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ヴェンデッタ  作者: 白銀悠一
第一章
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プロローグ

 人々は争い続けていた。

 作物、土地、財宝、目的は様々だが方法はたった一つ、戦争だった。

 人々は神に願った。争いを止めてくれ、と。

 神はそれに応えた。

 神は異界から魔物を地上へ放った。

 人々は争いを止めざるをえなかった。

 今度は魔物が人々を蹂躙し始めた。

 人々は怒り狂った。話が違う、自分達はこんなもの望んでいない、と。

 神は困惑し、思案した。どうすれば人々を救えるかを。

 神は、人々に強力な宝具を与えることにした。

 人々はその宝具を用い魔物を撃退した。しかし、すでに多くの犠牲が出ていた。

 人々は神を呪った。神はさらに困惑し、さらなる宝具…秘宝を与えることにした。

 だが、すでに神の力の源である人々の信仰はなく、神は秘宝を与えるため人々に生贄を求めた。

 人々はその事に怒りを募らせたが、一人の女がその要求に応えた。

 秘宝は人々の手に渡った。そして、今度はそれを求めて争った。

 すると、また魔物が現れた。だが、人々は臆しなかった。秘宝を求めて戦いを続けた。

 大国が二つ滅んだ。一つの大国は衰退した。人々は疲れ切っていた。

 やがて、人々は争いをやめた。


 

「……ってわけで、この大陸にはロマンが溢れているのよ!」

 

 気分がいいのか、まぶしいくらいの笑顔で話す女にうんざりしつつ、男はため息をついた。


「その話はもういいだろう。子供の時から聞かされている話を、何で今聞かされなきゃならないんだ……」

 

 男はもうこりごりだった。ここにくる道中ずっと歴史について聞かされっぱなしだ。

 そもそも、この水色の歴女なる異名を持った女を連れてきたことが間違いだったかもしれない。


「何言ってるの? シュウ。あくまであなたは探索者の端くれなんだから、歴史に興味をもっと持たなきゃ! あなたの仕事は、この大陸の五大国……いえ七大国の遺物を探すことなんだから!」

 

 深く生い茂る森の中、色白の肌を輝かせ、水色の髪を風になびかせながら、アクア・ストリマはハキハキとした声で男に言った。

 アクア・ストリマは、王家の者の髪の色であったとされる水色の髪と、ストリマという名字から太古の争いで滅んでしまった水の国ストリマの王家の末裔であるが、本人はそのことをさして気にはしていないようだ。

 そもそも、ストリマが滅んだのは千年以上も前である。しいていうならば歴史研究家の観点からは気にしているであろうか。

 そのアクアに探索者の端くれと言われたのは、シュウ・キサラギである。

 黒髪の、小柄なアクアより一回りほど大きい彼は、アクアほどではないが先祖の出身が特殊であった。

 世界に魔物が現れてしばらくして、キサラギ家の出身国である島国が魔物達に抗えず、島国の者達は船でこのオミシャンス大陸に渡ってきたとされている。

 その者達はサムライ、ニンジャなどと言われて大変珍しがられたらしい。

 とはいえ、こちらもあまり気にはしていないようだが。

「別に五大国の遺物だけじゃない。そもそも遺物は滅んだ水や闇の方が見つけやすいぞ。だから今こうしてここに来たんだ、わかっているだろう?」

 シュウは反論しつつ、しかしアクアが傷つかないよう声量に配慮しながら応えた。

 

 このオミシャンス大陸は、六つの国がある。

 一つは、シュウの出身国であり中立のカーム。カームは大陸の中央にあり、各国との交流も盛んである。他にカームから見て西に風の国ゼファー、北西に火の国イグナイト、北に雷の国ボルティ、北東に土の国フォレスト、東北東に光の国シュトナがある。この五つが五大国である。

 本来ならば、南西に水の国ストリマ、南南東に闇の国ディメスがあったらしいが、長きに渡る戦いで滅んだとされる。

 とはいえ、国の跡地にはまだ人がいるらしいが。


「サムライと水のお姫様のお熱い口論かよ。付き合わされるこっちの身にもなってくれ。ただでさえこんな物騒な森歩ってんだし」

 

 軽い口調で二人に話かけたはライド・ロレックスだ。

 金髪で、シュウと同じくらいの大きさである彼は、魔物退治の専門家の討伐者であり、そんな特殊な祖先を持つ二人とは違い普通の家庭だったが、国立養成学校を優秀な成績で卒業したエリートだった。

 三人ともその国立養成学校の卒業生であり、友人でもあった。

 シュウは神が人々に与えたとされる宝具…遺物を探す探索者を、アクアはこの世界の謎を紐解く研究者を、ライドは異界から現れた魔物を討伐する討伐者を志し、学校に通っていた。

 そして、卒業して各々が自立し一年ほどがたったある日、シュウから「遺物がある場所がわかった」と連絡し、再び友人が揃うこととなったのである。


「そんなんじゃない!」「違うわよ!」

 

 シュウとアクアが仲良くハモらせて反論し、二人に気まずい空気が流れた。

 そんな二人を見てライドはやれやれ、と肩を竦める。

 そもそも、この二人は学生の時から互いが互いを意識していた。周りから見ればどう見たってお互いが好きなのに、周りがなんと言っても「いや……そんなことないよ」とお互い全く動こうとせず、そのくせ相手が気になってしょうがないという三流の恋愛小説を読ませられている気分にさせられていた。

