い、熱い……足の裏が汗で滲んでいる。
気がついたらハァハァと息をしている。 頭がぼんやりする。
わたしはふらふらとした足取りで冷蔵庫へと足を進める。
ガバッと乱暴に扉を開け、冷やした水をコップに注ぐ。
水を飲むがまだ熱い。 氷を入れてもまだ熱い。 ついにはまどろっこしくなって口を直接水指しにつけ、一気に飲み干した。
熱い……熱い……
何故かこの熱さがなくならない。
この熱いが次第に怖くなってきた……
ゆっくりと敬之のそばに座り、その寝顔を見つめる。
一人じゃ怖い、一緒にいたい……
側に座ると、敬之の寝息、身体の汗、匂いを感じる。
そばにいる……そばにいると落ち着く……
しかし熱い……熱い……
そのままひざ立ちになって敬之の隣に行き横になる。 座っていた場所にはじっとりと染みができていた。
なぜだか、そばにいると落ち着いてくる。
「敬之……わたし、ヘンになっちゃった……」
モヤモヤした気持ちが闇に溶けていく……
敬之を後ろから抱きかかえて眠ったいた。 まるで朝焼けのモヤにくるまれるように。