表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/7

アバウト・ア・ガール(後篇)

あれから、一か月が過ぎようとしていた。

「今日はお疲れみたいね」

 フレッドが料理の注文表に目を通していると、テーブルの向かい側に座っているスカーレットが心配そうにこう言ってきた。

「何故そう思う??」

 フレッドは顔を上げ、スカーレットの方へ目を移す。

「……何となく、いつもより顔色が少しだけ良くないような気がするわ」

「……そうか」

 前日の夜、フレッドは十年程前から時々見る、ある悪夢にうなされ、今日は寝不足気味だった。

 しかし、それは少年時代から抱え続けている自身の心の傷が原因で引き起こされているものだったので、フレッドはあえて何も言わなかった。

「もしかして、体調が良くないとか??」

「あ??確かに昨夜は余り眠れなかったが、特に体調は悪くない」

「それなら良いんだけど……。毎週毎週夜遅くまで付き合ってもらってて、何だか申し訳ないな……」

「俺が言い出したことなんだから、あんたが気にする必要は一切ない」

 スカーレットはまだ何か言いたげな顔をしていたが、そこへ丁度ウェイトレスが通りがかり、フレッドが料理の注文をし出したため、この話題に関してはこれで打ち切りとなった。

 ウェイトレスが立ち去った後、フレッドは再びスカーレットに向き直る。すると、フレッド達の席から見て後方右の席に座っている若い女性の二人組が彼等をチラチラと盗み見しながら、ひそひそと話始めた。

「ねぇ、あそこに座ってる人、すっごく格好いいと思わない??」

「うんうん。下手な舞台役者より、うんと整った顔してるよね。何て言うか、線が細くてちょっと陰のある美形??って感じ??」

「あーー、分かる気がする!それより、あの女の人、もしかしたら恋人かなぁ??前にこの店に来た時も確か一緒にいたし」

「そうじゃない??うーん、女連れじゃなければ声掛けたのになぁ」

 声を潜めているつもりなのだろうが、人一倍耳が良いフレッドには彼女達の会話は筒抜けになっている。どうやら、スカーレットにも話の一部始終が聞こえていたようで、顔を真っ赤にして恥ずかしそうに顔を伏せている。

「……まぁ、年が近そうな男女が二人きりで食事をしていたら、ほとんどの人間は夫婦か恋人同士だと思うだろう。気にするなよ」

「……フレッドは、私なんかとそういう風に見られるのが……、嫌じゃないの??」

「別に??そりゃあ、俺に妻か恋人か、あるいは意中の女がいれば困るだろうが、生憎そんな相手はいないんでね。あんたは嫌なのか??」

「い、嫌だなんて、とんでもない!!むしろ、フレッドみたいな魅力的な男の人と毎週食事できるなんて……、ありがたいというか、畏れ多いというか……」

 相変わらず赤い顔のまま、大袈裟なまでに頭をぶんぶんと振るスカーレットが可愛いやら可笑しいやらで、フレッドはついつい表情を緩める。そんなフレッドを見て、スカーレットは真面目な顔をして言った。

「フレッドはせっかく綺麗な顔をしてるんだから、今みたいにいつも笑ってたら……、もっと素敵だと思うんだけど」

「確かにそうかもな。容姿に関しては人並み以上だと自分でも思うし」

「……わぁ、それ、自分で言っちゃうんだ……」

 唖然とするスカーレットに構わず、フレッドは更に続ける。

「生まれた時から、やれ美形だの綺麗な顔立ちだと散々言われ続けているし、道を歩けば大半の人間が俺を見て振り返るんだから、嫌でも自覚せざるを得ないだろうが。ただし……、俺自身はこの容姿を気に入っていない。この顔を鏡で見る度、自分にはあの男と同じ血が流れていることを感じずにはいられないからだ……」

 そう言った直後、フレッドは思わず口元を手で抑えた。

(一体、俺は何を言ってるんだ?!)