 そのせいで、同僚に恋愛相談をされた時「積極的に動け!」と怒鳴り、その同僚が恐恐としながら告白し見事恋愛を成就させ、キューピットライドなるふざけたあだ名がついた。

 しばらく一行は沈黙しながら立ち往生したが、そんなちょっとした沈黙を破ったのは、しんがりを務めている雇われのアルドだった。


「なんでもいいが、目的地に急ごうぜ、若人たち。ここらへんが暗黒区域だということを忘れてないだろ?」

 

 今いる場所は、楕円の形をしたオミシャンス大陸の中で、彼らの出身地の大陸の中央にあるカームから右下に広がる暗黒区域(かつて闇の国があり、未だ強力な魔物の巣窟になっているとされる場所)にあるくらやみの森であった。

 しかし、カームからそれほど離れているわけでもないため危険度は低い。

 事実、カームから出てここまで魔物の襲来にはあっていない。


「それほど急ぐ必要はないのでは?」

「個人的な話で悪いが、デートが明日でね。早く帰って準備がしたいのさ」

 

 疑問を口にしたアクアが真っ赤になった。19にもなってここまでうぶな者も珍しいであろう。

 アクアは六年前、一人でカームに越してきたが、興味は主に歴史だった。彼女が、抜群なスタイルと端整な顔立ちを持ちながら、残念歴女、水色の歴女などと言われたのはそのためだ。


「言ってくれれば予定をずらしたんですが……」

 

 シュウは、歩きながら少々申し訳なさそうに言う。

 二十代半ば、長身で茶髪のアルドは、シュウが組合に探しに行った時の討伐者のなかで経歴がずば抜けていた上級討伐者で、さらに貧乏のシュウが雇えるほどの低賃金で登録されていた。


「いや、さすがにプロだからな。私用で依頼を遅らせるのは評判に関わる」

「いやーこれがベテランの風格か。俺もそんなこと言えるようになりたいぜ。さあ、シュウ。スピードアップだ」

 

 ライドは軽口を叩きつつシュウを急かす。


「いや……もう目的地は見える、あれだ」

 

 シュウは岩で組み上げられたかのような、見るものが吸い込まれそうな不思議な感覚のする洞窟を指差した。


「ほう……あれか。少し待ってくれ、手紙を送る」

「組合に連絡? 上級者はそんなこともするので?」

 

 ライドは疑問を感じた。

 彼は学校での成績もあって既に中級討伐者であったが、そんなことは一度もしたことがない。


「そうさ、と言いたいところだが……これは愛しの彼女への連絡さ。洞窟内じゃ鳥を送れない」

「早くしてくれ。俺はさっさとこの洞窟に入りたいんだ」

 

 シュウは声を張り上げた。ここにきてシュウは一番の興奮を見せていた。

 目の前の25、6歳の恋愛事情より目の前の洞窟の方が気になる。


「私も気になるわね…いったいどんなロマンがあるか」

 

 顔を真っ赤にしてしばらく放心していたアクアも、どんな謎が洞窟に眠っているのか目を輝せていた。


「サムライと歴女に火が灯ったな……行きましょうか」

 

 ライドは、アルドを促し先に進んでいった友人を追って行った。


「さて……予定通り、というところかな?」

 

 一人ほくそ笑む男に、若者達は誰も気づかなかった。 



 シュウとアクアが洞窟の入り口で、松明に火鉱石を括り付けているところにライドとアルドが追い付いてきた。


「興奮していた割にはしっかりと準備してるんだな」

「あたり前だ。暗くて何も見えないだろう」

 

 ライドの軽口に言葉を返しつつ、シュウは作業を続けた。

 このような暗い所では火鉱石で作る松明が一番だ。火鉱石は、主に火の国イグナイトからとれる鉱石で、同様に他の国からもその国の名と同じ鉱石がとれた。五大国の国名の前に属性がついているのはそのためだ。

 シュウは、括り付け終わった松明を振り、鉱石に刺激を与え火をつけた。先の突き当りまで見通せる。これくらい明るければ十分だろう。

 満足して先に進もうとするシュウを「待ってくれ」とアルドが引き留めた。


「先に進む前に装備の点検をしておこう。この先は何が出るかわからない」

 

 いまさら点検というのもやきもきさせられたが、一理はある。シュウはそう思いつつ装備を取り出し、他の二人もそれに倣った。

 シュウが持っていたのは中折れ式の拳銃だった。と言うものの、彼が趣味で愛用し今も予備武器として持っているリボルバーとはまた違ったものだ。

 弾として薬室に込めるのは鉱石であり、装填された鉱石がトリガーを引くことで刺激され、その鉱石の持つ属性の閃光が銃口から放たれるというもので、銃と区別するため属性銃などと呼ばれる。

