翼との出会い
某有名ラノベの一次にすら受からなかった作品です……。
四日間に渡って更新しますので、よろしくお願いします。
古臭くて、設定も甘いと思いますが、その辺には眼を瞑って――。
などと言うと思ったか! ……ええ、厳しい意見もお待ちしてます。
でも、豆腐メンタルなんで、優しくお願い……。マジで……。マジで……。
個人的には気に入っているので、直してまた出せたら出そうかな……と。
あ、ちなみにこれ、今月中には消しますのであしからず。
それでは!
溺れてしまいそうな茜空の狭間を、私はただひたすらに落ちていく。
境界線の蕩けた太陽が私に笑いかける。わざとらしい笑顔が焔の欠片を落としている。
紅い欠片は容赦なく私の瞳へと突き刺さる。あまりにも眩しいので眼を閉じた。
背中から伸びた翼が風に煽られ、少しだけ痛む。鈍く、朦朧とした痛みである。未だ麻痺したままの感覚では、このような僅かな痛みしか感じられないのはいた仕方あるまい。
鳥達の声が聞こえる。幻聴ではないと思う。確かに聞こえている。
こんな場所にまで来ているのか。こんな――孤独な空へと。
爽やかな声の唄に少しは寂しさが和らいだ。
――落ちていく。
落ちゆく翼に意味などありはしない。
空を翔る事も出来ないまま、ただひたすらに誰もいない虚空を落ちていく。
翼は飾り物のように動かず、銀の羽根は数多の風に毟られ、空へと舞う。
最初はどうだったのだろう。私はちゃんと飛べていたのだろうか。
あの広がる深い茜色の大海を、鳥達がそうしているように、優雅に泳いでいたのだろうか。
記憶が定かではないから何とも言えぬ。
――落ちていく。
虚ろが私の体を内側から蝕んでいく。胸の中心がポッカリと抜け落ちている――そんな感覚がある。
それは一体何なのだろう。無くてはならないもの――それが私の胸中には存在しないのだ。
きっと大切なものだ。何故ならそれが無い故に、今も耐え難い寒さを感じているからである。
そう――寒いのだ。胸中の空白だけが大きくなり、私を凍てつかせていく。空っぽの空洞に何かが収まれば、この胸の中は満たされて温かくなるのだろうか。
――落ちていく。
体は冷え切っている。腕も、脚も、翼も、全部――全部。
今の私は大きな氷塊と何ら変わりが無い。地上に落ちたら簡単に砕けてしまいそうだ。
ああ、寒い。凍えてしまう。何故私はこんなにも孤独な空に抱かれているのだろう?
自分というものが完全に抜け落ちている私には、そんな簡単な答えすらも導き出す事が出来ない。
暴風に髪が靡く。風は飢えた獣のように低い声で吼えている。
寒い。空は燃えているのに寒くて堪らない。
じっと瞼を閉じつつ、紅く広い棺桶の中で、落ちて、落ちて。落ちていく――……。
堪らずに瞼を開けた。途端に緋色の彩光が眼に射してくる。燃え盛る太陽の輪は、眼を閉じた時と変わりなく回り続けている。降り注ぐ光は温かい。揺らぎ続ける陽炎へと手を伸ばすと指先から炎のような陽光が染み入り、凍てついた体は融かされ、元へと戻る。
だが――胸の中だけは相変わらず、冷たく冷えている。
足りない。もっとだ。もっと温かいもので――太陽よりも温かいものでこの心臓を融かして欲しい。
太陽が眩しいので、再び眼を閉じた。
――落ちていく。
体の揺らめきが止まらない。風は私の周りを舞い遊び、ひゅるひゅるという風切音が耳を揺さぶる。
掌に掴みかけた大気の層は指先をすり抜け、天上へと逃げていく。
それと同時に意識が薄れていき、現実が遠のいていく。
眠い――。眠くて――。
――少しだけ。少しだけ眠ろう。こんなにも紅い空に抱かれて眠るのだから、行き着く先がどんな結末であれ、良い夢が見られるだろう。
そういえば――私はそもそも夢を見られるのか――。
分からない。見られないかも知れない。悪夢を見るかも知れない。
でも――もし見る事が叶うのなら――どうせなら――愉しい夢を見たい。
何も無い私の中に熱いものが生まれる夢を。そしてそれを与えてくれる人も。
もしかしたら夢が現実になって、気が付けばこの胸の中にも何かが現れるかも知れないから。
私は落ちていく――愉しい夢が見られる様に祈りながら。
斜陽に染まりかけた空を落ちていく――。
落ちていく――。
落ちていく――。
落ちていく――。
落ちていく――……。
<1>
土色のレンガで組まれた円形の空間で私は試験官に向かってあたしは頷いた。
いよいよ始まる。今度こそは――今度こそは成功させる――!