 恐る恐るスカーレットの様子を伺うと、彼女も彼女で聞いてはいけない話を聞いてしまったとばかりにそれぞれ色の違う両の目に困惑の色を浮かべて、気まずそうにしている。

「……いや、その……。……すまない、今の発言は聞かなかったことにしてくれないか……」

「……分かったわ……」

 とは言ったものの、一瞬にして重くなった空気を上手く変えられるような明るさや巧みな話術を、フレッドもスカーレットも持ち合わせていない。双方共に不器用で口数が決して多くない性質だと、こういう時は互いに黙り込んでしまう。普段なら、スカーレットとの間の沈黙は決して苦にはならず、むしろ心地良いとすら思っているのだが。

 もう一つ、聞かなかったことにして欲しいと言った癖に、フレッドはスカーレットに全てを打ち明けたいと言う衝動に駆られていた。何故だか分からないが、スカーレットに自分の身の上を知ってもらいたかった。

 他人に対してこんな気持ちになったのは、かつて付き合っていた元恋人のナンシー以来だ。しかもスカーレットは恋人でも何でもない、ただの音楽仲間と言うだけの関係なのに。フレッドはしばらくの間迷っていたが、意を決してようやく口を開く。

「……やっぱり、あんたには話そう」

 そしてフレッドは、自分の生い立ちや実の両親、家族との繋がりをポツリポツリとスカーレットに語り出した。時間としては五分か一〇分程度の短いものだったのだろうが、ひどく長い時間語り続けていたような気がした。それだけ、この打ち明け話をすることは自分にとっては気が重たく苦しい作業なのだろうと、改めて感じさせられたのだった。

 スカーレットは相槌一つ打たずに、黙ってひたすらフレッドの話に真剣に耳を傾けてくれていた。

 やがて、フレッドが語り終えると再び沈黙が訪れ、しばらくしてスカーレットが遠慮がちに言葉を発した。

「…………こういう時に気が利いた言葉が何一つ思い浮かばなくて、すごく申し訳ないんだけど…………。……でも、その場しのぎの下手な気休めの言葉や半端な同情とかは、貴方のことだからきっと求めていないような気がして……。そう思うと、何も言わずにただ事実をありのまま受け止めるだけの方がいいのかな……って。ごめん、私、言ってること意味不明よね……」

「……いや、あんたが言わんとしていることは何となく分かる。俺はただ話を聞いて欲しかっただけだから、それだけで有り難かった。本当にありがとう」

 フレッドはスカーレットに向けて、軽く頭を下げる。話を聞いてくれただけでなく、スカーレットが自分の気持ちを汲んで、あえて何も言わないでいてくれたことが思いの外嬉しかった。彼女が言ったように、フレッドは同情や哀れみを受けることが何よりも嫌いだったからだ。

 私生児として生まれたこと、チェスターと血の繋がりがないこと、アビゲイルに捨てられたこと、ジルと年齢が一回りしか違わないのに母と呼ばなければいけないこと、マシュー以外の弟妹達とは血の繋がりが一切ないこと……。

 年を追うごとに複雑になっていく家庭事情に対し、「可哀想」と言う言葉に乗せて一方的な同情心を勝手に押し付けられる度にフレッドは「何も知らないくせに分かったような顔して、我が物顔で自論を振りかざすな」と激しい苛立ちを覚えていた。だが、それを理解出来る者はそうそういないということも分かっているのであえて口に出すことはなかったが、スカーレットは不器用なりにフレッドを真に理解しようとしてくれている。