 しかし、一般的に普及しているのは属性銃の方であり、銃と言われれば専らこちらを指していると言っても過言ではなかった。

 慣れた手つきで薬室のロックを外し、銃身を前に倒す。

 そして、薬室に入っていた無属性の鉱石を取り出した所で、「またかよ!」というライドの声が聞こえた。


「またケチって一番安い無属性の鉱石を持ってきたな! 銃マニアのお前が一番銃撃戦で効果が高いのは光属性だ! と得意げに言ってたのを思い出したよ!あの時は聞きたくもない話を延々と聞かされたあげく汽車に乗り遅れてとてもいらいらしたが、今はもっといらいらしてるぜ!」

 

 だが、そんなライドの声を聞き流しつつシュウは無鉱石を再び装填しなおし、構えた。

 シュウはライドの悲痛な叫びにあったように、銃マニアだったが、属性銃より元となった実銃の方が好きだった。

 属性銃は、属性攻撃ができることに加え、一度鉱石を装填すれば、鉱石の質にもよるものの、鉱石のエネルギーが枯渇するまで装填なしで撃つことができる優れものだ。

 つまり、よほどの事がない限り弾切れはないし、弾切れを起こしてもすぐ交換できる。そして、その攻撃力と利便性は、魔物と相対する上でなくてはならないものであった。

 そんな便利な物より実銃が好きな理由は、銃声と反動、そしてその緊張感溢れるリロードだ。


「くそ、おい! 聞いてるのか? だいたいサムライが銃を好きだってのが間違ってる! 俺が前読んだ本にはサムライが刀と手裏剣で魔物を倒してたぞ! なぜか陸でオクトパスをな!」

 

 自分の猟銃を点検しながら、ライドは憎き銃オタクに怒鳴り散らしていた。

 その様子を少し離れたところで眺めながら大剣と拳銃のチェックをしていたアルドは、ライドの飄々とした感じから一転、残念な感じに変わったのを面白く感じながら、アクアに二人の関係を訊いた。


「二人はいつもこんな感じなのか? てっきりライドがシュウをいじってると思ったんだが」

「昔からこうですよ。ライドはいつもかっこつけて、余裕ある感じを装っていますが、ねちねち昔のことを言うし、ちょっと何かあるとすぐ取り乱すし、好きな女性の前では声が裏返ります」

 

 なるほど、とアルド納得する。

 アクアは自分の武器である氷水の杖に目を移しながら、学生時代のことを思い出し、自然と笑みがこぼれた。

 転校してきた初日に声が裏返りながら告白してきたライドと、それを遠くからにやにやした顔で眺めていたシュウ。この二人とはもはや切っても切れない親友だ。

 アクアが装備している氷水の杖は、神の残した遺物の模造品である。

 神木とされている鉱石のなかに生える不思議な木を伐採し、先端に丸く削った水鉱石をつけた、鉱石鍛冶が丹誠をこめて作った一品だ。

 元々、遺物自体の数が少なく、魔物に対抗する術を必要とした古代の人々は、突如産出しはじめた不思議な鉱石に目をつけ、それを加工した。

 すると、その武器が不思議な力を放つことがわかり、魔物退治の要として人々の間で普及し、今にいたるというわけだ。

 それに加え、アルドが背中にかけている無属性の大剣や、ライドが腰に差している炎の剣のような鍛冶職人の上物とは少し違う。

 アクアの杖は、水の亡国ストリマ由来となった水神の杖ストリマのレプリカであり、本来の氷水の杖より威力が上がっている。

 この杖は、カームに越すと決めた時、両親からもらったものだった。

 その時の妹が泣きじゃくる顔を思い出し、アクアが少し沈んだ表情をしていると、シュウから声をかけられた。


「どうした? アクア、この先が不安なのか?」

「いえ……大丈夫よ」

 

 顔をほんのり赤く染めたアクアは、顔を俯かせながら答える。

 シュウは、学生の頃から、アクアが少しでも変わった様子をしているとすぐ気にかけてくれた。


「よし、点検が終わったな! 先に進むぞ!」

 

 シュウが興奮した声で言う。

 その声にびっくりしてアクアの複雑な乙女心は歴女心に戻った。


「もう、大声出さないでよ! って走っちゃダメ! 貴重なものがあるかもしれないでしょ!」

「さて、俺らも行きましょうか。あいつらクリアリングもせずに行っちまいやがった。フォローしないと…。アルドさん?」

 

 どうやらさっき放った鳥がもう戻ってきたらしい。

 入り口付近にいたため、鳥がこちらに気づいて飛んできたようだ。

 手紙を受け取りそれをみたアルドは深刻そうな顔をしていたが、「すぐ行くよ、先に行っててくれ」とライドに返事をした。


「くそ…予定外だなこりゃ」

 

 アルドはひとり、深刻そうな表情でぼやいた。


 


 洞窟は入り口からずっと一定の広さが保たれており、一本道であった為、特に迷うことなく進むことができた。


「ひたすら一本道……それにこの広さ、本当にここ洞窟? 遺跡みたい」

 

 アクアが疑問を口にする。

 本来、洞窟は通りにくいのが当たり前なのだが、この一定の広さと心地よい温度で彼女は居心地の良ささえ感じ始めていた。

 アクアと同じ疑問を感じつつ、松明を右手に掲げながら、この洞窟に魔物の気配はないようだ、とシュウは息を吐く。

 実のところ、探索者の成績より討伐者の成績の方が高かった――というより探索者としての才能がとんでもなくなかったシュウは、そういうわずかな気づきの能力がとても高い。


「お前にしては珍しく当たりのようなじゃないか。ここ、どうやって見つけたんだ?」

 