立会人の試験官は三人。この中で二人に認められれば、晴れて私も赤色魔道師の一人に名を連ねる事になるのだ。
失敗する訳にはいかない。絶対に、絶対に絶対に、ぜーったいに、それだけは駄目だ。
緊張で体が少し震える中、試験官の片手が持ち上がり――振り下ろされる。それを合図にあたしは手を自分の体の前に突き出した。
術式――よし、良い出来栄えだ。感度は良好だし、きちんと組まれている。
魔力――十分。むしろ有り過ぎる程……多分。
魔力孔――……これは――相変わらずだ。……まあいい。これについては諦めるしかない。
あたしは掌の魔力孔に魔力を集中させ始めた。体内を魔力が駆け回り、指先へと伝わる。同時に眼の眩む様な紅い色の光が掌の先に収束していく。
緋色の彩光。典型的な赤色魔法の光。魔法を扱う者としては初歩中の初歩。これが出来なければ魔道師としては落第級と言われている魔法――。
手の先に集まった緋色の光が迸る。魔法が術式によって構成されているのだ。
いいぞ。順調だ。このままでいけば――。
「ユリア=クロスウェルス。赤色魔法、第三級……始めます!」
魔力を強める。緋色の光が一段と強くなり、組まれた術式を魔力が通過する。
「アスティオっ!」
そして私の掌に集まった光は――見事に――爆散した。
<2>
落ち着いた木材の匂いが店内には満ち溢れている。それに混じり、肉の焼ける香ばしい匂いや、ビールの酒臭さも入り混じり、唯一無二の雰囲気が醸し出される。
そこは木造の酒場であった。酒場と言っても、実質、大衆酒場なので未成年の出入りは頻繁にある。ダークブラウンの木柱に染み付いた様々な染みが、酒場の歴史を物語っており、この酒場が近隣の地域に深く根付いている事を窺わせる。広い店内では喧騒が絶え間なく聞こえ、騒がしくも愉しげな音楽となって人々の耳を心地よく揺らす。
そんな店内で、不貞腐れた顔の蒼い眼の少女、ユリア=クロスウェルスは、目の前の皿に山の様に盛られているパンケーキに見えなくも無い虹色の物体へと銀色のフォークを突き刺した。
「何でだぁっ! あれ、おかしーだろ! 何で炎が出る筈なのに爆発するんだよ!?」
耳の辺りまで伸びた栗色の短髪を振り乱しながら、ユリアは大きな不満の声を発した。そしてフォークで刺した塊をそのままの形で口に運び、もごもごと口を動かし始めた。
大きく咀嚼するユリアの正面に座る飴色の前髪を顔の正面にだらりと下ろした少年は、両手を広げたおどけた仕草をしつつ、顔を顰めた。
「いつも通り、術式がぶっ壊れたんだろ? 無理に魔力を籠めるなって、あれ程言ったのに」
「そんな事はね――」
――そんな事は自分が一番分かってんのよ――。
ユリアは喉元まで出かかったその言葉を吐き出す寸前で飲み込んだ。ユリア自身も正直な所、参っているのだ。魔法は正しい術式ではなければ発動し得ない。そして正しい術式だからと言って、必ずしも発動はしないのだ。何故なら術式には硬度がある。術式が術者の魔力に耐え切れず壊れてしまえば、その時点で構築されていた魔法も崩壊を始めてしまうのである。
術式の崩壊には幾つかの理由が考えられる。
術者の特性に合っていない魔法を使用しようとしたか。
特性は合っていても身の丈に余る高度な魔法を使用しようとしたか。
術式そのものが粗悪であり、破綻しているものか。はたまた、術者の魔力放出が強過ぎて術式が耐えられないか――。