「あの……」

 フレッドが一人で考え込む姿を見て、もしや気分を害したのかとスカーレットは不安げに彼を見つめた。

「あ??あぁ……、すまない、少し考え事をしていただけだ」

 自分が更に空気を重たくしてしまったことに責任を感じたフレッドは、話題を変えることにした。

「ところで話は全く変わるんだが……。あんた、今週末ウーリでライブやるんだったか??」

 唐突に話題が変わりすぎたせいか、スカーレットは「……へっ??」と間の抜けた返事をし、戸惑った様子を見せたが、すぐに「うん、そうだけど……」と答える。

「ルーから聞いたが、今回は一人で弾き語るんだって??」

「うん。しかも、そういう時に限って共演者が初めて会う人ばかりなのよね……」

「いいじゃないか。その方が新しい刺激を受けるし、学ぶことも多いぜ??俺はアウェーな状況の方がかえって楽しめるけどな」

「さすが、ブラックシープ程の実力派バンドのフロントマンは言うことが違うなぁ」

「そうか??だけど実際、アウェーの中でのライブで実力が発揮されるかされないかで、音楽家の真価が丸分かりになるもんだ。スカーレットの場合、自己評価の低さから来る自信の無ささえ失くせば、それだけで随分変わると思うんだが……、と、偉そうに上から目線の忠告をして悪い」

「ううん、そんなことないわ。忠告してくれてありがとう」

「あんたの最大の長所は、人の意見を素直に受け止めるところだな。俺も人のこと言えた義理じゃないが、音楽家は頑固で融通の利かない奴が多いから、ある意味希少価値だ」

「案外そうでもないよ??曲を編曲する時とか、割りと自分の意見を絶対に曲げないから、いつもルーを困らせてるし」

「困らせてるというより、どう音楽理論的な面での違和感を失くそうかと頭を悩ませているだけだろ。たまに俺達のバンド練習の休憩の合間に、あんたの曲の譜面見ながらぶつくさ言っている時があるし」

 ルーは両親がプロの音楽家だったことから、幼い頃より音楽に関する英才教育を受けていて、音楽の知識に精通していた。だからこそ、理論など完全に無視した自由奔放なスカーレットの楽曲がかえって新鮮で面白く感じているようだ。

「あぁ、そうだ。もし、その週末の夜空いてるようだったら……、ライブ観に来て欲しいな」

「……観に行きたいのは山々なんだが、すでに別のライブを観に行く予定が入ってるんだ」

 フレッドが申し訳なさそうにスカーレットに断りを入れると、「そっか。先約があるなら仕方ないよね」とあっさりとした口調で返された。しかし、口調とは裏腹にシュンとした寂しげな表情をしていて、フレッドはほんの少しだけチクリと胸が痛んだ。近頃、彼女のこういう表情を見る度に何故か胸が痛むのだ。

「ただ、ライブには間に合わないと思うが……、俺が観に行くライブの終わる時間が早ければ、ウーリに顔を出すだけ出そうか??」

 まただ。いつもの彼なら決して言わないであろう言葉がついて出てきた。スカーレットと接していると、どうも調子が狂ってくる。

「本当?!」

 スカーレットは途端に、顔をパッと輝かせる。

「と言っても、あくまで行けたらの話だ。俺は次の日も仕事があるし、先約の用事が余りに遅くなるようだったらそのまま家に帰るつもりだから、確約はできないぞ??」

「それでも全然良いよっ」

 両手でグラスを持ちながら、どことなく必要以上に嬉しそうな笑顔を浮かべるスカーレットを見て、もしかしたら彼女は自分に対して音楽仲間以上の感情を抱き始めているのかもしれない、と、フレッドは何となく勘付いたのだった。


 そして、スカーレットのライブを行う日に当たる週末の夜になった。

 フレッドは予定通り知り合いのバンドのライブを観に、あるライブハウスに行っていた。イベントは十九時から始まり、目当てのバンドは二十時頃からの出番だったので、各バンドの転換にかかる時間を見積もって余程時間が押さない限り、二十二時前にはここから出られるだろう。