 辺りを猟銃を構えながら警戒しつつライドはシュウに聞いた。


「そんなことはどうでもいい。……魔物はいないようだぞ」

 

 やけに歯切れが悪い返答をシュウはライドに返したが、ライドとアクアはすぐにわかった。


「なんか隠してんな?」「何か隠してるわね」

 

 ほぼ同時に出た友人の言葉に、シュウは焦りを募らせる。


「いや……別に何も……」

「嘘だな」「嘘ね」

 

 またもやの同時指摘。

 これでは真実を教えるしかない。シュウはそう思い己の罪を告白した。


「実は……兄さんの資料を見たんだ」

「アヴィンさんの? でもあの人、討伐者なんじゃ……?」

「いや、アヴィンさんはこの横取り銃オタクより探索者としても優れてるぜ。この嘘つき野郎とはな」

 

 アクアの疑問に嫌味たっぷりにライドが答える。


「別にいいだろう? 兄さんはここ数年家に帰ってこないし、そもそも探索者じゃない。俺が遺物を持って帰れば兄さんも喜んでくれるさ」

 

 そもそも、アヴィンは家を立つ前に、「家の中にあるものは好きに使っていい」と、シュウに言い残して行ったのだ。

 プライドの関係上、しばらくその資料は埃をかぶっていたが、全然目が出ない探索活動に疲れ果てたシュウは、アヴィンの部屋から、厳重に保管されていた資料の埃を掃うことにしたのだ。


「でも、シュウの手柄ではないわね」

「そうだな、アヴィンさんの手柄だ」

「もうその話はいいだろう? 先に……ここは?」

 

 友人達とのしょうもないやり取りをしている間に、広間のようなところへ出たようだ。

 光がさしているのか、松明が必要ないくらいに明るい。

 中央には石碑のようなものと……台座にかかった刀があった。


「見ろ! あれは遺物だろ! 俺の見立て通りだ!」

 

 シュウは松明を投げ捨てる。危うくライドに当たるところだった。


「いや、それはちが……あれは石碑!?」

 

 刀を目にしてこどものように興奮したシュウと、石碑を見て恋に落ちたような顔をしたアクアが全速力で走っていく。


「やっぱ似たもの同志だよなあ……。付き合っちまえばいいのに。そう思いません?」

「……ん? ああうん、そうだな」

 

 適当に返したようだ。

 ライドの言葉はアルドの耳には入っていない。緊張に張りつめた顔をしている。

 ライドはそんなアルドが気にかかる。


「どうかしたんですか? さっきから一言もしゃべらないし」

「あー、うん。何でもないさ。しいて言うならあの台座に何かトラップがないか気になっているな」

 

 その言葉を聞いてライドは慌てた。友人に急いで警告を発する。


「おい、ラブラブカップル! トラップに気をつけやがれ!」

 

 しかし、いつもなら反論する二人も全く動じていない。


「くそ、話を聞け!」

 

 怒鳴りながら台座に向かって走るが、シュウは刀の柄に手で掴み、引き抜こうと力を入れたとこだった。


「もらった!」

 

 シュウは力のままに刀を抜こうとした。だが、あいにく刀はびくともしない。


「なんだ? なぜ抜けない? 鍵がかかっているのか……」

 

 一部の上級聖遺物は、神の宝具故か最初に装備したものとその血縁者しか扱えないようロックがかけられている。

 ロックを解除する方法もあるらしいが、それは下級探索者のシュウには知りえない方法だった。


「トラップはなさそうだな…」

 

 ライドは安堵したが、シュウは気にも留めていないようだ。

 シュウは普段はおとなしめの青年だったが、遺物のことと、銃のことになると周りが全く見えなくなる。

 そんなシュウに毎回振り回されるのはライドだ。


「台座が錆びて、はまってるだけじゃないか?」

 

 遠くから見ていたアルドが冷静に言う。

 なるほど、確かに台座の差し込み口が錆びてるように思えなくはない。

 シュウは、ライドから錆び落としの薬品を受け取り、流し込んだ。

 そしてしばらく待ったあと、刀を思いっきり引いた。


「うわっ!」「きゃあ!」

 

 勢いよく刀が抜けたため、後ろの石碑を見ていたアクアに背中から倒れこんでしまう。


「いってえ……アクア大丈夫……か?」

 

 どうやらアクアはシュウが倒れる前にこちらに向きなおっていたらしい。

 アクアは、その残念歴女と呼ばれた理由である膨らみをシュウに押し付けるはめになった。

 シュウは、アクアの鼓動のバクバク音が体ごしに伝わったのと、その背中に当たる柔らかな感触から自分がどういう状況に陥ったのか理解した。

 慌ててアクアから退こうとするものの、刀がとても重かった。

 そして、それは遺物特有の身体強化がシュウに働いていないことを示していた。


「くそ……なぜだ?」

 

 やはり鍵が……。

 シュウは冷静に原因を考え始めた。アクアの上で。

 一方アクアの心境は、とんでもないことになっている。


(シュウがどいてくれない!? 何で!?)