ユリアの場合、最後のそれに当て嵌まる。彼女は生まれながらにして魔力の放出能力が強過ぎるのだ。魔力が強いと聞くと、それがあたかも彼女の才能のようにも聞こえるが、彼女にとってその『才能』は彼女を縛る枷であり、呪いでしかない。魔力を籠めれば術式が崩壊を始める。魔力の放出を抑えようと努力しても、溢れ出す魔力は悉く術式を壊していく。これは長距離の道を常に全力で駆け抜けているようなもので、ユリアは簡単な初歩の魔法でさえ、まともに使用出来ないのである。
魔法とは、『法則』であり、『術式』によって構成され、行使される。無論、法則だけを理解していても、それを使う術、つまり術式が確りとしていなければ魔法は行使出来ない。それが世の理である。
その理を理解し、魔法を術式によって使う者――すなわち魔道を志す者は『魔道師』と呼ばれている。
この世には魔道師の操る八つの魔法がある。
炎や熱を司る赤色魔法。
冷気や水を司る青色魔法。
植物や治癒を司る緑魔法。
造形や物質の再構築、大地を司る黄色魔法。
風や電気、速度を司る紫魔法。
空間明度の制御や物質の隠匿に適している黒色魔法。
光と照射、反射、浄化を司る白色魔法。
そしてどれにも当て嵌まらない固有魔法。
更にこれを、天使の作ったとされる『天使魔法』、悪魔の作ったとされる『悪魔魔法』、精霊の作ったとされる『精霊魔法』という三つの系統に分ける事が出来る。|
現在では《、、、、》破壊などに特化した悪魔魔法を使う者は少なく、汎用性の高い、天使魔法や精霊魔法が魔道師界隈の主流である。
固有魔法を除く七つの魔法を、選ばれた人間は、術式の構築、自らの魔力、魔力放出の三点から行使出来るが、ユリアについてのみ言及すると、赤色魔法は『燃やす』というより『爆発』になってしまうし、青色魔法は『冷やす』ではなく『凍りつかせる』になる。緑魔法は『過回復』。紫魔法は速度が常に最高の域に達してしまうし、速度変化魔法以外は使用不能。適性の無い黒色魔法では何も隠せていない始末。白色魔法に至っては、無理に使おうとした挙句、太陽光の乱反射で彼女の通う学院の教室を危うく燃え尽くす所であった。
どんな魔法でもユリアの手に掛かれば、危険な代物と化してしまう。それが周知の事実である。そのような理由もあって、いつしか彼女は『落ちこぼれ』とのレッテルを|貼り付けられそうになった。
「あ~むかつく~。いいじゃん爆発でも。何で炎に拘るんだよー……」
一瞬口を休めたユリアは独り言のように呟いた。
「……試験は? どうなった? まさか落ちたとか!」
ユリアを前にした少年は、こんがりと、きつね色揚げられたトウモロコシの粉で作られた平べったい菓子を指で数枚摘み上げた。一方ユリアは口を休めずにそれに応える。
「嬉しそうに言うな! 試験は保留だ! ふが……まだほォひてなひほんッ!」
「おいおい、飲み込んでから喋れよ……」
籠った声を出すユリアのフォークは止まらない。色彩の狂ったパンケーキのようなものにフォークを突き刺しながら彼女は口を動かし続ける。彼女の前でそれを見ている少年は、感嘆とも、呆れているとも取れるような吐息を漏らし、その後、少年は眼に痛い色が七つの層を成している物体を眺めた。到底食べ物には思えない色調のそれは、食べたら明らかに体に異常をきたしそうな雰囲気を放っている。
「ユーリさぁ……いっつも思うんだけど……そんな訳分からないもの食べて平気なのか?」
少年がげんなりとそう言うのと同時に、ユリアの顔が蒼くなった。
「勿論だいじょう――んぐッッ……!? ぐ……ォ……み……みず……」
胸を激しく叩きつつ、ユリアは苦しい声を挙げた。どうやら喉を詰まらせたらしい。