 目当てのバンドの出番が終わり、搬出が終わったメンバー達と挨拶がてら軽い談笑を交わしていると、一人の女がフレッドに近づいて来た。

「久しぶり、フレッド」

 ウェーブ掛かったハニーブロンドの髪を無造作に纏めたその女、シエナはフレッドの馴染み――、云わば、断続的に都合の良い関係を持つ間柄の女だった。

 彼等の関係はこの街のバンド界隈ではそこそこ知られていて、中には恋人同士だと勘違いしている者もいたし、フレッドやシエナに直接尋ねてくる者もいたが、その度に「寝たい時に寝るだけの、都合の良い相手なだけだ」とお互いにはっきり否定していた。

 シエナが声を掛けてきたことで空気を読んだ仲間がその場から離れ、フレッドは彼女と二人きりになった。

「俺に声を掛けてきたってことは、大方フランクに飽きてきたところなんだろ??」

「だって、彼、無駄に大きいばかりで全然大したことがないんだもの」

 シエナはさらりと、辛辣で品のない台詞を平然と言ってのける。

「その点、フレッドは私の良い部分を熟知しているし、淡泊過ぎず、かと言ってしつこくないから、また寝たくなるのよね。フランクとは比べ物にならないわ」

「そりゃ、お褒めの言葉をどうも……」

 フレッドは半ば白けたように、投げ遣りに言葉を返す。

「あら、今日は随分と冷たい反応ね」

「あ??俺は元からこうだが??あんたも知ってて、わざと言ってんだろ」

 身体の相性こそは良いものの、シエナのわざと人を試すような、含みのある言動を取る部分がフレッドは余り好きではない。そう言えば、シエナはスカーレットと同い年だったはずだ。露骨に性的な話となると相槌を打ちながらも、いつも以上に顔を真っ赤にして困ったように曖昧な笑顔を浮かべるスカーレットとは大違いだ。

「……まぁ、いいわ。そういうことだから、今夜付き合ってくれない??」

 フレッドは迷った。ここからウーリまでは結構距離があり、辿り着く頃にはおそらくライブイベント自体は終了しているはずだ。明日の仕事を考えると長居も出来ない訳だし、そうまでしてただウーリに顔を出しに行くだけよりは、これからシエナと寝ることの方が確実に楽しめるだろう。

 だが次の瞬間、あの時のスカーレットの嬉しそうな笑顔が頭を掠めた。ライブには間に合わなかったとはいえ、ウーリに行けば、きっとまたあの笑顔で迎えてくれるだろう。 

 いつの間にかフレッドは、スカーレットの笑った顔を見ることが好きになっていた。

 結局、フレッドはシエナの誘いを断ることにした。

「悪いが、今日はこれから顔を出さなければいけない場所があるんだ。だから、今夜は付き合えない」

「あっ、そ。用事があるなら、まぁいいわ。他の人に当たってみることにするから」

 シエナは肩を竦めながらもすぐに引き下がり、他の相手を探すためにフレッドの元から去って行き、フレッドもウーリに行くために程なくしてライブハウスを後にしたのだった。


 フレッドがウーリに到着したのは二十三時過ぎで、当然すでにライブは終了していた。

 観客もほとんど捌けていて、ライブ後に来たであろう常連客が数人、そしてスカーレットが残っていただけだった。スカーレットはいつものようにカウンターの端の方に座り、一人で酒を飲んでいたが、フレッドの姿を目にすると「あーー、本当に来てくれたんだぁーー」と、零れんばかりの満面の笑顔を彼に見せた。

「いらっしゃいませ。珍しいですね、フレッドさんがこの時間に来るなんて」

 従業員のゲイリーが注文を取りに来がてら、フレッドに話し掛ける。

「あぁ、ちょっとな……」

 フレッドは適当に言葉を濁すと、ウイスキーの氷割りを注文した。

「スカーレット、お疲れ。ライブはどうだったんだ??」

「んーとねぇ、今日は一番目に出たんだけどぉ、共演者が知らない人ばっかだったしぃーー、お客さんもライブの頭からいっぱい来ててぇ、もうすっっごい緊張したの!!でも、ミスもあんまりしなかったしーー、皆割とちゃんと聴いててくれたしぃ、まぁ楽しくやれたから良かったかなぁーー??」