 

 アクアが心惹かれた気遣いのあるシュウならばこんなことはしないはずである。

 しかし、吊り橋効果というものがある、ということを彼女は知っている。

 吊り橋効果とは、高くそして非常に揺れる吊り橋の上で、反対側に異性が立っていると吊り橋の緊張感を異性に対する緊張感と誤解してしまう、というものだ。

 そして、その効果を利用して、若者がなけなしの金で魅惑の石――他者に自分のことをよりよく魅せる効果がある――を購入し、海辺のビーチで意気揚々とナンパに励むというのはよく聞く話であった。

 そして、二人にとっての吊り橋は、遺物であり、歴史が刻まれた石碑である。


(いや……まさか……でも……)

 

 アクアはまさに恋に焦がれる乙女の顔をしていたが、上にいるシュウも熱中するこどものような真剣な顔で遺物について考えていて、ここに走ってきた時と同じ状況になっていた。

 あながち間違ってはいない、しかし確実に誤解しているアクアと、遺物に没頭し、せっかくのラッキーチャンスを無駄にしているシュウを見て苦笑したライドは、もう少し見ていたいと思いながらも助けることにした。


「ほらほら、ラブラブカップルさんよ、いつまで密着してんだ?」

「いや、この刀がやけに重い……やはり鍵が……」

「でも……シュウが……退いてくれなくて……」

 

 ライドは吹き出しそうになった。いや、ちょっと吹いた。

 アクアは、自分がバカみたいな妄想をしていたことに気付いた。

 シュウの後頭部を思いっきり殴り、退かす。


「っ!? 何するんだ!?」

「因果応報よ! このバカ! 早く退きなさい!」

「刀はこっちに……うおっ! 確かに重……アルドさん手伝ってくれ!」

 

 アルドは考え事をしていたが、呼びかけに応じて刀をライドと共に持った。


「重いな……しかしなぜだ……?」

 

 アルドはシュウを見ながら困惑した表情で言う。


「どうやら鍵がかかっているようです……。俺達じゃ誰も扱えないようだ」

「しかし、鍵付きとは……。シュウ、こいつはただの遺物じゃねえ、上級聖遺物だぜ!」

 

 シュウは少々落胆し、ライドは大喜びしている。

 アクアも顔に赤みがかかったままだが喜んでるようだ。

 しかし、一人の雇われは困惑を隠さない。


「まだ何か方法を試していないだけかもしれないだろ!? 石碑は!?」

 

 アルドの語気の強さにアクアは驚いたが、自分が解読した結果を恐々伝えた。


「それが……ところどころ風化してて……この刀の名前も……」

「他に何かわかったことは?」

 

 シュウが優しく質問する。


「抗う……死……刀……読めたのはたったこれだけ。ここまで風化する石碑も珍しいわ。この石碑に使われているのは本当にただの石みたい。鉱石じゃなくて」

「それだと秘宝がらみの古い伝承の一つ、死神の刀を思い出すな。お前が好きじゃないって言ってた伝説の一つだ」

「よく覚えてたわねシュウ。言ったの学生の時なのに」

 

 シュウは内心どきっとしたが、アクアは既に歴女モードだった。


「秘宝を一人占めにしようとした死神は七英雄を殺してその秘宝を手にした……。でも秘宝は死神の願いに応えず、死神は悲観しながらこの世を去った……」

「しかし、その話は、というか秘宝の存在自体眉唾もののはずだ」

 

 神が与えたという秘宝は、手にしたものの願いをかなえてくれると言われていたが、それを使ったと言われる者がいたという記録は一切ない。

 もっとも、その秘宝の効果が真実であれば、世界すら変えることができるのだから、記録に載ってなどいなくてもおかしくないのだが。


「秘宝はあるのよ! 聖母信仰がその証でしょ!」

 

 アクアが声を張り上げる。

 アクアは、歴史研究家派閥の中の秘宝肯定派に所属していた。

 聖母信仰とは、神が秘宝を与えるために生贄となったとされる聖母アリサに対する信仰で、この大陸の宗教と言えば大抵聖母信仰であった。

 その信仰があり、神への信仰が廃れているのが秘宝がある証拠だと言うのがアクアと秘宝肯定派の主張だ。


「今はそんなことはどうでもいい。解除できないのなら、一旦外に……」

「なぜ? 今来たばかりで……ッ!?」

 

 シャリンシャリン!! とやかましい音が通ってきた道から聞こえ、シュウは疑問を最後まで口にすることが出来なかった。


「くそ! 索敵トラップが発動したか!」

 

 アルドは、前以て入り口に警告装置を仕掛けていた。まあ、ただ鈴がなるだけのものだが。


「敵!? いや、探索者か?」

「ここの場所を知っている探索者が他にいるか? 暗黒区域だぞ!?」

 

 アルドが怒鳴る。上級討伐者がここまで取り乱すのも珍しい。

 気づきが得意なシュウは、足音が複数あることに気付いた。

 報酬の関係上、探索者は少人数で遺物を探す。

 しかし、この足音の数はどう考えても少数ではない。


「連中の移動が素早い。手近な物陰に隠れろ!」

「っ! わかりました!」

 