ユリアは自分の前の木製の取っ手の無いコップを慌てて掴んだが、見れば中身が入っていない。彼女の顔はみるみる赤くなっていく。見かねた少年は手馴れた動作で、彼女の手に自分の前に置いてあるコップを握らせた。白い顔を真っ赤に染めたユリアは、そのコップの中身を一気に仰いだ。
「――っぷ――はぁ……。……おー助かったわ……」
口元を拭うユリアの顔は、窒息しそうになった苦しさから紅潮している。
「もっとゆっくり食べなよ。っていうか、レモネード全部飲んじゃったのか……あーあ……」
少年は空になった自分のコップを覗いた。
「あ、悪い……アズル。代わりのおごるから勘弁して! ね?」
ユリアはテーブルから身を乗り出し、向こう側に座る少年の右肩をバシバシと乱雑に叩いた。
「それはそうと――」
上目遣いにユリアはアズルと呼んだ少年を見た。それは異性に対して媚びたようなものではなく、子供が親に物をねだる時のそれに近かった。アズルは不敵な笑みでそれに応えた。
「何だいお嬢さん。何でも言ってごらん」
娘にせがまれる休日の父親のような、覇気の感じられない声で少年は発する。
「知っての通り、術式が壊れたから新しいの下さい」
ユリアはアズルに何かを求めるかのように手を差し出した。現金な表情である。
「……嫌だと言ったら?」
アズルはしれっとした表情で顔横に背け、横目でユリアを見た。ユリアはにんまりと黒い笑みを浮かべ、芝居がかった動作で腕を組んだ。
「最近さ、寮の中で誰が作ったのかは分らない、とある簡易術式が配られているみたいなんだけど――それは疲労回復を謳った効能がある自分にかけるタイプの緑魔法五級の術式なんだけどね。これがまぁ流行っているのよォ。皆疲れているんだねぇ。で、問題はこの術式にはある副作用があるらしく……」
少年は思った。女性よりもえげつない生き物はこの世にいない――と。
「そ、それは……! そ……そうなんだ……。へぇ……そんなのが流行っているのかー……はは……だ、誰が作ったんだろうな……?」
アズルの面の皮は、両端に釣り針が引っかかったかのように引き攣った。
「あれぇー……? アズル君はそんなに慌ててるのかなぁー? そんなに慌てているとあたし、何かアズル君が知っているんじゃないかって疑っちゃうなぁー」
ユリアはニコニコと笑いながら、アズルの胸の中心を人差し指で弾いた。
「ある人によると、術式を使用した人間は極度の腹痛に襲われるとか。まぁ、多分これは偶然だと思うけど、もし、表向きの術式の裏に本当に自分が実証したかった術式を隠していたとしたのが知れたら……。そいつどうなっちゃうだろうね?」
少年の頭の中に、もぞもぞと何やら人間のようなものが入っているであろう麻のずた袋に、色彩豊かな魔法の光がぶち当たっていく痛々しい図が広がった。
「無い! 無いよ! 僕に限ってそんなのは無い! 絶対にだ!」
「まぁまぁ、誰もあんたが書いたとは言っていないでしょう? 落ち着きなよ。……あ、店員さん。この人にアップルサイダー頼めます?」
店員を手を振りながら呼び付けたユリアの横顔は邪悪そのものであった。
「ああ、くそっ! 面倒だから、今此処で書いてやるよ!」
やけくそ気味に叫んだアズルは、大きな黒い羽の付いたペンとインク壷、メモ帳程の大きさの紙を一枚懐から取り出した。
「悪いわねぇ。あっはっはっはっはっは!」
意外と脅せばどうにかなるものだ――と少女は思った。
アズルは彼にとって凶悪に見えるユリアの顔を、引き攣った半笑いで見た後、諦めたような息を吐いた。ユリアの顔の正面にアズルの持つ紙が差し出される。
アズルはふいに紙から手を離した。しかし、彼の持っていた紙は落ちる事無く、宙へと静止している。アズルはインク壷の蓋を開け、羽の付いたペンの先を壷の中に浸した。
