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滝沢先生と出会ったよ!

 ユヅキの部屋でサフランはテーブルについてお箸で大豆をつまむ訓練をしていた。お箸を使って右の茶碗から左への茶碗と大豆を移す練習だ。

「む、難しい…」

「それは何をやってるの?」


「お箸の練習だよ…。熊田のおばちゃんから言われたんだ…。日本食はお箸を使って食べた方がおいしくなるって…。おいしいご飯のためなら私は頑張れる…。ぐぐ…。余計な力が入る…。もっと器用に軽やかに動かさないと…」


(何かの本で読んだことがあるわ! 反社会勢力の人って怠け者な分、日頃の努力を惜しまないって! ああいう人たちってすっごい法律を勉強してるらしいわ! 弁護士みたいに! 怠け者ほど努力家! 今のサフランがそれだわ! いや、まず食器洗いでもすべきじゃない⁉ じゃがいもの皮むきをお手伝いしてもお腹を空いて、ご飯がおいしくなるわよ⁉)


    *


 翌日。ユヅキは仕事の予定表を見ながら言った。

「えっとー、次は皮膚科かー。火傷(やけど)した患者さんの回復か…。それだと(あと)も残らないけど、いいのかしら? …患者さんが喜べばいっかー! じゃあ、こっちからー。…あれ? あれれ? サフラン⁉ サフラーン⁉」


 サフランは忍び足でユヅキから離れていた。予定表は盗み見してある。サフランは一人で勝手に皮膚科までおもむく。この時のサフランはユヅキから買ってもらった腕時計を手首に、首には聴診器をかけていた。ナース服の色も違うし、童顔の彼女ははた目からは看護師のコスプレをやっているようにしか見えない。


 皮膚科まで行くと医者は驚いた。

「総山サフラン⁉ 一人で来たのか⁉ 星山ユヅキはどうした⁉」

「ユヅちゃんならコンビニって所でおにぎりとかプリンを眺めておいしそうって言ってたよ」

「君みたいな若い子が懸命に働いているのになんて最低な職員だ! 今度会った時に厳しく言っておく!」


(イヒヒヒヒー!)

「では、こちらに来てくれ」

 サフランが病室に連れて行かれると幼児が顔をゆがめて苦痛を漏らしていた。涙のあとも見える。

「痛い…。怖い…。ママ、助けて…」


「この子は数日前に電気ポットで足を火傷した。親はここの職員だ。膝から下を深度3の火傷。君が来たからここに転院させたようだ」

 サフランは宝箱の呪文で布団の上から患者の足を透視する。表面の火傷はもちろん、肉体内部まで火傷がひどい。電気ポットでここまで火傷するのだとサフランは驚いた。そして回復呪文を唱えると患者の顔色が途端に良くなった。


「まだ痛い?」

 医者の質問に子供はきょとんとした顔でふるふると首を振る。足を触っても何ともないようすだ。

「これから検査もするけど、治ったようだ! 火傷は日が経っているから表面には痕が残るようだが、皮膚移植もあるから! ありがとう!」


 皮膚科医から握手を求められた。本来なら全治六か月の重症だった。医者は感動していた。サフランの方はなぜか突然、サーキスとドロシーが孤児院に来た日のことを思い出した。

「サフランを助けたいよ!」出会ったばかりのサフランの脚を治したい、二人はそんなことを言っていた。そして脚の手術も終わって孤児院に帰れば、孤児院の友達は自分のことのように喜んでいた。


(この人は今、そんなふうに感じてるのかなあ…)

「どういたしまして。えへへ」

 予定よりも早く仕事が済んだサフランは私用で次の目的地へ移動。まさに自由奔放だ。勝手に歩き回って、がんセンターを探す。診察室から出て来た医者を発見した。

「あ! あのハゲた先生、がんのお医者さんだ! しめしめ」


 医者と入れ違いに、チャンスとばかりにサフランは勝手に扉を開けて部屋に入った。机の書類にざっと目を通してみると目当ての血液内科医だった。

「いたずらして仲良くなっちゃうよ! よーし! また机の下に隠れて驚かしてやろ!」


 昔、サフランは机の下から飛び出して木こりの医者を死ぬほど驚かせた。その時は天にも昇る楽しさだったが、直後にギルから強烈な尻叩きをもらう。それもこれまで喰らったことのない痛さだった。