 アクアは取り乱していたが、アルドの指示に従う。

 シュウとライドもすぐに近くの岩に隠れた。

 バシュッ! と属性銃独特の銃声が聞こえる。

 アルドが広間に入ってきた敵を間髪入れずに撃ったのだ。

 白いローブを着た男は呻き声をあげる前に絶命した。

 その哀れな男を皮切りに、銃剣を持った敵が巣をつつかれたアリよろしく広間になだれ込んできた。

 シュウ、ライド、アクアもアルドに続いて応戦する。

 シュウは銃マニア故に射撃が得意だったが、左逆手で刀を持っていたため、片手撃ちをせざるをえなかった。

 属性銃は、実銃と違い弾道が地形に左右されることなく真っ直ぐに飛んでいく。

 故に、正確に狙わなければならないのだが、不慣れな片手撃ちとあってなかなか思い通りにはいかなかった。

 しかし、急所こそ外れてはいるものの敵に当ててはいる。


「くそ、数が多い!」

 

 猟銃で後方から援護しているライドが焦った。

 台座を挟んでの撃ち合いになっており、立ち位置としては有利であったが、その有利を打ち消すほど敵の数が多い。ざっと見積もっても二十人ほどだ。

 それでもすでに五人ほど倒したが、残りの十五人は、岩陰に隠れてしまいなかなか倒すことが出来ない。


「アクア! 敵兵の頭上に氷を落とせるか!?」

「やってみる!」

 

 アクアは氷水の杖に念じる。

 実戦は初めてだったが、十分に訓練はしていた。

 五人ほどの敵の頭上に氷の塊が現れ、ゴンッ!という音と敵兵の悲鳴が聞こえる。


「やった!」

「よし他の敵も……ん?」

 

 敵に明確な動きがあった。

 入ってきた通路に向かって後退していく。


「なぜ? 数的有利は変わらないのに……」

「今はいい。後ろの通路から脱出するぞ!」

 

 アルドとライドが移動し始める。

 しかし、シュウは刀が重くなかなか思うように進めない。


「シュウだいじょう……ああぁ!!!!?」

 

 しんがりを務めていたアクアが悲鳴をあげた。

 シュウが何事かと振り返る。

 瞬時に目に入った光景を、シュウは信じることが出来なかった。

 アクアがこちらに向かって歩こうとしている。

 それはしんがりなので当然だ。

 問題はそこではない。

 アクアの腹部から手が出ている。

 シュウが状況を理解した時にはアクアは前のめりに倒れはじめていた。

 そして、グシャッ! という音と共にアクアは倒れ血溜まりを作り始める。

 その後ろには、灰色の髪に灰色の鎧の、灰一色の男が、不気味な笑みを浮かべ、こちらを見ている。


「お前! ……うぐ!? うああああああああああ!!」

 

 シュウは雄叫びを上げて灰の男に突撃しようとしたが、中断させられてしまう。

 左目に衝撃が走ったからだ。

 雄叫びは悲鳴に変わり、左目から血が飛び散る。

 刀に血が付着した。僅かに光が灯る。


「くそが! 誰だ!? 俺様の楽しみを邪魔しやがった奴は!」

 

 シュウは痛みに苦しみながら、灰男の声を聞いた。


(なんだ……これは……? 一体……何が……?)

 

 シュウは現実と幻想の狭間へと追いやられる。

 少し前まで遺物をともに探索していた、笑顔が眩しい水色の、愛しいアクア。 だが、アクアは今血溜まりに沈み、シュウは左目を撃たれ意識が混濁している。


「シュウ! アクア! なんてこった!」

「くそ……アイツか! 俺が援護する! シュウを連れて逃げろ!」

「でもアクアが!」

「彼女はもう死んでる! 死者を連れ出す余裕はない!」

 

 ライドとアルドの怒号が聞こえる。

 アクアが死んだ。

 その言葉がシュウを現実に引き戻す。

 いや、正確にはそれだけではなかった。

 傷が回復し始めている。左目の血が止まっている。

 混濁していた意識もはっきりし始めていた。

 シュウは気づいていなかったが、刀の鍵が外れていた。


(逃すか……お前は)

 

 シュウは勢いよく灰の男に切りかかろうとして、死角にあった岩に足をひっかけ、危うく転びそうになったところをライドに支えられた。


「その目で何ができる! 逃げるぞ!」

「離せ……今なら……」

「無理だ! 片目をやられたろ! 片目がないってことは、お前が思う以上に不利なんだぞ! 俺に親友を二人も失えってのか!?」

 

 シュウは灰の男がアルドと交戦しているのを、右目で見ながらライドに抵抗していたが、ライドの言葉にはっとする。


「助けを呼ぶんだ! 急げばアクアも間に合うかも!」

「……わかった……行こう」

 

 シュウは後ろ髪を引かれながらも、アクアの傍から離れていった。

 アルドは、二人が通路を走っていく気配を感じ、交戦中に安堵する。


「よし……だいぶ予定とはずれたが、最低限のノルマはクリアしたな」

「くそ野郎が! そんなこと言ってる余裕があるのか!?」

 

 アルドは灰の男の拳をぎりぎりで躱づ。

 ノルマは達成したが余裕はない。灰の男の言う通りだ。

 躱したと同時に火属性の射撃を灰の男にお見舞いした。

 しかし、鎧に当たった途端、かき消されてしまう。

 灰の男は射撃を避けようともしない。


「ズルすぎんだろ……その鎧」

 