「はぁ……じゃあ書くからー……」
「うん、頼むね」
ペンの先が宙に浮く紙の表面を捉え、その上をサラサラと滑らかに走っていく。
「――よし……書けた」
アズルはペンを走らせていた手を止めた。ものの数秒の出来事である。
浮遊している紙の文字が緋色に輝く。次の瞬間それは融けるように消えた。
先程の紙は『魔術式紙』と言う。紙に正しい術式を書き、相手に付与する事により、予め紙面に組まれた『魔術式』を他者へと譲渡するもので、魔法の簡略化に一役買っている。魔術式は個人でも書く事が出来るが、一般的には魔術式だけを専門で構成、筆記する『魔道術式師』に委託する場合が多い。術式も一応は消耗品であり、その都度自らが書き直しては面倒であるからだ。自力で書こうとすれば、それだけで一日を費やしてしまう。
アズルが先程書いた式は、『赤色魔法の第三級の式』である。七つの魔法は第六級から第一級までの階級があり、階級、種別により、魔術式の構成の密度、複雑さは違うが、その中でも『第三級』の術式は比較的簡単な部類に入る。威力は然程無いが、その分行使も容易に出来るのだ。また、それらを正式に行使する為には試験を受け、合格する必要がある。合格しなくても行使自体は可能であるが、それらの試験を突破しなければ魔道師としての公の職に就く事は出来ない。
少年――アズル=レイジエは『魔道術式師』を目指す、『アルロイト魔術学院』の最上級生である。魔術学院では、魔道術式師を目指す、『魔術式学科』と、魔道師を目指す『魔道学科』の二つに分かれており、近隣の地域から十二歳から十七歳までの少年少女達が集められている。独学で魔法を学ぶ魔道師が多い中で、唯一の魔道師専門教育機関である。
アズルは学院の『魔術式学科』に在籍し、正面に座りニヤニヤと笑う少女、ユリア=クロスウェルスは『魔道学科』に籍を置く彼の同期生だ。
魔術式を大量かつ、速やかに書き上げる魔道術式師は、『魔道師』という枠組みにありながら魔道師の上位互換と思われがちだが、実際の所そこまでの差は無い。魔道術式師になる者は平均して、魔法の扱いに長けておらず、所謂使用センスに関しては魔道師に劣る。そればかりではなく、気力、体力的に劣る者が選ぶ傾向があるので、実力としては魔道師と五分五分だと言える。
先の大戦では魔道師の方が魔道術式師より戦果を挙げている事から、専ら戦闘については魔道師の方が優位に立つ事が証明されている。しかし、現在のようにある程度の均衡を保っている世の場合、魔道術式師のように創造的で平和的な魔法を使用出来る者の方が重宝される傾向にある。どちらが優れているなどという論議は絶えないが、それらは全て時勢に左右される故、優劣を決める事など出来ようが無い。
「……術式、無料であげたんだから皆には……」
「分かってるって~、あたしは約束はきちんと守る女だよ?」
「……嘘臭さ……」
「ん~? 何だって? そうかそうか、そんなにあの術式を誰が作ったのか知らされたいのか~。……よし分かった……」
「いや待って。それはおかしい」
ユリアがアズルを無視し、ご機嫌な様子で鼻歌を歌い始めた時の事である。
「あら……アズル君」
いけ好かない声がユリアの鼓膜を震わせた。ユリアとアズルが同時に左横を向く。
ユリアは声の主の顔を見て、瞬時に不機嫌そうな顔になった。
声の主は絹のような金髪を後ろの方で二つ結びにしている少女である。黒い長袖のブラウスと、群青色のスカートを身に着けていて、つん、と筋の通った鼻が気位の高さを表しているようにも見える。
