からすと夕焼けの勉強会
今日は大型連休に関する職員会議があるらしく、珍しく午前授業だっていうのに、不吉な知らせ、それも鉄球レベルに重たい告知が耳にシューットされた。
「君たちには残念なかも知れないが、今日は抜き打ちテストを行う。」
「エェーーーッ!!」
「最下位のペケは晒すから覚悟しとけよ」
「……。」
僕が最も恨めしいと思っている数学が抜き打ちとは。早く帰れるとウキウキしているみんなの心をふっと冷ます恐ろしい言葉に、一人が反旗を振りかざした。
「最下位なんて可哀想な人を掲示するより、イチバンの人を表彰してあげたほうがいいと思います。」と大体テストで一番の優等生の広尾美希が言った。犬の獣人らしく、素直でまじめで他の先生からの評価がいい彼女でも反抗するときはするんだなぁ、とか思っていると先生がおもむろにグルッ……と振り向き、恐ろしい眼光を浴びせながら言った。
「こんな出来て当然のテストでイチバンいい成績の奴を晒したところで面白くもなんとも無い。大体、晒すとは言ったが誰が掲示するといった?」
教室は一瞬でシンと静まり返った。
「ペケの奴には罰ゲームがある。お楽しみにな。」
なんてこった。更に範囲は難解な巡回群だ。何だよF5って。0から4までの数しかない数学なんて人生のなんの役に立つんですか!
当然分からず玉砕。先生曰く「手加減してやった」らしく問題が全部選択だったが、まったくわからん。今日中に採点を行って、ダメな奴は処刑として名前を晒すらしい。
先生曰くオート採点システムを導入したらしく、赤ペンでマルバツをつけてスキャンすればいいが、ちゃんとマルを閉じないと認識しないとか誤作動が多いとかで、楽になったかどうか分からないとか。そんなのどーーでもいいわッ! 気が散るからテスト中に喋るんじゃねェ!
先生のひとり言と自分の集中力がテスト用紙のリングの上で火花を散らす。
カウント3、2、1! 授業の終わりの鐘が鳴り、僕はメッタメタにKOされた。
燃え尽きた亡骸を拾い集めるかのようにテストが回収される。教室が一気に賑やかになった反面、僕は静かに戦慄えていた。
その後の授業は特にかわりなかった。ただ生物学の入江先生が「会議っつてもヤバイ人に注意するよう言ってねーって校長が言うだけなんですよね。ほんと無駄。なのでみんなの注意してねー。あと僕帰りたい。」とか言っていたので、先生も早く帰れて嬉しいらしい。
何事もなく帰りのホームルームも終わり、悠介と久しぶりに近所の力の飯屋にでも行こうかと話していたその時だった。
「ーーえー1年2組の最下位の青木くん。可及的速やかに数学科準備室まで来たまえ。学年で最もだめで賞をとったおめでたい君にお祝いをくれてやる。」
え、僕!? ってか晒すとかいってたけど全校放送ってマジかよ! ふざけんな先生……
「早くこないともう一度呼ぶぞ〜。もしかして校庭にでもいるのかな〜?」
や、やめてくれええぇぇぇぇぇぇ!!!
わかった、わかりましたよ! 行きたくない感全開だが数学科準備室まで急行した。
勢いよく扉を開けて、超急ぎました感を演出したが、
「早く来いよ、のろまめ。今回のテスト範囲は中間で問われる問題を解くために必要な超超超基本的概念だ。それがわかっていないようだからキッチリと仕込んでやる。覚悟しろよ。」
サングラスの向こうの瞳が怪しく光った。
「フフフ。選ばせてやろう。我輩特製のこの超難関問題1問か、我輩特製の『夏休みの親友 問題たっぷりスペシャルドリル』1冊か。」
#
「はあーーっ、やっと終わった。」
長いため息が、夕日で染まった廊下にこだました。
「なあ敬之、そんなに落ち込むなよ〜」
こいつはどうも、前回の抜き打ちテストでボロボロだったらしく、あの狼ちゃんよりも点数が低かったようだ。
僕は80点と良かった方だったが、ミスった10点がスゴく単純なミスだったので、敬之を迎えに行ったら揃ってお説教を食らってしまったという按配だ。
「なあ、悠介……どうやったらそんなにいい点取れんだ?」
「特に何もしてないんだ。ごめん」
「もったいぶらずに教えてくれよ〜〜」
「ほ、本当だぜ……」
藁をもすがるような目でこっちを見てくる。しかしながら実際特別な事は何もしていないので何も言えないんだ……と言いかけて、嫌な思い出が頭の中に浮き沈みし始め、その虚像がハッキリとしてきて僕は戦慄した。
そうだ、親父と母さんの影響で数学が得意な姉ちゃん達は、毎回僕のテストの点数で賭け事をしていたんだ。それの内容がプッチンできるプリンを誰が食べるとかのプリティーなもんじゃなく、点数が90点を切ると行われる、恥晒しの処刑をするかだった。
90点取ればセーフ。取れなきゃ予想した値に近い姉が処刑る感じで、学年が近い末の姉のカンが鋭く、よく電気あんまや4の字固めを食らった覚えがある……
あれ……今回の僕のテスト90点以下だ……いや、もうしないっしょ。だって高校生だぜ?