 アルドはすぐさま鉱石を交換した。

 灰の男が次の攻撃に移る直前の、一瞬の出来事だ。

 バシュッ! と無属性の透き通った色の閃光が迸る。

 灰の男はここで初めて回避した。

 その隙をアルドは逃さない。

 煙幕を地面に叩きつけ、次の瞬間には消えていた。


「くそがあ! 逃げやがった!」

 

 灰の男の怒号が広間に響き渡った。



 

 シュウとライドは、薄暗い通路の中を、別の出口に通じることを祈りながら走る。

 シュウはちょくちょく死角の物につまずいて、転びそうになったが、ライドに支えられなんとか走ることができた。


「しかし、軽くなったな、シュウ。ダイエットに成功したのか?」

「……遺物の鍵が外れたようだ。理由はわからないが」

 

 ライドは、シュウを励まそうと冗談を言ったが、シュウはそれに取り合わない。

 この刀の効果はまだはっきりとしないが、何らかの治癒能力があるのは確かだった。

 遺物の身体強化は、筋力や体力などの肉体のステータスを上げることで、傷の修復まではしてくれない、というのがシュウの知っている遺物の常識だ。

 だが、不幸にも、左目の視力は回復する兆しが見えなかった。

 あくまで、左目付近の傷が修復されただけだ。


「追撃するぞ! 続け!」

「主の為に!」

 

 敵の声が通路に響き渡る。

 シュウとライドは焦りと同時に疑問が出た。


「敵が……!」

「アルドさんは!? まさか……。……シュウ、お前は先に行け」

 

 ライドの真剣な声を聞き、シュウは心臓が掴まれたかのような気持ちになる。

 ライドは足止めするつもりだ。たったひとりで。自分よりも格上の討伐者が斃されたにも関わらず。


「ふざけるな! お前もいっしょに!」

「わかってるだろう! 誰かが足止めしなきゃならないんだ! 今怪我ひとつないのは俺だけだ!」

 

 ライドの言っていることはシュウにも理解できる。

 だが理解と肯定は別だ。

 ここで残れば十中八九、死ぬ可能性が高い。

 いくら親友だとはいえ……いや、親友だからこそ、そんなことを許容できるはずがなかった。

 やめてくれ。お前まで……。シュウは悲哀の瞳でライドを見つめる。


「ダメだ……お前は……ダメだ……」

「お前がそうしてる間にも、俺の寿命は縮んじまうんだよ! さっさと助けを呼んでくるんだ! なあに、キューピットライド様がそう簡単にやられるものかよ! ……行け!」

「くそ……死ぬな、絶対にだぞ……!」

 

 ライドの言う通りだ。

 二人で戦って勝てる確信があるのなら、始めから逃げたりなどしない。

 シュウに出来ることは助けを呼びにカームに帰ることだけだった。

 ライドは、シュウが走り去る姿を見ながら学生時代を思い出し、ふっと笑う。

 昔、学内に紛れ込んできた死狼と対峙したときは立場が逆だったか……。

 そんなことを考えていると、通路から敵が走ってくるのが見えた。

 猟銃のスコープに右目を当て、射撃体勢を取り、引き金に指をかける。


「くそ野郎ども……アクアが殺されて、シュウの左目も奪われて、俺が怒ってないとでも思ったか? 俺がお前らのキューピットになってやる。ただし、恋人は地獄だがな!」

 

 洞窟内に射撃音がこだました。



 

 薄暗い通路に光がさしてきた。

 どうやら出口のようだ。

 シュウは出口を飛び出し、辺りを確認したが、カームへの方角がわからない。


「くそ……! どっちだ……!」

 

 辺りを見渡し、左側に見える丘が来る途中に見かけた丘だと気付く。

 丘へ向かおうと少し進んだ時、洞窟のほうから悲鳴がシュウの耳へと届く。

 ライドの声だ。

 シュウは反射的に振り返り、戻ろうとした。

 だが、いつのまにか女が先に立っていて、シュウは足を止める。


(……誰……だ?)

 

 純白な髪と純白な鎧、透き通るような白い肌。

 さっきの男が灰の男なら、目の前の女は白い女だった。

 光鉱石のようなその純粋さに、シュウは一瞬見とれたが、すぐさま行動を起こした。今は誰にも構っている時間はない。

 美しい顔を悲しげな色に染めている女性の横を通り抜けようとした時、腹部に衝撃が奔った。


「な……く……」

 

 シュウは何が起こったすぐ理解する。白い女に殴られたのだ。

 精神的にも肉体的にも疲労しているシュウを気絶させるには十分な威力の打撃だった。


「ごめんなさい」

 

 薄れ行く意識の中でシュウは白い女の、聞く者を安堵させる、透き通った声を聞いた。



 


 シュウが気づいた時、養成学校の校内にいた。

 休憩時間によく行っていた、学内で一番大きな木の木陰で寝そべっている。

 幸せの木などと言われていたその木は、その木の下で告白すると恋が実るなどと言われていた。

 放課後はカップルに占領されてしまうが、合間の休憩時間には特に人はいない。


「シュウ、待った?」

「いや……寝てたからな。まあ待ったとも言える」

 