少女の周りには数人の男女の取り巻きが確認出来る。ユリアはその取り巻きを見て、更に顔を顰めた。
「こんな所で何しているの? そっちの――氷姫様と」
テーブルの上の食器が騒がしい音を立てながら揺れる。ユリアがバネ仕掛けの人形のように素早く立ち上がったのだ。立ち上がったユリアは二つ結びの少女の胸倉を左手で掴み上げた。彼女の顔は、先程よりも赤くなり、心なしか息も荒くなっている。
怒り心頭といった様子のユリアに比べ、胸倉を掴み上げられている少女の方は全く動じていないらしく、冷徹な表情でユリアを見ている。それが余計にユリアの気に障ったのか、ユリアは空いている方の右手を硬く握り、振り上げた。
「殴るの? ……殴ればいいじゃない。いつも貴女がやっている通りに」
『氷姫』。それはユリアに対する皮肉を籠めた蔑称である。
ユリアの瞳は蒼く、氷のように冷めた色をしている。だが――反対に性格は苛烈である。
氷のように冷めた眼をしているように見えているからこその『氷姫』という名称であり、その冷めたように見える眼と相反しているユリアの熱しやすい性格を皮肉ったからこその『氷姫』という蔑称なのだ。
ユリアは『氷姫』呼ばれるのが何よりも嫌いだった。
「んだと……? もっぺん言って見ろ……!」
「だから、いつもみたいに殴ればいいでしょって言ってるのよ」
ユリアを見る少女の灰色の瞳は酷く冷たい。『氷姫』という名は、この少女の方が似合っている。
「ふっ――ざけんなッ!!」
昔から――いや、あの時からこの少女の眼差しは変わらないのだ。誰よりもユリアを蔑んでいるにも関わらず、誰よりも彼女を確りと見ている。
――貴女なんて……大ッ嫌い……!
唐突に蘇った言葉は、ユリアの胸のずっと奥にある古傷を抉った。チクリと針で刺したような痛みを感じる。見えない傷口は次第に大きく開いていき、真っ赤な傷口へと変わった。
――嫌い……? そんなの……! そんなの……っ。
開いた傷口からは、止めどない感情が零れていく。そしてまた掠れて、乾いて、閉じていく。
肉体の傷跡と違い、心の傷跡は自分自身に折り合いを付けない限り癒える事は無いのである。
そんな事、ちゃんと解っている。解っているが――。
「ちくしょう……。何でいつも……っ」
ユリアは力を入れていた手を離し、二つ結びの少女を突き飛ばした。少女は後方へと倒れ、後ろ手を塗料の剥げた床に着きつつ、どうにかバランスを保った。
「……あたしだってな……あたしだって……あんたの事なんて嫌いだよ……!」
消え入りそうな捨て台詞を吐いたユリアは踵を返し、尻餅を着く二つ結びの少女の横を通り抜けて、出口へと消えた。
「だ、大丈夫? ニーナ……」
取り巻きの一人。赤毛の少女が床に手を着いたままの二つ結びの少女を起き上がらせた。
「……何でもないわ……。こんな事……」
空虚な眼で金髪の少女――ニーナ=クリスティアは呟いた。
「……あのさぁ、ちょっといいかな?」
立ち上がったニーナにアズルが声を掛けた。
「……何かしら」
憮然とした表情でニーナはアズルと向き合った。アズルは一度大きな溜息を吐いてから口を開いた。
「……君とユーリは本っ当ぉーに……素直じゃないね……。驚くべき程の馬鹿だよ、君達は。まだこんな事を繰り返し続けるのか? 僕は君が何でいつもユーリに絡むのか知っているぞ。本当は――」
灰色の眼光がアズルを睨み付けた。ニーナのものである。
「そんな事……、貴方にとやかく言われる筋合いは無いわ……。……関係の無い人間は口を出さないで」
