1.対面
『恋降る迷宮doll』
今から何十年か前に発表された作品で今では知っている人はあまりいない。
しかし知る人は知るプレミアになっていて、私の実家にある全巻揃った漫画を売れば良い値段で買ってくれることだろう。掲載された雑誌はこの漫画が完結したのと共に廃止されたので、その雑誌もルドルフと一緒に高く売れるとのことらしい。
内容は人間と精霊が共存するアナスタシア王国という架空の国が舞台の恋愛ファンタジー系少女漫画。
アナスタシア王国では精霊ドールが視える人はあまりいなく、しかし精霊にとっては過ごしやすい地域で、人間と精霊がそれぞれうまい具合に共存しているという。
そんな国が舞台の物語で、主人公はアナスタシア王国の外れにある栄えた港町出身だったが、あるとき強力な精霊と契約をしてしまうことになる。
強力な精霊を調査したい研究者達によって、王都にある魔法学院への入学を余儀無くされる。
しかしそこで出会った優しくて慈悲深いこの国の王子様と恋に落ち、めでたしめでたし……とは勿論いくわけもなく、二人の仲に嫉妬した王子様の婚約者に邪魔されつつも二人は徐々に愛を育んでいく。
大まかに言えばそういう話だった。
そして言わずもがな二人の中に嫉妬した王子様の婚約者ってのが私もとい、ルル様である。
しかしまあ、何でよりによって悪役のルルになっちゃったのかしら。
どうせならさ主人公とか、逆に全然関係ない子とかそんなのだったら良かったのに。
文句をぶつくさと思いながら私はある重大なことに気がついた。
あれ、これルル様が私になっちゃったから主人公いじめる人いなくなるんじゃない?
そもそも私は根っからの王子よりサーシャ派だったわけだから、王子様との仲を嫉妬して主人公をいじめ抜くなんてことなり得ない。
王子様を好きになることは……まだ無いとは断言はできない。実際に王子様に出会うと私の中の忿怒が溢れ出して爆発するかもしれないし。
しかしこのルルという悪女、主人公だけでなくその他の気に入らないもの、格下と思ってるものもいじめるのだ。サーシャも自分の懐に入れて自分以外は敵だと洗脳させるくらいだ。
けれど今の私がサーシャに対してそんなことするわけがないというのは断言できる。
あの私の初恋の相手にそんなことはできない。やろうと思えば、小学校時代に何かと張り合ってた同じサーシャ好きで時には喧嘩し、時にはサーシャの良さを語り合ったあの名前も思い出せないお嬢さんにどつき回される。
あいつの頭突きはとんでもなかった。近所の悪ガキ共らを成敗しにいったときのあいつの頭突き、見事だった。
ルドルフのことさえ忘れていた筈なのに、一度思い出すと本当にいらんことまで思い出す。あいつ元気かな、なんて柄にもなく思ってしまった。
この新しく手に入れた世界で何をしたらいいのか。これは多分神様からのプレゼントだ、10代半ばからずっと頑張って頑張ってお金を貯めて働いてきた私への。
ルルがいずれ悪役に回らなくてはいけなくなったときが来るかもしれない。その時がきたら私は一体どうなるのだろうか、それよりもサーシャの運命はどうなるのか。
そうだ! とにかくサーシャが幸せになれるように頑張るのはどうだろうか、後のことは知らんけどサーシャだけには、私の初恋の王子様だけにはこの私の世界でだけは幸せになってもらいたい。
あんな漫画のような結末を迎えてはならないのだ。
とにかく第二の人生、相馬瑠衣子としてではなくルル・スウィンフォードとして満喫したお嬢様ライフをエンジョイしてやろう。
「ルル! 目を覚ましたのか!」
ガッツを虚空に叩きつけるようにして起き上がり、目を覚ませば豪華な天蓋が真上に見えた。
周りに付いていた使用人らしき人達は奇妙な呆けた顔でこちらを見ている。
自分の今のポーズを確認してみるなんとも間抜けな、間違ってもご令嬢がしてはいけない迫力のある愉快な拳を虚空につきつけている。
「は…はは……」
私はいそいそと情けないポーズを正して声がした方へ向き直る。
そこに居たのは、漆黒の綺麗な髪色にサラサラとした髪の毛、長めの前髪を垂らしている。瞳は瑠璃色で切れ長の目、冷徹そうな印象を受ける美丈夫だ。