 アクアの声で目を覚ましたシュウは、他愛のない言葉を交わす。


「ここに来ると、ライドのお前への告白を思い出すよ。あれは傑作だった……」

「あはは、あれね……。みんなが見てたから私も恥ずかしかったよ……」

「だろうな。にしても、テンパったお前が言った、大っ嫌い!! を聞いて固まったライドはまさに石像だった……。校内に飾れそうだったぞ」

「あ、あれは誤解だって言ってるでしょ!」

 

 転校初日に右も左も分からず不安だったアクアは、そんな自分の状態を顧みず、声を裏返しながら告白してきたライドに、思わず「大っ嫌い!!」と言ってしまったのだ。

 一応、本人としては「ごめんなさい!」と言ったつもりだったらしいが。

 何をどう言えばそうなるのか理解には苦しむが、傑作だったことには違いない。

 シュウは笑いながら訊ねた。


「で用って? 早くしないと休憩が終わるぞ」

「用……用ね……」

 

 アクアは目を瞑り、何か決心を固めているようだ。


「実は私……シュウのことが……」

 

 シュウは思わず息を呑む。

 ひそかに恋焦がれていたアクアから、幸せの木への呼び出し。

 顔には出していないが、どこか期待していた。


「憎い」

「え?」

 

 シュウはそれだけしか発せなかった。

 その言葉は、聞いた言葉以外への疑問も含まれていた。

 なぜなら、彼女の口から血が出ていたから。

 彼女の腹部から手が出ていたから。


「ナンデワタシヲタスケテクレナカッタノ?」



 

 シュウは、ベッドから飛び跳ねるように起きた。


「今の夢は……っ!」

 

 シュウは今のはただの悪夢か、と冷静に考えようと努めた。

 だが、すぐに現実に引き戻される。

 左目が見えない。

 左目が見えないということは、アクアが死んだということも事実だ。

 シュウは心が切り裂かれるような感覚に襲われた。


「目が覚めたようだな」

 

 突然声をかけられシュウは驚く。

 己の葛藤に集中して、すぐ横に座っていた老人に気付かなかった。


「ラミレス……」

 

 老人の名はラミレス。

 国立養成学校の教員であり、シュウの亡き父レオン・キサラギと兄アヴィン・キサラギの師匠でもあった。

 レオンが亡くなる前から、家族ぐるみの付き合いだ。


「国境付近で倒れていたお前を、憲兵が発見しこの病院へ運んだ。聞いた時は肝が冷えたぞ。あまり老人を心配させるでない」

「国境付近で? ……っ! ライドを!」

 

 国境付近という言葉が引っかかったが、シュウはやっと本来の義務を思い出した。

 ライドを助けに行かなければ!

 だが、勢い良くベッドから飛び出したシュウを、老人は杖ですくうように転ばした。


「くっ……!」

「その状態でどこに行くというのだ。それに……お前が向かうつもりの場所にはもう誰もいない。死体すら見つからなかった」

「ばかな!? 白いローブの男共と……アクアの死体が最低限残っているはずだ」

 

 アクア、と言う時シュウはとても苦しそうな表情となる。


「何一つ、だ。ライドは行方不明。血痕すら見当たらなかった。あそこで何かあったと言っているのは、お前とアルドだけだ」

「アルド……さんは生きているのか……?」

 

 シュウは大声を上げた。

 アルドはてっきり死んだと思っていたからだ。


「あの男はお前が病院に運ばれたことを知ると、すぐ発ってしまったがな」

「すぐ? 報酬も受け取らずに? それにデートがあるとも……」

「デートの方はわからんが、報酬の方はちょっとした暇つぶしだなどと言ってたのでな。端から受け取る気はなかったようだ」

 

 湧き出る疑念。シュウはアルドへ思いを馳せる。

 いくら上級討伐者とはいえ、暇つぶしで依頼などするだろうか?

 それに加えて、一部言動におかしな部分も見られた。

 極め付けは連絡鳥だ。

 あの鳥で仲間に場所を教えたんだとしたら?


「アルドは……どこへ?」

 

 シュウは静かなる怒りを感じていた。

 あの破格の給料の安さも、自分に雇われるためだったとしたら?


「わからぬ。行き先は言わなかったものでな。それよりお前が今気にすべきことはそのようなことではない」

「奴が黒幕かもしれないんだぞ!」

「だとしてもだ。お前はこれからどうするつもりだ?」

「それは……」

 

 シュウは、ベッドに立てかけてあった刀を見つめた。

 誰かが持ってきたのだろうか、洞窟で発見した時にはなかった黒い鞘に収められている。

 アクアとライドが殺された。

 長年付き添ってきた仲間を。

 想いを馳せていた友人を。

 シュウにとって……それは自分の分身が殺されたも同然だ。

 アクアとライド、そして赤い瞳の中に狂気を写した灰色の男を思い出す。

 決断には、そう時間が掛からなかった。


「俺は……仇討ちをする。アクアとライドの仇を取る」

 

 男は、あの洞窟で一度死んだ。

 そして、死神として、復讐者として生まれ変わった。

読んで下さった方、ありがとうございました。

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