とか頭の中のもう一人のボクと対話している間に家に着いてしまった。
「あ、人間だっ!」
「あ、人間じゃん!」
家に来るなり姉さん達がワッとやってきた。お盆で帰って来たらしい。
「アンタの友達? ちっこくって結構かわいいじゃん。」
と、一番上の姉の夕月がずいっと出てきた。
「ちょっと顔クラいけどね。」
三番目の姉の奈美がクスッと笑っている。
こいつらは何をしでかすか分かんないので、二番目の姉、祐希に頼む事にした。
「なあ、祐希姉いる?」
「祐希ならさっきまでいたけど、どうしたの?」
「友達がさあ、数学をどうやって勉強すればいいか分かんないって言っててさ、
祐希姉ちゃんは教えるの上手いから頼もうって思って」
奥を伺いながらそう言った途端、奈美姉ちゃんはにやっと笑った。
「おー勉強会とはあやしーなぁ?
もしかして、テストとかあったりしたんじゃない?」
すると、奈美姉ちゃんと目を合わせて頷いた夕月姉さんが
「ねえ、敬之くん、テスト範囲ってどこだった?」
「えーっと、二次関数とかでしたね。」
「あーその辺りかー。ありがとね」
というがいなや、2人コソコソと話し始めた。
「二次関数だって」
「あいつうっかりミスはしないのよね、意外と」
「でも理論がガバガバだから、小問丸1つ々ペケと見た」
「1つかしら?今までの統計データに基づくと、理論の問題だと正解率が70パーぐらいだから2つはいっちゃてんじゃない?」
「じゃあ、あたし80」
「せいぜい70よ、きっと」
すると奈美姉ちゃんがくるりとこちらを振り向いて、
「祐介、テスト何点だった?」
と聞いてきた。
「出しなさい」
とにっこりと脅迫してくる同時に、背中のリュックがガサガサと音を立てた。
「あー、あったよー。えーっとね……80みたい」
ふと振り向くと後ろに祐希姉がいた。
「キミが、勉強見て欲しいって来てくれたコ、かな?」
と祐希姉が敬之に話しかけると同時に、奈美姉ちゃんは僕をツンツンと指でつついて
「ちょっとおいでよ」
と小声で言った。
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久し振りに虐めてあげられる日が来た。
一緒についてきた友達は隣の部屋で祐希姉さんと勉強をしているみたい。
「ね、姉ちゃん……」
とすこし怯えた表情で立っている弟がとてもいじらしい。
後ろからぎゅーっと抱きついてみた。
「うわっ、ねーちゃん!!」
ちょっと戸惑っているのが実に可愛い。実に男の子ってカンジ。
あたしは当てられるモノがあまり無いけど、ウブな弟の事だ、あったらきっと、もっと面白い反応をするんだろうな。そしたら思いっきりからかってやろう。顔を赤くして「姉ちゃん、なんか当たってる……」なんてシーンが頭に浮かぶ。
「80点だったんでしょ? あたし、ぴったり当てちゃった! だからあたしが、ネ?」
「な、何するん……!!」
ふさふさと羽根で首元をさすってやると、弟は体をビクッとさせた。こいつはくすぐり攻撃に弱いのだ。ちょっとくすぐるとスグに縮み上がってしまう。
「あはぁっ……! 姉ちゃんやめてよぉ……」
「やーめない。我が家で数学で悪い点を取ってしまう悪い子にはお仕置きをしなくちゃ」
首や耳の裏、脇をくすぐると身体を捩って逃げようとする弟を脚でギュッと抑え込んだ。伊達に高校時代バスケで鍛えていない。フライングシュートの奈美と恐れられたこのあたし。シュートの要のジャンプ力を支える足のパワーで男友だちをヒイヒイ言わせた、このあたしにかかれば絶対に逃げられない。
「ひぅっ……ね、姉ちゃん」
「いいのかな〜〜? 変な声出したら、友達に姉ちゃんとナニかやってるシスコン野郎って思われちゃうぞ〜〜」
「……!? ね、姉ちゃ……んあっ……」
ふにふにと足の裏をくすぐってやる。
ン〜、いい反応。昔から天然で誘ってる感がすごくソソる……