年の頃は30代くらいだろうか。丁度いいくらいの色気を孕んで、子供からはとうに脱皮し、大人としての貫禄が形になっているとても良い年頃だ。
そしてこの人物も見たことある、正確にはついさっき見た。ルルの肖像画の隣に飾ってあった美丈夫だ。きっとルルの父なのだろう。
漫画では出てくることがなかったのですごい収穫だ。
私はジュルリと涎が出そうになるのを堪える。
美丈夫の二つの瑠璃色の目玉は私を捉えたまま私の目を見つめている。
さすが百戦錬磨な私でも美しい顔でそうじっくり見られては恥ずかしい。私は目を逸らしてしまった。とてもじゃないが直視なんぞできない。
するとその美丈夫は無言の後に立ち上がり
「大事ないなら良い、お前ももう6つだ自分の体調管理くらいは自分で管理できるだろう」
それだけいうとさっさと出て行ってしまった。
「ルル様…………」
周りの使用人達は哀れむように私の方を見つめる。確かに6つの子供にその言葉は中々厳しいとは思うが、私にとってはどうってことなかった。
幼少期から父はいなく、母親は所謂恋愛体質で彼氏ができれば私のことは放置だった。そんな私は風邪をひこうが、熱が出ようが自分でなんとかするしかなかった。そんな生活を物心ついた時からやってきたんだ。
そんなどっかの母に比べたらどれだけ情のある人物か。
倒れたと聞いて来たのだろう。あの感じ、私が目を覚ますまでずっと見ていたのかもしれない。
ルルの父だ、何か言いたくてもプライドが邪魔して言えないのかもしれない。子供を心配していたなんて格好がつかないとでも思っている可能性もある。
なんて、大人になった私だから言えるが、これが幼少期ずっとこうならルイーズの人格に多大な影響を与えかねない対応だ。この親子関係も私が無意識に悪行に手を伸ばす前になんとか改善していきたいところだ。
「お気づきになりましたか、ルル様」
コンコンという音と共に入ってきたのはワゴンを持ってきたサーシャだった。それと小さなサーシャよりもより小さな男の子が彼にへばりついて恐る恐るこちらを見ていた、私に対する感情は恐怖だということに気づくことにそう時間はかからなかった。
男の子は綺麗なブロンドの髪に桃色の可愛らしい丸い瞳、庇護欲を擽られる愛らしい表情、冷たい印象のある美形ばかりだったから新しいタイプの美形がきて私も興奮だ。
「おねえさま……」
消え入りそうな声で小さく呟いた。サーシャの背中きらこちらを覗き込んでいるのが分かったので見つめ返したらぴゃ! と言って
それは初めて会ったものに対する小動物のようだった。
「この方は ……ルル様の弟御にございます」
私が記憶喪失になったと知っていたのか疑問を投げかける前にサーシャは言った。
へえ、ルルに弟なんていたんだ、しかもこんな可愛らしい弟が。しかしこの怯えきった表情、既にこの弟にもルルは強く当たっていたのだろう。
私はサーシャが持ってきたワゴンにキャンディの入れ物があるのに気づき、開ける。その中には色とりどりの飴が包みに入れられていた。
私はそこから2.3個か取ると、それを皆が見えるように手を掲げる。周りのメイドさん達もサーシャも後ろの弟くんも呆気にとられたようにその手を見る。
「さあさあ皆様ご覧いただきたく、この何の変哲も無い飴、しかしこの左手で叩いていくと飴が一つずつ消えていくのです、さあ飴を右手で包んで……それを一度叩き、さあ3個あった飴が2個になります、更に包んで、叩く、そうすると残りの1個、さて最後の一個は……そこの貴方、そう貴方です、貴方に飴を消す力を授けました、貴方が私の右手を触ると最後の飴はたちまちにこの手から消えてしまいます。さあ、遠慮せずに触れてください、1……2……3……はい、キャンディが全て無くなりました」
そう言い既に無くなった手を周りに見せると小さな歓声とざわめき声が聞こえてくる。うんうん、手品をしたときのこの反応が好きだったのよね。
「しかし、私の手の中に入ったキャンディ、取り出すことも可能なんです。私の弟よ、ポケットの中をご覧なくださいませ」
急に話を振られて困惑したのか弟はサーシャの顔を見上げ、サーシャは頷いた。すると弟は恐る恐ると右、左、前とポケットを探っていき。
「あ……」