 スキンヘッドの中年の医者が診察室に入って来る。そしてパソコンの電源を入れた。サフランは机の下で体操座りをしながら昔のことを思い出す。


(あの時はカカシさんもライオンさんも私をかばってくれなかった…。ヒヒ…)

 机の上でカタカタとキーボードとマウスの音がしてウェブ会議ソフトが立ち上がった。

「お疲れ様、峯岸先生」

「こんにちは、滝沢先輩」


 サフランにはよくわからなかったが、何か電話のような会話が始まる。

(私が脅かしたから木こりさんはショックでうっかり心臓が止まるところだったもんねー! 私は怒られて当然だよね、ヒヒヒヒ!)

 机の上では医者同士の会話が続く。


「それで僕の患者さんがテニスプレイヤーの橘さんで原発性悪性骨腫瘍げんぱつせいあくせいこつしゅようで…」

「たいへんだね…」


「ええ…。僕は橘さんに医者の仮面を付けて無慈悲に腕を前腕から切り落とすか、抗がん剤で赤ん坊を流すか決めてください。それも早くと言い放ってしまったんです…。橘さんは理解が追いつかない呆けた顔ではははと笑っていました…。僕はあの顔を何度も思い出してつらくてつらくて…」


 サフランは目をしばたたかせて思った。

(あれ? これってあれだ…。治せるよ…)

 すすり泣く声が部屋に響く。パソコンからの声だ。しばらくして机の下からいたたまれない声が聞こえた。

「先生、治療法があるよ…。ちょっと私を出して…」


「何だ⁉ 机の下⁉」

 滝沢医師が立ち上がって椅子をずらすと下からサフランが現れた。

「君は総山サフラン⁉」

「ごめんね。先生を驚かせようと隠れてた。私は先生と仲良くなりたかったの。それでそのがんの人を治す方法がね…」


 サフランが手術の手順を説明した。

「その手があったか! …峯岸! 橘さんをこちらに転院させて!」

 パソコンの中の峯岸医師は怪訝な顔で言った。


「聞いてましたよ。前腕を切断させないように腕を六、七割切って魔法で回復させて、その反対をまた六、七割切るって。その魔法って一体何ですか?」

 こちら側の滝沢医師が引き出しからカッターを取り出し、それで自分の腕を大きく切った。鮮血がほとばしる。サフランは眉根を寄せる。


「ちょっと先生、やめてよ。私はそういう証明のやり方は好きじゃないの。私は刃物が使えないんだよ。もう…」

 サフランが回復呪文を唱えた。スキンヘッドの滝沢が手元にあったタオルで腕をぬぐうと傷がなくなっている。

「て、手品?」


「魔法だよ。彼女は僧侶なんだ。魔法使いみたいなものかな。とにかく橘さんを一刻も早くこちらに転院させなさい。画期的な治療法が見つかったとか適当な感じでいい。私は彼女のファンだからわかる。きっと挑戦に応じるはずだ」

「治療のやり方がよくわからないけど…」


 パソコンの画面の峯岸医師はしばらく黙ってうつむいていた。そして顔を上げる。

「僕の肩の荷がおります。必ず橘さんを助けてください!」

「任せておいて!」

「きっと僕たちで何とかする!」


 サフランがパソコンの画面に手を振って峯岸医師とさよならをする。

「さてとユヅちゃんの所に戻らないと」

「どこにいるかわかるの?」

「呪文で!」


 サフランは捜索呪文を唱えた。

「…今、ユヅちゃんは二階にいるよ!」

「一緒に行っていいかい?」

「いいよ!」


 スキンヘッドの滝沢は捜索呪文に興味を持ち、質問をする。その魔法は自分と仲が良い人間の位置を座標で知らせてくれるものと教えてもらった。原発性悪性骨腫瘍げんぱつせいあくせいこつしゅようもあちらの世界の医者がそのようなやり方で治していたそうだ。