コチョコチョと羽根で足の裏からふくらはぎ、内股……どんどん上って……
「わ、ああっッ…………ね、姉ちゃん……!!」
お腹の脇をくすぐってやる。体を捩って逃げようとしていく程、関節の動かせる範囲が狭まっていく。どんどん追い詰めていき……
「ひ、ひぁぁぁ……」
首を右翼で抑え込み、左翼でフサフサとその剥き出しの首をさすってやる。
「ふふふ……ここがいいんか〜〜?」
体が勝手に反応してしまう弟。もう10年以上面倒みているのだ。しかし体の隅々まで知り尽くしている訳ではない。まだ弄ったことがない場所がある……
男と女で微妙に違うとこ……年頃になって顕著に違ってくる部分。
隣の部屋では祐希姉さんとこいつの友達が"勉強"をしているんだろう。こんな時にこんなところをイジイジしたら、どうなっちゃうんだろう。あたしだって、さわさわとさすられたらちょっとキちゃうのに、こいつにしたらどうなっちゃうんだろう。
少しドキドキしてきて、ゴクリと生唾を呑んだ。さすがにヤバいって。だけど好奇心が止まらない。スーっと左翼を伸ばし、もがく弟のまだ知らない部分、そう、尾羽に触れてしまった。
「……?」
あれ、おかしいな? 反応がない!?
さわさわさわ……と弄ってやるが、一向に反応がない。
鳥人の尾羽は体型に合うように男女差が大きい部位だけど、もしかして感度も違うの?
頭の中で知識と疑問の2匹のネズミがカラカラと車を回す。その刹那、目の前の光景がひっくり返った。
「ね、姉ちゃん、よくも色々とやってくれたなぁ……」
ぐっと押し倒されて抑えつけられる。しまった! 油断した……
しかしもう遅い。翼に力が入らない。いくらへっぽこ男の子でも男なんだ。体が重く、ぐっと押さえ込まれて身動きが全く出来なかった。
「姉ちゃんって尾羽弱いの?」
「え?」
と声を漏らした時だった。
さすりさすり……と、あたしの手つきを真似するようにさすってきた。
表面をするすると撫でられるくすぐったいような刺激に体が反応してしまう。
「あっ……ヤダっ……!」
もじもじと体を動かすが逃げられない。いつの間にか弟は力がついて逞しくなっていたことを実感するが、体を抑え込まれて、少し硬い翼でさわさわと無理矢理くすぐり刺激を与えられる。
今までの仕返しだとばかりに容赦なくくすぐられていき、押さえつけられたバネがさらに押し込まれるように、体にくすぐったいという弾力がたまっていく。
「ううっ……も、もうダメ……」
「もうダメなの? 姉ちゃん」
抱き合うように抑えつけられているので見えないが、スゴく嬉しそうな顔をしてそうだ。こちょこちょ地獄で体が熱くなってきたし、なぜだかドキドキする。体が逃げようと反射的に動く。
「ひゃあっ……あぁぁ……も、もう……」
ホントにもうダメ、ヘンになっちゃいそう……と思ったその時、ドスンと音がして、弟がひっくり返っていた。
「ね、姉ちゃん……」
と弟は言い残し、気絶してしまった。
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悠介のお姉さんの祐希さんは、ゆったりした喋りでとても分かりやすく教えてくれた。ただ応用とか高度な事に脱線しがちな事を除いてはだが。しかし、いつも隣で見てくれたので、分からないとこや無駄な解答とかをすぐ教えてくれて、復習がスムーズに進んだ。
さあ、勉強を終わろうかと思ったその時だった。
ドスン、という音が壁に響き机の上のペン立てが倒れた。
いったい何があったのだろう?
隣の部屋をのぞくと、なんと悠介がひっくり返っていた。
その隣には、お姉さんが顔を真っ赤にしてなにやら息を切らしている。
い、いったい何があったのだろうか?
復習した範囲の疑問は解決したが、白根家の謎は深まるばかり。
しかし、もう日はとっくに暮れて夜になっていたので、僕はお礼を言って白根家を後にした。