ジャケットの右ポケットにさっきまで私が握っていたキャンディが入っていた。
するとまた歓声が聞こえてくる。その歓声がとても心地いい、私は手を上げて恭しく礼をする。ショーが終わった後には観客サービスは忘れないのは基本なのだ。
「あの……この、キャンディは」
「貴方にあげます。心配しなくても毒なんて入っていませんよ」
私は陽気に笑うが周りのメイドさんも弟も気まずそうに目配せするあたり全く笑えないのだろう。
「えーっとじゃあ、これはお守りです。これから先このキャンディが貴方を守ってくれることでしょう、1個無くなるごとにそれは貴方を厄災から守ってくれます、大事にしてくださいね」
適当な嘘をそれっぽく伝えるのも技術のうちだと下積み時代にお世話になったいんちき占い師も言っていた。この微妙な空気をなんとかするには良さそうな話に持っていくしかなかったのだ。
弟は不思議そうな顔をしながら私を見つめ、もう時間だとメイドさん達に引きつられて部屋を出て行った。残ったのは私とサーシャだけだった。
「ルル様、奇術なんてどこで覚えたのですか?」
「ああ、下積み時代に……んん、まあ私くらいになると一度見ただけで覚えるんです」
つい口走ってしまったのを咳払いでごまかす。
下積み時代に手品の舞台のアシスタントに立ったときに仲良くなった手品師のおじちゃんに教えてもらった。その事を当然言えるわけもなく、苦しい言い訳をしたがサーシャは特別なにも言ってこなかった。
「はっきりと言うけど、私今から前のことが思い出せないの……私どうなってしまったのかしら」
わざと弱々しく言い同情を誘う、しかしサーシャは無言のまま、無感情のままその様子を見ているだけだった。言うならば動物園でナマケモノを見るような、こいつ全然動かねえなと思っている時のような。
そんな珍獣扱い(自分で言っただけだけど)をされて恥ずかしくなり、私は布団に顔を埋める。
「しかし私のことはよく覚えておりましたね」
「貴方のことは忘れていないのよね、何故かしら」
「そうですか」
私はこのままでは引き下がれないと母ばか直伝の男を落とす流し目で暗に貴方だけは特別なのよ、と伝えた。しかしサーシャには全く効き目が無く、何の感情もない目で淡々と返事するだけだった。なんでやの相馬家に伝わる秘伝の技すらも効かないのかと憤りもしたが、それ以上に女の小技に引っかからないサーシャはさすが初恋の王子様! クールビューティー! と嬉しくもなった。
「そんなことより、あの子! 私の弟について教えて頂戴。私はあの子について全く何も知らないんです」
サーシャは表情を変えることなく、淡々とまさに黄金比率である唇から言葉を紡いでいく。
あの愛らしい弟の名前はイリス・スウィンフォード、ルルとは正真正銘の兄弟となるらしい。ルルとイリスの母親は数年前に行方不明、それからというもの優しかった当主、お父様はルルにやたら厳しくなった、片やイリスとは良好な関係を続けている。そんなイリスを疎み、苛める。そんなルルに対する申し訳なさもあるのかイリスもルルのすることをただ黙って耐えているのだ。
そんな経緯もあるものだから使用人も、ルルだけを悪者にするわけにもいかなく、かといってイリスを冷遇する理由にもならなく、当主に意見できるほどの使用人も居なかった。
「なるほどね……」
これはきっと根っから拗れて絡まっているわけではなく、根本は綺麗なままなんだ。伸びていくにつれて少しずつほんの少しずつ絡まってしまっただけ。その絡まりを直すのは誰なのか、他でもない私だ。それはこの家族の為もあるが、何よりルルの為にも。
きっと幼い彼女はお父様に嫌われたのだと思ったことだろう、年頃の子供が急に母親がいなくなったその衝撃はどんなものなのか、そしてそれがどう性格に影響してくるのか。
しかし急に冷たくなったという理由は分からないが、お父様がルルを嫌いになったということは無いのだということは会ったのはたった数分ではあるが分かる。
あのお父様の私ルルが目を覚ました時の表情、本当に心の底からホッとしたような顔は間違いなく本心であったのだから。
ハワイで親父に習った並みに下積み時代に体験したを万能の言葉にしたい