「そうか。自分が楽しめたのなら良かったな。……ところで」

 いつも以上に舌っ足らずな幼い口調でヘラヘラ笑いっ放しのこの様子は間違いない。

「あんた、相当酔っ払ってるだろ」

「うん!!」

 ふふふ、と一人で楽しそうに笑うスカーレットを尻目に、フレッドはカウンター越しにマスターとゲイリーに問う。

「スカーレットは一体、どれだけ飲んだんですか??」

 スカーレットは女性にしては酒豪の部類に入るので、一杯や二杯くらいではここまでは酔ったりはしない。

「……えーっと確か……」

「赤ワインのボトルを一本空けてます」

 スカーレットが注文したものを思い出そうとしているマスターに代わり、ゲイリーが答えた。

「はぁ?!まさか、一人で一本空けた訳じゃないだろうな……」

「そのまさかです」

「……」

「ちなみに、その前にはすでにウォッカトニックと、グラスの赤ワインを各一杯ずつ飲んでます」

「…………」

 フレッドは呆れて言葉を失ってしまった。

「……何だって、そんなに飲んだりしたんだ.……」

「これは僕の予想ですけど……。スカーレットさんは今日のライブでお客さんを一人も呼べなかったみたいで、その分自分が飲んで店の売上げに貢献しようとしたんじゃないかと。あとは、完全にアウェーでしかもお客さんがほぼ満席の中での一番手だったから、出番が終わって極度の緊張が解けた反動もあったのかもしれませんね」

「……にしても、飲みすぎだろ。誰か止めろよ」

「スカーレットさんの場合、どれだけ飲んでも顔に全く現れないし、多少酔っても普段より陽気になる程度だから、なかなか気付きにくいんですよ」

「確かに……って、おい、スカーレット。ここで寝ようとするな」

 隣に座っているスカーレットが妙に静かだと思ったら、俯いてこっくりこっくりと船を漕ぎ出していた。

「私、寝てないもんっ!!」

「あ??かなり眠たそうな顔してどの口が言うんだ。それより、そんなフラフラしててちゃんと帰れるのかよ」

「大丈夫よぉ」

 いつになく泥酔しているスカーレットと接すれば接する程、フレッドの不安は募っていくばかりだ。

「……分かった。俺が家まで送っていく」

 フレッドのその言葉を聞いたゲイリーは、ひどく驚いた顔を見せた。

「フレッドさんがそういうこと言うなんて、意外ですね」

「あ??他の奴に任せたら、スカーレットの貞操が危険だ」

 ところがその発言が周りに聞こえてしまったようで、店にいた常連客達が「お前には言われたくないぞ、フレッド」だの「フレッドさんが一番危険人物でしょう?!」だのと口々に反論し出し、ゲイリーですら複雑そうにしている。

「……じゃあ、こうしよう。スカーレットを無事に送り届けたら、またウーリに戻ることにする。おそらくウーリからスカーレットの部屋まで三十分もあれば往復できるはずだ。俺が三十分前後でウーリに戻ってきたら、スカーレットに一切手を出していないことが証明される。これでどうだ??」

