保田まこと 腹部動脈瘤(2)
「君がそれを描いたの! すごい! 見せてー!」
二人がコミュニティルームの席に座り、少年がこれまで描いた絵を見せる。それは風景画や人物像、動物の絵と多彩だ。絵はまだ幼いがこれからの成長を存分に思わせる。
「すごい、絵が上手ー! すごいすごーい! 私が住んでた所の近所に絵が上手な食堂のおばさんとお姉ちゃんがいたんだ。絵がうまい人って尊敬! ライオン描ける?」
「ええっと…たてがみをこうで四本足…」
簡易的なライオンがあっという間に描かれる。ライオンはこちらを向いて目は丸く無表情だ。かわいらしい。
「うまーい!」
(ナタリーおばさんが描いたライオンさんとも、アニメのライオンさんとも全然違う! 絵って描く人で個性が出るんだ! 面白ーい!)
「カカシ描ける? ブリキの木こりも」
「オズの魔法使いだね。描けるよ」
少年は機嫌よく続けて一本足のカカシとブリキのロボットを描いた。
「あははー! これじゃカカシさんは歩けないよ!」
「そうだったね! ついうっかり、はは!」
ここで後ろから知らない医者に声をかけられた。
「総山サフラン。君は仕事中じゃないの?」
「お医者さんにさぼってるの見つかっちゃった! ヒヒ。じゃあ、仕事に行こうかなあ! またねー!」
少年に手を振って離れるとサフランが医者に質問した。
「あの子はどこが悪いの?」
「腹部大動脈瘤」
心臓から伸びる大動脈が動脈硬化によって壁が弱くなり拡張し、最悪の場合、破裂する病気。あの少年にはそれがもう迫っていた。
「それなら手術しないと…死んじゃうよ…」
「あの子は特異体質で麻酔が効かないんだ。今は現状維持の治療のみでどうしようか考えてる。君は治す方法がわかるか?」
(それで前に私に睡眠の呪文が使えるかって訊いてきたお医者さんがいたんだ…)
「…あ、ううん…。あの、あの子の名前は?」
「保田まこと」
「まこと君…」
サフランはしょんぼりとしてその場を去った。
*
仕事が終わってサフランはユヅキには用があるとだけ伝え、病院に残る。今度の彼女の行き先はがんセンター。滝沢医師を尋ねた。サフランは診察室に患者がいないことを確かめてドアを開く。
「滝沢先生、こんにちは。今、お時間いい?」
「やあ、こんにちは。大丈夫だよ。何だい?」
サフランは椅子に座ってスキンヘッドの医者と膝を突き合わせた。
「小児科に入院してる保田まこと君って知ってる?」
「知ってるよ! どうしたの⁉ 君には手術する方法があるの⁉」
「滝沢先生はよく知ってるね」
「そりゃ、あの子は保田先生…この病院の院長の孫だもん。医者ならほとんどの人が知ってるよ。ちなみにまこと君は今、九歳」
「そうだったんだ! でね、保田まこと君を助ける方法が…」
能面のような表情のサフランはとつとつと語った。説明する彼女の顔は途中から苦痛と焦燥が現れる。話を聞いた滝沢医師は唖然としながら思った。
(そんな魔法が使えるなんて! 今まで誰にも言わなかったはずだ! 言えばサフランは他人から距離を取られること間違いない。おそらく向こうの医者、パディ・ライスという男からの指示だろう…。しかし、これでまこと君が助かる!)
「他に誰にも言ってない? 星山さんにも…」
「言ってない。滝沢先生が最初だよ」
(僕に話したのは賢明な判断だ! 他の医者、生真面目な相手に話せば、卒倒するか激怒するかしていたはずだ。この子は人を選んでいる! 人を見る目が肥えている!)
サフランの決意は固まっていた。
(私は本当はやりたくないけど、木こりさんならきっとそうする! ライオンさんもギルだって!)
*
その週の土曜日の朝、滝沢医師がユヅキの部屋にサフランを迎えにやって来た。ユヅキの家に、サフラン目当ての来客はこれが初めてのことだった。
「じゃあねえー! 行って来まーす! ユヅちゃんお留守番よろしくねえー!」
軽く手を振るサフランにユヅキはもう半べそだ。
「うぅ、サフランずるい! 私も行きたい…」
スキンヘッドの医者が片手を上げる。
「それでは星山さん、ごきげんよう」
この日、サフランは勉強会とお食事会という名目で病院にお呼ばれされた、ユヅキにはそういうふうに伝えてある。ユヅキの方は自分が呼ばれないのはお世話係として納得できないと憤慨していた。
「だって、患者さんを治してるのは私だけだもーん!」とはしゃぐサフラン。ユヅキは「言ったらいけないことをとうとう言ったわね」だの、「ぐむむ」だのと憤懣やるかたなしというようすだった。
サフランは滝沢と手をつないで階段を降りて行く。見送るユヅキは微動だにしない。
「ほら、滝沢先生。ユヅちゃんずっと見てるよ」
病院に向かって歩くサフランは少し振り返ってユヅキに手を振る。ユヅキも小さく手を振り返す。
「星山さんは心配なんだね。サフランは星山さんのこと好きかい?」
「好き。大好き! 今、ユヅちゃんは私が滝沢先生の子供になったりしないか、ハラハラドキドキ、悪いことを考えてるよ。イヒヒ!」
道中、二人はくだらない会話を楽しむ。
「あんまりお姉ちゃんを困らせたらだめだよ。たまにはいい子にしてないと」
「ヒヒ! …ほら! まだユヅちゃん、こっち見てるよ!」
*
手術室では滝沢の同期の医者が一人、手術の準備をしていた。循環器血管外科の医師だ。
助手を務めるのが滝沢。後から救急病棟の看護師長、熊田がやって来る予定だ。本日の手術は極秘のため、必要最低限の人数しかいない。閲覧室には保田まことの祖父で院長の保田克則が一人、こちらの成り行きを見守っている。
「今日はよろしく、南雲先生」
「よろしく、サフラン」
執刀医とサフランが軽く挨拶すると看護師長の熊田が保田まことを連れてやって来た。
「あ、この前のお姉ちゃん! 本当に看護師さんだったんだ!」
少年は手術着姿だ。
「ふふふー! こんにちは!」
少年相手にサフランは作り笑いを見せながら、内心をひた隠す。これから九歳の少年に残酷なことをしようとしている。サフランの胸は張り裂けそうだった。
「なんかねえー、僕って麻酔が効かなくて手術ができなかったらしいけど、この前、すごい麻酔の方法が見つかったって! おじいちゃんがそこで見てるし、僕頑張るよ!」
少年は自分の病気がどれだけ重いかわかっていないようすだ。周りからの配慮である。サフランが口を開く。
「うんうん! まこと君はおじいちゃん好き? おじいちゃんはどんな人?」
サフランはこちらの世界を訪れたその日からここの院長には興味があった。
「僕、おじいちゃん好きだよ! …おじいちゃんは意地汚いとか銭ゲバとか悪口言う人もいるみたいだけど、人助けが好きな、とってもいい人なんだよ! たくさんの人から感謝されてるんだ! 僕、だーい好き!」
少年の言葉に滝沢が補足した。
「院長は本当にいい人なんだ。私も尊敬している。サフランも会ったらきっと気に入る」
サフランがこくりとうなずく。保田少年が言った。
「手術室ってひんやりしてるよね。わざと温度を落としてるんだって。でもベッドはあったかいんだよ。お姉ちゃん知ってた?」
「知らない! そうなんだ!」
「お姉ちゃんって本当に看護師さん?」
「そうだよ。免許はないけどね!」