ニーナは感情を殺したような平坦な言葉を言い捨てた。拒絶するような響きを持つその言葉に、アズルは最早これ以上何を言っても無駄だと、口を閉ざした。
取り巻きを引き連れ、ニーナは出口へと歩いていく。そんな彼女の後ろ姿を見るアズルは、もう一度深い溜息を吐いた。
<3>
春だったっけ。あたしが彼に話しかけられたのは、学院に入学して二、三年経った頃――既にあたしは孤立していた頃だと思う。確か、学生寮の上、街並を見渡せる丘の上でご飯を食べていた時にいきなり話しかけてきたのだ。まさか、それなりに学院内で悪い意味で名前の知られているあたしに、堂々と話しかけて来る奴が居るとは思わなかったから、本当に意外だった。
あの頃のあたしは、来る日も来る日もうざったい哂い声が耳に纏わり付いてくる毎日に嫌気が差していた。本当に口だけは達者な奴らばかり。あたしみたいな出来損ないがそんなにおかしいのだろうか?
好きで魔法が上手く使えない訳じゃない。自分の体質なんて選べないのだ。なのに何も解ってない。見下す対象があったら、それが何であれ飛び付いてくる。大した理由なんてないのに。自分よりも劣っているというだけで、理由にしてしまう。
それに何だよ、『氷姫』だって? ふざけんな。あたしの何を知っているというのだ。奴らは何も知らない癖にあたしの眼が『冷めている』と言う。だからその都度、自慢の拳でそれを粛清――じゃなくて成敗していた。そうすれば本当にあたしの事が嫌いな二ナを除いて、奴らは黙るから。
二ナは駄目だ。あいつだけは本当にあたしが嫌いなのだ。理由は――。
――とにかくあたしのせいだ。貴女なんて大嫌いだと真正面から言われたのだ。
嫌い。嫌い――か。解らない、あたしは彼女を否定していない。否定したのは自分自身――なのに。他の奴らのようにあたしの態度が気に入らないのだろうか。
こんなあたしにだって夢は|ある。だが、自分には才能が無いと――行き着く未来が決して華やかなものではないと知ってしまった。『才能が無い』――その言葉にどれほど打ちのめされたか。あたしは夢を持たないのではなく、夢を持てないのだ。どれだけ願っても自分の限界が見えてしまっている以上、抱いた夢すら諦める他無かったのである。
いつしかあたしは夢を持ちながらも、追いかけるのを止めた。安定した生活。安定した未来。それを目指す事にした。絵空事の儚い夢なんて――追いかけても、躓いて、転んで、途中で挫折するに決まっている。挫折した夢は鎖になって自分の心を縛り付けて離さない。一生それを悔いて終わり――それが嫌だった。だから夢なんて抱かない。そう心に決めたのだ。夢で傷付くぐらいなら、夢なんて抱かない方がマシだからである。
そういった矛盾している感情を持っていたせいもあるのだろう、荒んでるというまでには至らなかったが、それに近い生活をあたしは送っていた。いちいち馬鹿にする奴には拳で返答し、その内一人になった。そんな時に彼はあたしに話しかけてきた。
『よっ、君があの有名な氷姫様か?』
軽薄な口調の男だと思った。だが、顔を上げてよく見ると、そいつはそこまで嫌な――いつもあたしに向けられているような侮蔑に満ちた表情はしていなかった。
『……誰だよ、あんたは』
『おいおい、同級生の顔も覚えてないのかよ。僕はあれだよ、魔道術式師見習いのアズル=レイジエだ。魔法薬学の時とか、結構近い席にいつも座ってるんだけどなぁ……。本当に知らない?』
近くに座っている奴の顔なんて、いちいち覚えている筈が無い。
「知らないよ。いいから、その氷姫って呼ぶの止めろよ。嫌いなんだ、それ」
何が姫だよ。馬鹿みたいだ――。