 フレッドの出した提案に「そういうことであれば……」と全員が何とか納得してくれたので、すぐにフレッドはスカーレットの分も含めて会計を済ませた。

「スカーレット、とりあえずあんたの分は俺が払ったし、帰るぞ。歩けるか??」

「うん、大丈夫ぅ」

 スカーレットはフレッドと共に席を立ったが、平衡感覚が麻痺しているせいか、足元が何とも覚束ない。

「……どう見ても大丈夫じゃないだろう……。仕方ない、担いでいくから俺の背中に乗れよ」

 しゃがみながらフレッドがそう言うと、スカーレットは少々躊躇いながらも彼の背中に乗っかかった。

「マスター、スカーレットのギターを店に一晩預かってもらっててもいいですか??」

 いくらスカーレットが小柄な体格で中背のフレッドでも担ぎやすいとはいえ、彼女のギターまで運ぶのは無理だ。

「あ、全然いいですよ。それより、こちらこそお手数掛けてすみません」

「いえ……。その代わり、スカーレットがギターを引き取りに来た時に説教の一つでもしてやってくださいよ」

 マスターはふふっと鼻で軽く笑い、ゲイリーが「フレッドさん、完全にスカーレットさんの保護者になってますよ」と言ってきた。

「……まぁ、手の掛かる妹みたいなもんだし」

 まるで自分にそう言い聞かせるかのようにフレッドはそう言うと、スカーレットを送り届けるために、一旦ウーリから出て行った。

「スカーレット、眠たかったら寝ててもいいぞ。部屋に着いたら起こしてやるから」

「うん」

「その代わり、落ちないようにだけは気をつけてくれよ」

「うん」

「言ってる矢先に早速ずり落ちそうなんだが……」

 フレッドは立ち止まり、スカーレットを背負い直す。

「……頼むから、しっかり掴まっててくれ」

「うん」

 スカーレットは背中に思い切りしがみつき、フレッドは再び歩みを進めた。

 やがて、本当にスカーレットは眠ってしまったようで、耳元では彼女の静かな寝息の音が聞こえ始めていた。

(ったく、俺も男だってのに、安心しすぎだろ……。本当に危なっかしい奴だ)

 自分を信頼してくれているのは良く分かったが、考えようによっては自分を男として意識していないのかもしれない。

 てっきり、スカーレットが自分に気があるかもしれないと思っていたフレッドは自身の過剰な自意識を恥じると共に、ほんの少しだけがっかりした。

(……って、俺も俺で、なぜそこで少し残念がっているんだ。酔いが回ってるのか??)

 先程ゲイリーにも告げたように、スカーレットはフレッドにとって妹のような存在であって、色恋の対象ではない。そもそも音楽関係の女性は範疇外だし、彼はどちらかと言えば年上の女性の方が好みだった。スカーレットのことは可愛らしい女性だとは思うが、女としては意識したことなど今までなかったというのに。

 そんなことを悶々と考えていたら、気付くとスカーレットが住むアパートの部屋の前まで来てしまった。

「スカーレット、起きろ。着いたぞ」

 フレッドの呼び掛けでスカーレットは瞼を開くも、まだ眠たそうにしている。そんな彼女に構わず、フレッドは「ほら、さっさと降りろ」と促し、スカーレットはのろのろとした緩慢な動きで彼の背中からゆっくりと降りた。

「念の為に、部屋の中に入るまで見届けてやるから」

「んーー、ありがと……」

 スカーレットはやはり緩慢な手つきで鞄の中から鍵を探し出し、手元を少しふらつかせながら鍵を開ける。

「じゃあ、俺はこれで行くからな」

 フレッドがスカーレットに背中を向けて、部屋の前から立ち去ろうとした時だった。

 スカーレットがいきなりフレッドの上着の裾を掴んで思い切り引っ張ってきたのだ。

 そのせいで、フレッドは危うく前につんのめりそうになったため、「おい、危ないじゃないか……」と、眉間に皺を寄せながら振り返る。

 すると、スカーレットが今にも泣き出しそうな、弱々し気な顔をしながら、「…………行かないで…………」とフレッドに懇願してきたのだ。

 それは男に甘い誘いを掛けると言うより、親に叱られた小さな子供が必死で許しを乞うようで余りにいじらしく幼気なその姿に、狂おしいまでの愛しさが突如込み上げてきたフレッドは、思わずスカーレットを強く抱きしめそうになった。

 しかし、ここで彼女を抱きしめたら歯止めが利かなくなりそうだと思い、あと少しで触れそうになった手を必死で押さえつけながら、代わりに「また来週会えるだろ??だから、それまで待っててくれよ」と諭した。その声色は、自分でも吃驚するくらい優しかった。

