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星祭り、雨宿り

 

 年に一度の逢瀬とくれば七月七日の七夕で、七夕といえば十中八九雨が降ることは言わずと知れた常識だ。

 個人的には、夏と言うより梅雨の風物詩だと思う。

 今年の七夕―― つまり本日も案の定、朝からぐずついた空模様で、雨あしが強まったのは午後四時を過ぎた頃だった。

 運動靴を濡らしたくなくて商店街に入ったら、眼鏡屋さんの前に笹飾りを見つけた。

 湿気で萎れた五色の短冊が気の毒だった。


(今年も織姫と彦星は逢えないだろうな)


 この時期の雨は苦手だ。蒸し暑くて、これから訪れる夏をじわじわと予感させる。

 真夏に降る雨なら、打ち水よりてきめんに涼がとれるのに。ああ、それはもしかして秋を予感させているからだろうか。

 つまり、雨が季節を連れてくるということか。

 ふとそんなことを考えて、何かのキャッチコピーみたいだなと思った。

 アーケードを抜けたところで湿った夜空に傘を開くと、右のポケットで携帯電話が震えた。


《お仕事お疲れさまです(∧_∧)》


 本宮さん……いや、いつかちゃんからだ。

 彼女とおつきあいを始めてから数週間、デートの回数はまだ片手におさまる程度で、当然のように今日も逢えない。

 節句だとか言ったって所詮は平日、それも週のど真ん中なのだから仕方がない。

 けれど気持ちが通じ合う前は耐えきれた時間が、今は酷く長くて同時に孤独だった。


《いつかちゃんこそ、お疲れさま》


 返信をしながら、もしかしたら、この雨は彦星こそが降らせているものかもしれないと思った。

 同じ立場だとして、雨が降ったら僕ならきっと、ホッとするだろうから。

 長い間離ればなれになっていた挙げ句の、つかの間再会だなんて、喜べるのはよほどの楽天家だけだ。

 せっかく逢ったところで、再び離れなければならない運命なのだ。それが大前提なのだ。こんな苦痛はない。

 僕だったら耐えきれない。

 ならば最初から、雨の所為にして不運を嘆く方がよほどいい。


《七夕ですね。雨、やまないかなあ》


 間髪を入れず返されたメールを見、僕はもう少し、アーケードの隅に留まる選択をした。


《難しいだろうね。局地的豪雨もあったみたいだけど、大丈夫だった?》


 自分たちと織姫、彦星を重ね合わせたらたまらなくなって、なんとなく、話題を逸らしてしまう。


《はい、うちの方はそんなに土地が低くないので大丈夫です。ところで神保さん、何かお願いごとしました?》


 けれど彼女はまだ、七夕について話したいようだった。


《いつかちゃんは?》

《職場でみんなで作ったんです、笹飾り。私は『世界中がしあわせになりますように』って書きました》

《世界中? 難しいなあ》

《やっぱりスケールが大きすぎたでしょうか》

《ううん、そうじゃなくてね。そもそも七夕は、奈良時代から始まったもので、書道やお裁縫なんかの上達を祈るお祭りだから》

《えーっ、知らなかった!》

《僕も、城に聞いて初めて知ったんだ》

《お裁縫、上手になりますようにって書けば良かった……後悔しきりです》


 純粋に驚いてくれる様が可愛くて、頬が緩んでしまった。

 小野原さんの事務所ではそんなこともするのかと、すこし感心しながら。 


《僕なら、無理を承知で『いつかちゃんに逢えますように』って書くかも(笑)》


 括弧笑い、は余計だとわかっていながら付け足した。本音だけれど、真面目に伝えるのは気が引ける。

 無理をすれば逢えないことはないと思うからだ。

 けれど彼女はとても気を遣うタイプだし、無理をさせるのは申し訳ないと思うから、言い出せない。

 まだ付き合い始めたばかりで―― 距離の取り方がわからない。


《そうですねえ、でも私、いつでも神保さんと一緒にいるような気がします。離れてる気、しないんです》


 返答に困ってしまった。どういう意味だろう。


《だって私達、側にいても離れていても、同じように話、できるから。これって凄く、幸運だなあって私思うんです》


 軒先を伝った雨が、足下の水たまりに落ちて波紋を重ねる。

 自転車に乗った雨合羽姿の高校生が、僕を迷惑そうによけていった。

 しばらくその画面を見つめたまま、動けなかった。

 彼女はこうして、僕の常識をたった一言で覆してくれる。

 その度に僕の独占欲は、少しずつ膨れ上がっていく。

 彼女は知らないだろうけれど。


《あ、でも、顔が見られないのは淋しかったです、よ?》


 付け足すように届いた文章の、語尾にちいさな違和感を覚えた。

 ……過去形?

 もしやと思って視線を上げる。

 と、商店街の先、道向こうのコンビニの軒先に、他ならぬ彼女の姿をみつけた。

 こちらに向かって、遠慮がちに手を振っている。

 驚いて目を丸くしていると、再び携帯電話が震えた。


《やっと気付いてくれました?》

《え、え? いつから?》

《最初からです。お仕事、お疲れさまでしたって打ったのも神保さんがここから見えたからですよ》

《気付かなかった……》


 横断歩道の信号が青に変わって、歩行者が流れはじめる。

 僕は強い衝動にかき立てられ、傘をさすのも忘れて一気に走り出した。

 深いことは考えられなかった。一分一秒でも早く、側に行きたいと思った。 


《もう、風邪引いちゃいますよ》


 辿り着いた僕の額にハンカチを押し当てて、困ったように笑う。

 本当にいつかちゃんだ。もしかしてずっと待っていてくれたのだろうか。

 無言の疑問に答えるように、彼女はメールを打ち込み始めた。


《今日は遅くなるって聞いてたから、そろそろかなって。残業の後、スーパーに寄ってから来たんです》

《スーパー?》

《ごはん、一緒に食べませんか。これ、天の川にしましょう》


 差し出されたエコバッグには、そうめんと黄色いパプリカ、そして星形の抜き型が入っている。

 これから作るのだろうか。どこで? まさか僕のうちで? もう21時なのに?

 いろいろと思うところはあったけれど、僕はもう、考えるのをやめた。

 傘を広げて、そこに彼女を招き入れる。

 すぐに離れなければならないとしても、この手をとらずにはいられないとわかったから。


《うん、かわいいね》

《でしょ?》

《いつかちゃんが、だよ》


 多分、彦星だって渡るだろう。

 雨が降っていたって、信号さえ青になれば。



*星祭り、雨宿り(ほしまつり、あまやどり)fin.*

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