「僕はテニス…スポーツ選手の橘さんのファンなんだ。さっきの奴も僕の後輩でね。すごい悩んでたみたいで。君のおかげでみんなが助かるよ。お礼がしたいな。何がいい?」

「じゃあ、ユヅちゃんを怒って! 『サフランが仕事中に勝手に遊びに行った、お前のせいだ。サフランのお世話係ならしっかりしろ』って!」


 二人が並んで廊下を歩く。ここは三階なのでユヅキは下の階だ。

「それは君のせいじゃないのかい?」

「そうだね、ヒヒヒ。でも私はユヅちゃんがしょんぼりしてる顔が見たいの。主従関係ははっきりさせないと駄目って向こうのお医者さんも言ってたよ。ヒヒヒヒー!」


「君は性格が悪いな」

「よく言われるよ! 私のお世話係のユヅちゃんかわいそう!」

 滝沢たちはエスカレーターを使わずに階段で下へ降りる。


「でも今日は君がいてくれてよかった。ほらこの病院ってスタッフが君にあまり話しかけてきたりしないだろ? 挨拶もしてこないんじゃないか?」

「うん! それはちょっと不思議だった! 何で?」


「君と星山さんは知らないかもって思っていたけど、病院全体のルールが作られてね、不用意に君たちに話しかけたりしないっていう決まりができたんだ。自分の利益のために魔法を使ってもらおうと君にすり寄る人間を出さないためにね。君と仲良くなるといいことが多そうだもの。みんな話しかけたくなるよね」


「ふーん。…あ、こっち」

 階段を降りるとサフランが東の方向を指差す。

「ははは。これは確かに便利だ。…で、それを考えたのがここの院長。あの人は切れ者だよ。ちなみに君が現れた時に病院でちょうど会議があっててね。院長の鶴の一声で君の採用が決まった。採用って言い方はおかしいけどね。サフランにはここで働いていただいてもらってるんだ」


「あんまり私を特別扱いすると私が図に乗っちゃうからやめてね。でもユヅちゃんは叱らないと駄目だよ。ヒヒヒ。ところで院長先生ってどんな人?」

「僕よりも髪の毛が多い人だね」

「それは誰でもそうだよ! あははは!」


(何かこの人、感じが木こりさんに似てる!)

「…ほらあそこ! ユヅちゃんが座ってる!」

 ユヅキはベンチに座ってうなだれていた。

「患者用の座席に看護師の格好をした職員がああやって座っているとはけしからん…。体裁悪いことこの上ない。かなりたるんでるな…。これは厳しく言わないと!」


    *


 プロのテニスプレイヤー、橘という女性の手術は無事終わった。がんセンターの診察室で滝沢医師は、橘からユヅキに送られた手紙を読んだ。感謝がつづられた手紙だ。

「星山さん宛に手紙が来るなんて羨ましいな! 僕も一応働いたのだが。彼女だけとは残念」


 パソコンの画面から峯岸医師が言った。

「僕もですよ。その星山という人はよほど応対がよかったのでしょう。あはは!」

「私はおいしいプリンを買ってもらったよ! イヒヒー!」


 サフランは滝沢医師と心の距離が一気に縮まった。今では捜索呪文で居場所を特定できるほどだ。

「さてと。ユヅちゃんを待たせてるから行かないと! 滝沢先生、また遊びに来るねー!」

「ところでサフラン、君はどうしてこっちの世界に来たの?」

「それはまだ内緒!」


 働く場所を探し、自分を世話する人間を見つけ、血液内科医の協力を仰ぐ。ギルを治療するための計画は順調に進んでいる。しかしながら、次の目標は遠い。そして無意味にもがいても仕方がない。自然の流れに任せよう。廊下に出たサフランはユヅキに手紙を返した。

「お手紙ありがとう。二人とも喜んでたよ」


「まあ、橘さんに電話したらお世話になった方たちなら、恥ずかしいけど手紙を見せてもいいと言われたから…。ふーむ」

「ユヅちゃんもお部屋に入って来ればよかったのに」


「あたしには無理よ! そんな厚かましいことはできないわ! あなたは誰にでもタメ口だし! それに滝沢先生からあたしはあなたのせいで怒られてるのよ! 顔を合わせられない! …あなたの育ての親を見てみたいわ! 一度注意してやる!」

「イヒヒヒヒ!」

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