 スカーレットは、それぞれ色の違う両の目を潤ませながら呆けたようにフレッドを見つめていたが、やがて「……うん、分かった……」と返事をし、消え入りそうな小さな声で「……おやすみなさい……」と言いながら、部屋の中へ入って行った。中から鍵を閉める音がしたと同時に、フレッドは足早に部屋の前から立ち去り、再びウーリに向かう。

「……何なんだよ、あれ……」

 スカーレットの、何かに傷ついて縋るような、あの表情は一体――。

 何度振り払おうとしても、却って脳裏に焼き付いて離れてくれないため、フレッドはひどく混乱していた。

 しかし、ウーリに近づくにつれ徐々に平常心に返ってきて、店内に入った時にはいつもの冷静な彼に戻っていた。

「フレッドさん、ご苦労様でした。でも、まさか、本当に時間通りに戻ってくるとは思いませんでした」

 ゲイリーは、フレッドが宣言を守って三〇分弱で戻って来たことが意外だったようだ。

「スカーレットさんのことだから、色々大変じゃなかったですか??」

「あ??」

「いえ、実は以前も二回程、今日と同じようなことがあって。一回目は僕がスカーレットさんを担ぎながら送っていったんですけど、終始『自分で歩けるから降ろして』とジタバタと背中で暴れて、大人しくしてくれなかったんです。その時は、僕がウーリに入ったばっかりで彼女の中で遠慮があったからかなと思ったので、二回目の時にエドさんにお願いしたら、エドさんでも同様に『降ろせ』と暴れたらしくて……」

「……大人しいどころか、人の背中で平気で眠りこけていたんだが……」

「えぇっ!?」

 ゲイリーは信じられないとばかりに、大仰に目を丸くする。

「……そうなんですか。そんなこともあるんですねぇ」

「何にせよ、しばらく禁酒してもらうか」

「ハハハ、確かに……」

 ゲイリーと軽口を叩き合いながら、フレッドはスカーレットに対してますます複雑な想いを膨らませていったのだった――。


「本っっ当――にごめんなさいっっ!!」

 次の食事の際、スカーレットはテーブルに額をくっつけるかの勢いで、フレッドに頭を下げて謝罪する。

「別に俺は怒っちゃいない。呆れただけだ」

「……うっ」

「ゲイリーから聞いたが、今回で三回目だって??ちょっとは学習しろよな」

「……うぅっ」

「ゲイリーやエドや俺だったから良かったものの、あれじゃ万が一襲われたとしても、文句は言えないぜ??」

「……うぅぅっ」

 フレッドはわざと大袈裟に溜め息をついてみせる。

「何回も言うが、俺は怒ってるから言うんじゃない。あんたが傷つくようなことになって欲しくないから言うだけだ」

「…………!!」

 グラスの酒を一気に飲み干すと、フレッドは煙草に火を付ける。

「……ありがとう……」

「あ??」

 怪訝な顔をしながら煙を吐き出すフレッドに、スカーレットは遠慮がちに笑い掛ける。

「フレッドは……、意外に優しいよね」

「優しい奴は、もっと言葉を選んで丁寧に諭すだろうよ」

「そうかな??」

「そんなことよりも、、あんたはしばらく酒は禁止だ」

「うっ……、はい……」

 申し訳なさそうに身を竦めるスカーレットを見ながら、あの日の夜をふと思い出す。

 あの夜から、フレッドはスカーレットの事を毎日考えるようになっていて、彼女に触れてみたいとすら思うまでになってしまった。

(……さて、こんな感情はどうするべきか……)

 灰皿の中の吸殻をぼんやりと見つめる。煙草の火は揉み消すことが出来るのに、スカーレットへの想いは揉み消すことが不可能になりつつあることに、フレッドは人知れず戸惑いを覚えるばかりだった。



(終)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