保田まこと 腹部動脈瘤(3)
滝沢医師が諫めた。
「こらこらサフラン、あまりくだらない話をしない。まこと君、確かにサフランは免許はないが優秀な看護師だ。心配しないで。さ、ベッドに横になって」
サフランは思った。
(本当はやりたくないから無駄話したかったんだけどな…)
看護師長の熊田が、裸の少年に心電図の電極を取り付ける。そしてまことの耳にヘッドホン、目隠しをして外部の情報を遮断した。サフランは三人と視線を合わせてうなずき、呪文を唱え出す。詠唱しながら右手はまことの胸を狙っている。院長を含む全員が固唾を飲んで二人を見守った。
呪文が終わるとまことは子供とは思えない、獣のような短い断末魔を残して動かなくなる。先ほどまで波形を流していた心電図が突然フラットになり、ピーッと高いビープ音を鳴らしている。サフランの心臓の呪文だった。
「まこと君が絶命しました」
見ればわかることを滝沢医師が説明した。
「うっ…」
まことを殺したサフラン、彼女の胃液が逆流する。看護師の熊田が気づかう。
「ちょっとお手洗いに行きましょう。私、サフランについて行きます。お二人で大丈夫でしょうか」
南雲医師が返事をする。
「ああ。患者は死んでるし、制限時間もない。二人いれば十分だ。ゆっくりしてきてくれ」
循環器の外科医、南雲はサフランたちを見送ることなく、すぐさまメスを持つ。腹部正中切開、普段なら電気メスで慎重に行うところだが、ここはサフランがいるため解剖用のメスで大きく雑に切る。そして開創器で腹部を広げる。
南雲医師は手を動かしながら、対面に立つ同期、滝沢にこう漏らす。
「しかし、総山サフランは非情な人間だ。人間を蘇生する魔法を持っていながら、一度も使わずひた隠しにしていた…」
南雲はフッと笑って続けた。
「あの子は今までどれだけ人を見殺しにしてるんだ」
オペ着の滝沢が怒鳴った。
「それを言うな! それを知られると、自分の周りがおかしくなることがわかっていたからサフランは黙っていたんだ!」
「ふん…」
南雲は小腸を右側によけて、腹部にタオルを収める。対面の滝沢もそれを手伝う。大動脈が姿を現す。巨大に膨れ上がっている。滝沢は背筋を凍らせる。南雲は見慣れたものと眉一つ動かさなかった。
「しかし、総山サフランがいれば私は何でもできる! 脳なんか触ったことがないが、失敗しても何度でもやり直しが可能だ! 天才外科医になれるぞ!」
後腹膜を切開。中枢、末梢をテーピングで遮断する必要があるが、いきなり大動脈を切断し、除去。人工血管を結紮、吻合。
「あのな…」
滝沢は何かを言おうとしたが、同期の技術を見せつけられて、言いよどむ。やはり自分も同じ医者なのだ。こいつは人柄に問題があるが、腕は良く、口が堅い。だから今日、この場に誘った。
そしてサフランたちが戻って来る。
「具合はどうだい?」
「吐いたから少しだけ…」
そして腹壁、後腹膜を閉鎖。タオルを抜いて小腸をもとの位置に戻す。腹壁の縫合は一応行う。さしあたり、ごまかしのための手術痕は必要だ。
「終わったよ。魔法を頼むよ」
サフランが呪文を唱え出す。周りの三人はまことを見守り、黙ってサフランの言葉に耳を傾ける。
完全復活の呪文はその名と裏腹に失敗する確率をはらんでいるらしい。ごくまれにではあるが、失敗すると魂の器というものになるとのこと。そこにもう一度だけチャンスがあるが、再び蘇生に失敗すればこの世から肉体ごと消滅する。つまらない挑戦やお節介をして肉体が消えれば遺族にどう言い訳すれば良いのだろうか。
見た目と違って知性あるサフランはそこまで考えているだろうと、二人の医者は彼女の詠唱を聞きながら、思考を巡らせた。
「……ルートファント・レイルズゼント・完全復活」
サフランの長い呪文が終わるとまこと少年が光り、腹の傷が一瞬で癒えた。少年が目をこすって起き上がる。
「…え…。もう終わったの? 何か、初めに胸がぐさーってすっごく痛かったけど、一瞬で終わった感じー! …でも…、やっぱり時計は進んでる…。不思議ー!」
サフランは小さな涙をためて薄い笑顔でうなずいている。熊田師長はまことの頭をなでた。
南雲は素知らぬ顔でもう後片付けを始めていた。「腹を切られたのに痛みがないことに気づかない。やはり子供だ」とマスクの下でクスリと笑った。
滝沢は閲覧室の方を向いて小声で言った。
「院長、成功ですよ」
まことの祖父はぼたぼたと涙を流して手術の成功を喜んでいた。
*
翌日の日曜日、ユヅキは珍しく二度寝していた。そして寝言を言っている。
「彼氏ー…。彼氏が欲しいよ…。美男子で料理が得意でオタクに理解のある彼氏…。結婚も考える真面目な人…かれしー…」
上からユヅキを眺めるサフランが笑った。ユヅキの顔が急に苦悶に変わる。
「彼氏なんかいらないからサフラン帰らないで…。お願い…」
「ユヅちゃん…」
サフランはギルが入った瓶をカバンに詰めるとそっと部屋を出て行った。
サフランは流星病院の院長から院長室まで来るように声をかけられた。ついにこの時が来たのだ。彼女は廊下を力強い足取りで歩く。
(やっと院長先生に会える!)
サフランはこの日のためにこの病院で働いてきた。ギルの治療を託すためだ。
(これは魂の器です! この人を助けてください! …よし、こんな感じで…)
今、サフランは一人。これまで探検ごっこで院内を探索していた彼女には院長室は頭に入っている。彼女の鼓動は高鳴り、息を少しだけ荒くする。絶対にお願いを聞いてもらわなくてはならない。
(私はこちらの世界に育ての親を助けに来ました、お願いです! 白血病になったギルを助けてください! …一世一代のこのセリフ…、かっこよく言わないと…)
サフランは五階の端まで来ると扉をノックした。
「総山サフランです!」
いつになくかしこまった口調での挨拶。それを間の抜けた声で院長が返してくる。聞き覚えのある声だった。
「はい、どうぞー」
(え? …誰)
「失礼します」
サフランが院長室に入ると赤い絨毯が足元に広がり、壁には鹿の頭の剥製をかけた壁、逆の壁には金色に光る棚。正面の机は高級そうな黒い机。それは黒檀で造られた数百万はする机だった。そこから立ち上がって院長が挨拶をする。
「やあ、この度は孫を助けてくれて本当にありがとう」
院長の身長は自分と同じぐらい。男性としてはかなり低い方。腹は膨れて、頭はサイドの短い髪を残して頭頂部はつるっぱげ。壮年のハゲ頭だ。そしてやぶにらみの目にサフランは思わず指差してこう言ってしまった。
「フォードさん⁉」
「え? ワシ、保田だけど?」