『嫌いだったのか。それは――ごめん』
『あんたもあたしの同期生ならその名前の由来……知ってるだろ』
そいつは首を傾げた。
『……由来? ……由来……こ、氷のように……美しく? お姫様のように優雅に……?』
『…それ本気で言ってんの?』
大真面目な顔でそいつは頷いた。その瞬間に理解した。ああ、こいつは阿呆だと。
「だって、肌なんて凄い白いし。客観的に見ても君は結構可愛いと思うぜ?」
暫くは何を言われているのか解らなかったが、言葉が頭の中で咀嚼され飲み込まれていくのと同時に、我慢の出来ない『笑い』がこみ上げてきた。
『……ぷっ――あっはっはっははっ!! あはっはははは! ひははっははッ! ははは!』
正直そんな事を男から言われるのは初めてだった。しかも、そいつは――彼は至って真剣な表情で言っているので尚更笑えた。臭い台詞を馬鹿みたいに真面目な顔で――これはかなり笑いのツボにくる。
『いーひひひひっ!! ふふふふふ、あははははははっ!! ふふ……あーひー……おえっ』
吐きそうな程笑った。
『はははっ……あんたそれ、あたしを口説いてるのかよ? 何だよ、氷みたいに美しくって……あはっ! だ、駄目だ……ふふ……わ、笑い殺す気……ふっ……はっはははは!!』
おべっかにしたって臭過ぎる。氷のように美しいだなんて。
『酷いなぁ。何、口説いて欲しいのか?』
彼はあたしの反応に意外にも驚かず、穏やかに微笑んだ。
『ひひっ! そりゃ勘弁してよ! あたし……ひひひ……死んじゃう!』
『僕だって口説いたつもりは無いさ。やるならもっと上手くやる。何なら今聞かせようか?』
『いーや、今度にしとくよ。……あはははっ! ……あんた面白いなぁ』
照れずによくもまぁそんな事が言えるのかと、ある意味関心した。
あたしが一頻り笑い終えた所で、彼は先程から絶やさない微笑のままで言った。
『……やっと笑った』
『あーそうそうやっと……えっ?』
考えてみれば当時のあたしは全く笑っていなかったのだ。いつも闘争に明け暮れていたし、笑い合う友人がそもそも居なかったからだ。笑う暇など無かった。馬鹿にされるのが嫌で、その不安の芽ばかり潰していた。
だからだろうか、久しぶりに交わした会話は妙に心に沁みた。
『君さ、ずっと仏頂面だったろ? いやあ、気になってたんだ、君が笑うのかって』
微笑を若干嫌味な笑みに変えて、彼は続けた。あたしは少しむっとした。
『んだと! あたしだってちゃんと笑えるって!』
正確には彼があたしを笑わせたのだが。
『そうだね。いい笑顔だ』
『くくっ……まだ言うの!』
『これはただの褒め言葉だよ』
そこだけ目を逸らして言う彼の拗ねた表情が、とても可笑しく見えた。
『あはっ! じゃあその褒め言葉、ありがたく貰っておくわ!』
今度はちゃんとした笑顔を返してやった。そうしたらやっぱり彼も笑っていた。
次の日からあたしは彼とつるむようになった。他の奴のように色眼鏡で見てこないから居心地は良い。毎日軽口を交わし、時にはそこそこの悪さもした。寮を吹き飛ばしかけたのも良い思い出だ。
彼の隣に居る時だけは劣等感を忘れられた。彼の隣なら叶わない夢も語る事が出来た。彼はそれを馬鹿にしなかった。ただ――『叶うよ』とだけ言った。彼のその言葉でどれだけあたしが救われたか。忘れかけていた夢も思い出し、淡い期待を胸に抱けるようになったのも、全て彼の存在があったから。
――いつの間にか、彼の隣があたしの大切な居場所となった。
明日も同じ時間帯に更新します。
予約投稿……いえ、何でもないですー……。




